第三十一話「戦士、再び」
僕達は砂丘を越え、大きな街の手前にある水場へとたどり着いた。
そこは旅人の泉という、公共の水場らしい。
「ゴクッゴクッゴクッ……っぷはぁ! 生き返ったぁ」
冷たい湧き水が、乾いた身体に染み渡っていく。
こんな立派な水場を設置するなんて……この街の豊かさがわかる。
「さすがは南の城塞都市"辺境街”。私も初めて訪れるけど、とても大きな街よ」
と、ダイアさんが両の手で水を掬い、ゆっくりと口に運んだ。
『辺境街』
北の境界街と並ぶ、南の"名前を付けられた街”。
この街は王都より最も遠く、人も魔獣も住まぬ“砂丘”“沼地”“荒地”と隣接した“辺境”に位置する。
もっとも、境界街のように異世界の技術が残された街ではなく、教導国建国以前より、宿場町として栄えた歴史ある街だ。
「シルム、本当に予定通りなのか?」
「……いや、遅れてる」
「砂丘越えに時間がかかったもんな」
「ああ。だから計画を組みなおして、この街で少し休憩しようと思うんだ」
「おいおい、急いでいるのに、それで大丈夫なのか、シルム?」
「僕達は疲れている。ここでへばっちゃ元も子もないだろう? この先に難所はない。そこで巻き返せるさ」
「それで決まりね。もう汗でベトベト……砂まみれだし、何も気にせず思いっきり水が浴びたいわ」
ダイアさんは手に持ったハンカチを湧水に浸し、首元を拭った。
水場は街まで、あともう少しという目印でもあった。
「さあ、街は目の前だぞ」
重い腰を上げ、身体を伸ばす。飲み干した水は、すでに汗へと変わってきている。
「さっさと行こう。これ以上、干からびる前にね」
僕達は辺境街の入り口へと歩き出した。
「なんだ、これは……」
辿り着いた僕達を待っていたのは、
「誰も居ないぞ。門は開けっ放しだってのに……」
明らかなる異変だった。
「敵襲があったのか?」
「いや、そんなはずは……見ろ、荒らされた形跡もない」
シルムが魔道具で周囲の様子を調べながら言った。
「とりあえず、街の中に入ってみよう」
そのまま奥へ進むと、正面の大通りも、それに面した建物にも人の姿は見えない。
「なんだこれ。まるで、神隠しみたいだな……」
不穏を言葉に吐き出した。
建物も、何も荒らされた形跡は無い。街の人々は日常をそのままに消えていた。
さっきから感覚を研ぎ澄まし、魔力感知の範囲を広げ、周囲の様子を探り始めているが、変化は無い。
『パチッ』
「なあ、聞こえたか?」
「ああ。あの建物の中だ」
静寂の中に、微かな音を捉えた。
魔道具で感覚を強化している、シルムにも聞こえたようだ。
「魔力反応は無い。が、とりあえず中に入ってみよう」
何の手がかりも無い現状で、僕は縋る様にその出所を追った。
「ここはパン屋ね。かまどの火は消えてるけど、煙がまだ燻っているわ」
店先には美味しそうなパンが、数多く陳列されていた。いい匂いもする。
店内のパン焼き釜では、炭がパチパチと弾けていた。
「音の正体はこれか」
と、念入りに魔道具で分析を測るシルム。
「どのパンもまだほんのり温かい。並べられてからまだ、そんなに時間は経っていないな」
店内も荒らされた形跡は見当たらない。
「街の日常から突然、人だけが消えた。マシューの言うように、まるで神隠しだわ。この世界でこんな芸当が出来るのは……教王国しかない」
ダイアさんの表情が、いつの間にか険しいものに変わっている。
「しかし王国事変後に唯一、自治独立を宣言し、それを維持してきた街なんですよ? たとえ教王国が侵攻してきたにしろ、無抵抗……なんてことは在り得ないのでは?」
「シルムの言う事は尤もだ。だが、この現象も新しい異世界技術の一端だとしたら? 獣魔人といい、僕達が思っている以上に奴らの進化は――」
『いい匂いだ……』
突然、暗闇から声が響いた。
「誰だ!!」
声の出処はわからない。魔力探知も無反応だ。
「どうしたんだマシュー!? いきなり大声を出して」
「えっ? シルムには今の声が聞こえなかったのか?」
「声だって? いや、何も」
警戒して周囲を見回すが何も無い。ダイアさんも首を横に振っている。
だけど、僕にははっきりと聞こえていた。
『まあ待て。直に皆に聞こえるようになる』
僕にしか聞こえない声が、そう言っている。
刹那、カウンターの奥で、強烈で強大な魔力が集約した。
「カウンターから離れろ!」
その言葉より速く、皆が間合いを取って構えていた。
目前で煌々とした魔力光が、人の姿を形作っていく。
「何なんだ、これ……」
魔力の圧力は獣魔人にも匹敵する程に強大だった。
その光はすぐに弱まって、光だった人型は、完全な実体として、物陰に現れた。
「ふう。“IFPデコード”による、情報粒子の再構築を確認……こちらの実験も成功のようだな」
かまどの陰から声がした。今度は確実に音となった声だ。
「誰だ、お前は?」
男は暗がりから姿を現すと、僕に視線を移した。
「おいおい、俺の事を忘れちまったのか? 連れないなマシュー」
「お、お前は……」
「俺達はずっと一緒だったじゃあないか?」
言葉の軽さとは裏腹に、目に入ってきたのは、見るものを全てを凍らすような、冷たく鋭い眼光。
一目で分かる鍛えあげられた肉体と、黒く肌にまとわりつく異世界人の装い。
茶色い長髪を後ろで束ね、額には目を引く三角形の痣があった。
……その声を、その姿を、僕は知っている。
「レン!? お前はレンなのか?」
「ああ、そうだよ。久しぶりだなぁ、マシュー」
レンは嬉しそうに、獣のような白い歯を光らせた。
「レンって……君の中に潜んでいた異世界の、転生兵士!?」
ダイアさんが大きな目をさらに大きくしている。
「何ぃ! 転生兵士だって!?」
シルムは驚きながらも、左腕の魔道具をレンに向けた。
「二人共、ここは僕に任せてください」
ダイアさんとシルムは軽く頷くと、警戒しながら一歩後ずさった。
「ふっふ。旨そうなパンだな。合成食材とは違う、上質な小麦粉を使った“前世”ではお目にかかったことの無い高級品だ」
相手の動揺はお構いなしといった満面の笑みで、レンは口の端から零れる唾液を掌で拭った。
「たまらんな。我慢できない」
そう言って、レンは傍らのパンを鷲掴んで、勢いよく食いちぎった。
「ふむ……美味い。経口摂取は一体いつ振りだ? 実に素晴らしい。生きている実感が湧いてくる」
「おい! どういうことだ? 説明しろ!」
「慌てるなマシュー、久しぶりの食事なんだ。もう少し堪能させてくれよ」
「もう充分だ! この状況を説明しろと言っている!」
怒号と共に、レンの顔を睨み付けた。
「説明だと? どれから始めればいい? 何故、俺がここに存在するのか? 何故、実体を持たぬ俺が身体を持ったのか? ……何故、人々が消えたのか?」
「……その答えは全て、繋がっているんだろ?」
「ほう、察しがいいな。まあな。その通りだよ、マシュー」
レンは店のカウンターを飛び越えて、僕の目前に迫った。
「いいか、これらの現象は全て“IFP”による生命体の情報圧縮と解凍処理による産物だ。これを物理的インターフェイスを使って――」
「異世界語混じりは止めろ! 僕達にも分かる言葉で説明するんだ!」
「おっと。分かる言葉……ねぇ」
レンは薄ら笑うと、
「なら“アレ”を見せた方が早い。ついて来な」
そう言って、僕達の脇を抜け、建物の外へ出た。
敵意は感じられない。それどころか、レンからは親しみすら感じる。
僕は直感に従い、レンに続いた。二人も僕に続いて外へ出た。
「この先の角を曲がった中央広場だ」
レンに続き、角を曲がると、
「なんだ、これは……」
人々の憩いの場であった中央広場。
その中心部には魔力結晶と異世界の技術が融合した、不思議な形の柱が突き刺さっていた。
「わかりやすく……端末とでも名付けようか」
レンはまた薄ら笑んで言った。
「異世界の……何なんだ、これは?」
「これが存在するから、俺はこの場に存在できる。そして、この街の住人を傷つけず、別の場所へと転送させたのも、この端末だ」
「端末……それに転送? 街の人は生きているんだな?」
「勿論だ。全てはスキル付与技術の応用さ。この世界の人間は非常に強力な潜在魔力を秘めていた。だから第一世代の異世界人はスキルという恩恵を与え、お前たちを縛ったんだ」
「その事は知っている」
それはかつて、師父から聞き及んでいたものだ。
「では、これも知っているか? スキルには恩恵や枷の裏に隠された、もうひとつの役割があると言う事を」
「……それは何だ?」
「森羅万象は“情報粒子”という超時空的概念によって構成され、定義されている」
「情報粒子?」
「そうだ。情報粒子……詳しい説明はできないが、端的に言えば俺達の文明は、それで“魂”の存在定義を確立し、万物を理解した。だからこそ次元を超えた転生にも成功し、この世界に至った」
「随分と難解だな。だが御託を並べるのはやめろ!」
「焦るなよ。スキルもその一端だと言うことだ。そのスキルに隠された役割とは――」
『氷柱』
牽制代わりの氷柱が、レンの足元に連続で突き刺さった。
『火炎球』
レンは火球を放ちながら、
「ちっ! 術式……だと」
眉間に皺を寄せ、視線が天を仰いだ。
「誰だ、テメエは!」
「レン、まさか、ここで……アンタと出会うなんてね」
視線の先、建物の屋根上で、肩までで切り揃えられた蒼色の髪が風に揺れている。
「王都で会おうって言ってたじゃないか!」
間違いない。その姿は一緒に獣魔人と戦った、氷の傭兵リンダだ。
「その予定だったんだがな、これも運命か……」
屋根上から飛び降りたリンダは、僕達とレンの間に着地した。
「ん? ま、まさか……」
さっきまでの雰囲気から一転。突如レンが狼狽えだした。
「リ……リン姉さん? 姉さんなのか!?」
「はん! あたしはアンタの姉さんじゃない。でも本当に驚いた……あたしが生み出したアンタがここで、実体を持って存在してるなんてね」
「姉さんは戦場で死んだはずだ! どうしてここに!!」
「五月蝿い。ああ、そうか。その柱はIFPデコーダーとして作動しているのか。だったら、あたしも……」
レンとリンダが姉弟って……そんな。意味不明が多すぎる。
「なぁ、マシュー」
レンをよそに、リンダが振り向き、僕に視線を合わせた。
「あ、ああ」
「もう少し借りる予定だったけど……あたしの協力者、マシューの大切な人を返すよ」
そう言って、リンダの身体から青白い光が分離した。
そして、さっきのレンのように人の形に集約していく。
「返す? リンダ、それって――」
『さあ、この身体、優しく受け止めなさい』
光が抜けきったリンダの身体が、糸の切れた操り人形のように力なく崩れた。
僕は慌てて、それを受け止めた。
「……マ、マシュー」
あふれ出した感情の洪水が、僕の目を伝ってあふれ出した。
「へへっ、何泣いてるの。馬鹿なの? 死ぬの?」
ああ、これだ。久しぶりに聞いた彼女の口癖。
目の前には、太陽のような朱色の髪、緑の瞳。
時なんかで風化する筈も無い彼女の面影が、目の前の現実と重なった。
「レベッカ!!!!」
「そうだよ、マシュー。ずっと、ずっと逢いたかった……」
口の端がわずかに持ち上がった、見慣れた彼女の笑み。
僕はただ、強く抱きしめていた。




