第39部 クロが来る!
1968年10月8日(昭和43年)東京
*)……吉報
「おはよう!」
「おはよう!」
「オハー!」
「…………よ~、亜衣音、今日はいいのか、」
「うん、田中くん。ありがとう……。え?……何がかな。」
私は父さんと車で通学だから他の誰よりも早いはず……なのに更に早く出校してくる人物が三人もいる。だからか、自然と朝の挨拶は同じになる。順番が変れば御の字かもしれないが、どうしてか田中くんの言葉が微妙に変ってくる。
そんな田中くんの意識を察してか、女の二人は挨拶だけで終わってしまう。私と田中くんの微妙な挨拶が終われば未だ来ぬ女の出番となる。
……どうしてなん?? もちろんの事、誰もが私の心の質問には答えてくれない。
今日は朝から雨模様……、私のお肌は乾燥しないのでファンデーションは塗っていなかった。だからか……! 私は急に恥ずかしくなった。
「……いやいいんだ、雨、降ってるし!」
「そうね、雨だね。みんな傘さして通学は大変だろうな。」
田中くんを見つめることが出来なくて外に目をやると、雨傘の花が開く校庭の道。未来のようなカラフルな色の傘はまだ無い。今は黒と赤の傘がチラホラと見えるだけ。
田中くんの席は窓から二番目の列の最後尾で、私は窓側の列で後ろから二番目になっていて、田中くんは私を見る事は出来るが、私から田中くんを見ることは出来ない。まぁ田中くんの一つ前だったりするのだ。廊下側は席が六つで窓側は七つの席が縦に並んでいる。横は七つの列が並ぶ。
だからという訳ではないが、私は少しお行儀が悪いかも知れないと思いつつも、壁を背もたれ代わりにして教室の中心に向かって座る。こうやって座れば教室の入口から入ってくる級友を視認することが出来るし、ま~人間ウオッチングも出来る。
「お前はいいよな、親父の車だし、」
「ハハハそうだよね。でも田中くんはどうして早く出てくるのかな。」
「汽車が混むのが嫌なんだよ。」
「ふ~ん、随分と田舎から来ているだ、そうよね私だってお尻に他人が当たるのが嫌いだったしね。あ~今は楽が出来ていいな~!」
田中くんは汽車と言うからきっと元は田舎育ちか、と勘ぐってしまう。
この時点では私はまだ席に座らずに窓の外、主に眼下に広がりつつある傘を眺めている。遠目には少しずつ傘が見えだしていて、車通勤の先生は狭くなった道を最徐行しながら駐車場へ車を進めている。女学生を追い越す度に「おはようございます。」と声を掛けられているのが聞こえる。きっと先生は車のガラスを開けていて同じように「おはよう!」と言っているのだろう。
私達のような電車通学組は遅い出校部類に入るので、先生とは挨拶した事とか無かった。あったとしてもその時は先生の出勤が遅い時だから、車は徐行もしないし急ぐ先生とは挨拶も交わさない。
「……そうなんだよな、俺も参ったよ。」
思わぬ言葉が田中くんから聞こえてきた。私はハッとしたので、
「へ~田中くんは女の子のお尻を触ってたんだ、やだね、」
「ば、バカ言え、俺は絶対に触ったりしていない。煩い!」
顔を赤らめて反論してくるから、きっと田中くんはウブなのだろう。女の子と話している処はあんまり見かけた覚えがない。英語の豆単を読んで唇を動かしている方が多いようだ。私は思わず「ウフフフ、」と笑ってしまった。
田中くんは幾分頭を垂れてしまった。うん、「可愛い!!」
これから明神さんや藍ちゃんが教室へ来ると、二人はカバンを自席に置いて私の処に来るのが日課になっている。私は胸の辺りまで腕を上げて手を振る。
「おはよう!」
「オハー! 藍ちゃん。今日は濡れてたね~、」
「だって電車に傘を忘れてね、気が付いたらもう電車は出てたし……。」
「で、明神さんに助けてもらったんだ。」
「そうよね~、ドジコと、あだ名を決めようか!」
「や、やだよ、勘弁して。今度は私が傘に入れてあげるからさ、ね!」
「私、絶対に傘は忘れないもん。無理だね。」
「藍ちゃん。どうして電車に忘れたのよ。」
「……バンガサ……。」
「そう……ドアの横に立てていたんだね。そうよね、あの番傘は大きくて重たいよね~。」
「亜衣音の意地悪……、」
まだこの頃は番傘も利用されていた時代ででもあった。いや無いだろう変人か。
「それ、きっと置き引きに遭ったんだよ。眼に入らなかったから気が付かなかったのとちゃうん?」
「う~、そうかも知れない。帰りに駅に寄ってみる。」
「寄るって、いつも通るじゃん。」
「そうだけれどもね、……。」
「あは~ん、あのハンサムな駅員さんだよね。だったら絶対に傘は届いているよ、うんうん明神さんもよろしく!」
「そうね、藍に代わって忘れ物の問い合わせカードを出しておくか。この子はあの駅員さんには声が出せないのよね。」
「バカ、バカ、バカ、恥ずかしいじゃないの。もう言わないで!」
「うふ~ん!」x2
俯いた田中くんがクスクスと笑っているのが見えた。女の会話は連想ゲームで超~楽しい。
*)お昼休み……
「ピンポンパンポーン!!……白川亜衣、至急応接室へ来る様に、あ、あ~、、……亜衣音、早く来い!」
「わ~、なに! あんた何かまた悪い事したんだね、一緒に行ってやろうか。」
「う~、父さんの意地悪。」
「きっと校長も一緒だよね。」
「明神さんも意地悪!」
校内放送にいち早く反応した藍ちゃん。私は放送の声の主が父だと直ぐに判るも身体は縮こまる反応しかない。これを見て明神さんも私を畳み込めるように言うのだが、私は呼び出しの意図を考えるも思い当たる節はない。
「よう亜衣音!……今度は何をした、またガラスを割ったのか!」
「う、田中くん貴方学級委員よね。一緒に怒られて……。」
「ヤダよ、でも……一緒に応接室の外までは付いてきてやってもいいぞ、そして怒鳴られている処を聞くのもいいな、うん面白い。」
「それ、いいかも!」x4
「わ~最低……。」
私は小声で呟く。
私が又しても田中くんからからかわれている間に双子が来ていた。私がシュンとなると田中くんは「ウシシ……、」と笑う。だが始末に負えないのが女たちの方で一番に質が悪いのがオタク系の明神さんだなこれが。なんでもかんでもラノベの物語に多大に影響を受けているのだから、面白いと考えたり思ったりすると即行動してくるのだから。
もう、あり得な~い。
「私、付いて行く!」
「私も!」x3
「田中くん,だじげで~……、」
「ヤダよ、……俺も行くか!」
「え””~~!!」x4
「なんで田中くんが!」x4
私が廊下を歩いているのを確認した父は薄ら笑いで私達を眺めている。
「お前ら~いつもつるんで仲がいいのだな。校長先生も居るが、その皆揃って一緒に入るか!」
きっと私を待てないのか、廊下にずっと立って待っていたと校長先生から聞いてしまった。父は大いに照れていたのだが、その時点ではまだ呼ばれた意味は明かされてはいない。
そうして父は喜んで私達を迎え入れていたが、ゾロゾロと応接室に入ってくる生徒を見て驚いたのが校長先生だ。一瞬キョトンとして、
「何だね……君たちは。亜衣音……くんが六人も居たとは知らないぞ。」
「校長先生、六人も居れば十分でしょう。私は顧問を引き受けますのでよろしくお願いします。」
「それはそうだ。いきなり部の設立か、これはいい。実は教頭先生がな待ちきれずに廊下に出ていてさ……、」
「ゴホン! もう勘弁して下さいよ~。」
「校長先生。そのう~なんでしょうか。亜衣音ちゃんに代わってお詫びいたしますが……。」
「今日は何処の窓が壊れたのでしょうか。」
この女二人は私を心配して言葉に出してはいないのが良く理解出来た。何せ薄ら笑いの顔をしているのだから。双子と田中くんはソファーの後ろに立っていて性格の悪い明神さんが右に座り左は藍である。口火を切ったのは明神さんでガラスが壊れたと言ったのが藍ちゃんだ。どうして私が窓を壊すのよ偶に割るだけでしょうが。
校長先生が話し出す時のしかめっ面はいつもの事で、顔の表情は面会の度毎に皺の深みが増していたのだから。校長先生の今日はどのような過去を引きずっていたのだろうか。
校長先生は口を開く前に急に朗らかになって、
「亜衣音ちゃん。喜べ!……クロを呼べる事に決まったぞ!」
「……、」
「え”~!」x5
そう言えば校長先生が希に家に来たり、祖父の家でたまたま会ったときは私を「亜衣音ちゃん。」と呼ぶ。だが学校では「亜衣音くん」と呼ばれている。他の生徒は名字の呼び捨てだから破格の待遇なのかもしれないが、だが今日は違った。
私は大きく目と口を開けて驚く。もちろん両手で大口は隠してはいる。ただ誰の両手なのかが問題か? だって驚くと直ぐに大声を出すとの認識が田中くんは持っていたからね。
「ゥグ、ゥグ……。」
「先生!……クロって、あのクロでしょうか。」
田中くんは私が良く話題に出す馬のクロだと直ぐに気づき、私は何も言えないのか!
「あぁ、そうだよ田中。お前はもう勧誘されていたのか。」
「?……勧誘でしょうか、なにがですか?」
校長先生は田中くんがクロの存在を知っていると判断したのか、続けて言うも田中くんは色良い返事はしなかった。
「馬術部だ、五人の部員がいないと予算が下りないんだよ。」
「はぁ……、」
「亜衣音ちゃん。良かったじゃん。これは一大ニュースだわさ。」
「うん、藍ちゃん。嬉しい。」
私は喜んでいいのか迷って小さい声で答えていたが、父は、
「亜衣音、校長先生があちらこちらに折衝されて、すぐ隣の馬事公苑の施設と馬場を借りられる事に成功したんだよ、大いにお礼を言っておけ!」
「亜衣音ちゃん、良かったね。」
校長先生もニコニコとして私に喜べ、とでも言いたそうにだ。ちゃん呼ばわりにされた。
「あ、はい、校長先生……ありがとうございます。とても嬉しいです。これで私の成績が元に戻ります。」
「?……校長先生、亜衣音の成績は何番辺りでしょうか、」
「いや、や、言わないで!……。」
「え~田中、何番目くらいだ。」
「確か、225人中210番という辺りですね。もうバカが行進している感じですね。」
「わ~田中くんの嘘つき、嫌いよ。」
「白川さんには四年でも五年でもいいぞ、なぁ教頭先生。」
「はぁ……しかし~そう言う訳にはいきません。大学にも行かせたいのでして~なぁ亜衣音。」
「……私、各年のダブりでもいいです!」
「亜衣音ちゃん、やだ~、」x4
「ホンと、バカだな。」
「クロが居るのならば、卒業しなくてもいいもん。」
直ぐに午後の授業が始まる予鈴の音が響いてきた。
「もう苫小牧を出ているから翌々日には着くぞ!」
「うん、嬉しい。」
高校の直ぐ横の馬事公苑。オリンピックの会場になっていた所だ。可哀想ながら例の四人が私の餌食になる。クロが着いた翌日まで私の勧誘が続いたのだ。
「みんな、ゴメンね! 部に入って!」
「亜衣音ちゃん。毎日毎日部の勧誘はよしてよね。」x4
「ヤダ!」
「みんな~新しい事に挑戦して楽しもうよ。」
「馬に蹴られるのはごめんですわ。」
そして今日は昨日着いたクロに会いに行く。四人と田中くんを連れて……。クロのつぶらな瞳に女の子たちはイチコロで落とされてしまって、私は苦労も無く馬術部を立ち上げる事が出来たみたい。




