第二十六話「異形」
『グギャァァァァァァ!!!!』
激しい咆哮。【鎧殻魔狼】が迫ってきた。
躍動感は巨体を感じさせず、地形そのものを変える勢いだ。
ここで追い付かれるわけにはいかない。
僕たちは、丘陵を一飛びで越えて進む。
「ねぇ、どうやってアイツを倒す?」
「身体中に纏った魔力鉱石が厄介だ。遠距離でも近距離でも、魔力攻撃に反応して爆発する性質だと思う」
風圧に負けないような大声に、シルムは頷いた。
「じゃあ遠距離攻撃で削りきるってのは? 自分の爆発でもダメージは入ってるっぽかったし、魔力鉱石を無限に再生できるとは思えない」
「マシュー、私達の魔力だって無限ではない。ヤツを倒しきる前にこちらの魔力が尽きるのが関の山よ」
確かに……大型魔獣には、とても及ばない。
すると視線の先に、水面を光らせた湖が現れた。
丘陵地帯の陥没地に、雨水が溜まって出来たのだろう。
池と呼ぶには大きすぎるから、湖と呼ばれた。……その程度の大きさだ。
「……あたしなら斬れる」
唐突に、リンダが言い放った。
「聞いてなかったのか? 魔力を込めた攻撃では――」
「このまま、湖の淵まで鎧殻魔狼を誘導して。あたしは準備する」
と、シルムの言葉を遮って、
「先に行く」
リンダは速度を上げ、先に湖の方へと飛び出した。
「ちょ……何なんですか? あの一方的な物言いは?」
と、シルムが呆れ半分で、残った僕達に視線を送った。
確かに、どうやって斬るつもりなんだろうか。
リンダは『あたしなら斬れる』と言った。
彼女が剣術系スキルを使えば、その斬撃は魔力を帯びてしまう。……結果は言うまでもない。
だが、ただの斬撃で鎧殻魔狼の纏う、魔力鉱石を斬れるとも思えない。
「シルムの懸念はわかるよ。彼女、どうする気なんだろうか」
「何か手があるのよ、きっと。……彼女のお手並み拝見といきましょう」
と、ダイアさんは視線を強く、魔法杖を手に取った。
そして、湖の淵に到着。
湖の周りは丘陵地帯の植生とは異なり、草木が生い茂っている。
リンダの影を追って、その中の湖岸まで開けた場所に降り立った。
鎧殻魔狼の荒々しく地を蹴る音が、すぐそこまで迫っている。
「リンダは……何処に?」
何だか肌が粟立つ……寒い。いつの間にか、吐く息が白い。
間違いなく周囲の気温が、急激に下がっている。
「湖が!?」
シルムの声に振り返ってみると、
『パキィィィィィィ』
水が氷結に軋む音。湖面がどんどん凍っている。
その出所を目で追うと、湖の水の上に……リンダが居た。
いや、違う。
湖面は斜めに突き刺さった細剣を中心に凍っている。リンダは放射状に凍った氷の上に立っていたのだ。
辺りの気温は氷点下に一変し、草木には霜が降り始めている。
「氷属性のスキル持ちなのか……だけど」
まさにレベッカとは対極的な、冷たい魔力の波動。
だが、炎が氷に変わったところで、魔力を帯びた攻撃が誘爆を招くという事実は変わらない。
リンダは片手持ちだった細剣の柄を、両手に持ち直し、
「ふぅん!!」
力を込めて、剣を抜かず、そのまま強引に持ち上げ始めた。
「おいおい! どうするつもりだ!」
『バキッバキバキ……』
凍った水面に亀裂が走り、
『ザバァァァァ』
亀裂の間から水しぶきを上げて、透明で巨大な刃が姿を現した。
『氷結乃大太刀』
そこに、鎧殻魔狼の全長を超える、大きな刃が現れた。
「大きい。魔力と水で作ったのか……それに、あんな質量を簡単に……何て力だ」
唖然とした表情のシルムが言った。
「湖まで、鎧殻魔狼を引っ張ってきた理由はこれか!」
「あの魔力で作った巨大な氷刃で、遠間から一刀両断するつもりね」
と、ダイアさんが感心したように、微笑を浮かべた。
僕には、及びも付かないスケールの発想。
戦いの専門家である、傭兵ならではのアイデアとでも言うべきなのか。
驚く僕達を尻目に、リンダは視線だけこちらに向け、大声で叫んだ。
「チャンスは一度っきりだ! 奴が姿を現した瞬間に斬る。……姉さん達は巻き込まれないようにな」
と、リンダが巨大な氷の刃を一気に振り上げて、後ろに振りかぶった。
あの大きさを剣として扱える、技量と膂力も相当に凄まじい。
「なあシルム、ダイアさんは兎も角、僕たち何もしてないよな。立つ瀬無いぜ」
「情けない限りさ。マシュー、彼女には圧倒されっぱなしだよ……」
「二人共、無駄話は終わりにしなさい。来るわよ」
――来ない。さっきまであった、鎧殻魔狼の気配が完全に消えた。
「消えただと? 一体何処に――」
『ドドドドン』
突然、予期しない左後方から、激しい音と土煙が舞った。
『グギャァァァァァァ!!!!』
鎧殻魔狼は巨体を隠し、横合いから現れた。
直接、リンダの元へと襲い掛かる勢いだ。
「危ない!!!!」
大声を上げ、振り返った。
巨大な剣を振りかぶった姿勢のリンダは、無防備に近い。
視線で捉えた鎧殻魔狼は、勢いをつけ跳び上がっていた。
『ドッ!』
刹那、水煙が立ち上り、リンダの身体がグンと前に飛び出した。
振りかぶって氷上に触れた氷刃の切っ先から、刀身が一気に延びて、その勢いでリンダは身を交したのだ。
すでに跳び上がった鎧殻魔狼に、それを追うすべは無い。
「氷の太刀は、伸縮自在だ」
その伸びた勢いを氷刃に乗せて、
『ギュン』
さらに巨大になった氷の刃が、弧を描き、
『ザンッ』
空中の鎧殻魔狼の胴体を、真っ二つに別った。
氷刃は振りきる前に、細氷のようにキラキラと輝いて、空に消え、芯となった細剣だけが残った。
リンダは残心の体勢で凍った湖面を滑り、構えを解き、そのまま半円に回転して勢いを止めると、細剣を一振るいして、鞘に納めた。
予想外にも慌てる事無く、攻防一体の……見事な攻撃だった。
「鎧殻魔狼から、離れなさい!」
余韻を掻き消すように、ダイアさんが声を上げた。
「どうしました? 魔獣は真っ二つですよ」
「マシュー、だったら、どうして死体が爆発していないの?」
「あっ!?」
その言葉に、僕はすぐに視線を戻した。
「本当だ……魔力を帯びた氷刃で斬ったのに」
二つに分かれた鎧殻魔狼の死体は、僅かな出血も無く、そのまま残っている。
「そういえば、断末魔すら上げなかったのは奇妙だ」
戻ってきたリンダも、違和感を感じているようだった。
『炎弾』
ダイアさんは、鎧殻魔狼の死体に向け、炎魔法を放った。
その炎弾を、
『ヒュッ』
鞭のようにしなやかな何かが、彼方へと弾き飛ばした。
「何だ、あれ……」
それは鎧殻魔狼の切断面から、ウゾウゾと湧いて出ていた。
生き物の脈動を感じるそれは、いわば触手のようなものに見える。
その触手は二つに分かれた鎧殻魔狼のどちらからも出ていて、互いを引き合うように絡み、寄せ合っている。
「魔獣とて生き物よ。これは生物の範疇を越えている!」
ダイアさんが驚愕を零し、また魔法杖を構えた。
――その時だった。
横たわる魔獣の魔力鉱石結晶が光って、複数の炎弾が放たれた。
「危ない!」
『魔法防御膜』
すぐさまシルムの魔道具が防御膜を展開。炎弾は全て防がれた。
「ありがとう」
「ふう。やっと役に立てたよ」
と、ホッとした表情で、口の端を緩めたシルム。
「この魔法……私が放った炎弾と同じよ。そんなバカな……」
ダイアさんの表情は、逆に困惑の色が深くみえた。
「くそっ! どうすればいいんだ!」
僕たちはその様子を、警戒しながら伺っていた。
『グルルルルル』
鎧殻魔狼のものより、甲高くなった咆哮……というより鳴き声が聞こえた。
音の出処に目をやると、炎弾の残した煙でその姿が見えない。
「邪魔だっ!!」
『ブン』
僕の正拳突きで、煙は完全に吹き飛んだ。
『グルルルルルルル』
そこに現れた姿は、先程両断された筈の、鎧殻魔狼だった。
だが、その身体の至る所から触手が湧き出していて、不気味に全身を覆っている。
「おい! あれ……人の、女の顔じゃないか!!」
いつの間にか狼の頭部が形を変え、人間女性のものに変わっている。
「何と言うおぞましさだ……」
シルムの顔が引き攣っている。
更に変化は進み、胸部には女性の乳房のような隆起が出現した。
毛並みや骨格自体も変化を遂げ、鎧殻魔狼の猛々しい姿が、どこか艶かしい姿に変わっていく。
「何なのこれ? 気持ち悪い!」
と、リンダが眉間に皺を寄せた。
人と魔獣を混ぜ合わせた……まるで生命を冒涜したような、趣味の悪い造形が嫌悪感を掻き立てる。
『グリュルルル』
と、触手が体内に戻り、大きな変化を終えた異形の魔獣が顔を上げ、正面を見据えた。
「なっ!?」
その面差しを見て、僕は思い出した。
「この顔、知っている」
そう、あの巨躯の女……境界街で僕からレンを抜き出した教団の女教戒士。
「境界街に現れた教団の……名は、確か、ジュリアーナ!」
変貌を遂げた魔獣の顔は、かつて合い見えた、強敵にそっくりだった。
「人と魔獣が合わさった……コイツを【人魔獣】とでも呼ぼうか」
シルムが、戦々恐々とした表情で言った。
【人魔獣ジュリアーナ】はニカァと、牙を剥き出しにして、薄気味悪い笑みを浮かべていた。




