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第二話 闘え! 熊五郎

 経営者にとって給料日ほど憂鬱な日は無い。とりわけ経営が厳しい会社の経営者ならみんなそう思うだろう。

 そういうわけで給料日の闘子はいつもとキャラが違う。というよりキャラを変えないと精神的にやってられないのだ。

 試合後のミーティングで闘子が給料タイムを高らかに宣言する。

「ではでは今月の給料を配りまーす!」

 カラ元気というよりヤケクソに近いノリで気まずい時間を乗り切ろうという作戦だ。

 普通なら貰う側のテンションは上がるはずなのだが、今月の興行成績が厳しいことは皆知っているので大した反応はない。

「はい。じゃあ、キラー・ロマノフ選手からどうぞ〜」

 闘子に名前を呼ばれて『ロマノフ』が給与袋を受け取りに前へ出る。

 ロマノフが一礼してそれを受け取ろうとすると闘子の手元で給与袋もペコリとお辞儀を返す。

 次に大道芸が得意技の『南大門』が呼ばれて給与袋を受け取ろうとする。するとやっぱり袋がペコンと中折れする。それだけ中味が薄いのだ。

(こんな安月給で……みんなゴメンね)

 そんな時に闘子の胸は強く痛む。いくら住む処と食事が保障されているとはいえ、収入の少ない月の給与は悲惨の一言に尽きる。それでも辞めないで猪狩についてくるのには他に何かがあるのだろう。

 しーんと静まり返った控え室に副社長の声が響いた。

「よっしゃ! 来月は稼ぐぞ!」

 副社長の『ケンちゃん』は小学生の頃からの猪狩信者だという。この会社にとって本当にありがたい存在だ。

「皆頼むよ。来月再来月は秋祭りが目白押しだからね。ここでしっかり稼いでおこう!」

 ケンちゃんのフォローのおかげで選手達がようやく顔をあげた。やはり明るい未来を提示しなければ元気など出てこないのだ。

「ガッ!」

 そこで熊五郎が突然吠えた。

 皆が驚いて振り返る。

 すかさず熊五郎の隣に立っていた小次郎が通訳をする。

「諦めるな。お前たちは決して負け組みではない、と熊五郎は言ってるだ」

(絶対言ってねぇ〜!)

 いつものハッタリ通訳に一同は苦笑いを浮かべる。やがて苦笑いは笑顔に変わり、いつの間にか明るいムードが復活していた。

「熊ゴローは面白いネ〜」と、アシムが熊五郎を指差して笑う。

「でも、チョットけもの臭いけどネ〜」と、ハマドが鼻をスンスンいわせる。

「違うヨ兄ちゃん! それはボクのシューズの匂いだヨ〜」

そう言ってアシムが脱ぎたてのシューズをハマドの鼻先に近づける。

そこでハマドが大げさに鼻をおさえて「臭っ!」と、転げ回るので笑いの渦がますます大きくなる。

 そんな光景を見て闘子の憂鬱も少し晴れた。

(良かった……)

 小さいけれどアット・ホームなところ、それがこの団体の良いところだ。


  *  *  *


 リングの後片付けを終えたハマドとアシムが野外のベンチで一息ついているところに闘子が差し入れを持ってやって来た。

「はい。お疲れさまっ」

「お〜 トーコさん。ありがとネ〜」と、ハマドが嬉しそうにジュースを受け取る。

「どーしたのヨ? 今日のトーコさん、メッチャ、サービス良いデスネ〜」と、アシムが驚く。

「いいのよ。さっきは助かっちゃったから。アタシのおごりよ」

「ナンダカ良く分からないケド、いっただきマ〜ス」と、ハマド。

「儲かったネ、兄ちゃん」と、アシムも満面の笑み。

 闘子は先程の給料タイムを明るい雰囲気にしてくれた2人に感謝の意を示したつもりだった。が、天然ボケ兄弟はよく意味が分かっていないらしい。

 グビグビと喉を潤す2人の横顔を見ながら闘子が尋ねる。

「ね。前から聞きたかったんだけどさ。アシムとハマドは国には帰らないの? 何でお父さんについてきてくれるの?」

 闘子の質問にハマド兄弟は顔を見合わせた。そして珍しく神妙な口ぶりでアシムがぽつりと口を開いた。

「尊敬シテルからヨ」

「え? それだけ?」

 意外そうな顔をする闘子の顔を見てハマドが説明する。

「子どもの時見たシャチョさんは超カッコ良かったヨ」

 ハマドの説明では20年ほど前に猪狩がパキスタンで異種格闘技戦に挑戦した時にハマド兄弟は試合を生で観ていたらしい。その時に猪狩にあこがれたというのだ。

「でも『ハサン』とかっていう地元の英雄をボコボコにしちゃったんでしょ?」

「イイノ、イイノ。ボクたち兄弟は知ってた。ハサンは悪い奴。とんでもないゲソ野郎ヨ!」「パカだなアシムは。ゲソ野郎じゃないヨ。それをいうならゲリ野郎ヨ!」

「それ、あなた達のネタ?」

 この兄弟の場合どこまでがネタでどこまでが天然なのか時々分からなくなることがある。もっともそれが試合でもウケている理由でもあるのだが。

「トニカク、僕タチ兄弟はシャチョさんが好きネ〜」

 そう口を揃える2人の表情を見ているとその言葉には嘘は無いように思えた。


  *  *  *


 熊五郎が道場に来てから一週間が経った。

「そろそろ人にも慣れてきただろう」

 ということで、いよいよプロレス技を仕込むことになった。

 リングの横では二本足で立った熊五郎がボケ〜っと練習風景を眺めている。

 それを見ながら猪狩とケンちゃんが今後の方針について話し合っている。

「しかし社長。大丈夫ですかね?」と、ケンちゃんが心配そうに熊五郎を見る。

「何がだ? 体力は申し分ないだろ」

「いえ、体力はともかく技を使うには手が短いような気が……」

 ケンちゃんが心配するのは熊五郎の腕の短さだった。しかし、猪狩は意に介さない。

「強ければ問題ないだろ」

「やはりプロレス技で人間と組み合うのは難しいですね」

「やってみなきゃ分からんだろ。よし! スパーリングの準備だ」

「え? いきなりですか!」

「実戦で鍛える! それがグレート流だ」

「し、しかし誰が相手を?」

「任せる」

「はあ……」

 社長命令では仕方が無い。そこでケンちゃんはレスラー達を集めて熊五郎の対戦相手を募集した。

「誰か立候補する者は?」

 しかし誰一人手を挙げる者は居ない。それどころか「よっしゃ。いくぞ!」と誰かの掛け声でジャンケンを始める始末だ。

 その結果『おむすび山』が、めでたく熊五郎のパートナーに任命された。

 おむすび山はつぶらな瞳をウルウルさせて訴える。

「お、おで……まだ死にだぐねぇ」

 そこでケンちゃんがおむすび山の坊主頭をポンポン叩いて勇気付ける。

「大丈夫だ。お前の石頭なら」

 ケンちゃんの言うように、おむすび山の最大の武器はその石頭だ。おむすび山は相撲の経験者ではあるが彼の石頭には定評があった。何しろぶつかり稽古で横綱の前歯を折ったぐらいである。

 まず、おむすび山が先にリングに上がり、続いて熊五郎がリングに上がる。

 猪狩は腕組みしながら余裕のポーズでそれを見守っている。

 皆が注目する中、いよいよ熊五郎の実力が試されるのだ。 

 カーン! とゴングが鳴らされた。

 おむすび山は怯えた様子でリングの端っこでモジモジしている。まるでトイレを我慢している幼児のようだ。とても自分から仕掛ける感じではない。

 リングサイドに陣取った他の選手達は無責任にも「行けよ! オラ!」と、おむすび山をけしかける。

「社長! すっげえ威圧感っすよ!」と、パンダマンが猪狩に逐一報告する。

「フフ、熊だからな」と、猪狩は得意顔。

「社長! パンチが効きません!」

「フフン。熊だからな」

「社長! 関節技がまったく効きません!」

「フッ、なにせ熊だからな」

 猪狩は満足げにパンダマンの報告に答える。ところが……。

「社長! おむすび山の頭を齧ってます!」

「く、熊だからな」

「社長! 重すぎてリングの床が抜けました!」

「く、熊……だからな」

「社長! ポストにマーキングしてます!」

「く、熊だから? な……」

 段々と猪狩の顔が引きつってくる。これではまるで試合にならない。

「ええい! 俺がやるっ!」

 ついに猪狩がしびれを切らせてリングに駆け上がった。

「いいか! 俺が闘魂を見せてやるっ。来い! 熊五郎!」

 猪狩はファイティング・ポーズを取った。相手が誰であろうと全力で闘う。それが猪狩のポリシーだ。

 しかし猪狩のやる気は完全に空回りだった。なぜなら肝心の熊五郎が猪狩に興味を示さないのだ。

 まったく戦う気が無い熊五郎は、リングのポスト(支柱)にお尻をこすりつけて熱心にマーキングしている。

 さすがの猪狩もそれを見て呆れ返った。

「ダメだこりゃ……」

 いくら強くても戦う意志が無ければ試合にはならない。熊五郎の場合、あまりに人間に近いせいか野生の闘争本能が少なすぎるのかもしれない。

 なかなか上手くはいかないものだ……。


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