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第六話 闘魂スイッチ

リングで大の字になる熊五郎。

リング下でアツシが熱い声援を送る。

「立て! 立つんだ! 熊五郎〜!」

しかし熊五郎は起き上がらない。

「頼む! 立ってくれ! お前だけが頼りなんだ!」

アツシの悲壮感溢れる叫びも熊五郎には届かない。それどころか「ガ〜」と、半分あくびのような唸り声を上げてゴロンと寝返りをうつ始末。

いくらアツシが檄を飛ばしても熊五郎はゴーロゴロとリングの上で寝転がるばかり。

そんな練習風景を見てケンちゃんが呆れる。

「相変わらずですね。熊五郎のやる気のなさは」

さすがの猪狩も厳しい表情で唸るしかなかった。

「うーむ。しかし、なんであいつは南大門の言うことしか聞かないんだ?」

「どうやら熊五郎は南大門を尊敬しているらしいです」

ケンちゃんの回答に猪狩が首を捻る。

「意味が分からん。で、その南大門は?」

「はい。もうすぐ買出しから戻ってくるはずですが」

ケンちゃんの言葉通り、しばらくして南大門が闘子と買出しから戻ってきた。

「おい南大門!」

「何です? 社長」

「熊五郎は幾つ技を覚えたんだ?」。

「はぁ……いまのところ3つですかね」

猪狩がイライラしながら尋ねる。

「それじゃ少なすぎだ! 熊五郎に火、吹かせろ!」

「無理です」と、南大門が即座に否定する

「じゃあ、何でもいいからおまえの特技を仕込め!」

猪狩に命令されて南大門は考え込んでしまった。

「私の特技……ですか」

南大門は元々、大道芸人であった。だが、どこでどう間違ったのか猪狩の弟子になってしまった。火を吹く、傘で皿を回す、お手玉、ジャグリングと、どれをとってもその芸は超一流だ。もちろん試合ではまるで役に立たないが。

「とにかくもっと技のレパートリー増やせよ。お前が熊五郎のトレーナーなんだからな!」

「はい。了解しました」 

南大門は買い物袋を闘子に預けてリングにあがる。

ぱっとパーカーを脱げば、その下には筋骨隆々の肉体にタンクトップが食い込んでいる。プロレスラーたるもの、いつでも身体が動かせる服装をするのは常識だ。

「さあ熊五郎。練習だ」

ひんやりしたリングの感触を全身で堪能していた熊五郎が「ガ!」と反応する。

南大門を尊敬している熊五郎は、ひょこっと起き上がると「気をつけ!」の姿勢をした。

「よし。じゃあ覚えた技の復習だ」

「ガッ!」

さすがに敬礼はしないが自分が教えられているという自覚はあるらしい。

「まずは、熊パンチ100回!」

「ガ!」

さっそく熊五郎が右手を前に。そして丁度「コッツン」とゲンコツを食らわすような動作でパンチを繰り出す。

パンチといっても腕から先しか使っていないので威力は無さそうに見える。が、熊五郎のパワーなら見た目以上のダメージを与えることができるのだ。

熊五郎は「ガッ」と、熊パンチ1発ごとに掛け声を出す。が、数を数えているわけではないので何回やったか分からなくなってしまう。結局、延々と「ガッ、ガッ、ガッ」とパンチを打ち続けるハメに……。

「おらおらどうした。まだ半分もいってないぞ!」

本当はとっくに100回を越えていても南大門はわざとパンチを続けさせる。途中で疲れた熊五郎が南大門に(まだ?)と、いうような目で訴えるが、そこは厳しいプロレスの世界、簡単には許してもらえない。

ずっと同じことを繰り返す熊五郎と南大門の練習風景を見てアツシがため息をつく。

「ホントに大丈夫かなぁ……」

熊五郎には何としてもマックスに勝ってもらわなければならないのだ。

アツシは心配になって南大門に懇願する。

「南大門先輩! 熊五郎に必殺技とか教えてやってください! 例えば、一発で相手の顔をへちゃむくれにするとか、男性機能を喪失させるとか」

「無茶言うな。まずは基本だろう」

「そんなこと言わずにお願いしますよぉ」

闘子を奪われたくない一心のアツシにとって今の熊五郎は何か物足りない。熊だから強いことは分かっている。しかし熊五郎の場合、どうも闘争本能が欠落しているような気がするのだ。

熊五郎の闘魂スイッチはいったいどこにあるのだろう?


   *   *   *


マックスが勝手に熊五郎との対決を承諾したことに対してマネージャーは激怒した。

「ど、どうちてボクに黙ってそんな約束をちてちまうんでしゅかぁ〜!」

舌ったらずなマネージャーの説教にマックス徳山はうんざりした。

「うるさいな。社長の許可は得てるよ」

「でもでも……相手は熊でしゅよ?」

マネージャーの喋り方は舌ったらずを通り越して赤ちゃん言葉にしか聞こえない。 

「怪我したらどうしゅるんでしゅか? マックスしゃんはどうなってもいいでしゅけどボクが社長に叱られてしまいましゅ」

しかも『ジコチュー』ときた。見た目が子供でなければとっくにぶっ飛ばしているところだ。

「男はな! 戦わなくてはならない時があるのさ。これは俺の美顔なんだ」

それを言うなら「美学」なのだろうが当然のようにマックスは過ちに気付かない。そこはこのマネージャーも慣れっこなのであえて突っ込まない。

「まったく困ったちゃんでしゅね〜」

なんだか小さい子が叱られているみたいでマックスは不愉快になった。

「しつこいな。お前もオレのマネージャーならちっとは俺の実力を信用しろよ!」

「マネージャーじゃありまちぇん。マネジャ、でしゅ」

この童顔マネージャー、どうやらそこだけはこだわりがあるらしく「マネジャ」の発音だけはなぜかネイティブ・イングリッシュなのだ。

世の中分からないものだ。この小学生がダブダブのスーツを着たような童顔男がT大卒の25歳というのだから……。

そこで控え室のドアがノックされて「本番お願いしまーす」と、ADがマックスを呼びに来た。

やれやれと腰をあげてマックスがスタジオに向かう。だいぶん慣れてきたとはいえ、この童顔マネジャと一緒に居るほうがずっと疲れてしまう。

「いってらっしゃーい」と、笑顔でマックスを送り出すと、童顔マネジャはきりりと表情を引き締めた。

「そういうことでちたらボクが試合を潰してやるでしゅ」 

童顔マネジャはPCで電話番号を検索してどこかに電話する。

「もちもち。そちらはF市の保健所さんでしゅか? ……いえ。イタズラではありまちぇん。実はでしゅね……」

電話は一箇所では終わらない。

「もちもち。そちらは動物愛護団体でちゅか? ……いえ。子ども電話相談ではありまちぇん。実はでしゅね……」

どうやらこの童顔マネジャは、マックス対熊五郎の試合を妨害する為にあちこちに密告の電話をしているらしい。

「ふふふ。ボクみたいに出来るマネジャは常に先手先手を打つものなのでしゅ」


   *   *   *


 皆で夕飯を食べた後に休憩室でテレビを観ていた時、ちょっとした騒ぎが発生した。

「おっ、満塁か。阪神チャンスじゃん」

そう言いながら風呂上りのパンダマン(もちろん素顔だ)がテレビを囲む連中の輪に入ってくる。

「一打同点だネ〜」と、アシムがニヤニヤ笑う。

「面白ク、ナッテキマシタネ」と、ロマノフが笑顔で頷く。

熊五郎が大の阪神ファンだということを知っているので、皆、熊五郎の様子を面白がっているのだ。

その熊五郎といえばテレビの前にでーんと陣取って画面を凝視している。あぐらをかいてソワソワしているところなんか普通の人間と変わらない。

そこでパンダマンが画面に映る観客席を真似て熊五郎をからかう。

「かっとばせぇー! 熊五郎!」

「ガ?」

熊五郎が振り返ったので、ビール片手に他の連中も熊五郎コールを送る。

「かっとばせぇー! くっま五郎!」

すると驚いたことに熊五郎がいきなり立ち上がってバットを振る真似をしたのだ。もちろん手には何も持っていないのでスイングをする動作だけだ。

「おお〜!」

熊五郎のパフォーマンスに皆やんやの大喝采。

それに気を良くしたのか熊五郎は「かっとばせぇー 熊五郎!」の掛け声の度に両腕をブゥンと振り回す。

そうこうしている間にジャイアンツの投手交代が終わり、代わったばかりの投手がタイガースの四番に対峙する。

立ち上がっていた熊五郎は素振りを止めて画面に集中する。

熊五郎以外の人間は別に阪神タイガースを応援している訳ではないのだが自然と緊張感がみなぎる。

一球目、二球目はともに判定はボール。熊五郎はおとなしく見ている。

三球目はストライク。やはり熊五郎はぴくりとも動かない。

そして四球目。投手の放った変化球を打者が豪快に救い上げた!

〔打ったぁ〜! これは大きい!〕

アナウンサーが叫ぶと同時に熊五郎が「ガァァ!」と、立ち上がった。

そのまま打球はスタンドへ。

〔ホームラン! 逆転満塁ホームラン!〕

興奮した熊五郎は、元白熊君が座っていたイスの背中をバンバン叩く。熊五郎のパワーで叩かれたイスが地震のように揺れて座っていた元白熊君が転げ落ちる。

「良かったな。熊五郎」

「熊五郎の素振りが効いたかぁ?」

「阪神やるネ〜」

皆が熊五郎を祝福する中、イスから転がり落ちた元白熊君だけはふてくされた顔だ。

色白の肌をピンクに染めながら元白熊君が吐き捨てる。

「ふざけんな……阪神なんかクソだ」

酔っているせいか目が据わっている。あまりに熊五郎たちがはしゃぐものだから、熱烈なジャイアンツファンの元白熊君は面白くない。 

「チクショー! 阪神なんかなぁ」

そう言って元白熊君は何を思ったか、熊五郎が肩にかけていた阪神タイガースの球団旗を模したバスタオルを奪った。そして、いきなりそれをクシャクシャにしてポイと放り投げた。

突然の出来事に熊五郎はその暴挙を茫然と見守った。そして……

「ガッ、ガガッ、ガー!」

熊五郎がこんなに長く喋るのははじめてのことだ。

明らかにいつもと違う。

熊五郎の只ならぬ異変に皆が驚く。

「な、なんだなんだ」

「熊ゴロー、どうしたのヨ?」

「ガーッ!」

熊五郎はいきなり元白熊君に熊パンチをお見舞いした。

ふいをつかれた元白熊君の頭がまるでバネに吊られた重りのように何度も揺れた。

「ガ!」

次に熊五郎は元白熊君を正面から抱きかかえると真上に向かってぽいっと投げ捨てた。

「この技は!」と、南大門が唸る。

哀れ、熊五郎に投げ捨てられた元白熊君は天井にしこたま頭をぶつけ、尻から床に落下した。

「この技は……バンザイ・ドロップ!」と、アツシが目を輝かせる。

そう、この技は、投げ終わった後の体勢がバンザイの形になるのでその名前がついているのだ。勿論、抱きかかえた相手を真上に投げるなんてよっぽどの力がないと出来ない芸当ではあるが。

「やればできるじゃないか!」と、南大門も拳を握り締める。

「凄いヨ〜 凄すぎるヨ〜」

「いやぁ実戦でも使えるんじゃねぇか!」

ハマドもパンダマンも熊五郎の新技に興奮する。誰も元白熊君のことを心配していないのはご愛嬌か……。 

ところが熊五郎の怒りは収まらない。壁に穴を開けるわ、休憩室の大きなテーブルをちゃぶ台みたいに豪快にひっくり返すわ、暴れること暴れること。

次第に皆の顔が恐怖で引きつる。

「やべ……暴走モードだ」

そう呟いたパンダマンにも危機が迫る。なぜなら熊五郎がパンダマンに噛り付こうとしたのだ。

「危な……」と、誰もが息を飲んだ瞬間だ。どこからともなく、マヌケなうめき声というか民謡のコブシのような歌が流れてきた。

〔ぞーうさん ぞーうさん おーはなが ながいのね〕

それと同時に嵐のような音がピタリと止んだ。

「?!」

訳が分からず皆の目が点になった。

するとどうしたことか、熊五郎がゆらーり、ゆらりと歌に合わせて身体を揺らしはじめたではないか! それも恍惚の表情を浮かべてゆーらゆら、右に左にゆーらゆら。ちゃんとリズムも合っている。

何が起こったというのだろう? 

やがてその歌声が小次郎のものだということが判明した。

「ガ〜」と、熊五郎がごちそうさまの時と同じような声をあげた。

熊五郎の暴走が収まったのを確認して小次郎が歌うのを止めた。

「いや〜 間に合って良かったべ。いったいどうすただ?」

小次郎に聞かれてロマノフが答える。

「ドウヤラ、元白熊君ガ、熊五郎ヲ怒ラセタミタイデス」

「そっが。だったら最初から教えとけば良かったな」

「何を?」と、南大門が首を捻る。

「コイヅ、熊の癖に童謡が大好きなんだべ」

「ドウヨウって何ヨー?」と、アシムが口を挟む。

「パッカだネ〜 アシムは。ドキドキすることヨ」と、ハマド。

「違うでショ兄ちゃん。ウナギを食べる日のことダヨ」と、アシム。

土用の丑の日を知っていたことは褒められるが今はボケをかます場面ではない。

小次郎が熊五郎の尻を撫でながら目を細める。

「コイヅはな。昔っから童謡聞くと心が落ち着くんだ。特にぞうさんは大好きみてえだ」

(熊なのに……ぞうさん好きかよ)

しらっとした空気が流れた。

「だども。オラが歌わねえどダメなんだけんどもな」

小次郎の説明を聞いてパンダマンがあきれる。

「にしても本当に変な熊だな。小次郎じいさんの歌でなきゃダメだなんてさ」

まったくその通りだ。熊五郎の場合、どこにスイッチがあるか分からない。どこに地雷があるかも分からない。

しかし、一連の騒ぎを見てアツシだけは冷静に分析を続けていた。そしてある確信を持った。

「あったぞ……熊五郎の闘魂スイッチ……」

大晦日でもないのにアツシの心の中でベートーヴェンの第9が鳴り響いた。


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