第63部 大地……お母さんと妹を守って
1970年6月15日
*)輸血のゆくえ……と、二人の妹の名前……
私は分娩室から個室へ移されてベッドに横たわり分娩室の事を思い出していて、大地は何も言わずに付いていてくれる。「お母さんよく頑張ったね、それと妹たちをありがとう。」と言ったのを思い出した。お母さんは大丈夫かな、妹たちは泣いているかな、何も起きないよねと、思いは逡巡するばかりだった。
明日も採血があるからと夕食はしっかりと大地から押し込まれながら食べたよ。
今日は赤ちゃんを見られて嬉しいと考えていたが、母の理不尽な帝王切開の痛みを思い出して瞳が光りだしたのだ。暫くはモゾモゾと大地がしていたらそれから出て行ったのだ。
この夜大地が逃げ出した。私の瞳が真っ赤に光ったからだ。勿論、私には自覚はないから大地はちょっと位の散歩かな、と思った私が悪い。
「あ、あ~亜衣音さん、俺、ちょっと出かけるからよろしく!」
と言う大地の声を聞いたのが最後で、朝になっても戻ってはいない。
……大地のバカ!
大地が居ないから独りで悶々として考える事はお母さんの事だけ。少しは産まれた双子のことで次はお父さん。今頃は~お母さんと~チューしているかな? あ、大地は蚊帳の外、病院裏のドブに捨てたわ!
私は先生の一言を信じたい。
「お嬢さん、お母さまは大丈夫ですからね、安心してお休み下さい。」
私は夜明け前に眠りに就けた。
牧場には父が簡単に経過を報告していたし、医者が心配する事はありませんからという旨を伝えたのだ。だから麻美お母さんと明さんには半日程の遅れで翌朝になって母さんを見舞いに来て頂いた。
だが集中治療室だから面会は出来ない。勿論、産まれた双子もお母さんから少し離れたベッドで小さな寝息をたてていた。
「どうして沙霧は集中治療室なのですか!」
「いや、どうしてと言われても……、」
白鳥夫妻は廊下のガラス越しにお母さんと赤ちゃんを見ながら、父から少しだけの説明を受けたら麻美お母さんはその場で泣き崩れてしまった。父の説明が余りにも衝撃過ぎた為だとは思いたくない、ただ単に下手過ぎたのだろう。母子の現状を説明せざるを得ないお父さんだったのだ。
「それで亜衣音は、」
「無事ですよ。」
「そりゃ判っている、でも……、」
「はい、もの凄く落ち込んでいます。もう私には手を付けられない程に泣いていました。」
それから私の事を思い出したらしいのだよ……私は序でなのかな。
「亜衣音さん、あんたも……ま~とても苦しんだよね。元お母さんとしても、何と言ったらいいのか……う~……、」
「麻美お母さんどうか泣かないで下さい。お母さんには私の血を輸血致しました、少し輸血が多かったようでまだ私も足腰が立たなくて、ですね。」
「亜衣音さん、ならば沙霧は大丈夫よね、間違いないよね!」
「ハイ!」
私はできるだけ明るく返事して百五十%のスマイルを披露したけれどもね、零れる涙が私のスマイルを百二十%も流してくれたのには怒りたい気分だ。
私は「少し輸血が多かったようでまだ私も足腰が立たなくて」と言ってハタと疑問が浮かんだが、それは採血が二百ccと聞かされていたのは聞き間違いかな? と考えた。麻美お母さんとの会話中だったから思ったのもそこまでだった。
「そう……でしたか。では亜衣音さん、この燻製を食べて血を増やして下さい。早く治ってね!」
私は「バコ~ン!」と麻美お母さんを叩きたかったが我慢、ガマン。ここは笑顔で返す。
「ハイ! 喜んで頂きます!(大地が!)」
「私、売店へ行って来ます。」
と、麻美さんは病室から出て行く。二人の朝食用のパンを買いに行ったのかな。それから暫くしてから私の病室へと戻られた、今度は明さんも一緒にだよ。明さんはきっとカムイコロさんを見舞ってあったのだと思う。
「熊を見舞いに行ってくる。」
「カムイコロさんの病室は……。」
やはり先に明さんが見舞ってあって、これから行く麻美お母さんへ病室の説明をされてある。話半分に聞いたであろう麻美お母さん、ちゃんと病室に行けるのかな~。
麻美お母さんと明さんが一緒では無かった理由は、お母さんが私に会えば間違い無く泣くからだと明さんが考えたみたいだった。私は心でありがとうございますと思うしか無かった。
ここで明さんがお父さんの口に上がらなかった事を私に尋ねてきたんだよ、私だってどう答えたらいいのか迷いながら答えたが、お父さん責任はお願いします。
一時期私は白鳥夫妻が養父母だったから、本来はお父さん・お母さんと呼ばなくてはいけなかった。麻美お母さんとは呼んでいるのだがでも、お父さんとは呼べずに……その恥ずかしくて大きくなってからは明さんと呼んでいます、はい。
「それで桜子さんには今回の顛末は連絡しているんだよな。」
「明さん……それがまだです。『見つかったよ』と言う報告でもいいのでしょうが、それだけでは済みませんしね。必ず『直ぐにに来るよ』と言うに決まっています。これをどう躱すのかが問題です。」
「ですよね~桜子さんは『マシンガン』という異名の持ち主。何にでも自慢の武器でぶっ放しますので、想像しただけで今からでも汗が噴き出しそうです。」
アハハ……と笑う私。お父さんが居ないので尋ねて薮を突いて返された。
「そうですよね。あ、お父さんはどうしていますか?」
「集中治療室の廊下で別れたままですね。あ、大地くんはどうしました?」
「あ、いえ、う~逃げて行きました。」
「お~そうでしたか、うんうん、なかなか、うんそうでしたか。」
「か~変な明さん。……大地はドブに捨てて来ました。」
明さんが大地の事情を知っていただなんて思いもしていなくて、明さんが可笑しな事を言ってるな~で終わらせてしまった。
「それで穣さんの説明だが事実なのだよね。」
「えぇ驚かれましたよね、父さんは口下手ですので変な事を言いました、ご心配をお掛けしましてすみません。」
「あ、いやいいよ。早く東京へ転院させたいよね。」
「そうですね、お母さんの傷は直ぐに治りますが、その、目覚めるかどうかで決まるかもしれません。ですが産まれた二人の育児がありますので、私も早期に退院を考えています。」
「おやおやまるで、お母さんのようですね~、」
「あ、アハハ……そうですね。私……何を言っているんだろう、恥ずかしいです。」
ずっと明さんとお話をしていたんだよね。ドアがノックされて看護婦さんが私の朝食を運んでくれた。また同時に麻美お母さんもお弁当の四個を買って来ていた、少し多くはありませんか?
「え~私にはこんな豪華な朝食が有りますから、さすがにお弁当までは……。」
「なに言ってんだい、これは私が食べるのよ。何なら交換するかい?」
「そうして下さい。見ただけで分る鳥、ブタ、牛のレバーのオンパレードですよね、喉に詰まりそうです。」
「いや、これを食べたら私も血を抜かれるよ、勘弁ですわ。」
「アハハ……これを食べて私が輸血に備えます。」
「もう朝飯か。」
「うん、お父さん何してたの?」
「実は亜衣音に頼みたいのだが、また沙霧に輸血をお願い出来ないか。昨日は恐らくギリギリの採血をされていたと思うが亜衣音は出来るか。」
「お父さん。先生からなんて言われたの……それでどんな説明があったの?」
「ただ血圧が上がらない、と。それだけだ。」
「うん分った、これ食べて輸血に備える。」
「穣さん、私も元は巫女だよ、私の血を使っておくれよ。」
「あ、ありがとうございます。ですが麻美さんの血はもう巫女の力は残っていませんでしょうね、今の巫女は亜衣音だけだと思います。」
「あ、えぇ、そうでしょうね、力になれずにすみません。」
「それで処置はいつからなの?」
「昼からだよ。『亜衣音さんは朝の血圧は低いままだろうと』言ってあったな。」
「そっか、お昼までにうんと食べて血を造るかな。」
みんなして食事を頂くも大地が居ないのでお弁当が一つ残っている。それから麻美さんは、
「ヒグマの観察へ行って来ます。」
と明さんとお父さんを引き連れて行く。二人を引き連れて行く真意は分らないのだが、まさかカムイコロさんの血を抜くとか言いそうで怖いよね。
私はお昼前に二百CCを抜いていた。明日にもお願いするからとも言われて『はい、頑張ります』と言って昼食を押し込んで、それから軽い安眠剤を飲んで眠った。夕方になって私の顔に何か触れている感じがして、起きたら大地が微笑んで私の顔を覗き込んでいたのだ。「お誕生日おめでとう……。」と。でも聞こえない振りを決め込んだ。
「う~大地のバカ、アホ……。」
「もう元気じゃないか。戻って来たぜ。眼は腫れていないな良かったぜ。」
「うん寂しかったよ、何処に行っていたのよ。ちゅ~して!」
「亜衣音が起きるように何度もしていたさ、もうあれ以上はお断り。」
「うん、知ってたよ、大地。」
「う、ウソだよ、お前の顔で遊んでいたんだよ、バ~カ!」
「そう……なんだ、可愛い寝顔だったよね。」
「あぁ……、」
「ふふ、照れてやんの。」
「ちゃんと飯食ったか。」
「レバーがパサついて食べるのに苦労した。」
「梅酒を飲めばきっと美味かったろうにな。」
「やだよあんな度の強いお酒は。」
「そうか~俺には丁度良かったぜ。」
私は大地とお喋りが出来て嬉しかった。でも、腕を動かせる事が出来ずに大切な物に気づけなかったのは痛恨の極みだった。私の左手には……、
夕食を二人で済ませた。私は子ツバメのように大きく口を開けるだけで自動的に食べ物が口に入った。大地は面倒な顔をしていたのだが身体の動きはまんざらでもなかった様子。ありがとう大地、ご馳走さまでした。
それから私は大地を眺める、照れながら美味しそうにお弁当を食べる顔を見る事が出来た。
お父さんは麻美さんと明さんから十勝のその後を聞いていたので私の病室には居なかったという。十八時を過ぎた頃にお父さんが来た。
「大地くん戻っていたか、大変だったな。」
「はい引き換えですので、こちらこそありがとうございました。」
「その様子だと、良かったな。」
「え、なになに、何よ大地。」
「すまん休養で温泉へ行っていた。実は俺も相当にぶたれていたのでね。」
「え、そんな、昨日は気づかずにごめんなさいだね。」
「いいよいいよ、気にしない。もうすっかり元気になったさ。」
「うん良かった。」
「亜衣音、今から沙霧の面会に行く。車椅子には乗れるかな。」
「うん乗る、乗れなくても乗る。」
「大地くんの両手がいいのかな、ん?」
「お父さんの意地悪。大地……乗せて!」
「では、先にお姫さま抱っこからだな。……照れるなよ。」
「ふ~んだ早くして、あ、先にお手洗い、」
「あいよ顔も洗ってこい。」
「うんそうする……大地、運んで!」
「え~? いいのか、」
「座らせるまでだからね、いいよ大地だから。」
「お義父さん、教育が悪いですよ。」
「いや~男だから甘やかすだけだったかな、アハアハハハ……。」
私は大地に支えてもらって衣擦れの音を立てていた。
「大地、こっち見てもいいよ!」
「叩くぞ~、こら!」
「えへへ……。」
「……。」
「大地、車椅子に乗せて。洗面所で顔を洗いたい。」
「あいよ。外にある洗面台だよな、今度は尻を支えるのかいな。」
「そうね、それでもいいかな……ここでいいわ、ありがとう。」
「後ろから押さえているからな、これ位キツくてもいいか!」
「う~ぐるじい……、」
「バ~カ、もっと押すぞ、こら!」
「テヘッ……あ、……これ!」
「どうした、」
「ううん……ありがとう。(左手に指輪が光ってるよ、大地。)」
「あ、いいぜ、それくらい。」
「もういいよ……ありがとうね。お父さんに声を掛けて来て。」
私は洗面台の前に残って大地が嵌めてくれた結婚指輪を見つめていた。一見しても安そうにも見えない。きっとお父さんがお金を出して今日、買ってきてくれたのだと考えた。大地……嬉しいよ。
お父さんの用件とはなんだろう、それにお母さんは面会謝絶よね。大地、もう三分は過ぎたよ遅いよ。
「大地くん、もうそろそろ出ようか。待ちくたびれているだろうさ。」
「まだまだですよお義父さん。」
「言ってくれるね、でも娘を大事にしてくれてありがとう。」
「いいえ僕の方が亜衣音さんから大事されていますよ。」
「そっか、亜衣音も大地くんにぞっこんだものな。」
「亜衣音待たせたな、行こうか。もう先生も待機しているだろ。」
「うん、それでお母さんには会えるの?」
「勿論、でもなまだだよ。期待させたかな。」
「ううん、お父さんの態度で分るよ。まだ目覚めないのだとね。」
「そっか、だけども面会はほんの少しだからね。」
「うんそれでもいい。会えて顔を見られるだけでも嬉しいよねお父さん。」
「そうだね亜衣音。実はな沙霧には他にも傷があるから確認して貰いたいという理由なんだ。なに腕に少しだけ瘡蓋があるだけだからな。」
「小さな傷よね。」
「そうらしい、着いたよ。」
「大地くん少し待っててくれ。」
お父さんはそう言いながら隣のナースステーションへ入っていくも直ぐに出て来て、
「このナースステーションから入る。ここには小さな窓口があってな、手を入れる事が出来るらしい。入るよ。」
「はい、……お母さん、可愛い顔をしていたらいいな。」
「そうだね……。」
お母さんの可愛い顔が見えて奥からドクターが出てきた。
「お見えになりましたね。今奥さんの両腕を持ち上げて貰いますから腕の傷を確認して下さい。この位置だと右腕からですね。」
「はい、いったい……どのような、」
「心配はありませんもう治っていますよ。ではこれを良く見て下さい……これは文字でしょうね。」
「え!……お父さん、これって、まさか、……、」
「そうだろう、沙霧の伝言だな、」
「うん、……はい、そうですね、お父さん。」
私が涙ながらに確認した傷の文字は……『小百合』と読む事ができた。これは産まれた赤ちゃんの名前に間違いない。
「先生、早く左を見せて下さい。」
「間違いありませんか?……『小百合』と書かれてありました。もっと早くにお見せするべきでしたが、輸血中にお見せする訳にもいかずに遅くなりました。」
「そうでしたか、そうですよね。私らが気づかないのが悪いのです。」
「決してそのよな事はありません。用意出来ました腕を上げます。」
其処にも金属で書かれた掻き傷が見てとれた。文字は『次女、水脈』と辛うじて読めるのだった。
嬉しいよお母さん。大切な二人の娘を思って書き記していたなんて、……貴女はこんなに素晴らしいお母さんだっていうのが理解出来たよ。私は、
「バンバン!」「イテッ!」
と、大地の背中を強く叩いていた。お父さんはお母さんの手を握りしめていたし、お父さんは嬉しい顔をして泣いている。でも私は……左腕をマジマジと見つめた。
ドクターは私の様子を見逃さない、危険だと感じたのだろうか。
「もう時間です」と言う先生の声で面会は終わって私は直ぐに病室へ送られたのだった。私は左腕を見せられて気が遠くなってしまった。
必死になって堪えた嗚咽。
「お父さん。……大地、お母さんを守って頂戴……。」
そう言って又しても気を失っていた。
「大地くん急ごう、」
「はい、」
ドクターはとある顔で私たち三人を廊下で見送っていたのだが、残念ながら私たちが見る事はなかった。この後先生が来て看護婦に指示されて私は点滴をうけていた、説明では増血剤だという。
私は不覚にも目覚めずに朝を迎えてしまったが、私は怖い顔で大地に言った。
「大地、お母さんと妹を守って、」
「いいぜ、全力で守るさ。」
「うん、それからお父さんに麻美お母さんと明さんも呼んで来て。カムイコロさんも呼べるのなら呼んできてね。急いで……。」
大地は理由も尋ねることなく見向きもせずに病室を飛び出していく。もう大地には私の考えている事が判るのだろうな。
私の頭の中では色々なピースが嵌まっていく。雷神が見付かって校長先生に打診された、雷神が来た、急遽ダービーが開催されて母が攫われた、雷神の出所が判明した、母への処置が済んで母をワザと見つけさせられた、日高の山奥で自衛隊基地に近い、そしてこの病院のドクター、私の採血の多さ、お母さんの注射ダコ、藍のお父さんが居たらしい病院……これは全てが計算されたシナリオだった。
「もう間違い無い、ここは敵の手の内なんだ……逃げなくては……。」




