第十八話「霹靂」
『ザアァァァ……』
空は未だに厚い雲に覆われ、雨は鬱陶しい程、降り頻っている。
僕とダイアさんはギルド支部に到着した。
会合の時間には余裕を持って、間に合ったようだ。
『バサッバサッ』
コートに浮かぶ雨粒を振り落としていると、ダイアさんは傘を畳みながら、
「先に行ってるわね」
と、足早に中に入っていった。
ここまで降り頻る雨と不穏の報せが、ダイアさんと僕の間を大きく隔てていた。
お陰で今の今まで、一言も無くここまで来てしまった。
頭の中では、レベッカの事がグルグルと渦巻いていて、これでは気が滅入るばかりだ。
コートを畳みながら、僕は建物の中の人々へと、視線を泳がせた。
人々の忙しなく働いている姿を見ていると、僕もやらなければと、気持ちも高揚してくる。
ここには今、王国奪還の為に、多くの人々が国や人種を越えて集まっているのだ。
「ん……」
赤い長髪を靡かせて歩く、女性の後姿に、
「あ、」
呼び声を上げそうになったが、慌てて口を噤んだ。
レベッカの髪の毛は、もっと深い紅だったし、背格好も全く違うというのに、なんで一瞬レベッカだと思ってしまったのだろう。
「はぁ、何やってんだよ……」
僕は、頭をクシャクシャと掻き毟る。
すぐに心を乱す自分自身に、嫌気が差す。
三年半、精神修養をした訳ではないけど、レベッカの事でここまで心を乱すなんて……情けない。
今は王国を、故国を取り戻す事を、最優先に考えるべき時だろ。
レベッカの事は一先ず、コートの雨粒のように振り払おうと決めた。
『ガチャ』
待機室のドアを開けると、
「遅かったわね? 身体、冷えちゃったでしょ?」
ダイアさんが、温かいお茶を用意して待っていた。
「ありがとうございます」
熱々のカップで冷えた指先が暖まる。そしてお茶を啜った。
温かい。冷えた身体に染み渡る。
そして、鼻を抜ける茶葉の良い香りが、僕の記憶を呼び覚ました。
思えば、ダイアさんがお茶を用意してくれたのは、これで二回目だ。
それは三年半前、僕の状態を見定める為に、初めて出会った王城だった。
僕は眠りから覚めて、凄くお腹が空いていて……レベッカもその時、ダイアさんにスキルを試されたんだっけ。そうだ、あの時――
「はぁ……」
僕の大きな溜息で、お茶の温度も下がりそうだ。
僕はまた、レベッカの事を考えていた。
何をしても、頭の中で結び付けてしまうとは、これは随分と重症だ。
今は考えても無駄だと、分かっているのに。
今日はレベッカと、過去の不穏など無かったかのように、再会を喜び合って……。
きっと僕は無意識でそれを願っていたのだろう。
「マシュー、大丈夫?」
心配そうなダイアさんの声に、僕は自分の頬を触れた。
自問自答が、顔に出てしまっていたのだろうか。
「ははっ、大丈夫……じゃないですね」
僕の笑顔は引き攣っていただろう。
「考えるなと言う方が、無理よね」
「僕にとってレベッカが、いかに大きな存在だったのか痛感しています」
「私から見ても二人はまるで、仲の良い姉弟みたいだったもの」
「ずっと一緒でしたから。……僕にとって今回の件は、青天の霹靂でした。そう簡単には――」
『ドォン!』
『ゴゴゴゴゴ……』
突然、閃光と共に、大きな雷鳴が貫いた。
これは本物の霹靂だ。
「今のは近かったな。大雨とはいえ、この時期に雷とは」
背後から懐かしい声が飛んできた。
僕が振り向くと、
「やあ。待っていたよ」
両手いっぱいに書類を抱えた……父さんだ。
「少し見ない間に、随分と成長したな」
「あっ!」
父さんの腕から、幾つも丸められた書類が零れ落ちていった。
「しまった! マシュー、すまんが、そっちに転がっていったヤツを拾ってくれないか?」
僕は、足元に転がってきた書類を拾い上げ、
「今日、母さんは来てないの?」
と、父さんの手の中にある荷物の上に載せた。
当然、母さんは一緒に居ると思っていた。
「母さんなら後で来る。最近は魔獣も増えて、王国への出入りも難しくてな」
父さんは、拾い上げた資料を纏めながら、
「母さんは潜入隊引き上げの後詰めに回ったんだ」
と、少し心配そうに、窓の外を見た。
『ドォン! ゴゴゴゴゴ……』
また近くで雷が落ちた。
空気の揺れが、ガラス窓から伝わってくる。
「近いな。いや、これは……」
父さんはそのまま、雲の様子に目をやっていた。
この辺りでは、雨季の終わりに雷が鳴る事はまず無い。
特に天気を操作するスキル【天からの恵み】を持つ父は、気象の変化に敏感だ。
僕達には解らない、微妙な違和感を感じとっているのだろうか。
「変な雷だね」
「ああ。何か普通じゃない……」
と、父さんは窓に近付いた。
目を閉じていたダイアさんが、椅子から立ち上がり、
「大気を漂う魔力が騒がしい。仰るとおり普通じゃありません」
父の方を向いて、不穏な一言を放った。
「一体、何が?」
僕は不穏を振り払うように、その場に質問を投げた。
「いや待てよ、この感じは」
父さんが振り返り、大きく目を見開いた。
「この雷は恐らく【魔力雷】だ。大気中の魔力が、別の大きな魔力に反応して起こる魔法的な自然現象だ。伝承では精霊顕現と呼ばれたりして――」
「待って父さん!」
その言葉を遮って、
「つまり大きな魔力を持つ何かが、近くに居るって事だよね?」
僕の口から慌しく懸念が飛び出した。
父さんは、ハッとした表情を浮かべ、
「そうだな! 皆に知らせなくては!」
と、急ぎ足で窓際からドアに向かった。
僕も父さんの後に続こうとした刹那、
「二人共待って! あれを見て!」
ダイアさんが窓の外を指差した。
その指先を目で追うと、
『バチバチバチ……』
空に稲光が走り、照らされた一瞬、空中に大きな影が浮かび上がった。
「何だあの影は……」
父さんが怪訝げに、声を漏らした。
「さっきから感じていた魔力は、多分アレです」
ダイアさんも、眉を顰めている。
「かなり、大きいぞ」
あれは大型魔獣? 確かにアレから大きな魔力を感じる。
魔獣が空を飛ぶ? そんな魔獣は見たことも、聞いたこともない。
それは、この場の誰もが知らない、未知の存在だった。
『ドタンッ』
突然、壊れんばかりの衝撃でドアが開かれた。
「アルス居るか! 窓の外を見ろ!!」
師父が慌てた様子で飛び込んできた。
「師父! あれは一体何ですか?」
異世界人である師父なら、何か知っているかもしれない。
「まだ確証は持てん……だが、思い当たる節がある」
師父は机上の水差しから、直接水を飲み干して、
「アルス、お前さんの天候操作で雨雲を払えるか?」
袖で口を拭いながら、父さんに問い掛けた。
父さんは師父の顔を見て頷いた。
「勿論、出来ますとも。ただ雨は降らすより、止ませる方が圧倒的に魔力を使います。それにこの大雨だ。短い時間となりますが……」
「かまわん!」
師父は視線を強くして、
「この目で確かめねばならん」
と、部屋の大きな窓を開け放った。
『ブワァァァ』
部屋の中に、強い雨風が吹き込んでくる。
父さんはそれに怯まずに、影の方に手の平を差し向けた。
その身体を魔力光が包み込んで、その先では、雲の流れが巻き戻り、雲が散っていく。
『ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………』
そして、空に浮かぶ黒い影が重低音を響かせ、威容を放つ様にその姿を現した。
在り得ない。あんなに巨大な物体が空に浮いているなんて。
「これは、異世界の……」
それが何かは僕には解らない。だが一見して理解した事がある。
これはどう見ても、異世界の技術で造られたモノだ。
明らかに普通じゃない。僕達にとって理外の、異世界の技術で動いている。
その巨大な姿は、大海に浮かぶ船の様でもあり、生物的にも見えた。
そして、その造りの至る所に、僕は見覚えがあった。
例えば、あの翼の様に迫り出した部分は、首長大型魔獣の外骨格だ。
あの下の丸い部分は、大型甲殻魔獣の甲羅に間違いない。
ふと、それが【境界街】を囲む【鎧壁】に似ている様な気もする。
あれも【教導国】つまり、異世界の技術で作られたものだ。
「大型魔獣を素材に?」
僕は見て、思ったままを呟いた。
「何というものを……あの遺跡が稼動していたのか」
何か思い当たる節があるように、父さんが言った。
「あれが【魔力雷】を誘発していたのね」
ダイアさんは数歩前に進んで、眼差し鋭く、腰の魔法杖に手を添えた。
「教団め! こちらの世界で魔軸戦艦だとぉ!」
師父は開いた窓から、飛び出さんばかりに身を乗り出して、怒声を上げた。
【魔軸戦艦】
僕はその名前を聞いた事がある。
……思い出した。レンに見せられた幻の中で聞いた言葉だ。
レンが僕に見せた幻は僕が見た記憶だから、レンが僕から抜き出された今も僕の中に残っていたのだ。
しかし、あの時見たモノと比べると、こちらはまるで生物の様だった。
『ザッ……ザザザッ…………』
「ん?」
耳障りな音。それは部屋の中心から聞こえてきた。
『嗚呼、何てことだ。処女航海で船体を晒す事になるなんて!』
突然、部屋の中に男の姿が現れた。
その男の姿は半透明に透けている。
「誰だっ!」
僕は瞬間的に身構えた。
だが警戒する事無く、父さんがその場に近付いていく。
「大丈夫、害は無い」
父さんが手を伸ばすと、
「以前に見た事があってな。これも異世界の技術だ」
その姿に実体は無く、幻のように掴む事は出来ない。
『よくご存知で。雲を払ったのは、アナタのスキルですか?』
半透明の男は父さんに向けて、甲高い声で問い掛けた。
「【立体映像術式】だな、これは」
と、師父が半透明の男を睨み付ける。
『その通り! アナタが情報にあった、はぐれ【転生戦士】ですね』
と、男の姿が少しずつ、半透明から明確に色を持ち始めた。
男の見かけは、金髪を靡かせた、白い鎧に白マント姿で、細身の優男といった印象だった。
その姿は所々に不鮮明で、顔立ちや表情はしっかりと読み取れない。
『あーあー。えー本日は、皆様にお知らせがあって、王国より使者として参りました』
と、金髪の優男は貴族のように、恭しく頭を垂れた。
『時を経て、遂に王国は教化され、国名は教王国と相成りました』
金髪の優男はそう言って、上げた顔は微笑んでいた。
「何だって、そんな兆候は何も……」
父さんから困惑の言葉が零れた。
『今し方、教王猊下が即位されたのだよ。偉大なる【クライム・パニシュ二世】がね!』
金髪優男の甲高い声は興奮を隠し切れず、それは狂喜を感じさせた。
「【クライム・パニシュ二世】だと! 【教導国】独裁者【クライム・パニシュ】の後継者とでも言うのか!!」
いつの間にか、ドアの外には多くの人が押し寄せていて、その中の一人がそう叫んだ。
『そうだ! 偉大なる先代の後を継ぎ、遂に新たな教主が王としてご即位されたのだ!』
金髪優男は、道化じみた身振り手振りを交えながら語った。
部屋の外は、その言葉にざわめいている。
『というわけで、我々の準備は整ったのだよ』
突如、金髪優男の嬉々としていた口調が、次第に冷ややかなものへと変わっていった。
『私、教王国騎士団長【ジュリアン】が使者としてここに伝えるものである……』
ジュリアンと名乗った男は、剣を抜いて、
『我ら教王国は偉大なる思想の元、世界統一の為、立ち上がるものである。そしてここに宣戦を布告する!!』
剣を胸の前で構え、天に掲げた。
『まずは手始めに、目障りなギルドの直轄地【境界街】を破壊する!』
と、ジュリアンは素早く剣を鞘に納め、
『この生体魔軸戦艦と、我らが誇る教王国騎士団でね!』
そう残して、ジュリアンの姿は瞬く間に消え去った。
『ガガガガガガガガガーーーー』
突然、大きな音が魔軸戦艦から鳴り響いて、機体の一部がゆっくりと開口した。
僕は目に魔力を注ぎ込み、視力を強化して注視した。
その中には人が、百人近い鎧騎士が整然と列を成している。
「重装と軽装の、男と女……あれは!?」
そこに並んでいたのは、三年半前に僕達を王国で苦しめた、ジュリアードとジュリア達だった。
「同じ顔が、同じ人間が何人も居る!」
僕は目を疑った。あの強かった姉弟が百人にも増えて、同じ姿で存在している。
これがアインさんの言っていた、生命を冒涜する罪深き技術の一端なのか。
「もう異世界の事は、隠す気も無いらしいな」
師父の一言が全てを表していた。
【教団】いや【教王国】が持つ純粋な異世界の力が、僕達に向けられた。
「すまない。これ以上、雨を止める事は……くっ」
父さんの魔力は限界を向かえ、力無く、その場に膝を突いた。
スキルの効果が消え、空にはまた暗雲が立ち込めていた。
『ドォン!! バリバリバリ……』
また【魔力雷】が轟音を響かせて、天を貫いていく。
その雲の中から船体を露にして、生体魔軸戦艦が現れた。
船体から次々と、量産されたジュリアードとジュリアが飛び降りていた。
霹靂が合図となって、戦端が開かれた。
僕の中で、レベッカがもたらした青天の霹靂は、教王国がもたらした荒天の霹靂によって打ち消されてしまった。
師父が僕の肩をポンと叩き、
「いきなりの初陣だな。気合を入れろ!」
と、両腕を少し広げ、拳を握りこんだ。
僕も同じように構えると、
「はい! 三年半の成長を見てて下さい!」
大きく息を吸いこんで、身体中に魔力を廻らせた。
『大きな力には、大きな責任が伴う』
それを今、僕は体現する。




