第十二話「激突」
僕の耳には血管の音が聞こえていた。
これは心臓の音だ。
客観的に、心臓の音を聞くという不思議な感覚。
ドクンドクンと、高鳴るその音で、レンの心情を窺い知れた。
「さて、お母さん……行くぜ」
と、レンの身体から、威圧的な魔力光が放たれた。
レンは幾つもの【術式】を重ねて発動している。
レンも僕の目を通して、母さんの戦いぶりを中から見ていた筈だ。
力を十分に理解してか、ジュリアと戦った時のような軽口は、影を潜めていた。
対して母さんは、
「あら、いつでも来なさい」
と、相変わらずの余裕綽々といった様子で、レンを見据えていた。
すると、視界が急激に流れ、いつの間にか母さんの背後を取っていた。
僕とレンの感覚共有は、以前の入れ替わりよりも強まっている。
だがそれは、レンの精神が僕の精神を包み込むように抑え込んだ、一方的な支配によるモノだ。
だから実感はあるのに、まるで他人事のような、何だかズレのある感覚だった。
『シュッ』
と、母さんの背後から、鋭いレンの拳が放たれた。
『母さん、危ないっ!!』
僕の中で大声で叫んだ。
だが、
「よいしょっ!」
母さんは素早い反応で、いとも簡単にレンの拳を往なしてみせた。
その動きは、まるで川の上に浮いた木の葉のようだった。
「ほら、スキだらけよ」
「ぐがっ!!」
と、レンの叫びが聞こえた。
母さんの肘鉄が、深々とレンの鳩尾付近に突き刺さっている。
レンは口から血反吐を撒き散らしながら、
『ドガン』
勢い良く吹っ飛ばされ、瓦礫の山へと埋もれてしまった。
その衝撃で、
『ガラガラガラ……』
と、瓦礫の山、その一角が崩れ落ちた。
『……あれ?』
レンの支配が強いからだろうか、中で見ている僕には痛みが伝わらない。
前回の激痛を思い起こすと、これは幸いに思えた。
「なかなかの動きだったわね」
母さんは、未だに戦いの始まった場所から、動いてすらいない。
土埃が立ち上る中で、瓦礫片を吹き飛ばして、レンが飛び出して立ち、
「ふぅぅ、武だな、これは。……知っているぞ。俺達の世界でも流行ってた」
汚れを叩きながら、そう零した。
「そうか。この武術も、異世界から伝わっていたのね」
母さんは少し驚いた表情で、レンを見下ろした。
「なんだ、知らずに使ってたのかよ」
レンは口に残った血反吐をペッと吐き出し、裾で拭う。
「私の師は教えてくれなかった。いや、知らなかったのかもしれない」
そう言って母さんはひらひらと、まるで舞いの手のように手足を動かし、体勢を低く、グッと腰を落とした。
「綺麗な形だな。相当使えるらしい」
と、レンが眉を顰めた。
「これが異世界の技なら、貴方が採点してくれるかしら」
と、今度は母さんが瓦礫の上から、レンに向けて飛び掛った。
「ぐっ」
と、レンが突き、
「ハッ」
と、母さんが受け止め、
「ふん」
更にレンが打ち込み、
「ハァッ!」
母さんも拳を繰り出した。
母さんとレンの間で、突きや蹴りの応酬が繰り広げられる。
武術の知識が皆無の僕には、それがどういう理合なのかは解らない。
ただ、二人の動きが生み出した衝撃で、周りの瓦礫が崩れていく。
「凄い。なんであんなに速く、強く動けるの」
レベッカから、驚嘆の声が上がった。
「レ、レンだっけ? 彼の戦い方は古い【術式】が基本となっている。やはり本物なのか」
と、アインさんがレベッカの影から呟いた。
聴力も強化されているようで、アインさんの小さな声も聞こえてくる。
当然、レンにも聞こえているだろうが、気にしてる場合では無いだろう。
「僕の記憶の中に残る【転生戦士】は、まだ僕の世界に魔力がある時代に生み出された、【強化兵士】を元に情報構築された転生体だった筈だよ」
と、アインさんは興奮気味に、レベッカに語りだした。
「彼は、僕が使っている簡易な【術式】とは違う。かつての【植民惑星間戦争】で使われた戦場の、本物の【術式】使いだ!」
「えっと、あの……?」
「あ、また興奮しちゃって……ゴメンねぇ」
と、アインさんが再び、伝わらないと判断したのだろうか、レベッカに謝っていた。
続けて、アインさんは、
「えっと、ようするに……レンは僕の居た世界でも失われた、一騎当千の力を持っているんだ。だから、とんでもなく強いよ」
と、今度は逆に、過ぎる程……分かりやすい言葉を選んで、教えてくれた。
「凄いよ、本当に……」
アインさんは、真剣な眼差しで、戦い合う二人を見詰めた。
「そうなんですね……」
と、レベッカも同じように、二人に視線を送っている。
「でもね、ラフィーはもっと桁違いに強い。なんせ、スキルのタガを外しているんだから」
「何ですか、それ?」
レベッカが、アインさんの方を見て呟いた。
『スキルのタガ?』
僕は、その奇妙な言葉に反応し、思わず言霊を繰り返した。
と、その時、
「うがっ!!」
拮抗しているように見えた、二人の戦いに変化が見て取れた。
レンが防戦一方となり、母さんが徐々に押し勝ってきている。
良く見れば、母さんはレンの攻撃を全て捌ききって、無傷だ。
レンの方は、致命傷は避けつつも、母さんの攻撃を何発か食らっていた。
「くぅ……何故だ、何故通用しない!」
攻撃を止めたレンが、悔しさに、天に向かって咆哮した。
「そりゃ、貴方がどんなに身体を強くしても、鍛えた技の差は埋められないわ」
母さんはニヤッと不敵に微笑んだ。
「そして忘れてない? マシューは14歳で成長過程なのよ」
母さんの言葉に、レンはハッとしたような表情を浮かべた。
「そうか、そりゃそうだな……この身体じゃ、全力を出す事も出来ないか」
レンは少し俯いて、言葉を搾り出した。
確かに、常識的に考えて、僕の、14歳の身体では限界がある。
それが母さんという実力者との戦いで、明確に露呈した。
レンもそれを痛感しているようだった。
「それにしても、お母さん……アンタ、息子の身体を、瓦礫を砕くような怪力で、よく殴れたもんだぜ」
「あらレン、貴方を信用してるからこそよ。この位の力なら大丈夫かなって」
「なんだ、やっぱり手加減してたんじゃぁないか」
「そりゃそうね。息子を壊したくは無いもの」
「……クソっ!」
と、構えを解いて、レンは後退った。
「飛び道具でやるしか、ないか」
突如、レンの身体から出る魔力光が、掌に集められた。
「【術式・収束熱線砲】」
『カッ』
赤い光が放たれて、後ろにあった瓦礫の山に、
『ジュワッ』
と、丸い穴が穿たれた。
穿たれた穴の断面は熱を持って、薄赤く光り、煙を出している。
「いきなり危ないわね」
と、熱線を躱した母さんに、レンは足を払われて、地面に倒された。
「あれに反応できるのかよ!」
と、レンは天を仰ぎ、悔しさを吐き出した。
倒されたレンに、
「さて、どうすれば終わりになるのかしら?」
母さんは直ぐに馬乗りになって、
『グッ』
と、レンの身体に体重をかけて抑え込んだ。
「ぐあっ、クソっ!」
これも技術なのだろうか? レンはもがいてみせるも、どうする事も出来ない。
レンの身体は、完全に自由を失っている。
「そうねぇ、気でも失ってもらおうかしら」
と、母さんが拳を振り上げた、その瞬間。
「それは困る」
その声は、まるで気配も感じさせず、レベッカ達の背後より、突然投げられた。
『ダッ』
レベッカは振り向きざま、鋭い蹴りを放った。
『パシッ』
だが、その蹴りは片手で簡単にあしらわれた。
レベッカの蹴りだって、スキルの影響で、相当に強化されている筈なのに。
「お嬢さん、良い蹴りだ」
その声は優しげで、通りの良い女声だった。
だが、その声色からは想像できない、あのジュリアードすら上回る巨躯が、影の中から現れた。
「女っ!?」
と、レベッカが警戒して、間合いをとった。
「あひぃ、ヤツだ、僕の家の近くまで来ていた……アイツだ!」
アインさんは恐怖に震え、狼狽していた。
僕達は、アインさんの体験は、精神的問題による虚構の出来事だと思っていた。
だが、どうやら真実だったらしい。
「アイン、安心しろ。お前は良くやった。我々の目としての役割を、未だ果たしている者は少ない」
と、巨躯の女は、アインさんの頭を、大きな手で優しくひと撫でした。
「はひぃっ」
アインさんは、その場にへたり込んだ。
『女の人……だよな?』
僕は、その声と異様な姿に混乱していた。
女は、肩で切り揃えられた黄金色の髪を靡かせ、どこかジュリアを思わせる、だが凛として美しい面立ちだった。
ピチッと身体のラインを拾う服装が、その丸みを帯びた、女性らしいシルエットを強調している。
だが、女性としては有り得えない程の上背で、僕は縮尺を間違ったような、そんな違和感を覚えた。
「おい、デカ女! その格好は……【強化兵士】か?」
レンが身動きの出来ないままで、言葉を投げた。
そのやり取りを聞いていて、僕は思い出した。
巨躯の女の格好が、レンと最初に出会った時に、レンが着ていたモノと似ていたのだ。
巨躯の女は、
「その【転生戦士】は私達が回収する。貴方の息子は開放される。だから大人しく渡してくれないか?」
と、母さん達に近づきながら、優しげに言った。
「おい! お前は何だ? 俺の味方か?」
レンが、動けないまま騒ぎ立てる。
母さんは、
「やれやれ、これは困ったわねぇ」
と、対応を思案しているようだ。
その時だった。
「そいつは、ハァハァ……そいつは【教団】の奴だ! 姉御、い、言ってましたよね? ……そいつは【教団】絡みの、奴ですぜ」
と、瓦礫を乗り越え、去っていったはずのニックさんが、息を切らしながら現れた。
「ニック! 何で戻ってきたの!」
母さんは慌てた表情で、レンを固めたまま、声を投げた。
「へへっ、柄じゃねえが、帰り際に見ちまったんでさぁ。【教団】の僧兵を引き連れた、そのでっかい姉ちゃんをね。こいつはただ事じゃねえ、知らせなきゃって」
と、ニックさんは、得意気に微笑んだ。
「ニック! 早く逃げなさい!」
「へっ? なんで――」
「ボサボサしないで!」
母さんの真剣な叫びに、ニックさんは戸惑っている。
「はぁ、チンピラが……話をややこしくするな」
巨躯の女は、静かにそう呟いた。
「ニック、早く! 早く逃げるのよ!!」
母さんの強い声で、自分の置かれた状況に気付いたニックさんは、
「うわぁっ!」
と、顔を青くして、瓦礫から転げ落ちるように後退った。
だが、時既に遅く巨躯の女からニックさんへ向け、
『カッ』
バチバチと、強い稲妻を纏ったような光線が放たれた。
眩しさに、視界が白に覆われ、衝撃波に髪が揺れる。
そして、眩しさに瞬く間を挟み、そこに映ったモノは、
「ぐぎゃあああああああっっっ!!!!!」
苦悶に満ちた表情で、叫びを上げ、倒れ込むニックさんの姿だった。
「ニックゥゥゥ!!」
母さんは制圧していたレンを放り出して、急ぎ駆け寄っていった。
放り出されたレンの視界からは、ニックさんの詳しい状況は見えない。
ただ、辺りには焦げた肉の匂いが、漂っていた。




