第47部 藍の妹が入学した……お母さん私を守って
1969年2月2日
*)渋谷発の路面電車
それから次のデートの日を決めた。1969年2月2日は最低で最高の日になってくれたのだ。
「わ~さぶ!」
「亜衣音ちゃんはこんな大雪でも行くのかしら。」
でも約束だから……と。
「お母さんも道産子でしょう? こんなのは雪の内に入らないよね。」
「でもね~ここは文明の街・東京だよ? 電車も止まるだろうし……。きっとお父さんは滑って転ぶよ。」
「ヘ~クション!」
今日は千歳烏山駅から電車に乗って渋谷まで行く予定。昭和四十四年の渋谷というか、東京はまだ土地も多く残っていて広々とした大きな道路があって、車はとても少ないし嬉々として私は歩いた。
「田中くん、お待たせ。」
「無事に歩いてこれたようで良かったよ。」
と言う田中くんは私の足下を見て言ってくれた。
「うんありがとう。それで、これから行く?」
「行きたい。俺はこの雪化粧がとても好きなんだ、田舎と同じだから。」
「ふ~ん田中くんは可笑しい。」
「え~何処が、渋谷の高台から見下ろせば家の屋根はきっと真っ白だぜ。」
「ここ千歳烏山駅まで歩きで来たのよね。どぉ、電車は走ってたかな。」
「大丈夫、これ位線路が埋まっていても走れるものさ。」
運転席の窓を覗ける一番前の車両。勿論、電車の走る先が見えている。白い雪で覆われた線路には二本のレールすら見えないのに、いつもの速度で走るからなんだか怖くなってお尻がむず痒い感じがした。始発のディーゼル列車だった。
「凄いよね、レールが雪で見えていないよ。」
「こんなのは普通だぜ。お前も田舎だろうが。」
「うん、田舎過ぎて電車は走っていないよね。」
「そう……なのか。」
「バーカ!」
「田中くん……訊いてもいいかな、田中くんの田舎は何処なの?」
「不思議なのか?……俺は東京だよ。」
「そうなんだ、私は北海道の田舎でね、こんな雪でもクロに乗って走っていたな~。またクロに乗りたくなった。」
「明日も雪は残っているから走れるよ。」
「そうだね、明日はクロと走りに行きたい。」
田中くんは東京都心から西側へ約四十五キロ先の秋多町(東秋留村)の出身というのは一度も語る事が無かったから、多分最後まで秘密にされたと思う。これはまだ秘密事項であっていつかは私も知ることになる、ううん最後まで聞くとは出来なかったな。
田中くんは自分のことをウソで塗り固めている事も、いつかは私に知れるというのに……。でもこの時点では私達の未来はまだ決まっていない。
田中くんは雪道をドカドカと歩いて行くからね、これから判断すると雪には慣れているようだ。私も転ぶ事無く田中くんの右腕にすがっていた。だって温かいモン。
「田中くんのポッケはあたしん家。」
「俺のポケットに手を突っ込むなよ。」
「だって温かいもの、これ位いいでしょう。」
「くすぐったい。」
「車が通れないからさ、道のど真ん中を歩こうぜ!」
「うん、いいね……。」
じゃれ合う子猫のような私達だったが田中くんは雪を大きく蹴り上げて歩く。
「燥ぎすぎたかな、亜衣音さんが倒れたら運べないからもう帰ろうか。」
「そうだね、……。」
私は反論することは出来なかったの、そして渋谷発の路面電車で乗換えて帰宅した。その電車には一人の女子高生……私と同じ制服を着た子と一緒になっていて、でも色白で何処か異国の感じが漂っていた。
「亜衣音さん、あれはうちの在学生にしては可笑しくないかな。」
「そうね、顔は若く見えるのだけれども、高校生には見えないような気がする。」
「見た事も無い女だよな。」
「そうよね、同級生には居ないよ。」
その子も明大前駅で乗換えて千歳烏山駅で降りる。その後は見かけなかったが四月の入学式に来ていたのだった。
1969年4月8日
*)二年生の新学期
今日は朝早くから登校する生徒が多く、高校の掲示板には黒髪の山が見えていた。二年生にとっての新学期の初日は入学式の初日と同じで、クラス別けの名簿を見る必要があるからね。仲のいい友達と見る掲示板は喜ぶ声と寂しがる声と「ふん」と、鼻で声を出す者まで。中には無言で居る者は何とも寂しい奴だろうか、同情もしたくなる。
今朝の父は出勤が早かったのだから私は独りで見に来ていて、すると田中くんが私を見つけて声を掛けてくれた。この頃になると私は田中くんをあまり意識しないで、ごく普通に対応が出来るようになっていた。
「どうだ、見つけたか。」
「う~ん……まだ。Aクラスから順番に見ているけれども……。」
「お前、最低のEクラスに名前があるぜ!」
「え、どこどこ……うそつき!」
「Cクラスだな、雨宮に白川さんから立花の双子もあるな、最後は明神さんだけ~一番下に書いてあるよ。」
「良かった、皆と同じで。田中くんは無いんだ。」
「そうだな、別クラスで安心したか。」
「え、違うよ、前に出ないと見えない。」
「あるよ、俺も一緒さ。」
「うん良かった。? もう~意地悪!」
田中くんは私よりももっと早く登校して名前は確認していたのだ。今は私をからかう為に今来たような素振りをしているのだろう。
だって田中くんの名前も下になっているから此処からは見えないよね。校長と父の意向で同じクラスにされていたのだと考える。だからクラス自体の成績は中の中に集められたものと推測した。未来や藍には残念だろうが……? いやここは逆転の発想で未来はクラストップの成績が狙える筈、良かったね。
「そういう事でCクラスに行くよ。俺がまた委員長な!」
「うんお願い。私は下りる。」
「副になれよ。するとまた一緒だろう?」
「でも……今年も沢山迷惑をかける予定だからさ、ぜ~んぶパス!」
私はこれから産まれる赤ん坊に全生命力を吸われるのが見えているので、今年は何度も入退院を繰り返す予定だ。これはまだ田中くんには話してはいない、いや話せないか。
私の大好きなクロの背中は私の大好きな田中くんに譲ってしまった。クロも納得済みであるし部活の今は部長という名前だけになっている。
明子姉さんが五月の予定だからもうすぐで次は母の八月の予定。最後は澪お姉さまのお産は、え~と……何月だぁ?……九月かな十月かな。
途中途中にアクシデントがあれば私の入院は三回では済まされないかもしれないや。
「あ~ぁ……憂鬱だな。」
「今から憂鬱になってどうする。」
「そうなのだけれどもね、でもね~!」
「ババくさ!」
「いや~ん、もう言いませんから訂正して下さい。せめて……うっ、」
私は急いで口をハンカチで塞いだ。田中くんは私が気分が悪くなった事に気が付いていなくてね、私をからかってくるのだ。
「言葉が出ないのか、……バッちゃま!」
「う~……それも同じだよね、違わないよね、だから、」
「亜衣音さん、可愛い!」
「うん、それがいい。もっと言って!」
「やだ、」
ややあって、
「おい、あれは雨宮だよな、その横は……あのあれか!」
「藍ちゃんの妹さんが入学したんだね。でもさ、どうして教えてくれないのかな。」
「俺も聞かなかったよ……仲は良さそうだけれども。」
「最近は三日前に部活で一緒だったよね。でもどうしてかな……うっ……。」
「亜衣音さん?」
「あの子は路面電車で見かけた女子高生だよ、色白で異国風な感じがした。」
「でも綺麗に見えるがな、……イテッ!」
「フンだ!……。」
「踏んだ!……。」
「アハハハ……。」x2
私は何とも言えない恐怖のようなものを感じたのだが、無理して笑っても少しも気分は戻らなかった。もう田中くんにも誤魔化せない程に気が遠くなりだしてしまって、
「早く教室へ連れて行って、お願い、」
「気分が悪いのか、だったら保健室が良くないか。」
「そうね、そうする。それで父さんを呼んできてくれないかな。」
「よし急ごうか。直ぐに親爺さんも呼んでくる。」
「う……ん、藍ちゃんには見られないように、反対の北校舎からお願い……よ。」
「分った……。」
私は口をハンカチで押さえながら必死で頑張った。今日の気分の低下は今までは経験した事も無い嫌な、そう異様な感じがした。なぜだろうか。
「着いたよ、」
「うん、」
「……。」
「ありがとう。それと制服を脱がせてくれないかな、下は綿シャツだから……平気だよ、」
「いいのか、」
「うん田中くんだからお願いするのよ、早く……。」
私はベッドの上でバンザイの格好をして制服を脱がされた……そのまま後ろに倒れて気を失う。
私は何だか暗い夢を見たようだが起きても思い出せなかった。横には父さんが付き添っているのがうっすらと見えるだけで声は聞こえない、なにも。でも私は意識せずに声を出したようだった。
「父さん、田中くんを連れてきて・くれ・な・いかな。」
「よし分った、」
その後、救急車を呼ばれてまたいつもの病院に入院した。
当然田中くんは心配してくれていて、だってもう二度目だものね。病院では私の右手をずっと握ってくれていたから早めに目が覚めたのかな。
この時には家族も全員が揃っていて母は各自三人のお腹を確認したという。でも異常は無いので他の要因で倒れたと判断された。だが私はこれを知らない、三人の悪巧みの……協定も知らない。
父さんは除外して田中くんと面識のあるのは澪お姉さまだけ。クロが来たときに母と会ってはいるのだが、挨拶程度だったはずよ。田中くんは授業もあるのに付き添っているのだから、母や明子姉さんからは特別視されるのも辛いよね。だから私は田中くんに何度謝っても許されないのかも。
「ありがとうございます、貴方が田中くんですか?」
第一に駆けつけた母の言葉だった。私からは田中くんの存在が知らされていたし、澪お姉さまからも聞いてはいたはず。
「あ、はい、田中です。え~と、どちらでしょうか、多分お母さまの方ですよね。この前とは少し印象が違う~よ~な。」
田中くんは馬事公苑で会った澪お姉さまの顔を思い出して、今の母の顔の表情と比較しているのだろうね。それで判別ができただなんて凄いぞ。お正月に倒れて病院に運ばれた時は田中くん、お母さんと会っていなかったんだね。それは恥ずかしいので逃げていたんだ。
「母の方です。妹の澪とは馬事公苑で面識がありますよね。」
「それと亜衣音さんが入院中のお見舞いの時に、色々と攻められていました。」
「まぁ妹らしいですわ。それに今回も娘がご迷惑をお掛けしました、今日もありがとうございます。」
「あ、いえいえ、少しも迷惑だとは思っていません。」
「そうですか、それでもありがとうございます。」
「それでお母さまも、……でしょうか?」
「え?……はい ……勿論、色々と訊きたいです。」
「いや~それは~……。」
「うふふ、冗談に決まっていますよ。こんな時に不謹慎ですね。」
「あ、いや、いいです、少しくらいなら。それに亜衣音さんには誰かの声が聞こえていた方がいいでしょうから。」
母は左手を、田中くんは反対の右手を握ってくれていた。それから母は田中くんを攻めて来るのだった。母だけの笑い声に対して田中くんの恥ずかしそうな辿々(たどたど)しい声。私は目が覚めても起きる事無く、少しだけ聞いていたい、そんな衝動に駆られた。そんな田中くんの声を聞きながら、
「田中くんって、まぁ随分と私の娘を可愛がってもらってばかりで、本当にありがとう。」
もう私も恥ずかしいし聞いてはおれないからと目を開けた。
「もう、二人してやってくれちゃってさ、もう眠っておれないよ。」
「亜衣音……。」
「お母さん、また迷惑かけたね。それから田中くん、ありがとうお陰であの世に行かなくて済みました。」
「ば、ばか!……俺がどれだけ心配したのか、分っているのか!」
「少しも、ゴメンね?」
「口先ばかりで少しも俺の事を信じないのだから。」
「田中くん。母は許します、口で教えて遣りなさい。」
「え~!」
「はい喜んで~!」
「キャッ、イヤー!」
私は急いで深々とお布団を被る。
「残念だったわね、後で眠るはずだからさ、……その時にやっちゃえ!」
「はい~!……喜んで~!」
「ば~か、フン!」
「ハハハー……。」x2
私は嬉しいはずなのに拒否していた、やはり恥ずかしい。
「そっか、良かった。」と、母は病室を出て行った。暫くして明子姉さんと澪お姉さまが思いっきり笑いながら入ってきて、
「ねぇ……お二人さん、大変だったわね!」
と、未だ笑いが止まらない澪お姉さまが言うから、私は悟った。
「ねぇ田中くん。私達は母にしてやられたよね。」
「そうだろうな、俺はチョ~緊張してしまったよ。」
「ごめんね、後で母には文句を言っておくから。今日は問い詰められるのは懲り懲りでしょうから、ありがとう。」
「おう、早くよくなれや、」
「は~い努力致します。」
「寂しいだろうがもう帰るよ。」
(あ、あ、あ~……。)x2
私は右手の温もりから手を離して寝たままで田中くんを見送る。だって起きたらネグリジェで恥ずかしいもん。対する姉の二人は田中くんの言葉にポカ~ンとしているのよ、それも口を開けてね。
田中くんが部屋を出たから正気に戻った姉の二人、もう満面の笑顔になっていて……私はこれから弄ばれるのだわ。
「亜衣音ちゃん起こしてあげようか、時期に窓の下で手を振ってくれるはずよね。ねぇ、澪霧さん。」
「あ、え、そ、そうよね。明子姉さんお願いね。」
「うふふ……。」
私は明子姉さんから起こされて窓際に立ったら、本当に田中くんは手を振っていたんだな嬉しいよ。
「あ~ホントだ。澪お姉さま、ありがとう。」
「まぁ、騙せない頭の良い子だね。」
私は精一杯の笑顔で田中くんを見送った、とびっきりの笑顔ができたから嬉しい。さっきまでネグリジェ姿が恥ずかしいと思っていたのに、今ではどうだろうか……堂々として手を振り返しているんだな。遠目だったら恥ずかしさも消えて無くなったとか。
私の後ろ姿を見つめているであろう二人の姉たち、どうだ、羨ましいだろうが!
「我が妹ながらにして……大胆だわ!」x2
「それで亜衣音ちゃん、今日は新学期だったのよね。」
「そうなんだよね、お父さんが来たらね。」
私は父さんが来てから事情を話すからと、またベッドの上に横たわって頭の中で事を整理するのだった。祖父母には連絡しないようにお願いもした。
本当にこの身体は不便だな。……父さんがお母さんと一緒になって来た。
今朝の恐怖がよみがえり、私は子供のように母にしがみついて今朝の掲示板前の事を順序よく話して聞かせたが、私の恐怖の感じまでは伝える事が出来ないもどかしさ。
「お父さん、藍ちゃんの妹を調べてくれないかな。あの子から何とも言えない恐怖が伝わって来たのよ。」
「分った直ぐに手配するよ。」
「うんお願い。」
私は母に頭を撫でられながら今でも抱きついている。母の温かい胸を振りほどいて母に向き合った。
「お母さん、私は巫女なのよね。私には明らかな敵がいるのかな、ねぇお母さん教えてくれないかな。」
「どうしたの? 何があったのよ。」
「実は私……苛められていたの。でもね、今まで田中くんから守ってもらっていたのよ。今まで黙っていてごめんなさい、今度からは正直にお話いたします。ねぇ、お母さん、私を守って……。」
私は体操着の事、靴の事、そして机の花瓶の事を話した。母は噎び泣いていて、それから父さんには車の荷物の事も話した。私は家族に心配させて母には泣かせてしまった、本当にごめんなさい。
母は泣きながら私に覆いつき、その勢いで二人ともベッドに横たわる。
「亜衣音~わ~ごめんなさい、少しも気づいてあげられなくてごめんなさい。今日から、今日からは貴女を守りますね、……。」
そう言いながら私の顔の横に母は顔を埋めて泣き出した。母の腕とほっぺで私の顔は守られる様に抱きしめられた。
「私だって亜衣音ちゃんを守ります。」
「お姉さまも守ってあげますよ? 亜衣音ちゃん。」
「ありがとうございます澪お姉さま、明子姉さんもお願いね、だって私は弱い女の子だもの。恋だってまだだしね……、」
「それは余計でしょうが、ま、現在進行形だよね。」
私は嬉しくなって泣き出し、心の中のものを全部吐き出した気分になった。
父さんは病院にお願いして私を二人部屋に移して貰い、退院まで澪お姉さまが隣のベッドで添い寝をしてくれたのだった。
「今度も私は入院いたします。」
「澪お姉さま、お願いします。」
「アハハ~……。」x4
澪お姉さまが入院して私を守ると言い母はすかさずお礼を言った。ここには父と母、澪霧さんと明子姉さんが居る。
夜中になって考えた。藍ちゃんの事だ、仲のいい姉妹ならば妹の入学を喜んで私達に報告するはずだと。ならば妹の入学は藍ちゃんにとっては悪なのだろうかと考えて眠れなかった。そう言えばお年玉を貰ったとは聞いていないな、もしかしたら両親は未だに北海道に居るのだろうか、とも考えるのだった。
藍ちゃんは転校生として北海道に来た、それもこの東京からだった。そしてこの高校にも私を追って転校してきたのだ。何かあるのだと私は独り言で自分に言い聞かせる。
「後追い入学なのか、そうなのね。でも藍ちゃんからは敵対心はあるにしても、異様な敵愾心は全く感じられないよ。」
「へ~そうなんだ。亜衣音ちゃん少しの間だけれどもね、お姉さんが保健の先生として赴任しても良いよ。」
「なんだ澪お姉さまは起きていたんだ。そうだね、あの杉田先生が言うような事になってしまい、癪に障るのだけれどもお願いします。」
「杉田先生?……いいわよ、明日から勤務いたします。」
「澪お姉さま、それは何処から聞いたのでしょうか。」
「う~ん……内緒にしてね、お爺ちゃんからよ。あのジジイは腐っても元長官だね、今でも裏でコソコソしているみたいだよ。」
「うん内緒……だね、約束する。澪お姉さまも父さんみたいにジジイと言うんだね、何だか可笑しい。」
「安心したかな、もう眠れるよね?」
「はい、田中くんの夢を見れそうです。」
「言ったな~、……私からも田中くんにはお礼を言いたいな。」
「よろしくです!」
最後に「藍ちゃんと未来は渋谷だったよね……。」と思い出して眠りに就いた。
皆さま、雨の被害はありませんか。今朝から二度目かな、つい先ほども携帯が鳴りました。どうかこれ以上に被害が広がりませんように……。




