第75部 大地さん……澄みません……
1970年10月14日
*)飛び下り自殺……美歩……
美歩さんは入部してからこの一週間もの間学校を休んでいた。どうも無断欠席らしくて校内では「家出」とも噂されだした今日この頃だ。いつものように私はお父さんと大地と一緒に登校していた。
私は遠目で何気なく校舎に眼をやった。道路で車が左折したから見えただけというのが正解かな。大地の右手が煩わしいので怒った振りだったのだけれどもね。これはいつものスキンシップなのだよ?
お父さんからはルームミラーでも見えない……下の方で。
「お、お~父さん急いで、校舎の屋上に誰か立っているわ、自殺かもしれないよ~お父さん。」
「おいおいウソだろう、」
「亜衣音、間違いないか。俺には良く見えないぞ。」
「お父さんは校庭の花壇の横に着けて、大地は私と一緒に来て。」
「おう、分った。」
「お父さんは屋上に行って説得してちょうだい。」
「亜衣音はもしかして、下で受け止めるのかよ。」
「うん、今の私ならば巫女の風魔法で受けきれるよ~あ~あれは間違い無く美歩だよお父さん。」
「制服を着ていないな、やはり家出だったか。」
「お父さん、事件になる前に早く収めようよ。」
まだ登校してくる生徒は少ないので車は校庭でも徐行せずに走っていく。車が止まる前に私はドアを開いて、
「おい、待て!」
「大地、行くよ。エアー・ドライヴ!」
「バカ亜衣音、もう~車の中がめちゃくちゃじゃないかよ。」
「大地くん、いつもすまないね。」
「いいですよ、これ位。」
「? で、大地くんの右手にはハンカチだよね、まさかだよね。」
「え? チーン……違いますよお義父さん。」
「だよね~……。」
私は地面を蹴って飛んで行った。ほんの一瞬の出来事だから車の陰だし誰にも見られてはいないと思う、美歩以外にはね。
「美歩さん~どうしたの~早く下りてお出でよ。」
「おい亜衣音、おちょくっているのかよ。本当に降りて来たらどうする。」
「風で飛ばして樹木の上に落とす、それから大地が受け止めるのよ。いいでしょう……ね?」
「そんなに上手くいくか、アホ! バカ! マ・抜け!」
「いいわよ、だったら大地を三階の屋上に飛ばすよ。その前に早く右手のモノを私に返しなさいよ。風で風邪引きそうよ……。」
「あ、これ、これねって、お前、ちゃんと履いているだろうが。」
「ううん、ノー**だよ。」
「美歩~どうしたのよ。今、一番優しい教頭先生が行きますからね。」
「いや来ないで。もう少ししたらあの人が来るのよ。私、あの人の前で死ぬの。死なせて頂戴。」
「誰よ、誰を待っているのかしら。ねぇ~美歩ちゃん。」
「大地、騒ぎが大きくなる前に美歩を落とすから手伝って、」
「おいどうすんだよ。屋上で俺に突き落とせとか言わないよね。」
「さぁどうかしらね。大地、走って!」
「おう、任せろ、抱きついてもいいんだな。」
「いいよ、でもパ**はダメだからね。」
「そうか、胸ならばいいのか!」
この一言が私に聞こえていたのならば大地を痛い目に遭わせたのかな。お父さんはもう屋上に着いたよね。
「あ、お義父さん。左に回って美歩さんの注意を引いて下さい。俺は右から飛び掛って屋上に引き戻しますから。」
「やってみる。下は亜衣音で大丈夫よな。」
「それりよもこの自殺劇を茶化すには、これ以上生徒が増えたら堪らんです。」
「堪らんです?……直ぐ行く!」
お父さんは美歩の名前を呼びながら近づいて行った。だって、美歩が恨みを晴らしたい奴はまだ来ていないのだから飛び下りないよね。
「亜衣音、相分かった。……美歩さん、美歩さんはどうしてそこに居るのかな。おじさんに教えてくれるかな。」
「おじさんは嫌いよ、来ないで。」
「俺はおじさんじゃなくて教頭先生だったか。もう自殺は諦めて家に帰ろうか。ここは文化祭の予行練習と言う事で校長や先生方を収めさせるからさ、な?」
「いいわ、先生の言う事を聞きますから絶対に来ないで下さい。自分で下りますから大丈夫です。」
「そう、それは良か……? 違うだろ……あ、美歩さ~ん。大地くん、」
「が~間に合わない……亜衣音~~!!」
「キャ~・・・・、」
「エアー・ドライヴ!……エアー・スプラッシュ!…… ? エアー・ドライヴ! バカ大地まで落ちてどうするのよ。」
「え? あ、亜衣音さん、どうして私は浮いていますの。一体なんなの?……。」
「美歩……もう大丈夫よ。落ち着いてね。もう地面よ、怖かったよね、美歩。」
「亜衣音さ~ん、わ~~ん~……!!」
「うん、もう大丈夫だからさ、うんうん。……大地、保健室へ急いで!」
「あぁ任せろ。う~美歩、重いぜ。」
「わ~~ん~・・・!! 重くないもん、わ~~ん~・・・、」
「亜衣音、美歩さんは無事か。」
「うん怪我もないよ。それよりもギャラリーの鎮圧をお願い。」
「分かった、見た者全員を記憶喪失にしてやる。」
「アハハハ……お父さんには出来ないよね。」
「大地さん……、」
「おい、亜衣音。……こいつ、」
「わ! 大地に抱きついているの……!」
私には不吉な予感が頭を巡りだした。美歩が言うあの人とは大地の事なのだろうか、と。だとしたらどうしてあの人の前で死ぬと言ったのかな。
「亜衣音。この女だがよ、俺が先に事情を訊いてもいいか。」
「私が居たら邪魔なのかな、うん、いいよ。大地を信じる。」
「すまないな亜衣音。ドア番を頼んだぜ。」
「う……ん。」
二人で閉じこもった保健室、十五分は過ぎたかな。先生たちが来たけれども丁寧にお帰りして頂いた。
「私の父から説明があるまで待っていて下さい、ただの痴話喧嘩ですから大丈夫ですよ。」
あは~私、なに言ってんだろうね。いやよ、絶対に認めないからね。でも美歩は『あの人の前で死ぬから』と言ったわ。大地が飛びかかる前よね、だったらあの人とは大地なの?
直ぐにお父さんが来たから現状の報告を話した。
「そうか、痴話喧嘩か。」
「違う、違うからね。でも大地が俺を信じろ、と言うから出てくるまで待つのです。」
「そうか立花はどうしたんだろうね。この前はいきなりの入部だろう?」
「そうなの。その日は楽しそうにクロを走らせていたのよ、だから私にも判らないよ。」
暫くしてから大地が出てきて、
「お義父さん。……亜衣音も入れ。」
「うん、お父さん、行こう。」
「あぁ、」
「美歩。落ち着いたかな。……?」
「おい立花、どうしたんだ。」
「はい文化祭の出し物の練習でした、どうも申し訳ございません。」
「あ、いや、それで、俺もこの騒ぎを収める積もりだったが誰も納得はしないだろう。」
「えぇそうですね。『手すりを滑らせた、』とでも言います。演劇で怖い思いの感情を知りたかっただけですから。先生方には自分で報告いたします。だって大きい馬に乗っても少しも怖くはありませんでしたし。」
「うぐぅ~私が悪いのかしら。」
「足が縺れて落ちたのです。」
「お義父さん、それでお願いします。後は僕たちで何とか致しますから。」
「そうか、そうしようか。」
「お父さん。私と大地の二人は一限目をサボりますので、先生によろしく!」
「おうそうかい、親を顎でコキ使うのか、今晩はミッチリお仕置きだ。」
「う~……はい。お手柔らかにお願いします。」x2
お父さんは保健室から出て行った。
「貴方たち、教頭先生がお父さんなのですか?」
「はい、クラスしか知りません。というか、全校で知れているはずですが。だって毎日一緒になって登校していますよ。」
「え? そうでしたか。少しも知りませんでした。」
「美歩、どうしてなの?……大地を好きになったのかな。」
「おい、亜衣音。な、なんという、そんな事は、断じて無いぞ!」
「いいのよ大地。」
「プッ……可笑しい。貴方たちは義兄弟なのかしら。」
「いいえ大地はお父さんの養子で私たちは兄妹になっていますが、実は親公認の夫婦です。これは馬術部だけの秘密です、お願いだから内密にね。」
「え、いや、そんな、違うよね、十六歳だよね……。」
「う~ん、大地。さっきまで何を話していたのよね。(十七歳だよ!)」
「いや、それが……なにもだよ。」
「ごめんなさい。私が大地さんに抱きついて泣いていました。でも、大地さんは何も言わないのなら良かったのですが、文化祭の出し物の恐怖の体験とかと言うばかりで、私の涙が乾いてしまって、その、亜衣音さんごめんなさい。」
「その気も失せました!!」
「え……?」
「亜衣音さん、大地くんを私に下さい。」
「え~~!! 俺はイヤだよ。」
「いいのよ大地。これからは女の戦いよ、戦争よ!」
「(クスッ)……うん、私は負けるのはイヤだけれども、亜衣音ちゃんには勝てないわね。片思いだけで済ませます。」
「そう、良かった!」
「亜衣音ちゃん……ごめんなさい。」
「え!」
「大地さん、私の心は乱れております。澄みません……、」
「う……、ヤ、やめて~大地の……バカ~!」
日本語の「済みません」とは本来は「澄みません」と書くと考える。インドの仏教の語源からの派生だろう。=ナマステ です。判りやすく書けば「私の心は、貴方様のご好意により、心がこんなに揺れ動いております。心がかき乱されて、未だに心が澄みません。」
心がかき乱されて、湖の水面のように波紋が大きくて揺れ動いています。波が収まらない、心が澄まない、という意味なのです。
この意味が大地に重くのし掛かる。




