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第七話 こころの準備

 何しろ急に決まった試合なので結局、大きな会場は押えられなかった。その結果、決戦の舞台に選ばれたのがF市の市民体育館。世紀の一戦の舞台としてはいささかショボイ場所になってしまったものの、猪狩の行動は素早かった。

猪狩は昔からのプロレス人脈をフル活用して短い間にこの試合を盛り上げる為の仕掛けを次々と成功させていった。

 最初の一発目はマユツバ記事で有名なTスポーツの一面ジャックだった。なにしろ今をときめくマックス徳山の名が一面に踊ったので反響は結構あった。

その時の見出しがこれだ。

『マックス熊殺し!』

例によって語尾に小さく「?」マークが添えられているのだが、マックス徳山を知っている人間ならこの見出しを見て(本当に熊を殺しちゃったの?)と、軽く興味を惹かれるに違いない。そこで記事はこう続く。

『いよいよマックスが伝説に挑む! 挑戦者は本物の熊。しかもただの熊ではない。あのグレート猪狩の一番弟子なのだ……』

読者はこの時点ではまだ(おいおいマジかよ)と、話半分にしか受け止めないだろう。熊がプロレスと聞けば誰だって本気にはしない。が、具体的な日程が示されていたらどうだろう?

『試合は5月2日 S県F市市民体育館 午後8時 ルールはプロレスと同様』

そして止めが証拠写真だ。マックスの写真と並んで掲載されたサンドバッグに熊パンチをお見舞いする熊五郎の写真! 

これで読者は(マックス徳山と本物の熊がプロレスで真剣勝負するんだ!)と、信じざるを得ないのだ。  

しかし、Tスポーツの見出しだけならさほど話題にはならない。そこは猪狩も分かっていて、すかさず二の矢としてワイドショーをけしかけた。勿論、試合の結果いかんによってはマックスが結婚するかもしれないという情報をしっかりリークして。そしてそれは猪狩の計算通りだった。売れっ子タレントであるマックスの色恋ネタをワイドショーが放っておくはずがない。おかげでマックスは連日、マスコミの取材攻勢に悩まされることになってしまった。 

さらに猪狩は熊五郎のHPを開設してネット上での露出を積極的に展開した。例えば、熊五郎ブログでは、熊五郎の「ガ!」というコメントに小次郎の訳がもれなくついてくる。その嘘っぽい訳は笑えるネタとしてネットでも好評を博した。大体、熊五郎がマックスの印象を聞かれて『胸毛の剃り残しがキモい野郎だ』などと答えるはずがないのだ。しかしネットの住人は熊五郎と小次郎のコンビを歓迎してくれたのである。またそんな具合で話題を提供すると同時に、熊五郎の人間味あふれる日常生活のユーモラスな写真や動画をじゃんじゃん配信することで「熊五郎」イコール「かわいい」という、女性のにわかファンの獲得にも成功した。

おまけにテレビの生中継までが決定して、マックス対熊五郎の試合は瞬く間に注目の一戦となったのである。


*  *  *


 テレビの生中継が決定したという新聞記事を読んでパンダマンが心配する。

「けど大丈夫かなぁ。反響が大きい分、失敗したら大変だよ」

南大門も顔をしかめる。

「テレビ局もよく決定しましたね。生中継だなんてリスクが大きすぎですよ」

それを聞いて闘子が猪狩を睨む。

「まさかまた『思い出のアルバム』で脅したんじゃないの? テレビ局の偉い人を」

闘子は猪狩がマックスを昔の恥ずかしい写真で脅迫したのと同じ手を使ったのではないかと疑ったのだ。

しかし猪狩はまったく悪びれた様子も無く答える。

「いやそれは違うぞ! 俺が使ったのは『友情のアルバム』だ!」

(やっぱり……いったい何種類のアルバムがあることやら)

闘子はゲンナリした。が、これ以上は恐ろしくて聞けない。

しかし、どのような形であれ舞台は整った。運命の対決まであとわずか……。


  *  *  *


 闘子がひととおり道場の掃除を終えて一息ついているとアツシが声を掛けてきた。

「いよいよだね」

「……そうね」

闘子はため息混じりに返事をする。

闘子の反応がイマイチなのでアツシは言葉に詰まった。ここ数日、闘子は元気がないように見える。大イベントを前に不安になっているのもあるだろう。が、アツシにはどうしても気になっていることがあった。

2人きりの休憩室にテレビの音だけが流れる。

闘子がぼんやりと眺めているテレビ画面では芸能レポータがマックスの話題について、まるで自分が当事者であるかのように熱弁をふるっていた。

〔で、ですね。この噂の女優はマックスが出演したドラマの競演者で……〕

アツシは恐る恐る闘子の横顔を見る。画面を見つめる闘子の横顔はまるで切なさを胸の奥に仕舞い込もうとしているように見える。

「なあ……闘子」

アツシの呼びかけにも闘子は応じない。

やれやれと首を振りながらアツシは次の言葉を探す。正直に聞くべきか否か……。

「悩んでんのか? マックスのこと……」

マックスという単語で闘子が微かに反応した。

(やっぱりな)と、思いながらアツシが思い切って密かに考えていたことを口にした。

「もし結果が逆だったらどうする?」

「……え?」

「試合の結果。もし熊五郎が勝ったら闘子はどうなんだよ。ガッカリする?」

「……それは」

「なら、こうしよう。もし、熊五郎がマックスに勝ったら……」

アツシが何を言おうとしているのかその真意が掴めずに闘子は戸惑いの表情をみせた。

アツシは真顔で次の言葉を口にするタイミングを計っている。

まるで時が止まったかのように2人は無言で対峙した。その微妙な空間にテレビの音だけが背景のように淡々と流れ続ける。

「熊五郎が勝ったら……オレと結婚してくれ」

(は?)と、いった風に闘子の目が見開かれた。

(これってプロポーズ? 何考えてんの?)

唖然とする闘子の顔を見てアツシが(やっちまった!)と、いう感じで苦笑いを浮かべる。

「い、いや、勿論、今すぐとかじゃなくってさ。その」

それを聞いて闘子がようやくいつもの調子でアツシを睨んだ。

「当たり前でしょ!」

「だ、だからその、長期的な野望というか……大いなる計画の第一歩というか」

しどろもどろになるアツシの様子を見て闘子が呆れる。

「……あのね」

闘子とアツシは別に付き合っているわけではない。アツシの気持ちはさんざん聞かされている。が、闘子としては一度もそれにOKを出した覚えは無い。まったく心が動かされなかったといえば嘘になるが……。

「にしたって早すぎでしょ」

「ま、まあ。そうかもな」

「この歳で結婚とか……ていうかアタシの気持ちはどうなるわけ?」

「そ、それもそうだね」

「だいたい熊五郎が負けたとしてもアタシは嫁に行くなんて一言も言ってないし!」

「でも悩んでなかった?」

「それは!」と、言いかけて闘子の顔が赤くなった。

「やっぱりな」

「そ、そんなことないわよ。だって相手は人気タレントだし……本気にする方がおかしいよ」

「じゃあ熊五郎が勝ってもいいんだな?」

「い、いいわよ。ていうか普通、そっちを応援するでしょ」

「どうだか……」

アツシが疑るような目つきでそう言うものだから闘子はムキになる。

「熊五郎が勝つわ! 絶対に!」

「オレもそれに期待してるよ。でなきゃ困るからな」

アツシと言い争いをしながら闘子は思った。もしも熊五郎が試合に勝てば何も悩むことはないのだ。万が一、熊五郎が負けて、さらにゴン兄ちゃんが本気だというのなら、それはその時になって考えればいい。今から悩んだって仕方がない。

(今は……全力で熊五郎を応援しなきゃ!)

ようやく闘子にも心の準備ができた。試合まであと3日……。



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