第56部 俺、亜衣音の手料理を食べたい
*)俺、亜衣音の手料理を食べたい
大地からの突然の難問が私に突きつけられた。
「お母さんどうしよう。」
「うふふ、ここは女の意地で頑張るしかないわよね。穣さんと同居して主婦の腕は磨いてきたのでしょう?」
「う~そうだけどさぁ、私はスーパーのお弁当を三つ買ってきて潰して夕飯としてごまかしていたのに~。それに……惣菜もあったからいいんだよ。」
「ふ~ん随分とお気軽でしたわね。私の穣さんを見切り品のお弁当でよくもよくも賄ってくれたわね。」
「え~いいじゃん別に。私だって主婦業と高校生と勉強とほか色々あるもん!」
母は私を指摘してたたみ込んできた。母親とは思えない言葉が私の節々に突き刺さり自尊心をもぎ取っていく。そんな母娘の会話で笑いが止まらないのが父さんだった。
実は私の母の沙霧さんも同じであるとか知らないし、という事は澪お姉さまも同類だな、死ぬまで働いていたのだから。あの時は桜子お婆さまと麻美さんが居たからなんとか家庭料理が辛うじて出来ていた、だから母姉妹も主婦業はほぼ失格か!
この私の弁当潰しは実は親譲りだったりするのだよね、お母さん。
では今はどうか。明子姉さんが担っていた部分も大きいが、父さんが笑いたいのはそこでは無いのだ。
私を見事に言いくるめて勝利を勝ち誇る母、その夜の事だ。
「おい沙霧。どうして『亜衣音に料理を教えてあげるよ』 と言えないんだ。俺はいつ言い出すのか楽しみにしていたんだがな。」
「だって……あの子の為になりませんものね、分るでしょう? 穣さんの意地悪。」
「だったらあのジジイにも喰わせるのには忍びないが婆さんに頼んでみるか。それだったら亜衣音にもまともな指導が受けられるだろう。」
「うぐぅ~穣さんはお見通しなのですね、私も料理下手という事が。もう嫌いです。」
「沙霧さんよ、お産で動けなくなるまでには亜衣音の底力を上げさせる必要があるだろう。それとも全部明子さんに依存するのか?」
「うぐぅ~、札幌の両親も来ますので私の母にお願いします。」
「沙霧、俺はそんな理由では言っていないんだよ、亜衣音は未だに沙霧の亡霊を追っているような気がしてならないだけだ。大地くんは缶詰料理でも喜ぶさ!」
「私、今でも幽霊扱いなのでしょうか、それに大地くんにも悪いです。」
父は私が今でも母の思い出を探しているように見えているらしいのだ。
「亜衣音に新しい可愛いエプロンを買ってやろうか。」
「そうですね、それはとてもいい考えですね。新しいフライパンに新しいお鍋に、新しい食器に包丁も!」
「おいおい、それって、」
「私も欲しいです。」
「うぐぅ~。」
「穣さんまで……可笑しい!」
父は沙霧お母さんから『新しい亜衣音用の台所を造って!』と、言われなかったので安心して眠れたそうだ。
その内に私からは爆弾宣言があるに違いないよねお父さん、でも今は我慢。
*)私の台所
「お母さん。家に七輪が有ったよね。」
「それなら床下に仕舞ったと思うよ、少し待ってて。」
「どうして床下なの?」
「灰が虫除けになるのよ、それで何に使うのかしら?」
「大地の料理の一品を焼くのよ。」
「ふ~ん……。」
私は七輪を受け取ると新聞紙三枚を硬く丸めて入れた。次に木炭を入れて七輪の下部にある通風口からマッチで火を入れる。煙を出しながら燃え上がる新聞紙は木炭に火を点ける。焼き網を置いて熱く焼く。それから***を載せた。
「出来たわ……シシャモの串焼き。お父さんの分も焼くかな。」
「これ、私の手作りの逸品よね!」
「みんな……どうしたの?」
冷蔵庫にいつから入っていたのか判らないシシャモを焼くのだから、家族の皆は……一同唖然とした。
「ニャ~!」とお隣のハチワレ猫が寄ってきて……私の腹が鳴る。
「大地、食べよ!?」
「おう、焦げているのが美味そうだ!」
「この七輪が私の台所なのよね……こんなのあり得ないわよね。」
七輪の残り火は勿体ないから薬缶を載せて熱燗の面倒を頼まれてしまった。
*)花壇
お母さんは私が花壇にコスモスを植えたと思っているらしいが実は甘藍だったりするのだ。貰ったコスモスの種なのだがお粗末な程の数しかない、それでも発芽はしてくれた。十粒もあるのかどうかという程のコスモスの種、数えたら滲めになるからと敢て数えないでいた。
こんな事を藍に話したら憮然としていた。未来は私を擁護してくるのね、
「藍ちゃん、亜衣音ちゃんはまだまだ貴女に甘えたいと言っているのよね~。」
「やよ、どうしてそういう発想になるのかしら、バッカじゃないの。」
「甘藍……そうなんだ、甘い藍ちゃん!」
「夜中にお湯を掛けにいくからね、いいかしら!」
「温野菜……お待ちしています。」
家の敷地にまだ余裕の土地? があるからここを適当に畦を作り耕してみた。園芸用の小さなスコップで庭を掘り返して当然種を蒔くのだ。そうだよキャベツと人参だよね、定番のね!
一番に期待しているのはお母さんだ、双葉で何かを察している。田舎人だものね直ぐに野菜の種類は判別できちゃう。
私はこの畑、家庭菜園にプレートを立てた。
『クロの食料』と書いた。甘藍の葉は私と母が挙ってむしり取るから巻く事無く芯だけが伸びていき、
「もうお母さん。私の邪魔をしないで!」
人参の葉っぱさえも母はむしり取りお肉料理の花として添えてくれた。小さくて可愛い紅の根茎は縦半分に切られて油で炒められる。
「もうお母さ~ん。私の邪魔をしないで!」
「だって新鮮で美味しいもん! キャベツの千切りも美味しいわね。」
だよね~あり得ない。クロの維持費は確かに学校から賄われてはいるのだがパトロンは誰よ。きっとクロさえも何某かのエサと考える誰かだろうが……。それも数年後には実を結ぶ『身を結ぶ。』という方が正しいか。
三匹目が柳の木の下、そう馬事公苑の桜の木の下で見つかるのだろうか。
1969年5月20日
数日後、馬事公苑に二人の結婚式の写真が……段ボール箱に入れられて置いてあった。こうなるともう部活は中止だ~部長は私だ~。
「ダメ部長!」
「いいじゃん、直ぐに見たいよね~。」
「あのハンサムおじさんだよね。」
「未来、おじさんが趣味なのかな。」
「そうね~ミドルエイジは素敵よね~!」
「私たちも見た~い。」x2
それから暫くしたある日のこと。
一人の女子生徒が馬事公苑のロビーに立っていて私達の歩く姿を見ていた。乗馬の服に着替えてから馬場に向かう途中で大地が呼び止められている。大地は男の子だから着替えも案外ぞんざいだし馬場に出るのも早い。先に一人で出た処で声を掛けられていた。
「あのう~すみません。高校の馬術部の方ですよね。」
「そうだけど、なに?」
「え~と、田中先輩ですか!」
「そうだけど、なに?」
私が大地とこの子を視認して走って追いついた。
「大地、どうしたの?」
「この子から呼び止められた。」
「え~と何かしら。うちの制服だから一年生かな。」
やや遅れてきた藍が私の後ろに着いた。立花の双子と未来は着飾るのに忙しいのかまだ姿も見えない。
「私、好きです。」
「え?……私を?」
「ち、違います。そのう……田中先輩をです。入部させて下さい。」
「はぁ?……いいわよ、大歓迎よ。」
「私、……嬉しいです。私、一年E組の山口智子と言います。よろしくお願いします。」
「山口さんね、こちらこそよろしくね。」
残りの三人の姿が見えたから私は早く来いと手招きで催促する。藍は山口さんの言った事に反応して少し怖めに声を掛けた。
「貴女、随分と大胆ですのね。亜衣音に宣戦布告して入部なのでしょうか?」
この子は悪びれた様子も無く、顔を傾げて意味を考えているようだ。
「え?……田中先輩にはもう決まった方がおありなのですね、でも私は諦めませんよ。」
この子はジト目で藍を見て次は私を睨んだのだ。
「わ~この子言い切ったわよ亜衣音ちゃん。どうするのよ、本当に入部させる気なの?」
「勿論、構わないよ、ね~大地。」
「俺が決める事ではないだろう、亜衣音が決めろよ。」
「でしたら私達は貴女を歓迎いたします。」
私は語気を強めて歓迎すると言った。するとこの山口さんは少し怯んだかもしれない。さっきまでやや大きな眼をしていたが瞬時に口元を引き締め、少し伏せ眼になったからだ。
「明日には教頭先生に言って入部届けを出して下さい。正式な決定はその後になります、いいですか。」
「はい明日必ず提出いたしますからよろしくお願いします。」
私はこの負けず嫌いを睨んで、
「山口さん、貴女には付け入る隙は見せませんわよ。」
「せ、先輩はそのようですが、田中先輩はどうでしょうか。田中先輩には私を選んで頂きます。」
「ふ~ん、そうなんだ……いいわ頑張りなさい。」
「はい!」
私は自分の自信から最悪な一言を言ってしまった。この子は……猫年生まれ? 頻りに大地に纏わり付くのだったからもう最低だわ! 私は巳年だから巻き付くだけだよ。
「うぐぅ~。」
私の気を察してか大地がこの場を仕切る。
「智子、お前は取りあえず見学な。亜衣音はクロに乗りたいよな。」
「そうね、もう無性に乗りたい気分。」
大地はクロの横に立った。すると大地は片膝をついてあの、プロポーズの格好をして手のひらを組んで膝の前に突きだして私の足場を作ったのだ。
「来い亜衣音!」
「行くよ大地。」
「おう走って来い!」
私は助走を付けて大地に向かって、左足を大地の手を組んだ手のひらに足を乗せて跳んだ。同時に大地は思いっきり私を持ち上げるのだった。
私は跳んで見事にクロの背中に乗ったのだった。私は大地の左手を掴んで右に落ちる位に身体を傾けて大地を思いっきり引っ張った。大地は同じく地面を蹴って見事に私の後ろに、そうクロの背中に飛び乗ったのだ。この間僅か二秒!
「きゃ~……。」x4
「クロ!……跳んで! 奔るよ!」
「ブヒヒ~ン!」
と新人の山口智子は臍をかむ思いだったという。だが怯まない性格か!
「なに、なんなのよ。私を二人で拒否しているのね。どうしてあぁも息が合っているのよ。もう悔しい。」
私達は連写されていてこの写真は両親の宝物にまでなってしまう。
*)私は髪を伸ばすんだ
私は来年の四月四日に向けて髪を伸ばす事に決めた、当然お嬢さま路線を走るのだよ大地。大地が十八歳になった最初の日曜日で、だからこの日をハッピーウェディングの目標に据える。髪を伸ばすのは簪を付けたいが為だ。
そんなある日の事、私は明子姉さんに呼ばれた。
「亜衣音ちゃんお願いがあるんだけども、いいかな。」
「はい明子姉さん。それでなにを?」
「そうね私の買い物に付き合って欲しいのよね、大地くんとね。」
「大地……いいかな。」
「あぁ俺はいつも暇だし、これの面倒をみるのも飽きたし。」
「バカっ、……明子姉さんいいですよ。」
「では綾香ちゃんと彩香ちゃんをお願い。一人で一人ね!」
「うん、良いのだけれども近所の噂になりそう……。」
商店街を歩けば暴言に当たる、だね。日常の楽しみが無い商店街だけに冷やかしが随所から飛んでくる。
「よう亜衣音ちゃん。いつ産んだんだ!」
「初めてだよね……だ~んな!」
「若い二人にはお安くするよ!」
「え! ホンと!」
とは明子姉さんが食いつく。
「ほら、どうしてもこうなってしまうよね……。」
「いいだろう事実だし俺は平気だぜ。」
「亜衣音ちゃん。お願い、値切って!」
娯楽に飢えた商店街の主人らの挨拶なのだからって明子姉さま……本気にしないで!
「理解はしていますよね! 明子姉さま!」
「勿論よ。だってもうすぐなのでしょう?……亜衣音ちゃんにも赤ちゃんがね?」
「違います、産みたくてもまだ産めません!」
「では将来に向けて子育てを手伝って!」
「札幌のご両親はどうするのですか。」
「あ、忘れてた、ゴメン!」 「テヘッ!」




