第37部 母が居る朝の食卓
1968年9月16日 東京・世田谷
*)え? ウソ!
私が通学を開始する当日となった。あ、父さんの教頭就任の日でもあるからね。
「お母さん(沙霧)。私、亜衣音ちゃん用の***を急ぎ買いに行きます。」
「やだ~……お母さんだなんて~歳は同じなのにね。」
「歳は違うと思いますが、」
「ん~、だったらお豆腐をお願い。言い訳に使えるからさ。」
「……そうですね、ご近所に在りましたよね。」
「辻が違うだけだから……、」
私よりもかなり早起きした明子姉さんと母さんの会話である。
「亜衣音ちゃん。」
「……。」
「亜衣音ちゃん。」
「……。」
「なに寝ぼけているの。朝ですよ、起きなさい。」
「麻美お母さん?」
「んもう~違うでしょう、お母さんですよ。」
「え? ウソ!……。」
「起きないなら、こんな呪文を使うぞ~、コチョコチョちょ~、」
「いや、止めて、アハハ、そこは弱いのよ、いやアハハハ……。」
「今日から学校に行くのでしょうが、起きなさい。」
「もう、笑い過ぎて体力が無くなった。お姉ちゃん代わりに行って!」
「ふ~ん、亜衣音ちゃんはお留守番するんだ。私が本当に行ってもいのかな~穣さんと学校へ行けるなんて、素敵だわ~。」
「え”……あ、ホンと、今日から学校だった。行きます、行かせて下さい。」
「おう、よしよし元気になったか。田中くんが待っているよ。」
「え~やだ。田中くんは私に突っかかるから嫌い。」
「うふ~、でも田中くんは亜衣音ちゃんをきっと好きなのよ、ね?」
「うん、そうかも!」
「言ったな~、コチョコチョちょ~、」
「ゲラゲラ、うp!」
「それ、和製英語だよね。」
「パ~リ~ラ~!!」
「バコ~ン!」
私は産まれて初めて母から起こされた。「学校よ!」この言葉に響きは初めてで小学校へ上がるようになってからの、憧れの言葉にまで進化していたのだ。
いつの間にかどこからともなく、私の母が若い時のままで産まれてきたのだ。麻美お母さんからは何度かは起こされたがそれはごく僅かでいつもは自発的に起きていた。小学はさほど気にならなかった、クラスの話し声、「今朝も母から起こされてね……、」
この会話が中学校へ上がって頭に残るようになって、「私には母は居ないんだ」諦観のように私の頭を逡巡していく。どうせならば右の耳から左の耳へ駆け抜けてそのまま頭から飛び出せばいいのに、と、何度も考えた時もあった。
それが現実となった今、私の口を衝いて出てきた言葉は、
「お母さん。私、とても幸せだよ!」
「はいはい、なにを寝ぼけていらっしゃるのかしらね、このお嬢さまは。」
「寝ぼけていないもん。おはよう! お母さん。」
「おはよう……私も幸せだよ!」
「うん、……。」
父は朝パンを済ませて冷たいコーヒーを前にして朝刊に眼を通していて、もう既に一張羅の背広姿に変身していた。このスタイルは如何にも私を待っていたぞ~という格好だろうか、正しくそうだったか。ならば笑顔の百二十%だね。
「おはよう……父さん!」
「どうだ、学校へは行けそうか!」
「父さんの車で、だよね、だったら行けるよ。」
「いや~、実は爺さんのだよ。あのクソジジイは近くの駐車場を借りて隠していやがってな、それがよ、『穣の就職祝いだ~』とほざきやがった。」
それはダイハツ・ベルリーナ、父が最初に買った車だ。つい最近になってその雄志をとあるK県で見かけたのでここに登場した訳なんだが、他にも同時代のクラシックカーをも見たんだよ。近くの車の修理工場にも野ざらしで在ったりする。今みると……小さい……。
「どうだ、見てみるか!」
「うん、」
「昨晩引き取ってきたんだぜ、爺が急に呼び出すから何だろうと思えばね。」
「へ~……。」
私は父さんよりも早く道路に飛び出したらそこにはべージュのような、スモーク色のような車が停めてあった。祖父は車庫も造ってくれると言う。
「わ~、可愛い車だね。」
「ま~、タダだからな。」
「後ろの座席は……狭いんだ。」
「いいだろう? 乗るのは可愛い娘だからさ、狭くても。」
「……そうだね、私が一人で乗るのだよね。母さんは前でいいよ。……お爺ちゃんはクラウンだったよね今でも……。」
「あれは国の車だよ。どうして今でも自由に乗れるのが判らないが、俺は嫌だよ公私混同だからさ。」
「ふ~ん、」
私は気のない返事をして朝刊を手にして家に入った。父さんは昨日の新聞を読んでいたのだよねアハハ……、だからお父さんは私を待つのに気がそぞろだったと判ったんだよ。
「亜衣音ちゃん。これは内緒よ、穣さんは亜衣音ちゃんと一緒に学校へ行けるので照れているのよ。」
「うふふふ、父さんも可愛い。」
「そうね、昨日の新聞を見ても気づかないのよね。」
母の娘に対する印象は私が幼少の時のままなのだろうか、私はちゃん付けで呼ばれている。今更ながら……。その内に呼び捨てになって怒られる日が来るのだと思いたい。
家の近くの個人医院が休業する看板が出ていて『改装により休業します』と。これは明子さんから聞いた話だ。
母さんと明子姉さんのウソの会話で、明子姉さんの不在であった事を知る。
「ただま~!」
「お帰り~、ごめんなさいね急なお使いを頼んでしまって。」
「いいですよ、お母さん。」
買い物バックを提げて台所にいそいそと入ってきた明子姉さんに尋ねる。明子姉さんは私の鋭い指摘で前置きを入れながら、一瞬言葉を考えた様子。
「明子さんは何処まで行っていたのですか?」
「ん?……起きたんだ。え~とね、豆腐買いにだよ。」
「ふ~ん、それは序でなのよね、……。」
「そうかもね、お母さん。もう準備は済みましたか。」
「はいはい、お豆腐を入れたら終わりよ。食べよ、食べよ。」
「は~い、……。」x2
「俺には無いのか!」
「あら~、『パンでいいから』とは、どの口でしたかしら?」
「昨日の口が言っていたぞ、今日は……、」
「お味噌汁だけですよ。鮭は上げません。」
「……、」
「駄洒落はもう出ないようですね、……穣さん。」
「お父さん。冷め、たコーヒーは私が飲むよ。」
「お~、亜衣音。目がサメたか!」
「わ、サブ~!」
そう言いながら父さんは箸を私の鮭に伸ばしてきた。食卓の上にはお箸立てがあるから直ぐにでもお箸は手にすることが出来る。
「まだサメの眼だよ、父さんには上げない。」
「何がサメの眼だ、半分!」
「ヤ!」
私は急いで鮭に箸を突き刺したのだった。これを見た二人の姉が笑う、笑う。私と父さんは朝から漫才をしていたようだ。父の頭は鮭を食べたい一心だったのかと考えてみた。お母さんが考えていた事とは違っていた。それでも『目がサメたか!』と一言があった。
「ご馳走さま~!」
「はい、」
「穣さんには熱いコーヒーを淹れました、亜衣音はまだまだ時間が掛ります。」
「……ん?……、」
母さんは父さんの様子が可笑しかったから、うふふふ、と笑っていたらしい。父さん表情は、耳はお母さんに向けていて、眼は私の後ろ姿を追っていたのだから。そして新聞紙の端はコーヒーカップの中に……。
私は着替えに自室へ戻ったら、直ぐに明子姉さんも入ってきた。
「亜衣音ちゃん。ちょっといいかな。」
「うんいいよ。明子さんも学校に行くの?」
「行きたいとは思わないよ。これからは社会が学校になるのだものね。育児の勉強は~必要だね。」
「母さんが居るよ。」
「そうね……亜衣音ちゃん、着替える前にお化粧をしようね。制服に付くとまずいから。それに……お顔が……まだ暗く見えるよね。」
「えぇ、いいの!」
「もちろん、良いわよ。一番薄いファンデーションを買って来たからね。」
「?……、あ……ありがとうございます。とても嬉しい。(今朝の買い物はこれか~嬉しいな~)」
「良かった、今朝は私がやってあげるね。」
「でも、もうすぐ行く時間になるよ。」
「大丈夫よ、今日からお父さんと車で通学でしょう?」
「あ、楽が出来る。」
「序でに汗も掻かないから、お化粧も崩れないわ。……お母さんが言ってらした田中くんとは仲がいいの?」
「そっか、今朝からバトルが始まるのよね、あ~憂鬱になるな~。」
「え、それ、本当なの?」
「お姉ちゃんが私をからかうからよ。」
「う……そ、なんだ。」
「仲は良いけれどもね。」
「ふ~ん、だったら口が悪いんだ。」
「う、……そうかも」
「は~い、出来たわ。亜衣音ちゃん、とても綺麗よ!」
「……ありがとう。」
「どういてまして!」
「え?……。」
言い間違えかと思って私は手鏡を下ろして、正面の明子姉さんの顔をまじまじと見つめたら、私の意表を突かれて、突然『プッ』と笑ったのだ。釣られて私も大声で笑った。だって急にほっぺを膨らませてヒョットコの顔を作るのだもの、……笑っちゃうよね。
「これで亜衣音ちゃんのお顔は完璧になったわ。笑顔を絶やしたらだめだよ。女は愛想笑いが大事なのよね。」
意味が違うよね?……ねぇ明子姉さん! と考えるだけで言葉には出さない。
「他人から見れば一緒。だから自分で使い分け出来るようになってね。」
まじまじと言う明子姉さんを見て私は笑いながら言った。
「明子お姉ちゃん、ありがとう。」
「よしよし本心からの言葉だよね。お姉ちゃんもとても嬉しいよ。亜衣音ちゃん……八方美人の出来あが~り~!」
「なにそれ、とても可笑しいよ。」
明子さんは私の為にお化粧を買いに行っていたのだ。近くには雑貨のお店は在るが、まだ開店していないはず。その時の会話の流れで近くの医院の休業と、新規の医院の名前が『信国産婦人科医院』だと聞いた。どのみち明子さんはお世話になる診療科目なのだから、『近くに出来て嬉しい』と。だけど希有な名字だな。
暫くしてお父さんが催促に来たのは当然か。
これからのお父さんの日常は、どのようになるのだろうか。朝から白い入道雲が出ていた。二人の笑顔で二人が送り出されて、手を振る姿はひまわりがお辞儀しているようで大きな笑顔が眩しい。
「いってらっしゃい~。」x2
「行ってきま~す。」
完全に舞台が東京へと変るのだった。私と父の日常が舞台が高校へと変る、段々と非日常へと変わっていく。
ラノベを十九冊を読んでおりました……。小難しいシャナちゃん以来の二作目ですがとても面白かったです。本になるのならば誤字は無くして欲しいし挿絵も三枚は間違っていて……、内、文章にそぐわないような絵も……。文章を書くのは難しいが非難は易しい、ですね!




