第三話 恋と闘魂
副社長のケンちゃんは「なんでも屋」だ。
会場の設営、資材を運ぶトラックの運転手、広報、マッチメイク、そして実況中継まで、裏方の仕事をなんでもこなすマルチな人だ。
特に試合の実況中継はとても大切だ。これがあるのと無いのでは雲泥の差がある。試しにテレビのスポーツ中継を音声無しで観てみるといい。実況中継とは、単に試合内容を伝えるだけでなく、選手の紹介をしたり試合を盛り上げたりする為の重要なスパイスなのだ。
そのケンちゃんが今、第3試合の見所を観客に解説している。
〔さぁ注目の第3試合は、あの男の登場です! 姉さん母さんおばあちゃん。女性の皆さん。大変お待たせしました! いよいよあのイケメン選手の登場ですっ!〕
そこで会場が暗くなる。すかさず入場曲、ビバルディの「四季」が鳴り響く。スポット・ライトが赤コーナーの花道を照らしだす。アツシの出番だ。
〔さあ観客の皆さんご注目! 我が新日本が誇るナンバーワンのイケメン選手!「ハンサム王子」の入場ですっ!〕
ケンちゃんの言葉を合図にアツシが元気よく花道に飛び出す。
が、いかんせん入場曲がクラッシックなのでミスマッチ感は拭えない。さらに観客の笑いを誘うのがその衣装だ。ピンクのパンツにピンクのシューズ。赤いマントに手作り感まるだしの王冠。おまけに口には赤い薔薇を一本くわえている。なんともチープな王子さまだ。
(演出だからしょうがないけど……なんだかなぁ)
アツシの入場シーンを見るたびに闘子は思う。もしかしたら、このビジュアルのせいなのかもしれない。闘子がアツシの求愛を受け入れることができない原因は……。
闘子がそんなことを考えているとはつゆ知らず、最近のアツシは結構そのキャラを楽しんでいるようにも見える。
〔続いて対戦相手の入場です。ハンサム王子に対するは「狂犬? 犬マスク」だぁ〜!〕
なぜ「狂犬」の後に「?」がつくのかは謎だが、一日に3部程度しか売れないパンフレットにもしっかりそう書かれている。そこは選手の数が足りないこの団体ならではの事情がある。実はこの犬マスク、パンダマンのひとり二役なのだ。お尻に着いた尻尾がまったく同じなのでバレバレなのだが、その辺りはケンちゃんの中継でもしっかりネタとして織り込まれている。
〔おおっと、この犬マスク。どっかで見たことあるような……〕と、突っ込まれてリング上の犬マスクが慌てて顔を隠す。
そこですかさずケンちゃんが追い討ち。
〔あれあれ? あの尻尾? なんだぁー? パンダマンの尻尾と同じなのか?〕
するとパンダマンがさらにアタフタと慌てふためく。つまり頭かくして尻隠さず。ケンちゃんがリング上の選手をイジるのは「お約束」である。
〔まさに頭隠して尻尾隠さず! お前は犬なのか? パンダなのか? 究極の優柔不断男め〜!〕
優柔不断な男は女の子に嫌われるが、さすがにこの二択は有り得ないだろう。
〔それでは試合開始ですっ!〕
カーン! と、ゴングを鳴らすのもケンちゃんの役割だ。
茶目っ気たっぷりのキャラが、ほどほどにコミカルに、ごくまれに真剣勝負、というのが新日本グレートプロレスの「売り」だ。そんな中でも入門半年のアツシなどはまだまだ新米で「やられ役」しかやらせてもらえない。そういうわけで今夜の試合も見せ場は作るが最終的には「半ケツ」をさらして犬マスクに完敗するというのがアツシの役割だった。
アツシの唯一の見せ場はコーナーポストの上からジャンプして頭突きを決めるところだ。
〔おおっと! ここでハンサム王子がポストに登って……飛んだぁ〜! 必殺ハンサム・フラッシュ・ヘッドバットだぁ!〕
一応、派手なピンク色をまとった人間が長距離を飛んで頭から敵に突撃するサマはインパクトがある。が、見せ場はこれだけ。その後、調子をこいたハンサム王子が二発目を狙う為にもう一度ポストに登ろうとしたところに……。
〔お? もう一発狙うのか? ここでハンサム王子がスルスルとポストに登っ……ああっと! 犬マスクがそれを許さないっ!〕
犬マスクが王子のパンツに噛み付いてそれを阻止する。
哀れパンツを引っ張られた王子は半ケツをさらして転落。
そして最後に犬マスクの大技「ワンワン・パラダイス」が決まってフィニッシュ!
* * *
試合終了後、アツシは控え室でアゴを冷やしていた。
「おお……まだ痛ぇや」
そこへ闘子が様子を見に来る。
「ね、大丈夫?」
「ああ。パンダ先輩のドロップキック……まともに受けちまった」
「首を振るタイミングが遅いんだよ。あれじゃ直撃じゃない」
「分かってるけど……まだまだかな〜」
そう言ってアツシが首を振る。
闘子のアドバイスは続く。
「それと最後の受身ね。ブレンバスターは足で衝撃を受けないと腰にくるよ。ちゃんと膝曲げてる?」
「うーん。忘れてたかも……」
「ダメね。それじゃ幾つ身体があっても足りないよ!」
闘子はそう言って笑いながらアツシの肩をバンと叩く。
「い、痛てぇってば! 強いよ闘子は!」
アツシは軽く睨む真似をする。が、すぐに笑顔になって続ける。
「なあ闘子。オレ、ちょっとは逞しくなったっしょ?」
アツシが見つめてくるものだから闘子は少しドギマギした。
「ま、まあまあね。うん。前よか筋肉はついてきてると思うよ」
「けど、闘子にはまだ敵わないんだろうな。けどさ。俺、いつか必ずもっと強くなってお前を……」
(やっぱりそう来たか)
アツシがこんな風に話しかけてくる時は大抵……。
闘子はちょっと引きつった笑顔で逃げる。
「あ、試合終わりそう。持ち場に戻らなきゃ」
それを見てアツシは不満そうな顔をする。
「チェッ! またそれかよ」
「さ、お仕事お仕事」
闘子は複雑な心中を悟られないようアツシに背を向けて出て行った。
控え室に残されたアツシもそろそろ次の仕事に取り掛からなければならない。この小さな団体では選手といえども試合後の一休みを除いては裏方の仕事をこなさなくてはならないのだ。
アツシが闘子の後姿を見送ってぼんやりしていると、ふいに背後で「ガガッ」と、熊五郎が笑ったような気がした。
「熊五郎……おまえ、今笑ったな?」
アツシが熊五郎に言いがかりをつける。
「ガ?」
きょとんとした熊五郎の顔を見ているとなんだか気が抜ける。
「まさか、おまえも闘子を狙ってるんじゃないだろうな?」
「ガ?」
「こいつめ! 闘子はおれのもんだぞ」
そう言ってアツシがふざけて熊五郎にハンサム・フラッシュ・ヘッドバットを仕掛ける。が、熊五郎はまるでハエ叩きでハエを叩き落とすようにそれを片手で叩き落としてしまった。
* * *
最後の試合も無事に終了して会場はフィナーレを迎えようとしていた。
リング上ではグレート猪狩がマイクを持って観客に呼びかけている。
「今日は来場ありがとぉー! 差し入れも沢山ありがとぉー! いや〜食料は助かる。ホント助かる。また必ずこの町に来るから! そん時はまた来てくれぇー!」
今でこそ落ちぶれたものの猪狩には未だに熱心なファンが多くついている。今では信じられないことだが二十年前にはテレビのゴールデンタイムにプロレスが放送されていたのだ。それが人気低迷と共に深夜枠に追いやられ、ついには放送すら無くなってしまった。しかし、古き良き時代に一世を風靡したグレート猪狩といえば、オールドファンにとっては今でもカリスマなのだ。
「それじゃ皆さん! いつものアレ、行くぞぉー!」
猪狩の掛け声で観客が一斉に立ち上がる。今日は300人ぐらい客が入っているので皆が一斉に立ち上がるとそれなりに盛り上がる。
それを見て猪狩が満足そうに頷き、雄たけびをあげる。
「それじゃせーの! いーち……にーい……さーん……サァッー!」
猪狩と一緒に拳を突き上げていた観客から温かい拍手が沸き起こった。所々から「いかりー!」というダミ声も聞こえる。
闘子はこのシーンを見るが一番好きだった。規模は小さいながらもこの一体感を演出できるのはさすがだと思う。そういうわけでこれが父を尊敬できる唯一の瞬間なのだ。これがなければとっくに親子の縁を切っている。何しろ出生届の名前欄に「闘魂」と本気で書いたぐらいのバカ者なのだ。5年前に亡くなった母がその時、機転を利かしてくれていなかったら今頃、闘子の名前はとんでもないことになっていたのだ。名前が「闘魂」なんて、いちいち女である事を説明しなくてはならないではないか。
会場が暗くなり流れるはホタルの光。観客を見送る段階になって闘子はやっと一息つくことができる。
(……ふぅ。とにかく今日も無事に終わったなぁ)
今日は結構客が入ったし、来月からは書き入れ時の秋祭りが沢山入る。そんな具合で何とか細々とやっていける、とこの時の闘子は思っていた。まさかこの後、バカ親父のせいでこの団体が窮地に陥るなどとは考えてもいなかったのだ……