第62部 あり得ない……痛み止め と 母の出産
1970年6月14日
*)こんなの……理不尽だよ
お母さんとカムちゃんそれに私と大地にお父さんは、陸上自衛隊島松駐屯地の分屯地である日高分屯地司令へと送られた。そこにはヘリコプターが真夜中にも拘わらずに待機させられていたのだった。そこから急遽札幌市の総合病院へと送られてきた。いつもお爺ちゃんの計らいで自衛隊にはお世話になっていたから別段不思議にも思わなかったのだ。
麻美お母さんたちは雷神もいるから当然牧場経由で札幌市の総合病院へ行くしか無かった訳である。
もうあり得ない、胎内の赤ん坊を守る為に麻酔無しで帝王切開を望んだ母の、悲痛な出産になってしまった。普通出産を望むならば今まで投与された薬を継続する必要があるらしいのだ。その薬の成分は胎内の赤ん坊の何らかの成長を促すモノだという。
ドクターの見立てでは追加投薬が出来ないならば、胎内の赤ん坊を緊急に取り出して集中治療室で治療する必要があると言うのだから穏やかではない。出来れば胎内で赤ん坊の治療は出来ないのかと検討されたのが、現在の治療レベルでは出来ないと返事が返ってきた。
「赤ちゃんがお腹にいては点滴による投薬が出来ないのだよ、判るよね?」
「……はい理解出来ます。」
ドクターの進言はあり得ない。局所麻酔と痛み止めを飲んで帝王切開で母の出産を進めるのだという。これは切腹して赤ん坊を取り出すよ、と言うに等しい。私は説明を受けて嗚咽を感じて診察室を飛び出した。怒り心頭に発す、だ。
私は父さんに説得されて再度診察室へ入った。
「お嬢さんには恐ろしい話しで申し訳御座いません。説明はもう少しで終わりますからどうか心穏やかにされて聞いて下さい。」
「無理言わないで! どうして残酷なことを母にするのですか、幸せな母の笑顔を返して下さい。」
「おい亜衣音、無理なことを言わないでくれないか。これでも出来るかどうかの判断すら決めかねておられるのだぞ、まして俺らは無知なんだから。」
「イヤよ、そんなことはイヤに決まっているわよ。お母さんごめんなさい私が悪いのよ、あの時面白がって燥いだ結果なのよ。私が悪いに決まっていますお母さんごめんなさい、わ~~~~~……、」
私は理不尽だと分っているわよ、でももう考えることは放棄して泣く方を、楽な方を選んで泣き出した。宥める大地には何度も何度も叩いて苦しめた。
「亜衣音しっかりしてくれないか。俺はこの前も言ったよな、泣いていては何も判らないし、先には進まないのだと。お前は巫女としての役割はなんだ、少しでも母さんを助ける方法を考えるしか無いだろうが、どうなんだ。」
「ぅわ~~~ん……大地~。」
「亜衣音!!」
「大地、それ位は分るよ、ででも……お母さんの苦しみには私も耐えられない。どうしたらいいのよ。私に何が出来るのよ、大地~教えなさいよ~、」
「俺の時と同じように輸血は出来ないのか、それで治療は出来るだろう。」
「ううん、それは私も考えたわよ、それくらいは何とも無いわよ治せるよ。でもね大地、意識のある帝王切開の痛みにお母さんが耐えられるのだと思っているのかしら、私の血は万能ではないよ。心の痛みには効かないよ、ねぇ大地~分って頂戴……わ~~~……、」
私は大地の胸に抱かれてまた泣き出した。そんな私を哀れんで見たであろう父はすぐ後ろに立っている。
「お義父さん、俺、どうしたらいいですか。」
「大地くん、優しく亜衣音を見守ってやるだけしかないようだ、気の済むように泣かせておくれ。沙霧のことは決定したようなもので、沙霧には申し訳なく思うことしか俺にも出来ないから悔しい……。」
「はいそうですよね。亜衣音……お母さんを見舞いに行こうか!」
「うん行きたい。大地、引っ張って行ってね。」
ドクターの説明は父にされた。後はお母さんに言うかどうかだそうだ。これも急いで欲しいとドクターに言われたから苦渋の判断は父さんへ投げられる。
「お母さんごめんなさい、気分はどうですか。」
「うん亜衣音いいわよ、ありがとう。大地くん、いつも亜衣音を守ってくれてありがとう。」
「お義母さん、亜衣音さんは大丈夫ですよ。」
「大地くん、カムイコロさんの手術はどうでしたか。」
「はいお腹の脂肪で弾は止まっていました。ご本人は脂肪ごと弾を取り出してくれただのと、喜んで言っておられましたよ。」
「まぁウフフ……。」
「きっと縫い合わせる皮膚が足りなかったのですね。」
「まぁ、あの人らしいわね。今でも大きな身体なのですか? お礼を言っておいて下さいね。」
「はい、後ほど伝えておきます。」
「あ、穣さん。ありがとうございます、私はもうダメかと思っていましたわ。」
「すまない、どうしても居場所が分らなくて遅くなった。」
「ううんいいのよ。それよりも亜衣音を守ってあげて。私はこの後直ぐに出産に臨みます、お願いよ穣さん。」
「あぁしっかり守ってみせる。」
「俺はドクターに呼ばれているから行くよ。」
「はい私は痛みに耐えてみせます、だから心配はしないでいいのですよ。」
「勿論さ、心配はしていないよ。安心していろ。」
「はい穣さん……。」
その後の父さんは何も言わずに病室から出て行く。母の手術の同意書にサインするのだと直ぐに理解出来たら、私は涙目になっても泣くのを我慢したのだけれども、直ぐに大地が私を病室から追い出してしまった。
「亜衣音、沙霧お母さんの決心が揺らがないように泣くのはやめろ。それ位は亜衣音にもできるよな、」
「うん手術室へ向かう時には笑顔を作るよ、多分出来るから安心してていい。」
*)お母さん……頑張って
直ぐにドクターが来て母の脈と心音を確認すると、看護婦には二つの点滴を指示して出ていかれた。
看護婦は私に提案をしてくれたのだ、とても嬉しくなることだった。その人は私を病室から連れ出してからこう話してくれた。
「貴女、……大きい娘さんですよね。」
「はい、唯一の娘です。」
「うんまぁ、随分としっかりしていますね安心しましたわ。実はお母さまを元気づける提案がございまして、これは貴女にしか出来ません。是非ともお願いします。」
「はい、母が元気になるのでしたら私は何でも致します。」
「はい良く言いました。ここにお母さま用にファンデーションをご用意いたしましたので、この後直ぐにお母さまにお化粧をお願いします。」
「あ、はい、致します。でですが病人にお化粧は御法度ではないのですか?」
「でですが? 違いますよ、お産は病気ではありません。」
「はい直ぐに致します。」
「ふふ強い返事ですね、何かご自分の事でもありましたようですね。ではこの意味が理解出来る……と?」
「はい分かります、女はお化粧ひとつで力を持つ生き物だって事ですよね。」
「はい正解。ニッコリとしてお願いね、亜衣音さん。」
「え……はい、任せて下さい。」
私はまたしてもチョロかったのだ、お腹を切り裂いておいて病人ではないとか、そりゃ~ないでしょうにね。私は病室へ戻ったらそこには大地と話す母の笑顔があって嬉しかった。
「だ~いち、ありがとうね。」
「え? 何がだよ。何かせがむ気かよ、俺には金は無いぞ。」
「知ってるよ、私にも無いもん。大地手伝って、」
「あぁいいぞ、それで何をすればいい。」
「うん、今母さんと相談する。」
「ケッ、なんだよそれ!」
「いいじゃんか待ってて、」
母が私たちの会話で笑ってくれる。
「お母さん。起きれるかな、ううん起きて。今からお母さんはお化粧をするの。そして先生をう~んと困らせるのよ、いいかしら?」
「まぁ亜衣音は私に穣さんを忘れろと言うのかしら、可笑しいわね。」
「あ、それ、いいかも! で、穣さんは私が頂きます。どぉ?」
「はい起こして下さい、後は背中を支えてね。勿論、ダメですよ。」
「は~い……大地。」
「おう、」
「お母さん起こすよ……うんとこらよっこらしょと、大地は動くなよ。」
「いいよ、任せておけ。」
「お母さん始めるから目を瞑っていてね、目に入ったら大変なんだから。」
「亜衣音は澪にされるだけだからね、心配で目を開けて見られないよ。」
「言ったな~よくも~アハハ……。」
「うふふ……、」
私は白い肌の母に冷たいタオルを当てて汗を拭いてあげる。丁寧に丁寧に拭いてから少し間を空けて次はファンデーション。ほんの少しをパットに付けて何度も何度も繰り返しながら薄くつけていった。この間私も母も無言だった。でも私の眼は素直だ、涙をドンドン流し続けてくれた。何度も何度も瞬きをして涙を落としていく、まるで車のワイパーみたいだった。そうして出来たと大地に合図を送った。
私は無言で音さえも立てずに病室を出るの、たぶん母には分るはず。
大地、後はお願いね!
私が出て行くのを無言で見送る大地は暫くして、
「お義母さん終わりました。とても綺麗ですよ。」
「大地くん、それは亜衣音に言うべき言葉ですよ。私には効果はありませんのよ、可笑しいわよ。」
「いいえそんなことはありません。お義父さんが直ぐに来ますよ。」
「そうかしら、穣さんが……。」
「はい横になりましょうね。」
「えぇお願いね。右に向けさせて下さいな、早く見たいから、」
「ゆっくり……と、……いいですか?」
「ありがとう。お陰で力が湧いて来ました。……他人行儀は難しいでしょう、その言葉遣いではね。」
「そうでもありませんが、僕は亜衣音さんの処へ行きます。」
「亜衣音を末永くお願いね。」
「はい喜んでお世話になります。」
「まぁ、この子も可笑しな事を言いますのね。」
「ほらお義父さんが来ました。」
直ぐにノックする音が聞こえたら同時に二人が入れ替わり、私には室内の声が届かないからと大地は何も言わなかったようだ。私は病室の外で大地を待った、とても大きく腫れた眼を作っていながら。
「大地……ありがと、」
「亜衣音、それがお前が作った笑顔なのかよ。」
「えぇそうよ、文句があるのかしら、」
「ねぇ~よ、でもあれで良かったのか?」
「うんバッチリよ。後は私に任せて輸血で治してみせるからね。」
「お前、先に自分の不細工を直せ、」
「言ったな、気にしている言葉だと知っているよね、不細工言うな!」
「へへ~んだ、不細工!」
「大地、逃げるな!」
「やだよ~だ、亜衣音、こっちだ、行くよ、」
「うん、今行く!」
私は逃げる大地を追って分娩室へと向かった。
「あらあら……とても元気で安心しました。穣さんドアはもう閉めて下さい。」
「そうか良かったな、とても綺麗だぞ。」
「うん嬉しい。さっきは大地くんから言われたのですよ、私、浮気してもよろしいでしょうか。」
「いや、ダメだろう。」
「いいのです、私に……して下さい。」
「これが最後ではないぞ。」
「はい分っています、もう点滴が終わります。亜衣音から贈られた顔で私は戦場に行って来ますね。」
「あぁ、待っている。」
母は父の笑顔で送られて分娩室へと向かった。
それが父が聞いた母の最後の言葉だった、母は必死になって帝王切開の痛みに耐えて、
「おんぎゃ~、おんぎゃ~、」直ぐに「おんぎゃ~、おんぎゃ~、」二人目も無事に産まれてくれたて直ぐに看護婦さんは報告してくれる。
父と大地と私の三人でそのままお腹の縫合手術が終わるのを待つ。麻美さんは夕方には来てくれた。
「お嬢さん、急いで中へ入って下さい直ぐに輸血を行います。」
「はい、準備出来ています。」
「よろしいですね。」
私は汗まみれで先ほどまでは痛みで歪めた、悲痛な顔をしたであろう母の顔を見た。おかしい……痛みで沢山の汗を流したと思うお母さん、それがお化粧で顔の色は分らないのだった。
もしかしてこれは母が家族に贈る最後の綺麗な顔なのだろうかと、ふと考えてしまった。お化粧を受けていた母の顔を思い出し母の回復を願った。
「お母さん。大丈夫私が助けるよ。」
「亜衣音さん、名前は決まっていますか? とても可愛い双子の赤ちゃんですよ、抱いてあげて下さい。」
「え……母よりも早くに、いいのですか?」
「大丈夫ですよ、お母さまには直ぐに抱かせておきましたわ、次は貴女の番ですよ。」
「父さんが最後かな。」
「殿方は当然、最後です!」
「アハハ……そうですね。」
看護婦さんは上手に私の脇の下に赤ちゃんを置いてくれたが、右手だけが自由なので右の赤ちゃんは抱きしめられた。
「採血の二百ccが終わったら、あれ? 名前を聞いておけば良かった。次は左の貴女だからね!」
名前なんか決める余裕は無かったのだ、それだけ母と父は必死だったのだから。でも母は意外な処に名前を残していたの。
私はむずる双子の顔で癒やされていたら直ぐに輸血は終わった。双子の顔から母の顔に目をやるとそこには気を失ってしまい、そのまま起きなくなった母の顔があった。だが私はドクターの一言を信じて分娩室から病室へ送られた。
「お嬢さん、お母さんには軽い睡眠改善薬を投与いたしておりますからお眠りになってありますよ。お母さまは大丈夫ですからね、安心してお休み下さい。」
「はい大変な手術をありがとうございました。」
「お母さんよく頑張りました、妹たちをありがとう。」
母と双子の赤ちゃん、それに私も。それぞれ病室は違えども送られたのだ。
麻酔無しの手術は本当は母体の保護が目的だと聞かされた。先に投与された薬が麻酔に反応して、恐らくショック死を招くのではないかと協議されて決定されたのだ。私は「この藪医者め!」と睨んでいたらしい、これでは澪お姉さまと同じだな。
「ご主人。奥様はもの凄い人生を送られてこられたのでしょうか、あんなにお若いのにとてもしっかりされた奥様ですね。少しも『痛い』とは言われませんでした。私たち執刀医は感服いたしましたよ。」
「沙霧は泣き言も言いませんでしたか。そうでしょうね『私は戦場に行って来ます』と私には言いました……。」
「戦場ですか……とても素晴らしいお母様になられますね。」
「いえ、もう既にいい娘を産んでおりますから、そこは過去形でお願いします。」
「ハハハ……恐れ入ります。私ももっと精進いたしませんと、私に対してもいい患者さんです。」




