第5部 運動会
1959年10月4日(昭和34年)北海道・苫小牧
*)運動会
運動会に亜依音の父、穣に来てもらったのは本当の保護者でもあるから。だが亜依音の力が暴走と言わないでも亜依音が解らずに風を起こしたら? と思うと麻美は怖いのだ。
「すみませんお忙しいのに北海道まで来て頂いて。」
「はい大丈夫です十月から札幌勤務になりましたから。」
「ほえ~!」
「父の越権ですよ内緒ですよ、もう少しして落ち着きましたら時々父と一緒に出て参ります。」
秘密が多い公務員に内緒ですが……とは言わないと思う。いったい誰に対して内緒にしたのか疑問だわ。
「はぁ、ヘリでお出でになるとか?」
「まさか! 札幌から苫小牧まで車で直ぐですよ。」
「それは良かった少しは安心できます。」
これからは親としての協議が始まるのだ、対するは宇宙人みたいな小さな娘一人の扱いにだよ。酷いと思いませんか?
「それで亜依音には何と言い聞かせていますか?」
「まことに情けないのですが、駆けっこはビリになりなさいと言っています。」
「そうですか……、」
「申し訳ありません。」
「いいえ謝ることはありません、亜衣音を押しつけている我が身としてはこちらこそ謝りたいものです。沙霧もそうやって過ごしてきたと言うし、お婆ちゃんの霧さんもそうだったらしいです。」
「いえいえ沙霧は地でしたよ? 上級生でも泣かせたと聞いています。」
「ありゃ~沙霧はごまかしていましたか、信じていたのに。」
「ウソおっしゃい、分かっておいででしょうに。」
「むふふふ……。」
穣と麻美は家族と分れて二人で話していて沙霧の想い出話しに花は咲かない、こころが苦しくなるからだ。
「今日は無事に終わる事を祈るしかありません。」
「ですが麻美さん、いつもの体育の授業はどうなんですか?」
「体育の授業も同じですよ、力を抜いて走りなさいと言っています。」
「少し淋しいですね、亜依音も力いっぱいに走りたいでしょうに。」
「ま、その分クロと一緒に走っていますわ。大丈夫でしょう。」
紅白に分かれての玉入れ、亜衣音も力一杯に頑張っていた……籠の付いた竹竿を支える役で?
今度は綱引き、これは何も分らない。二人三脚に亜衣音は出ない。騎馬戦は論外だ競技種目すらもない。一年生の競技としたら大きな丸い玉を転がすリレーは面白かったが出ていない。我が愛娘は影に徹しているのだろうか、兎に角児童数が少ないのがこうも競技に反映するのかと穣は思った。東京で生れ育った穣からすれば田舎過ぎだと感じたに違いない。
一年生が二十人とか話の盛りすぎだとしたら、1959年の児童数はいったいどれ位居たのだろう。
自分の時は……十人でした。二年生は九人とか書いても……皆さまにはもうあり得な~いと思われるだけだろう。この十人が最大数だったのだから。先生は女の人が一人いて席は半分に別れて同じ教室で勉強していた。一年生の授業中は二年生が自習でその逆と先生も中々に大変だったかと思う。ブランコは最初から在ったのだが自分の時に滑り台なるものが設置されたものだ。敷地は家の2軒分とか? 白状すれば……分校という。
しかし紅白対抗リレーで事件が起きる。亜依音は四番手でバトンを受けて亜依音は言いつけ通りにややゆっくりと走り、このノロい走りにイラついた男子が亜依音の服を引っ張った。亜依音はふらついて横で走っていた女子とぶつかり女子が転倒したが亜依音は強いから転ばなかった。だが亜依音がついに怒ってしまい直ぐに男子に追いつき揚句の果てに走る男子を引き倒してしまう。
亜衣音の足が速いのは周知の事実らしくて、それで紅白リレーに選ばれたものだとは思う。しかし当の亜衣音にしてみれば麻美が言うように速くは走れないから、きっと板挟みで苦しみそれが競技へ影響したものと思われる。走り方がぎこちなくて、それが後方で走る者を邪魔した。
「なにしやがる……この、のろま!」
「お前が引っ張るから悪いんだ、美也ちゃんが転んだだろう、謝れ!」
二人はもみあいになり先生は急ぎ止めに入る。競技は中断した。
「止めなさい! あなたたちは何をしているのですか!」
「だってこいつが服を引っ張るから美也ちゃんが転んで泣いているんだ!」
「結城くん、それは本当なの?」
「こいつがのろまだから、ちょっとぶつかっただけだよ。」
「結城、うそつくな!」
「なにを?」
「ほらほらもう止めなさい。」
「愛子先生、結城くんが確かに服をつまんだようです。亜依音さんはうそは言っていませんが引き倒すのはちょっと……。」
「山田先生そうなんですね、どうしてこうも仲が悪いんだか……。」
「愛子先生ごめんなさい。お母さんからも怒らないようにと言われているんだ。」
「結城! お前には謝らない。結城こそ美也ちゃんに謝れ。」
「だーれが…謝るもんか、バーカ!」
穣と麻美は直ぐにでも先生の所へ走り謝りたかったが先生から呼ばれたら行く事にした。ここは見てみぬふりをするのがいいだろう。簡単に親が出ていっては亜衣音の立場が、いや亜衣音の信念が折れて仕舞ってはいけない。男子の親も出てこないし昼食も済んだ事で多分、帰ったのかも知れなかった。
二人してまた取っ組み合いになり今度は先生の二人で引き離しにされていた。
「さ、教室に行きましょうか。山田先生すみませんがリレーの再開をお願いします。私はこの二人を叱っておきますから。」
「はい承知いたしました。」
「さ、あなたたち教室へ行きますよ。」
愛子先生から二人は叱られた。それは当然という思いはするが、亜依音は納得しなかった。転んで泣いた美也ちゃんが可哀想だと思うからである。
亜依音はとうとう猫をやめてしまって猫よりも大きい豹に変身した。これが豹変? というのだろう。力関係が逆転したから男の子の結城は大いに困ってしまう。
「愛子先生、今日はごめんなさい。お母さんにも話して謝る。」
「そうね亜依音さん。もう怒ってはダメですよ。」
「はい。」
「それから結城くん。あなたも反省しなさい。いいですね?」
「は~い、もうしません。」
一応は決着というか二人は反省の素振りはする。
結城と亜衣音がクラスの中に混じればバツが悪そうに縮こまる。一部の女子は亜衣音が美也ちゃんに謝れみたいな事も言うが、納得出来ない。自分がぶつかったのは元々は自分の所為から起きた事だと考え直して、
「美也ちゃん痛かったかな、ごめん。」
「ううん、いいのよ。私がドジなだけだから。」
「私もドジなんだ、お相子。」
「うふふ……。」x2
それから結城くんを睨み付ければソッポを向くだけだだった。私が結城くんの恨みを買っていただなんて思いもしなかった。
結城くんが家に帰ってお母さんに報告しないだろうが、私はお母さんと約束していたから、約束を破って怒ったから報告しなくてはならない。お父さんも見に来ていた、きっと嫌な思いをさせたんだと思う。
「帰って直ぐにお話しをしなくちゃ。」
「したっけ。」
「あ、うん、したっけ。」
数人で歩く通学路、もう遠方なんだから疲れた時は遠くに感じてしまう。大きな立木があればそこを目印にして歩く。次も遠くに見えている赤い屋根の家を目印にして黙々と歩く。その家も過ぎたら道が右に曲がっている、そこを目印にして走る。
「あの角を曲がればクロがいる!」
夢多き小学一年生だ。
「ただいま~。」
「お帰り~亜衣音ちゃん。」
馬場にいる騎士さんらに挨拶をすませる、ここはいつもの事。でも今日はクロの厩舎に寄れない、少し、いっぱい寂しいと感じた。
「待っててねクロ。」
……ブヒヒーン、遠くで聞こえるクロの声に勇気が湧いた。
「ただいま~。」
「はいお帰り。」
「お婆ちゃん、お母さんは?」
「おや……もう飲んでいるかの~。」
「うん、台所だね。」
「違うかもしれんぞ。」
「ただいま~。」
「お帰り亜衣音。」
「うん、お爺ちゃん。」
「パパ、今日は来てくれてありがとう。」
「いいよ、また来るからね。」
「うん。」
「お母さ~ん、……」
「はーい、待ってなさ~い。」
「今はお風呂の掃除かな。急いで行ったんだからね。」
「へ~……どうして?」
「きっと亜衣音から声を掛けて貰いたいからだな。」
「分かんな~い。まだ飲んでないの?」
「まだ……ホロお婆ちゃんだね。」
「もう飲んでいるって、亜衣音にも頂戴。」
「杉田ファーマのミルクだぞ~。」
「こってり~。」
私にモヤモヤなんて存在しないんだ。
「お母さ~ん、おかぁさんってば~。」
「はーい。さ、聞きましょうかね。」
「うん、ごめんなさい。」
亜依音は帰宅後に母に報告をした。それは一番の見物でもある紅白リレーは昼食後の競技だったからだが。
「お母さんごめんなさい、亜依音は怒ってしまったの。美也ちゃんが転んで泣いたから怒って結城くんを倒してしまった。先生にもたいへん怒られた。」
「そう、亜依音は大丈夫だったの?」
「うん平気。でも泣いた美也ちゃんが可哀想。」
「それで亜依音はどう思ったのかしら?」
「お前がのろまと言われて悔しかった、亜依音はずっとずっと速く走れるのに。」
「亜依音? その事についてはお母さんが悪いの。亜依音! 許してね。」
「どうして?……なの。」
「う~ん……お母さんは亜依音にビリになりなさいと言っていたわよね。これは本当は許されないことなの。ここまでは判るかしら。」
「うん判るよ、亜依音が怒ると風が吹いて周りが飛んでいくから。」
「そうだよね亜依音には不思議な力があるわ。この力を自分で抑える事が出来るまでは怒ったり、力いっぱいに頑張ってはダメなの。」
「うん、でも……なんだか、悔しい。」
「そっか、亜依音は悔しいか。お母さんも悔しいわ。だって我が子に強制しなければならないのだから。」
「お母さん?」
「うん?」
「亜依音はもう、力を我慢するのは止めた。」
「そっか、……そっか。」
「じゃぁお母さんはもう何も言わないわ。だから亜依音! 自分の事は自分で判断しなさい。そして自分の行いに責任を持ちなさい。」
「うんお母さん。わかった、亜依音は頑張る。」
亜依音は今までこんな悔しい事を経験してきたと思った麻美は、
「うん、うん、今日の亜依音はとても強かったわ、お母さんは嬉しいぞ!」
麻美は薄らと涙を流した。亜依音はまぶたいっぱいに涙を溜めている。ちょっとでも触れたら大粒の涙が流れただろうか。でも亜依音は我慢ができた。
亜依音はこんなに大きくなりましたよ? 沙霧さん。
「麻美さん、少し亜衣音を買い被り過ぎではないですかね。」
「孫を甘やかせたいのは解りますが、穣さんも耐えているのですよ。」
「麻美さん、そこ、言い方が悪い。他人と比較するような事を言いましたらいけません。」
「は……い。」
「私は耐えていません。」
「では何に……?」
「麻美~肉の準備が出来たぞ。」
「明さん、いつも……、」
「なんじゃい。」
「お母さん、いつもありがとうございます。」
「ほぇ~……どうした?」
「いいの、偶には言わないといけないかな~って。」
羊を放し飼いにして牧場の近辺の草刈りをさせている。食べ盛りの騎士さんらを賄うには丁度いいお肉となる。ヒグマは怖いけれどもそうそうに出てこない。
「若いのが待っておるぞ。」
「私は違いますよ。」
「誰が穣と言った?」
「あ、」
「まぁ穣さんも……可笑しい。あ、騎士さんらを早く片付けないといけないわ。」
「麻美~肉を焼けば儂が呼んで来るわい。」
「それに騎士さんらを麻美の代理をさせたし。」
「もう明さんまでもが~。今日は飲み仲間が多すぎて困りますね。」
「残業代を現物支給とは高く付くかな。」
「飼育代に上乗せします、大丈夫ですよ。」
「はい、ちゃんと働いております。」
そう、私の都合で騎士さんらを休日出勤させている。エサで釣るのは牛や馬以外でもとても有効だ。他には「亜衣音の運動会は絶対に行きたい」と言えば、男はチョロイのよ。瀬戸牧場のマスコットガールよ、誰だって応援したくなるものよ。
穣さんは電話一本でサッポロビールの瓶ビールを三ケースと三千櫻 (みちざくら)を十本も注文してくれた。お父さんと配達のお兄さんで封筒のやり取りがある。
「札幌税務署で三枚。」
「はい用意しております! いつも贔屓にありがとうございます。」
見て見ぬ振りの麻美さんは豪快に笑ってのける。
「天下の公務員さまも気が小さいの~。ガハハハ……、」
「麻美、声を出すなよ。」
「ガハ……聞こえた?」
「多分。」
「あらやだわ。」
穣さんはどうしてか明さんへとビールと清酒を渡している、何故に?
そこで私は「馬の扱い」だと知った。
「亜衣音の肥育料には少ないですが飲んで下さい。」
「穣くん、いつもありがとう。教育費な。」
「智治さんも……このお酒は好きですよね。」
「いや~女房が~アハハ……、」
「あ~桜子の名前、今気がつきました。」
「いや~はずかしい。……です。」
そこに麻美さんの皮肉が爆発する。智治さんの秘密を暴露するとか嫌らしいわね、お母さん。
麻美さんは手の空いた人からお風呂に押し込んで宴会の準備に励む。明日は有給だ~と、転勤してきて休めませ~んという二人もいる。騎士さんらは全員がお泊まりだ。
瀬戸夫妻が羊や馬を厩舎に押し込んだら仕事は終わる。
「あら~亜衣音がいませんね。」
「暗くなる前に帰るだ。」
「ですねお母さん。」
「麻美……気持ち悪い。」
「ま~大変、お布団ですね直ぐに敷きますから休んで下さい。」
「お義母さんが飲み過ぎるからですよ。寝てていいですよ。」
「ごら、智治まで言うか。」
常日頃はお母さんなんて呼ばないそうだ。そんな普通でない麻美さんにホロお婆ちゃんが気持ち悪いと言う。
智治さんも黙っていなかったか? 義母になにを言いたいのかが解らない。いや母娘だからだな。
騎士さんが帰ってきた。
「麻美さん、ゴチになります!」x3
「はい、お風呂を先に済ませて下さい。」
「はい。」x3
今日は智治も穣も来ているからいつもの酒宴になって大酒を飲む親子がいる。また絵に描いたような公務員もいて夜遅くに二人は自動車で札幌へと帰ったのは、明日が仕事なのだから仕方ないと言えばそれまでだが。
「穣くんも飲みたかっただろう……可哀想に。」
いったいこれは誰の言葉だろうか。
「お義父さん! 今日の亜依音を見られて良かったですね?」
? ? ?
「なんだ、眠られたんですね。」
「うん。」
? ? ?
智治の自宅に着いた。
「これでは重たいから車から降ろすのが大変だな~。」
「うん。」
? ? ?
「お義父さん、ご自宅、着きましたよ! お義父さん起きて下さい!」
「Қа Д Гц Ж Кц Ш Па Й Яә 」
? ? ?
「あ、ほんとに軽いや! 亜依音ありがとう。お爺ちゃんはちゃんと休ませるからね!」
「Қа Д Гц Ж Кц Ш Па Й Яә 」は、亜依音の寝言だった。
悪いのは私だよ。
パパはきっと智治お爺ちゃんを炬燵に放置したに違いなかった。所詮、男とは雑でいい加減な生き物だから。
下手な運転しか出来ないお父さんは、途中で何体の鹿や狐を撥ねたことだろうか。即、修理工場へ送られたよね?




