第十話「運命のクロスロード」
「レベッカ、どうしたの?」
「うん、明日の事を考えてた」
レベッカは一人、焚き火から離れ、星空を眺めていた。
僕はそれに気付き、レベッカの横に腰を下し、共に星空を見上げた。
辺りには夜の帳が下り、僕達の上には星々が瞬いている。
「星がこんなに綺麗だったんだ」
遮るものが何も無い。
何時もより、星空が賑やかに見えた。
僕達は【境界街】へと向かう道中、街道から少し入った場所で野営している。
日が落ちるまでに、進めるだけ進もうという強行軍。
通常の半分の時間で、明日には【境界街】へと到着できる所まで来ていた。
この辺りは魔獣が駆逐された境界内なので、比較的安全な地域だ。
そして、その安全圏が、この大陸では、そのまま国境を形作っている。
【境界街】とは文字通り、魔獣生存圏との境目に築かれた防衛都市なのだ。
魔獣狩りを糧に定住する冒険者も多く、商業や物流の要ともなっていて、王都よりも活気付いていると聞いていた。
母さんは夜食の特製スープを煮込んでいる。
見張りを請け負ったダイアさんは、辺りを警戒していた。
僕とレベッカはやる事が早く終わり、時間を持て余していた。
「ねぇ、マシュー」
星空を見上げたまま、レベッカが呟いた。
「何?」
僕もそのまま、星を見上げていた。
「成人の儀に向かう馬車の中で、私が言った事、覚えてる?」
「勿論。大きな力には、大きな責任が伴う……だっけ?」
「そう、それよ」
と、レベッカがゴロンと地面に寝転がった。
「……ねぇ、異世界の、異世界人の力って、凄かった?」
「うん。思い通りにならないけど、とんでもなく凄かったよ」
僕もゴロンと地面に寝転がった。
その時、満天の星空に光が尾を引いた。
だが、レベッカは何も言わず、星を仰いでいる。
だから、僕も黙って、一緒に星を仰いでいた。
「マシュー、あの力って……」
と、レベッカの声で、静寂が終わった。
「貴方の中に存在している、レンって奴の力なんでしょ?」
「うん。多分、そうだと思う」
「……マシュー、あの力の責任は、貴方には無いと思う。だから、一人で背負い込まないで」
僕の心を見透かしたような、幼馴染の慰めに、
「ありがとう。でも、無責任では居られない」
と、レベッカの方に視線を向けた。
レベッカもこちらを見ていて、僕は言葉を続けた。
「もし、その力で誰かを傷付けたら……僕の中に居る別人がやりました。なんて、そんな事、言えると思う?」
「そうかもしれないけど……」
「僕が発端なんだ。だから、やっぱり僕が責任を負うべきだと思う。その為にここまで来たんだから」
と、僕は思いのままに答えた。
「そう思ってたんだ……」
と、レベッカは、視線を星空に戻した。
その横顔から、何か思いを廻らせているようだった。
そして、
「あの、私ね――」
「二人共、スープ出来たわよ。冷めないうちに食べましょう!」
母さんの声で、レベッカの言葉は宙に消えた。
「……お腹減ったわね。さぁマシュー、早く行きましょ」
レベッカは上半身を起こし、美味しそうな匂いの方へと向いた。
「レベッカ、僕に何か言いたい事があったんじゃ――」
「また今度ね」
と、立ち上がったレベッカが、僕に手を差し出した。
「そっか」
僕はその手に引かれ、立ち上がった。
僕には、レベッカの表情に迷いが見て取れた。
それは幼馴染だからこそ、判る程度の機微。
レベッカが胸に何を秘めているのかは判らない。
今回は聞けなかったけど、何時か伝えるべき時が来たら、伝えてくれるだろう。
僕はレベッカを信じている。
レベッカは僕にとって、本当に、大切な存在なのだから。
「この匂い、堪らないなぁ」
「お腹ペコペコだもんね」
僕達は匂いのする方、焚き火を囲む輪へと加わった。
僕達は翌朝、予定通り【境界街】へと辿り着いた。
門前には検閲で、長い列が出来ていた。
「これが鎧壁かぁ……」
目前に聳え立つのは【境界街】をぐるりと取り囲む、鎧のような甲殻を纏った高い壁。
通称【鎧壁】は再生する甲殻を持つ魔獣種の生体を模して、かつて【教導国】が作った建造物だと言う。
この壁は傷付いても、ある程度なら自己修復するそうだ。
「この街は【ギルド】が統治しているけど、元々は【教導国】が作った街なの」
と、入る為の許可を取りに行ったダイアさんが、戻ってきた。
「さあ、中に入りましょう」
並んでいる人達に申し訳ないとは思いつつ、僕達は別の入り口から、街の中に入った。
そこで馬車を預け、それぞれが荷物を分け持った。
「では、私は一刻も早く報告に向かわねばいけないので」
と、ダイアさんは踵を返し、急ぎ足で【ギルド】支部があるという中心街へと向かっていった。
「また夜に落ち合いましょう!」
僕の張り声に、ダイアさんは振り向かず、手を振って応えてくれた。
「さてと、まずは宿決めなくちゃね」
と、母さんが荷物を持ち直した。
僕達は宿屋が多いと言う、南地区へと向かった。
旅の道中で聞いた話だが、母さんは父さんと出会った頃は、この街に住んでいたらしい。
魔獣狩りをして、冒険者の真似事をしていたと言っていたけど、あの強さを知った後だと納得できる。
そういえば、母さんの謎については、機会を逃して聞けず仕舞いだった。
レベッカといい、女の人は色んな秘密を抱えているものなのかな? なんて、僕は身勝手な思いを廻らせていた。
「ちょいと待ちなよ!」
突如、呼ぶ声がした。
「えっ? 僕達の事?」
「そうそう、アンタ達だ。ひひっ、ご婦人、こんな塵溜めみてぇな場所に、子連れで何の用ですかい?」
と、痩せっぽちで背の高い男が、通路に立ちはだかった。
「こういう道は通行料が要るんだよ。わかるよなぁ?」
と、挟み込むように、太った背の低い男が退路を塞いだ。
いつの間にか、僕達は怪しげな、狭い路地裏に迷い込んでいた。
「あら、あらあらあら」
母さんは、余裕の表情だ。
「おば様、やってしまってもいいんですか?」
と、レベッカが久々に勝気なところを見せた。
「レベッカちゃん、大丈夫よ」
母さんは長身の男の前に近づいた。
「ねぇ。まだこんなチンピラみたいな事してるの? ニック」
母さんの問い掛けに、
「あん? お前誰だぁ? 俺を――」
『ドゴン』
その言葉をかき消すように、母さんの拳が壁面に突き刺さった。
「揺すり、集りは止めなさいって言ったわよね? まだ懲りてなかったの?」
そして、母さんの穿った穴から、ピシピシとひびが広がっていく。
「な、な、何だ!! お前ぇ!!」
ニックと呼ばれた男は驚いて、腰を抜かしている。
太った男はいつの間にか逃げ出して、もう居なかった。
そして、母さんが拳を壁から引き抜くと、壁のひびは見る見るうちに修復されていく。
どうやら、この壁も鎧壁のように修復機能があるようだ。
「忘れたの? 私よ、ラフィーよ。久しぶりね、ニック」
母さんの言葉に、
「へ、へへっ、姉御、久しぶりだねぇ。アンタみたいな化け物は、アンタしか知らないよ。すぐに思い出したぜ」
ニックは、蒼白の顔で引きつった笑顔を見せている。
「もう少しで漏らすとこだったぜ。相変わらずおっかねぇ、【笑う女王様】は健在ってか」
「無駄口はいいわ。ちょっと案内してもらいたいんだけど」
「後ろの坊ちゃん、嬢ちゃんは、姉御のお子さんですかい?」
その言葉にレベッカが、
「おじさん、だとしたら……何なんですか?」
と、苛立ちをを孕んだ一言を放った。
宿屋で冒険者崩れの酔っ払いに随分と絡まれていたからな。レベッカはああいう手合いが大嫌いだった。
男は慌てた様子で、
「おーっと、気を悪くしねぇでくれよ。アンタの母さんの怖さは充分知ってるんだ」
と、袖で汗を拭ぐった。
「レベッカちゃん、この街じゃ冒険者崩れの小悪党は山ほど居るの。一々構っていられないわよ」
「何だ。そうなんですね」
と、レベッカは残念そうなそぶりで、拳に込めた力を緩めた。
もちろん脅しの意味を込めた仕草だろうが、ウチのおっかない女性陣に、ニックの背筋は凍っていただろう。
「そんな冒険者崩れの中でも、情報通の貴方は役に立ってくれるわよね?」
と、母さんは男に手を差し伸べた。
「もちろん、手間賃は払うわ」
母さんは、銀貨を何枚か取り出すと、起き上がったニックに手渡した。
「ひひっ、勿論でさぁ。で、何をお探しで?」
「アインに用があるの。居場所まで案内してよ」
「こいつは、久しぶりに聞いた名前だ。姉御、まだ奴と縁があったんですかい?」
「まだ生きてるんでしょ? アインは歳を取らないんだから」
「へいへい。俺は金さえ貰えれば良いんでね。奴の居場所は知ってますよ」
「良かった。わざわざ、こんな所に寄り道して、貴方を誘き出した甲斐があったわね」
「ひえっ、勘弁してくだせぇよ。姉御にはかなわねぇ」
ニックは苦笑いを浮かべ、頭を掻いた。
「さあ、こっちでさぁ」
歩き出したニックの後に、僕達は続いた。
アイン……それが異世界人の名前なのだろうか。
歳を取らないって……また母さんが奇妙な事を言ったな。
とにかく、その人に会えば何かわかるかもしれない。
「アルスの旦那はお元気で? 昔は二人で大暴れでしたもんねぇ。思い返せば――」
「無駄口は止めてね。特に昔の事は、ね」
「ひっ……へへっ、つ、ついつい口が滑りましたぁ」
ニックが軽口を叩くと、母さんがそれを止める。
そんな事を何度か繰り返しながら、僕達は大きな交差点へと差し掛かった。
『カッカッカッカッ』
硬質なブーツの足音が響いてくる。
その音の方を見ると、慌てた様子でこちらの方に駆けてくる、小柄な女性が目に入った。
「あっ! アイン! アインじゃねぇか!」
と、ニックが大声で叫んだ。
その声を無視し、その小柄な女性は走り去ろうとした。
だが、
「待って! アイン!! 私よ、ラフィーよ!!」
母さんが、腕を掴んで引き止めた。
「はぁ、はぁ、ラ、ラフィー? あの、ラフィーか!?」
その小柄な女性が発したのは、およそ女性とは思えない野太い声だった。
「そうか。またアンタか! アンタのせいだったのか!! くそぉ!!」
その男か女か判らない、得体の知れないアインは、母さんに向けて怒りを放った。
「アイン、一体どうしたの?」
状況が掴めない母さんの言葉に、
「あいつらが! あいつらが家のすぐ傍に居やがった! 俺を追ってきたんだ!!」
アインの顔は、汗と涙で化粧が崩れ、まるで道化のようになっている。
だが、そんな事はお構いなしという具合に、恐怖に狼狽しているようだった。
「なあ、ラフィー? ここで出会ったのも運命だ! 昔の好で俺を守ってくれ!」
アインは母さんに泣いて縋った。
【境界街】の交差点、多くの人と人が、行き交う道。
ここで僕の、僕達の運命も、異世界と交差するのだろうか。




