第五話 デビューへの道のり
マックス徳山こと「徳山権一」は歌って踊れる人気格闘家である。
はじめはイケメン格闘家として売り出されていたのだがテレビのクイズ番組に出演した時の天然ボケぶりがウケて今ではモデル、俳優、歌手として大人気のタレントになっている。
「社長、マックスに連絡取れました」
ケンちゃんの報告を聞いて猪狩がニッと笑う。
「で、奴は何て? オファーは出したんだろ?」
「はっ、やはり難色を示しておりました」
「だろうな。だが奴は断れない」
「ですね」
そう言って猪狩とケンちゃんは顔を見合わせて女学生のようにくすっと笑いあった。
この2人には何か秘策があるらしい。そうでもなければ売れっ子タレントが熊と戦うなんてオファーを受けるはずがない。
猪狩とケンちゃんは勝手に計画を進める。
「しかし社長。問題は会場の確保ですね」
「できるだけデカイとこにしろよ。最低でも一万人は動員だ」
「ですが大きければその分使用料の前払いも高額になりますし、許可の問題が……」
「許可だと? なんだそりゃ?」
「熊五郎ですよ。熊は猛獣ですから。会場を借りるには色々と制約がありましてね」
「イザという時は俺がなんとかするさ」
そんな具合で猪狩とケンちゃんが社長室にこもってから2時間が経過した。この計画は社運を賭けた一大イベントだ。その分、打ち合わせも念入りにやっているのだろう。
その頃、台所では闘子とおむすび山が晩御飯の準備をしていた。
「闘子さん……おで……」
おむすび山がふいに話しかけてきたので闘子は包丁を止める。
「どうしたの? そんな顔して」
おむすび山がひき肉を混ぜ合わす手を止めてうなだれる。
「おで……怖い」
おむすび山にもプレッシャーが伝わっているのだろう。それだけ今回のイベントは大変なことなのだ。
「ま、なるようになるでしょ」
と、半分自分に言い聞かせる闘子におむすび山が不安そうな顔を見せる。
「おで、あたま悪いから……しごとなくなると困る。おにぎり食べれないの困る」
どんだけおにぎりが好きなんだと思いながら闘子が慰める。
「大丈夫だって。仮に今度のイベントがすべってもまたゼロからやり直せばいいじゃない。もともと小っちゃいんだし。すぐにやり直せるよ」
そう言ってはみたものの闘子だって不安で仕方ないのだ。おむすび山だけでなく、この団体が潰れたら選手は皆、路頭に迷うことになってしまう。
そんな事を想像したら不覚にもポロリと涙がこぼれた。
「ごめん。ちょっと鍋見てて」
闘子は慌てておむすび山に背を向けると台所の裏口から外へ出た。
後ろ手で扉を閉め、そのままもたれかかる。
悪いことはなるべく考えないようにする。空を見上げながら涙を乾かす。
「闘子……」
名前を呼ばれて我に返る。が、今はアツシにこんな顔を見せるわけにはいかない。
闘子は顔をそむけて素っ気なく返事をした。
「なに? 夕食はまだだよ」
「……分かるよ」
アツシの言葉に闘子がはっとする。
「アナタに何が……」と、反論しかけて失敗したと思った。これではもろに泣き顔を見られてしまうではないか。
「無謀だよな。失敗したらどうしてくれるんだ」
アツシの言葉に闘子は無言で頷いた。
いつもと違う様子の闘子に戸惑いながらアツシが続ける。
「けどよ。闘子のせいじゃないから。もし失敗しても、誰も闘子のこと恨んだりしないから」
闘子は上目遣いでアツシの顔を見た。何か言わなくてはと思うが言葉が浮かばない。
「悪ぃのは社長なんだからさ。そん時はそん時で皆で社長をボコボコにしてリセットしてさ。で、はいもう1回、ってトコかな」
「もう1回って……アナタも?」
「あったりめぇだろ! オレは何回でも立ち上がってみせるぜ!」
アツシが『やられキャラ』でなければその台詞にももっと重みがあったかもしれない。が、今は素直に闘子の心に響く。
「でも……アナタの実家が許さないんじゃない?」
「は? 親父やお袋は関係ねぇ。別にオレが会社継がなきゃなんねぇってことはないさ」
「一人っ子なんだからそうもいかないでしょ。だって昔から「帝王学」叩き込まれたって……」
「いいんだよ。帝王学だか低脳学だか知らんが、オレはここに居たいんだ。闘子と一緒に……」
闘子の気持ちが大きく揺らいだ。弱っている時にズルイと思う。
(こんな時にそんな事を言われたらもう……)
その時、やたらと表が騒がしいことに気付いた。
何だろうと思って闘子とアツシも表に回ってみる。すると道場の前に立派なベンツが停まっているのが目に入った。
ハマドが闘子の姿を見つけて報告する。
「と、トーコさん! 来たヨ。マックスが来たんだヨ〜」
「え? ゴン兄ちゃんが?」
マックスは真っ直ぐ社長室に向かったというので闘子も急いで後を追う。
2階に上がって突き当たりの部屋が社長室だ。
マックス自らが足を運んできたということは予想していた以上に計画は進行しているのだろう。
「し、師匠! そりゃないっすよ!」
部屋の外まで声が聞こえてきた。何やらもめているらしい。
ドアを開けようとして闘子は躊躇した。
「無理ですって! こっちだって忙しいんっすから」
それはテレビで見るマックス徳山の声だ。
闘子がノックをして部屋に入ると大男3人が応接セットで向かい合っていた。
「なんだ闘子か。茶など要らんぞ」
猪狩が闘子を見てあごをしゃくる。
それを聞いてマックスがすっくと立ち上がる。
「闘子ちゃん?」
マックスは闘子に歩み寄るといきなり闘子を抱き寄せた。
(あ!)と、思った瞬間、がっしりとした、それでいて優しい圧力に包まれる。決して嫌な感覚ではない。むしろ懐かしい……。
「ホントに大きくなったね。それにキレイになった」
上のほうからそんな言葉が降ってきた。闘子の顔は辛うじて胸板の高さにある。
(前はお腹のとこまでしか届かなかったのに……)
それだけ闘子の身長も伸びたということなのだ。
「いやあホントにキレイになったね。お母さんも綺麗だったけどそれ以上だ」
(お母さんよりキレイ? アタシが?)
マックスが自分の母親にほのかな恋心を抱いていたことを闘子は知っていた。あの頃の複雑な感情を思い出して闘子は胸が苦しくなってしまった。
(ゴン兄ちゃんはますます格好良くなったな)
マックスがこの道場で修業していた頃、闘子はその存在を遠く感じていた。それが今はどうだろう。売れっ子になってしまったマックスはさらに遠い存在になってしまったような気がした。
マックスの温もりに顔を埋めながら闘子は久しぶりの再会を噛み締めた。
が、そんな幸せな時間を猪狩のダミ声がぶち壊す。
「おい! いつまでくっついてんだ? 金とるぞ金。10分300円な」
(安っ!)と、思いながら闘子が猪狩を睨みつける。
そこでケンちゃんが事務的な口調でマックスに確認する。
「では明日までにそちらの予定を電話で知らせるように」
マックスは闘子から離れながら「分かりましたよ」と、面倒そうに答える。
猪狩は足を組み替えながらフンと笑う。
「しっかし随分、出世したもんだな。来月までスケジュールが一杯とはな」
マックスが不敵な笑みを浮かべて言葉を返す。
「おかげさまでね。これも師匠のご指導のナマモノですよ」
闘子が眉を潜める。
(ナマモノ? 賜物では?)
せっかくの胸キュンに水を差すこの天然ボケ。さすがマックスの語学力の程度はクイズ番組で立証済みだ。
「言っとくがギャラは安いぞ」と、猪狩が念を押すとマックスは涼しい顔で答える。
「もとから期待してませんよ。それより約束は守ってくださいよ」
闘子が不思議に思って「約束って何?」と、尋ねると猪狩とケンちゃんがニカッと笑って声を揃える。
「お・も・い・で・のアルバム」
「何それ?」と、闘子にはまるで意味が分からない。
「ちょ、ちょっと師匠! それとケンちゃんさんも! マジで止めてくださいよ〜」
マックスの狼狽ぶりを見る限り、その『思い出のアルバム』というのは甘いとか淡いとかとは正反対のものなのだろう。
「わかってるな徳山。本気でやらんとお仕置きするぞ。バナナで!」
猪狩の言葉にマックスが青ざめる。
「や、止めてくださいよ師匠! 思い出したくもない。それ、オレのドラマーなんすから!」
(ああ……『トラウマ』ね。やっぱゴン兄ちゃんてば変わってないのね)
猪狩はニヤリと笑う。
「言っとくけど熊五郎は強いぞ! ……たぶん」
「フッ。負けませんよ。相手が熊だろうとヤギだろうと。ま、せいぜいこちらも利用させてもらいますよ」
「セメント勝負(真剣勝負)だぞ?」
「望むところですよ!」
猪狩とマックスの視線がぶつかる。もう勝負は始まっているのだ。
しばらく睨み合ったところでマックスが時計を見る。
「さて。そろそろ行かなくちゃ。この後もTVの収録があるんで」
「そうか。せいぜい今のうちに働いとけ。それと試合の後の予定は全部キャンセルしておいた方がいいぞ」
「ご冗談を」
そう言って歩き出そうとしたマックスが闘子の顔を見て何かを思いつく。
「そうだ師匠。もうひとつ条件だしてもいいっすか?」
「なんだ? ギャラなら2万以上は出せんぞ」
「いや。ギャラなんてどうでもいいんすよ。ただ、もしオレがその熊太郎に勝ったら……」
(熊太郎じゃないんだけどなぁ)
そう思いながら闘子はマックスの顔を恐る恐る見る。
するとマックスは真剣な表情で信じられない言葉を口にした。
「もし、オレが熊ジローに勝ったら……闘子ちゃんを嫁にもらいます!」
それを聞いて闘子は絶句した。
(嫁……嫁? 嫁〜!)
その聞きなれない単語がグルグルと頭の中をまわる、まわる。
「いいだろう。好きにしろ」
猪狩は猪狩で簡単に言ってくれる。
(アタシが? ゴン兄ちゃんのお嫁さんに?)
その時、バターンとドアが開け放たれ、バタバタっと人が折り重なるのが目に入った。まるでブレーメンの音楽隊みたいだ。下から順番にアツシ、アシム、ハマド、パンダマン。どうやらこの連中、今の会話を盗み聞きしていたらしい。
マックスは闘子にウィンクを残して、ひょいと人間トーテムポールを避けるとさっさと部屋を後にした。
マックスが廊下に出ると他の選手たちに混じって熊五郎がぬうっと突っ立っている。
それを見てマックスがニヤリと笑う。
「やあ。キミが熊ザブロー君か。よろしくね」
そう言ってマックスはポケットから右手を抜いて握手を求めた。
が、熊五郎は「ガ?」と、首を捻る。そして、マックスの手を見て「ガ」と、右手を前に伸ばした。が、その手はしっかりとマックスの頭の上に……。ちょうど犬がお手をするような具合でマックスの頭に手を置いた熊五郎が「ガ」と、唸る。
さらに小次郎のいい加減な通訳が火に油を注ぐ。
「気をつけろ。毛根が悲鳴をあげている、と熊五郎は言っているだ」
なんだか馬鹿にされたようでマックスは怒りを押し殺す。
「ま、負けないからな。熊シロー君。覚えておきたまえ!」
そう言ってマックスは熊五郎の手を払いのけると苦虫を噛み潰したような顔つきで階段を降りていった。
マックス徳山と熊五郎。
ここに新たな因縁が芽生える。決戦の時は近い……。