最終話 最強伝説!
6時の試合開始まであと30分。市民体育館の周りはますます凄いことになってきた。
中の会場も熱気がムンムンだ。
控え室と会場のバックヤードを往復しながらそんな様子を眺めていた選手たちの緊張も高まる。いつもなら裏方の仕事でドタバタしているところが今日に限っては否が応でも試合に集中せざるを得ない。そしてその緊張は最終ミーティングの席上でピークに達した。
お通夜の席上のように静まり返る控え室に猪狩の怒号が炸裂する。
「なんだお前ら! なんで元気ねえんだ!」
そんな事を言っても猪狩以外の人間にとっては初めての大舞台なのだ。緊張しない方がおかしい。
闘子ですら震えが止まらなかった。
(何これ? アタシが出るわけでもないのに……)
不安そうな顔で黙りこくる選手たちを見て闘子は涙が出そうになった。
自分たちの芸、もとい試合が果たして今日の観客に通用するのか? それは皆に共通する不安だった。今日の観客達は間違いなくマックスと熊五郎を目当てに来場した客なのだ。
パンダマンが大きなため息をついて頭を抱える。
「ダメだ。緊張して。……今日は化粧のノリが悪ぃや」
副社長のケンちゃんですら緊張は隠せない。
「み、みんな。ベ、ベストをつくろうよ」
それが「ベストを尽くす」の言い間違いであることは分かっている。だが、誰もそれに突っ込む余裕すらないのが現状だ。
そんな悪いムードを変えようと闘子が頑張って口を開く。
「み、みんな……大丈夫だって。いつもどおりやろうよ」
しかしその言葉は逆効果だった。
無理だよとでも言いたげな顔つきで選手たちが顔を逸らす。
闘子はどうして良いのか分からずただ立ち尽くすしかなかった。
そこで突然、アツシが立ち上がった。
「なんすか? みんな! 元気出しましょうよ!」
闘子が涙ぐむのを見てアツシは我慢できなかったのだ。アツシはみんなに活を入れるつもりで高らかに宣言する。
「俺、やられますから! 思いっきり!」
俺がやる、という宣言なら格好もつくのだがそこは万年やられ役の悲しさである。しかし、アツシには熱い思いがある。
「パンダマン先輩! 思いっきり俺のパンツ噛んでくださいよ! 俺、目一杯半ケツ出して飛びますから!」
それを聞いてパンダマンが目頭を熱くする。
「アツシ……お前って奴は! いいのか? 本気で噛んでも?」
「勿論っす!」
2人のやりとりに勇気付けられた他の選手たちの目つきがみるみる変っていく。
「おで! がんばる!」と、おむすび山が立ち上がる。
「ワタシモ、ヤリマス!」と、ロマノフが腕を振りまわす。
アシムが、ハマドが、力強く立ち上がる。
元白熊君が犬のマスクを握り締めながら
「やれやれ。まったく熱い連中ダゼ」と、格好つけて立ち上がる。
皆の結束が固まった。
合言葉は「玉砕!」。
例えウケなくとも自分たちの試合を精一杯やる覚悟ができたのだ。
それを見守っていた熊五郎が「ガ!」と、声をあげる。すかさず小次郎が通訳する。
「案ずるより生むが易し。お前らの骨は拾ってやる、と熊五郎は言っているべ」
(絶対、言ってねぇ〜)と、いつものような雰囲気が戻ってきた。
そんな様子を眺めながら闘子がアツシに感謝の気持ちを目線で送った。
それに気付いたアツシが笑顔で答える。本人はキラーンと白い歯を見せて笑ったつもりなのだろうが、キラーンと光ったのは手作りの王冠だった。相変わらずチープなハンサム王子のコスチューム。が、それでも今の闘子にとっては立派な「王子さま」だ。
見詰め合う2人。しかし時計は無情にも試合開始の時を告げた。
* * *
第一試合は「パンダマン対ハンサム王子」だ。
黒のパンツに可愛い尻尾。白粉に目の周りを黒く塗ったメイクのパンダマンの登場に場内から失笑が漏れる。
一方のハンサム王子の登場も似たようなもので観客の反応ははっきり言って冷たい。
それでもアツシはいつもよりやる気マンマンだ。
マイクを持って先輩を挑発する。
「おいっ! このタヌキ野郎!」
パンダマンもマイクで反論する。
「タヌキじゃねえ! パンダだ!」
そしてゴングと共に試合開始。
リング上で繰り広げられる闘いは迫力というよりはドタバタ喜劇に近い。
いつも通りパンダマンの攻撃にハンサム王子が逃げ回る。が、これもシナリオの内だ。ハンサム王子のヘタレっぷりに観客が呆れかけたところに「ハンサム・フラッシュ・ヘッドバット」が炸裂する!
一応、「おお」という小さなどよめきが客席から聞こえる。
そしていよいよ最大の見せ場だ。
二発目を狙ってアツシがコーナーポストによじ登ろうとする。ポストに登りながらアツシはパンダマンに視線を送る。その目は(先輩! 思い切り噛んでください!)と、訴えている。それに応えるパンダマンの目も輝いている。
試合中の「アイ・コンタクト」それはどういう試合であっても重要だ。
ガブリッ!
コーナーポストに登るアツシの尻めがけてパンダマンが噛み付いた!
「痛でぇっ!」と、アツシが絶叫する。
なんと張り切りすぎたパンダマンはアツシのパンツだけでなく尻の肉まで噛んでしまったのだ!
それでもアツシは飛んだ。予想外の激痛に耐えながら……。
「あれ?」と、パンダマンの目が点になる。
観客の目も点になる。
パンダマンの口にはピンクのパンツがくわえられている。
ということはポストから飛んだハンサム王子は……。
客席の女の子が「キャー」と悲鳴をあげる。半分、喜色の混じった黄色い声があげる中、客席に笑いが広がった。
リング上で仰向けに倒れたアツシは(やられた……)と思いながらもまんざらではなかった。
股間はすぅすぅする。が、ハートはジンジン熱かった。
その時、アツシの中で何かが変った。
「やった……ウケた」
パンダマンがとっさの判断でアツシに覆いかぶさりフォ−ルの体勢に入る。
そしてさりげなく左手でアツシの股間を隠す。
レフェリーが1、2、3とリングを叩いてスリーカウント。
試合終了だ。予想外の展開ではあるが、掴みとしてはまずまずの立ち上がりだ。
続く第2試合は「おむすび山 対 南大門」だ。
短パンにランニングシャツ、そしておにぎりを詰め込んだリュックをしょっておむすび山が登場する。そんな具合にどこかの画伯を連想させるおむすび山は、なぜか入場の際に観客に「おにぎり」を手渡して回る。そのパフォーマンスはケンちゃんの実況中継ではワイロを渡していると説明されている。が、観客にワイロを渡して何の意味があるかは分からない。
一方の南大門は得意の大道芸で観客を驚かせる。
お互いに試合とは無関係なパフォーマンスを繰り広げる2人の闘いは、もっぱら南大門が得意の凶器攻撃で主導権を握る。
〔ああっと! ここで南京玉すだれ攻撃だあ!〕
一応、大道芸と連動した技で南大門が攻める。
で、ピンチになったおむすび山が好物の「おむすび」を食べて急激にパワーアップするというシナリオだ。
〔おむすび山が両手に巨大おむすびを持って突進だ!〕
おむすび山の渾身の一撃! それは両手におにぎりを持って相手に体当りして相手の口におにぎりを無理やり詰め込んでノック・アウトするという荒業だ。
〔しかーし! ここで南大門の火炎放射だぁ!〕
満を持して南大門が炎を吹きかける。
〔ああっと残念。『焼きおにぎり』になってしまいましたぁ!〕
何ともマヌケな闘いである。が、これがこの団体の持ち味なのだ。どのみちこの後の試合も似たようなものである。
第三試合では国際紛争と銘打つハマドとアシムの兄弟対決だ。
ここでの設定ではアシムがパキスタン、ハマドがインドを背負って戦うということになっている。実際の世界情勢で仲の悪いこの二カ国の代理戦争がリング上で勃発するということなのだ。
リングにあがったハマドがアシムを挑発する。
「お前の母ちゃんデベソ〜!」
するとアシムもマイクで応戦。
「母ちゃんの悪口言うなヨ〜兄ちゃん!」
そんな具合でマイクを持ったまま掛け合い漫才のノリで2人の兄弟喧嘩が始まる。どこが代理戦争なのだか、というグダグダな闘いである。
第四試合はパンダマンが扮する「犬マスク」と元白熊君が扮する「犬マスク・デラックス」のワンワン対決だ。
お互いマスクの額には「犬」と書かれているが正直どちらも可愛くない。一応、犬マスクが雑種の犬、デラックスがプードルという設定なのだがマスクの色と尻尾の形が違うぐらいしか差はない。この試合からは少しプロレス色が濃くなり、それなりに大技の応酬が見られるようになる。
そして準メインの第五試合で猪狩が登場する。対戦相手はロシアの殺人鬼「キラー・ロマノフ」だ。
「キラー」という単語はロシア語ではないという指摘をケンちゃんに受けつつも、ロマノフはなかなかの実力者で猪狩と互角の勝負をする。元はといえばウクライナで郵便配達をやっていた真面目な男なのだがリングの上では冷徹な殺人マシーンを上手く演じている。猪狩は猪狩で往年の技のキレは無いものの、そこはメインを張っていた根っからのプロレスラーである。試合のツボはちゃんと心得ていて、観るものを唸らせる。
ここまでの流れは悪くない。控え室のモニターで試合を観戦していた闘子がため息をつく。あとはメインの熊五郎がちゃんと試合をしてくれるかどうかだけだ。
闘子は祈るような気持ちで熊五郎の背中に手を添えた。
「お願いね。熊五郎……」
後は運を天に任せるしかない。
闘子の悲痛な面持ちに熊五郎が「ガ!」と、応える。
「任せとけ。大舟に乗った気持ちで見てろ、と熊五郎は言ってるべ」
小次郎の通訳に闘子は引きつった笑顔を浮かべる。
「大丈夫……だよね」
闘子はそう自分に言い聞かせると、熊五郎の背中をぐっと押した。
いよいよ決戦の時……熊五郎が闘いの舞台へ赴く。
猪狩のマイクパフォーマンスが終わった後、会場が真っ暗になる。
〔さて。いよいよ本日のメインです!〕
会場のざわめきが自然と小さくなり会場全体がクライマックスに向けて息を潜める。
ケンちゃんの実況中継もいよいよ熱がこもる。
〔人間はどこまで強くなれるのか? どこまで進化できるのか? その答えが今日、導き出されます。人類のプライドを賭けて。絶対に負けられない試合がここにあるっ! 今や格闘技界、最強の男となったこの男。誰もが認める最強の格闘家。マックス徳山選手の入場ですっ!〕
そして流れるはベートーヴェンの『運命』だ。
赤、青、緑の無数のレーザー光線が会場内を駆け巡り、やがて入場口に収束する。
バシュー! という轟音と共に銀の紙吹雪が火山のように噴き上げられる。
それを合図に曲が一変! 腹の底に響くような重低音が会場を支配する。
そしてマックスの「カモーン! チェキ」というラップがドラマの幕開けを告げる。
決して上手とはいえないマックス徳山の持ち歌『マックス・ハート』がスピーカーから大音量で流れ、その曲に合わせてマックスが登場! マックスはボディガード1号から8号を引き連れて花道をステップ・バイ・ステップ!
赤の革ジャンに赤のパンツ。純白のシューズでゆっくりと花道を進むマックス。
凄まじい数のフラッシュがマックスの入場を盛り立てる。
観客の盛り上がり方も凄い。ありったけの拍手と歓声と黄色い声がマックスに注がれる。
なかなか声援が止まない。耳をつんざくような歓声をなだめるように実況中継のケンちゃんが続く熊五郎の入場をアナウンスする。
〔人は人。自分は自分。熊は熊。なぜ自分は熊なのか? なぜゆえに熊としてこの世に生を受けたのか? 彼は問う。己の存在意義を。そして人類に警告する。人間達よ。野生のルールを教えてやる。新しい世界を見せ付けてやる!〕
マックスのファンから激しいブーイングが起こる。
〔やはり大衆は人気者に味方するのか? いいだろう。黙らせてやる。野生の王者が牙を剥く。ついにデビューだ! 熊五郎選手の入場ですっ!〕
そして流れるはドヴォルザークの「新世界」。
先程と同様にレーザー・ビームが観客をあおるように乱舞し、熊五郎の入場口に殺到する。吹き上がる紙吹雪! それを合図に曲が途切れ注目の入場曲が大音量で流れ出した。
「ぽぽんぽ ぽんぽん」と、拍子抜けする前奏。続いて流れるまさかの楽曲!
かわいらしい子どもの歌声が響く。
「熊の子見ていたかくれんぼ〜 おしりを出した子 一等賞〜」
何という衝撃!
会場内が一瞬で凍りついた。この恐ろしいギャップは観客のリアクションを根こそぎ奪い取ってしまう威力があった。
熊五郎の入場シーンを見て猪狩が満足げに頷く。
「どうだ。熊五郎にぴったりじゃないか!」
隣のパンダマンも「そうですね」としか答えようがない。
しかし、当の熊五郎は結構この曲を気に入っている。
熊五郎は、ゆーらゆら揺れながら曲に合わせてゆっくりと花道を進む。
熊五郎に付き添いながら闘子は肩身の狭い想いをしていた。
(何か観客の視線が痛いんですけど……)
物が飛んでくるんじゃないかとヒヤヒヤしながら何とか熊五郎をリングにまで誘導する。「バカ野郎」とか「ふざけるな」とか罵声を浴びせられる一方で、「可愛い〜」という好意的な声もあることにはあった。
幸いにも熊五郎は落ち着いている。ただし、熊五郎がこの雰囲気に呑まれて暴れだしたら大変なことになる。その為にセコンドとして小次郎がマイクを持って待機している。イザという時は童謡を歌って熊五郎を落ち着かせる作戦だ。
〔いよいよ両者がリングの上で対峙します。人類VS野生。その歴史的な1ページ目が今ここに刻まれようとしているのですっ!〕
時間は8時15分。テレビの生中継もすでに始まっている。
もう後戻りはできない。ありとあらゆるものを背負って熊五郎は闘わねばならないのだ。
〔おっと、ここでマックス選手がマイクを持ったぞ!〕
歓声がひと段落するのを待ってマックスがマイクパフォーマンスを始める。
「今夜は来てくれてありがとう。みんなの期待にこたえられるよう頑張るよ! で、ここで重大な発表があるんだ」
マックスの言葉に会場が静まり返る。重大な発表とは何だろうと誰もが息を飲む。もしかしたらマックスがこの試合をもって格闘技を引退するのではという憶測は既にあった。それは十分に考えられる。が、マックスの言葉は意外なものだった。
「この試合に勝ったら! 俺、結婚しますっ!」
「ええーっ!」という会場のどよめきに合わせて闘子も仰け反りそうになった。
(ま、ま、まさか、まさかよね? そんな……)
闘子は熊五郎と一緒にリングに上がってしまったことを後悔した。が、とき既に遅し、マックス徳山はビッと指先を闘子に向ける。
「そこにいる。彼女が結婚相手だ!」
またしても場内に只ならぬどよめきが湧き上がる。
(やっぱり……)
闘子は熊五郎の後ろに隠れながら目を閉じた。
まさかマックス徳山がこんな手段で結婚宣言をするとは思わなかった。熊五郎に勝ったら闘子を嫁に貰う。マックスの言葉は本気も本気、それどころか全国ネットで宣言されてしまったでないか!
(熊五郎! お願いっ!)
心の中で闘子は叫んだ。
が、肝心の熊五郎はといえば隣で歌う小次郎の「象さん」に酔いしれている。試合のことなどまるで意に介さず、相変わらずゆーらゆらと揺れている。
絶体絶命のピンチ!
(終わった……)
もうどうにでもなれという心境で闘子は己の運命を呪った。
レフェリーが選手以外はリング下に降りるよう指示を出した。
赤コーナーのマックス。
青コーナーの熊五郎。
運命のゴングがついに鳴る……。
カーン! ゴングの音が鳴り響き会場のボルテージは一気に頂点に達した。
が……やる気マンマンの赤コーナーに対して青コーナーのテンションは下がりっぱなしだ。赤コーナーではマックスがいつでも来いよといった感じで軽いフットワークを刻む。
そのリング下では童顔マネジャ率いるボディガード達がいつでもリングに駆け上がれるよう待機している。
一方、青コーナーの熊五郎といえば、相も変わらずゆーらゆら。いまだにゆらゆら揺れている。そしてそのリング下では頭を抱える闘子とのん気にあくびをする小次郎がセコンドについている。
マックスは両手を広げて熊五郎を挑発する。
「さあ来い。熊衛門クン!」
やっぱりマックスは熊五郎の名前を覚えていないらしい。
やがて試合開始から5分。一向に闘う気配の無い両者。
始めはマックス・コールを送っていた観客の間にも「?」な空気が蔓延してきた。
「おいおい! いつまでにらめっこしてんだよっ!」と、徐々に客席からヤジが飛ぶ。
マックスは熊五郎の出方を待っている。
が、熊五郎は揺れている。
いつまでもかみ合わない両者。会場内にしらっとした空気が流れた。
そこで何を思ったのかアツシが赤コーナー近辺にダッシュする。
そしてリングの下からマックスに呼びかけた。
「マックスさん! これを! これを持って熊五郎に見せ付けてやってください!」
そう言ってアツシがマックスに渡したのは1枚のバスタオルだ。
「これが何か?」と、マックスが不思議そうにそれを広げてみせる。
それは阪神タイガースの球団旗を模したバスタオルだった。
続いてアツシが指示をする。
「次にそれをクシャクシャにしてください!」
「こ、こうか?」と、マックスは半信半疑で言われるままにタオルを両手でもみくちゃにする。
アツシの指示はまだ続く。
「で、それを地面に叩きつけてください! できれば足でグリグリと踏みつけて!」
訳が分からないままマックスはアツシの言った通りにそれをやってみせる。
「何なんだよ。いったい……」と、マックスが首を捻る。
が、熊五郎は見ていた。その一部始終を……。
「ガ! ガガッ、ガ、ガァー、ガッ!」
今までで最も長く熊五郎が吠えた。それは小次郎が翻訳するまでもなく、大好きな阪神タイガースを踏みにじられたことに対する抗議だった。
「ガー!」
熊五郎が短い両手を天に突き上げファイティング・ポーズを取った。ついに闘魂スイッチが入ったのだ!
それを見て赤コーナーで童顔マネジャが叫ぶ。
「い、今でしゅ!」
童顔マネジャの号令でボディガード1号から8号が一斉にリングに駆け上がり人間の壁を形成した。フォーメーションはMだ。
怒った熊五郎は身体をゴムマリのように丸めて……猛ダッシュ!
人間の壁めがけて一直線に弾ける。
〔ああっと! これは正面衝突だぁ!〕
まるでボウリングのピンのようにボディガード達がスコーンと跳ね飛ばされる。
しかし、さすがは精鋭部隊。それでも必死で熊五郎にしがみつく。熊五郎の首に正面からぶら下がる3号、足にしがみつく6号。4号と2号は左右からそれぞれ熊五郎の腰を抱え込む。
〔ああっと! これはいけません! マックスのボディガード達が熊五郎を羽交い絞めにしています!〕
しかし熊五郎のパワーは凄まじい。まず頭突きで正面の3号を叩き落とすと、足に絡みつく6号を踏んづける。さらに腰をクネクネ振って4号と2号を軽く吹っ飛ばす。正面から殴りかかってきた5号にはカウンターで熊パンチ! ポストから飛んできた1号はハエ叩き、後ろから抱きついてきた7号には尻餅で応戦した。
最後の砦、8号は通せんぼのポーズを取って抵抗するが熊五郎はそれをバンザイ・ドロップでぽーんと景気よくリングの外に放り出す。
〔強い! 強すぎるっ! まさに秒殺! これが野生の厳しさなのかぁ!〕
小次郎が「イカン!」と、厳しい顔つきで叫んだ。
それを聞いて闘子が青ざめる。
「ど、どうなっちゃうの?!」
「熊五郎のヤツ……ノリノリだべ!」
「そんなのん気なこと言ってる場合じゃないでしょ! 早く、マイク、マイク」
闘子が素早くマイクを拾い上げてスイッチを入れる。
「小次郎さん! 早く歌を」
「あいよ」と、小次郎がマイクを受け取とる。
が、難しい顔でウームと唸る。
「どうしたの? 小次郎さん?」
「うんにゃ、どっちを歌うべきかのう。チューリップと象さん」
「どっちでもいいから早く!」
それじゃあと小次郎が息を吸い込む。するとその瞬間、スポっと小次郎の手元からマイクが消えた。アツシがマイクを奪ったのだ。
「な、何やってんの!」と、闘子がアツシを睨む。
が、アツシはマイクを背中に隠して駄々っ子のようにブンブンと首を振る。ここで止められたらせっかくの苦労が水の泡だ。
そうこうしているうちにリング上では熊五郎がマックスを攻めたてている。
熊五郎は右に左に熊パンチ繰り出すものの大振りすぎて当たらない。マックスはヒラリヒラリと際どいところで身を交わす。さすがにそこは格闘王。その抜群の動体視力で相手の動きを見切っている。
南大門がリング下から声を張り上げる。
「熊五郎! ロープを使え!」
それが聞こえたのか熊五郎が動きを止め「ガ?」と、反応する。
そして、ハッシと、マックスの腕を両手で挟みこむとブゥンとロープに向かって送り出した。
「へぇ!」と、マックスは余裕の表情でロープに振られる。
〔なんと! マックスがロープに振られたっ!〕
マックスはトトッと小走りにロープ向かい、くるっと半回転。ロープを背にしてグイーンとロープを伸ばす。そして反動を利用して熊五郎のもとへトトトトッ……。
すかさず熊五郎が片足を上げて熊キィーック……。
スカッ! やはり空振り! クルッと短い足が天を仰ぎ、熊五郎は尻から落ちて後頭部を痛打する。コロンとすっ転ぶ熊。まるで絵本に出てくるみたいなシーンに観客が沸いた。
南大門が頭を抱える。
「そこは体当りだろ」
よりによって難しい技を選んでしまうとは……。
マックスは仰向けになった熊五郎を見下ろしながら観客を煽る。手拍子とマックス・コールを誘おうというのだ。真のカリスマは相手の攻撃を受けるだけ受けておいて最後の最後に反撃して勝つ。それは猪狩から授かった戦いの美学だった。
観客の期待が高まる。ここからがマックスの本領発揮だ。そして熊五郎がフラフラと立ち上がったところで満を持してマックスの攻撃が始まる。
〔いよいよマックスが反撃開始だぁ!〕
まずは熊五郎に向かってダッシュ!
その勢いで両足を揃えて空中に浮かせる。まるで地を這うミサイルのようにマックスの身体と地面が平行になる。
〔マックスのミサイル・キィーック! 決まったぁ!〕
マックスのミサイル・キックは的確に熊五郎の胸板を捕らえた。
が、ムニュっといった風にマックスの足が熊五郎の身体にめり込む。
バランスを崩したマックスが墜落する。
普通ならマックスのミサイル・キックを食らった相手は後ろに吹っ飛ぶところだ。ところが熊五郎は「ガ?」と、胸のあたりをポリポリ。
怒ったマックスが肘打ちを1発、2発と熊五郎の肩口に打ち込む。さらに右足キックを連続で熊五郎の足、腰に5発お見舞いする。
しかし……熊五郎にダメージは全く無い。
唖然とするマックス。
場内の歓声は止み、どうなってんだ? といったような空気が流れる。
実況中継も戸惑い気味だ。
〔こ、これは……ひょっとして効いてないのか?〕
リング上の時間が止まった!
そこですかさずアツシが叫ぶ。
「かっとばせぇー! 熊五郎!」
アツシの叫びが熊五郎に届いた。
熊五郎は両手でバットを持ったつもりでブンと素振りをする。
その瞬間、猛烈な風圧でマックスの頭が微かに揺れ、それと同時に何かがフワッと宙を舞った。
〔ま、まさか頭がちぎれた?〕
マックスの頭を離脱した黒い物体は、まるでスローモーションのようにゆっくりと頂点に達し、まばゆい光線を一身に浴びながら、軽やかに着地した。まるで自らの存在を見せ付けるかのように、その物体は世界の中心で厳かな舞いを披露した。
誰もが息を飲む。
そして皆の視線がリングの中央からマックスの頭へ向けられる。
マックスはというと……茫然と立ち尽くしている。まるでフィギュア人形みたいなポーズで。
「う、嘘っ!」と、誰かが叫んだ。
「マジかよ」と、誰かが絶句した。
今、そこにあるもの。それは頭のてっぺんに見事な光沢を讃えたマックスのハゲ頭だった……。
ふと我に返ったマックスがまるで数時間ぶりに我が子を取り戻した母親のように跪いてカツラを拾い上げる。そして慌てて合体を試みるが時既に遅し。次の瞬間に場内は大爆笑に包まれた。
完全に戦意を喪失したマックスは頭を抱えてリングを降りるとそのまま逃走した。
はじめは笑いに包まれていた場内が徐々に静まり、やがてヒソヒソ声が、次第に怒りの声が大きくなっていった。
「何だよ! もう終わりかよ!」
「金返せバカ野郎!」
「そうだそうだ金返せっ!」
あちこちで怒号が響く。そしてついには「金返せ」の大合唱に発展した。
段々、収拾がつかなくなってきた。堪らずケンちゃんがゴングを連打し、「勝者! 熊五郎!」とコールするが観客の怒りは収まらない。一部の客がリングに殺到した。それにつられて保健所の連中や環境保護団体のおばちゃん達までリングに乱入する。
保健所の所長は猪狩に騙されたことを知って激怒し、動物愛護団体のおばちゃんはマックス陣営のやり方に怒って乱入してきたのだ。
さらには、どさくさにまぎれて借金取りたちまでが突入して、リングの周りは大混乱。
阻止する側と突入する側が小競り合い、罵り合って何が何だか訳がわからない状態になってしまった。
そんな中、リングの上は別世界だった。その中心には勝者、熊五郎。とてもご機嫌な様子でゆーらゆら揺れている。小次郎が歌う「チューリップ」に合わせてゆーらゆら。リング外の喧騒など、どこ吹く風。
「さーいたぁ」「ガ!」
「さーいたぁ」「ガ!」
「チューリップのはーなーが」「ガ!」
それは勝利の雄たけびならぬ合いの手……。
そんな具合で熊五郎と小次郎のデュエットが続く。
「あーか すーろ きーいろ」「ガ!」
「どーの花見てもー きれいだべー」「ガッ!」
こうして世紀の一戦は収拾のつかない幕切れをもって終結したのである。
エピローグ:My treasure
あれから数週間。良くも悪くも日本中の話題をさらった世紀の一戦は関係者に多大なる影響を与えた。
まずカツラがバレてしまったマックス徳山。
彼は歌って踊れるハゲ芸人として新しい境地を切り開いた。そのおかげでかえって仕事のオファーが増えたという。
一方、この一件でマックスのマネージャーを首になった童顔マネジャは、同じ事務所の超わがまま女優のエリコ様の担当に任命され、試練の日々が続くこととなってしまった。
乱闘騒ぎは数人のケガ人を出してしまったものの誰が誰を殴ったというレベルのものではなく、結局、警察からの厳重注意で済んだ。が、保健所の所長は左遷され、動物愛護団体のおばちゃんはさっさと鞍替えして環境保護団体を立ち上げた。
試合を生中継したテレビAの関係者は当然、厳罰が予想されたがその高視聴率によって処分は見送られた。
そして新日本グレート・プロレスは不幸中の幸いとでも言おうか、何とか倒産の危機は免れたのである。
猪狩の無謀な計画のせいで借金の総額は膨れ上がってしまったが熊五郎の試合で得た収入と、その後の熊五郎人気のおかげで借金は徐々に返せる見通しとなったからだ。
今思えば本当に無茶苦茶な計画だったと闘子は思う。しかし、得たものも大きかったとも思う。
流れ行く湾岸の景色を眺めながら助手席でため息をつく闘子。
それを横目で見てアツシが尋ねる。
「どうしたの?」
「ううん。なんでもない。それよかちゃんと前見てよね。まだ免許取りたてなんでしょ!」
「わかってるよ」
そう言ってハンドルを握るアツシの横顔を闘子は改めて眺める。
「ね……前から聞こうとは思ってたんだけど」
「ん? 何?」
「アツシは……なんでアタシのこと……」
「なんだ。言ってなかったっけ?」
「聞いてないわよ」
「そっか。何でオレが闘子に執着してるかってことか」
「執着って……何かストーカーっぽいけど」
「そうかもな」
「え? そうなの?」
「オレ……ずっと闘子を見てたんだ。でも闘子は気付いてなかったろ?」
「う……ゴメン」
「ハハ。やっぱそうか。でもさ。ホントにずっと見てたんだぜ」
「全然、気付かなかったけど?」
「オレさ。結構、長い間引きこもってたんだよね。で、2年の時、久しぶりに学校行ったんだ。で、一日で嫌になってもう来るの止めようと思った時、闘子の噂を聞いたんだよね」
「そ、そうなの? アタシ、噂になってた?」
「うん。プロレスラーの娘でゴリラみたいに強い女がいるって」
「ゴ、ゴリラ……」
ピクピクと頬を引きつらせながら闘子が続きを促す。
「で? その後どうしたの?」
「ずっと見てた」
「やっぱストーカー?」
「ち、違うって。憧れてたんだよ。何ていうかさ。好きなことを一生懸命やって何が悪いって感じで開き直っててさ。それがカッコ良く見えたんだ」
闘子は高校時代の自分の行動を省みた。が、そんな風に自分のことを見ている人間がいるとは夢にも思っていなかった。
「そうかなぁ。あんま自覚ないんだけど」
「オレは見てたよ。F工業の番長を失神させたトコとか柔道部のストーカーを返り討ちにしたトコとか……」
「そ、そう。見られてたのね……」
「そんな闘子が好きなプロレスって何なんだろうって思った。で、気がついたら入門してたってワケ」
「ふぅん。そうだったんだ」
「でも後悔はしてないよ。何かさ。入って良かったって思う」
「本当に?」
「ああ。やっと見つけたって感じかな」
「見つけた?」
「うん。宝物だと思ってる。だってこんなに毎日が楽しいんだぜ」
「そう……なら良かった」
闘子は心からそう思った。この商売は決して安定した仕事ではない。が、アツシがそんな風に考えてくれているなら、まだまだやっていけそうな気がした。
闘子は(よし!)といった風に頷くとバンとアツシの肩を叩いた。
「そっか。じゃ、これからもがんばってね!」
「いって! っておい。運転中だぞ」
「ゴメンゴメン。そうよね。あなたも大切な選手なんだから。ケガさせちゃマズイわよね」
「そうだよ。がんばって社長の借金返さなきゃなんねえんだからさ」
借金の話が出たところで闘子とアツシが顔を見合わせる。そして、クスリと笑い合う。
「そういうことで」と、アツシ。
「これからもお願いね」と、闘子。
そして2人同時に「熊五郎!」と、同時にバックミラーを覗き込む。するとテレビ出演のために毛をブラッシングしてもらっていた熊五郎が後部座席でいつものように返事をした。
「ガ!」
【終わり】