第十三話「そして、真実は語られる」
『ガシャン、ガシャン……ガシャッ』
と、大きな衝撃の余波で、瓦礫が到る所で崩れ落ちている。
その騒がしさの中、
「へっ、へへ……姉御……不思議と、痛みは、ねえんですが……」
と、僕の耳に、ニックさんの絞り出すような声が聞こえてきた。
レンはその光景に目をやったまま動かず、相変わらず何を考えているか分からない。
巨躯の女も、不動のままだった。
「ニック、もういい! 喋らないで」
涙を流しながら、母さんは、ニックさんをそっと抱き寄せた。
半身は焼け焦げて、喋っているのが奇跡だと思う程に、酷い状態だった。
ニックさんの姿に、僕は畏れ、怒り、悲しみ、様々な感情が入り交じっていた。
「む、昔みたいに、姉御達と一緒に、魔獣相手に世の中の……役にたって……」
ニックさんの、必死の言葉が続いている。
「ニック……私が貴方を巻き込まなければ、こんな……」
母さんの目からは、止め処なく涙が溢れ続けていた。
「ははっ、金、貰っちまったからさ……お節介は、気にしねえでくれよ。……でも、でもねぇ……」
と、ニックさんの言葉は、徐々に力を失っていく。
「ここに、戻ってきたのは……オレの、俺の意思だ……ラフィー、お前さんの為に……」
「ニック!」
「惚れた、ラフィーの、腕の中で……」
「ニック、駄目っ!!」
そしてニックさんは、僕らの前から旅立った。
母さんはニックさんの亡骸を強く抱きしめて、そっと下し、
「ニックは死んだ!」
立ち上がって、潤んだままの瞳で、巨躯の女を睨み付けた。
「逆鱗に触れてしまったようだな」
と、巨躯の女は、顔色一つ変えずに、その視線を受け止める。
「黙りなさい!」
母さんがここまで怒っている姿を、僕は見たことが無い。
そして、母さんからは異様な勢いで魔力光が放たれ、激流の如く渦巻いている。
「これは凄いな……」
と、吐き捨てたその時、
足元の瓦礫が激しく崩れ落ちて、巨躯の女が視界から消えていた。
『ドガッ』
巨躯の女は一気に間合いを無くし、母さんを思いっきり蹴り抜いた。
強化されている筈の、僕の目にも止まらない速さだった。
「うぐっ!」
『母さん!!!!』
魔力光の尾を引いて、母さんの身体が信じられないほどに、高く、遠く飛ばされた。
「おば様っ!」
レベッカが叫んだ。
『何が起きたんだ!!』
僕は続いて、届かない叫び声を上げた。
「あの女は【解放者】だろう? 間が欲しくて派手に飛ばしたが、大した事は無い。」
と、巨躯の女は、僕の心の声に応えていた。
「何故だ! 何故、僕の声を……!?」
その時には、僕の口から声が出ていた。
レンから僕に、身体の支配が戻っている。
そして、身体中あちこちから、痛みが襲ってきた。
「痛っ! ぐあっ!!」
僕は、苦悶の叫びを上げた。
「レンの気配が消えたな。思考空間に閉じこもったようだ」
と、巨躯の女が、瓦礫の上から僕を見下ろした。
「マシュー!」
レベッカの声に僕は反応する事ができなかった。
そして、僕は巨躯の女を見上げて、
「何なんだ、お前は?」
「私は【教団】の【教戒士】ジュリアーナ。何処かで聞いた事のあるような名前かな? まあ、気にするな。私は心の、魂の声を聞くことが出来るのだ」
と、凛とした表情を崩し、大げさにニカッと微笑んだ。
ジュリアーナ……王国の、あいつ等の……。
あの姉弟が頭を過ぎった。
「くっ、何だ、これは……?」
身体が鉛の海に浸かったように重い。
ダメージか、恐怖のせいか、とにかく思う通りに動かない。
そして、レンの気配も全く感じられなくなっていた。
「マシュー!」
と、少し離れた場所から、レベッカの声が聞こえる。
「レベッカ! 僕に構わず、早く逃げるんだ!!」
僕は動けないままに、レベッカに強い声を投げた。
「動けないのは、ヤツが無理をした反動だろう」
ジュリアーナは、ゆっくりと僕に近寄ってくる。
「少女よ、動いてくれるな。お前も夜空の星になりたくないだろう?」
ジュリアーナは優しげな声で、レベッカに釘を刺す事も忘れない。
「くっ! マシューから、レンの人格を抜き出す気なのね」
と、レベッカは眉間に皺を寄せ、ジュリアーナに対して身構えた。
すると、
「ほう、この世界の者が、その発想に到るとは、異な事だ……」
ジュリアーナは、レベッカの言葉に立ち止まり、そして一瞥した。
「そんな事……」
レベッカは、ジュリアーナの眼光に呑まれたのか、言葉を詰まらせる。
きっと僕と同様に、蛇に睨まれた蛙の心境なのだろう。
「……ふむ、今はまだ、見定める時ではないか」
と、ジュリアーナは、レベッカから視線を外し、僕の方へと歩みを続ける。
「や、やめなさい!」
レベッカは叫ぶだけで、ジュリアーナの言に自由を奪われ、動けないでいる。
無謀に立ち向かっても、返り討ちに合う事は目に見えているので、僕としてはそれで最良だった。
そして、ジュリアーナが目前で立ち止まって、
「額の痣を確認した。間違いない、【最初の転生兵士】レン軍曹だ」
と、僕の身体を、軽々と掬い上げた。
「我らが捜し求めていた【始まりの異因子】、ようやく巡り会えたな」
そう、僕の額、そこに浮かぶ痣に指で触れた。
「これで、我々の計画は最終段階に移行する!」
ジュリアーナも感情が抑えきれず、その口調は上ずっていた。
「うぐぅ……離せっ!」
口を動かすのが精一杯の僕。
「諦めろ。力を使い果たすまで、待っていたのだからな」
ジュリアーナが言うように、僕の意思とは無関係に、身体は殆ど動かない。
「ほう、防御反応か? 思考空間に立て篭って、梃子摺らせてくれるな」
と、ジュリアーナは大きな指先を光らせて、僕の額をより強く圧迫した。
そして、
『バチバチバチ』
指先から電撃が放たれ、離された指先と、僕の額を繋いだ。
「ぐうっ……」
身体中の筋肉がピクピクと小刻みに震えた。
すると、身体の中から、何かが抜けていくような感覚に襲われた。
『うわっ! 止めろ! 俺に何をする気だ!!』
と、急に僕の中に声が響いた。
レンだ! レンの声が内側から響いてきた。
そして、僕の身体から、半透明なレンの半身が離れ出た。
その姿は夢の中で邂逅した時とそのままで、やはりジュリアーナの格好と似ていた。
「ここまで可視化できるとは……。まるで人間の魂と同様の情報量だ」
と、少し興奮した様子で、ジュリアーナは目を見開いていた。
『俺の身体が、半粒子化して、まるで転生直前のように……なんだこれは!』
レンもこの状況に、戸惑っている。
「いいだろう。お前が何なのか教えてやろう。お前は、【異世界侵略転生計画】を阻止する為に、人工的に造り出された人格なのだ」
『何を言っている! ふざけるな! そんな……馬鹿な……嘘だ』
レンはその言葉に、怒り、動揺し、茫然自失としている。
「大昔の事だ。詳しい経緯は失われたが、最初の転生者は、お前と言う人工人格と遺伝子操作で、肉体と精神を偽装した工作員だった」
『俺が、俺じゃない……のか』
「お前の人格には元があった。そこから辿り、工作員の身元を突き止めたらしい」
『オリジナル……だと』
「そして、当時の反逆者達を見つけ、殲滅した。だが、奴らの有していた技術は、とても優れていた」
と、ジュリアーナはまた、ニカッと微笑んだ。
『一体、何を言っている……』
「偽装人格の技術を元に、我々は魂だけを転生させる【異世界移住計画】をスタートさせ、遺伝子操作技術を元に、私のような優れた【設計された人間】が誕生した」
聞いていた僕には理解しがたい内容ではあったが、言葉の断片から紐付けていく。
「そんな、じゃあ僕は……前世で――」
「それは違う」
僕の言葉を遮る、ジュリアーナからの返答は、意外な、否定の言葉だった。
「少年よ、お前にレンが宿ったのは偶然だろう。工作員の魂自体は、記憶を持って転生している筈だ。お前にはそれが無い」
「じゃあ……」
「転生の途中で、工作員から剥離した、人工の魂たるレンが、生まれ出でるお前の魂に入り込んだ。つまりお前は転生者では無い。もっとも、レンから多少の影響は受けてしまっているようだがな」
「そんな……」
僕が、皆が、思っていた事とは全く違った、自分自身の存在。
ある種の開放感と、自分は特別な存在だと思っていた感情が、僕の中で相克して、思いを複雑にしていた。
「言が過ぎたな。とにかくレンは回収していく。【最終転生計画】最後の鍵だ」
と、ジュリアーナの放つ光が一層強くなって、半透明なレンが、更に僕から離れ、その姿はもう腰辺りまであった。
『もう一つ教えてくれ、最初の転生は失敗だったのか? お前の言う工作員はどうしたんだ』
突如、レンがジュリアーナに問い掛けた。
「最初の転生計画は、お前という異因子に関係なく失敗だと思われていた。お前の後も数回は実施されたが、異世界に到ったという証明は無かった」
『そう、か……』
「だが、数十年程前に、実は成功していたという事が分かったのだ。初期転生者、【転生兵士】には【術式】付与による強化が施されていた。それが魂の情報量を増やしてしまい、転生に影響を与えてしまったのだ」
『一騎当千の力が、仇となったのか……』
「そうだな。結果として、【転生兵士】は転生に時間を要する事が分かった。我々が、最初にこの世界に入植して150年以上経って、最後に現れたのがお前だよ」
そうか、そう言う事だったのか。
アインさんとレンの話が噛み合わなかった原因が、時間差にあったんだ。
そう、思考を廻らせていた僕に、
『マシュー、長いようで短い間だったが……俺はこのデカ女と共に行くぜ』
と、レンは半透明なまま、僕の方に向き直って言った。
「レン、行くな! そちらに行けば、僕達の世界は――」
『そんな事は知った事じゃない! 俺は、俺の存在理由をあちらに見出した!!』
レンは背中を向けた。
「さて、もういいかな?」
と、ジュリアーナは光る指先を広げ、大きな掌で半透明なレンの身体を掴んだ。
「待って!」
ここで、黙して見守っていたレベッカが口を開いた。
「レンが抜き出されたら、マシューは、マシューはどうなるの?」
当事者でありながら、僕はその事を何も考えていなかった。
確かに、どうなってしまうのだろうか?
「少女よ、大人しく聞いてくれ」
ジュリアーナは諭すように、静かに語り始める。
「少年とレンの魂はほんの一部混ざり合っているようだ。多少の影響があるだろうが……」
「多少? 多少って――」
「多少は多少だよ。少年の魂が傷ついてしまわないように、善処はする」
「それじゃ、答えになっていない!」
「聡いな、少女よ。やはりお前は――」
「マシューはどうなるのって聞いているんだけど!!」
「……少女よ、お前の心が読めない。何故だ……まさか、」
『ゴウッ』
と、レベッカの身体から、魔力光では無い、紅蓮の炎が舞い上がった。
その勢いで、僕は肌が焼けるような熱気を感じた。
「なるほど、そういう事か。だが……」
炎を纏とったレベッカが、今にもジュリアーナに襲い掛かろうと身構えた。
「時すでに遅し、だ!」
ジュリアーナの手から、更に強さを増した電撃が放たれた。
『バチバチバチバチィ』
電撃は僕と、レンを包み込んで、僕の身体とレンの魂を別っていく。
「マシュー!! レン!!」
レベッカは二人の名を呼んだ。
『「ぐわぁぁぁぁぁ!!!!」』
――この時の、僕の記憶はここで終わりだ。




