第35部 ……だらしない私
翌朝は早くに私の家の前でタクシーが止まって、そして家に響く大きな声で私は起き上がる。玄関戸が開く音が聞こえたら私の怠い身体に喧噪が広がる。
「沙霧~出産金を稼いできたよ。」
「お帰りなさいお母さん、それで上手くいきましたか?」
「上々さ、それでさ、穣さんの次の仕事も確約させたよ。教頭先生だよ。」
「ほぇ?……穣さんは……教員の免状は持っていたかな~。」
「あんな閑職に免許は不要だろう。どうして教壇に立つんだい、立てないのだから不要だろう。」
「理屈が乱暴すぎます、それはお母さんと同じ理論です。世間ではそれを横暴と言います。少しは自粛して下さい。」
自粛……言葉の響きはいいのだが、本人に対して「お前は少し勝ってが過ぎる、自粛しろ」と言っても本人としては何が悪い、何を自粛しろと俺に言っているだ。と、反省点は分らないもので、思い込みや偏見なんて当の本人には自覚さえないのだから、細かい点を指摘してやらないと分らないものだ。
「マシンガンもぶっ放した私だ、今でもマシンガンは得意だよ。」
「で、お義父さんを蜂の巣にしてきたのですね。」
「あぁ、そうだとも。穴から漏れるわ漏れるわ、漏れすぎて受けるのが大変だったさ。最後に勝ち取ったのが沙霧の亭主の仕事さ。」
「お母さんありがとう。それで穣さんは一緒ですの?」
「今日が面接だから朝から散髪だろ。着替えを用意しなくちゃね。」
「そうですね、昼風呂も必要でしょうか。」
私は重い足取りで二階から降りてきたら、これまた重い足取りの智治お爺ちゃんと玄関で遭遇した。いや~とてもではないが、大変疲れた顔をされたあったからエイリアンと遭遇したと感じただけだよ。
「お帰りお爺ちゃん。」
「あぁ、亜衣音ちゃん。何処かで休ませてくれないか、も~~昨晩は殆ど寝られなかったよ……。」
「それは難儀されましたね。」
「分るかぁ? あ~も~、あんな……………………、」
最後は苦情の言葉だったから私は聞かなかったことにする。……だが敢えて一言、「ムフ~!」だ。私の寝起きの酷い顔が瞬時に笑顔に変身したんだからね。
さて……智治お爺ちゃんは何故眠れなくて、尚且つ疲れたのだろうかね、桜子お婆ちゃんみたいにマシンガンをぶっ放していたんだろうか。そう考えたら桜子お婆ちゃんの異様に機嫌が良いのが解せるというものか。
私はお座敷にお布団を取り入れて敷き直した。既に母により客用の布団は干されていたからで、智治お爺ちゃんは直ぐに寝入った。
居間では桜子お婆ちゃんと明子さんの母娘の声が鳴り響いている。
「大体がな、麻美がよ、ありゃ~俺に当てつけだろうね、な~明子。」
「クスッ、はいはい、それで間違いないでしょうかね。」
「おはよ~……ふぁ~、どうしたの?」
「亜衣音さん、智治さんをありがとう。」
「いいですよ、もう直ぐにお休みされました、私も眠たいな~ふぁ~。」
「布団の二組とか、敷いてないよね。」
「え~? 私が寝たいけんだけど桜子お婆ちゃんに譲りますわよ。」
「そ、これで静かになるわ~良かった~。」
私は寝起きで少し身体を動かしたので、のったりとして台所のテーブルに着いた。それも大きな欠伸をしながら……まだ身体はだるくて眠たいらしい。
「えぇ? お爺ちゃんの家がそんなに煩かったの?」
「亜衣音ちゃんは気にしなくていいの。ここは大人のお話なんだから。」
「ふぁ~ま~だ眠たいな~。」
「俺も寝てくるから起すなよ。」
「はい、おやすみなさい。」
私の大きな口に明子さんの嫌みが飛び込んできた。このような雰囲気をなんと言えばいいのか分らないが、少なくとも北海道で一緒に暮らしてきたような優しい明子さんではないのだ。あ~も~こ~主婦になって財布の紐を締めなければならない若奥様……みたいな、そう……小姑だ!
「もうだらしないですよ。お顔は洗いま……せんね、あ~私も大変だ!」
「パンと牛乳でいいよ。」
すると私の前には冷えて硬いトーストが置かれた。きっと桜子お婆ちゃんが手を付けなかったトーストだろうか。それを再度トースターに入れて二度焼きしていて、ニコリとしながら私の前に押し出すのだよ。大きさも縮んでいるし……これって更に硬く焼いたトーストに仕上がってませんかね。
「これで十分ですよね!」
「……はい、十分でございました……。」
直ぐにトースターの「チン!」という音がして、明子さんはお皿に熱々のパンを二枚載せてテーブルに置く。しかも北海道産のタマネギにこれまた北海道産のチーズを載せてオーブンで焼いた……あ~私も食べたいよ~、良い匂いだぞ明子さん。
明子さんのトーストにはタマネギが載っている、と言う事は私のトーストにも載っていた可能性は否定出来ないね、すると桜子お婆ちゃんはタマネギだけを食べたのかな?
「これは私の分です、洗い物で食べていなかったの。亜衣音ちゃんはコーヒーは飲むのかしら。」
「父さんが飲んでいるだけだよ、明子さんはコーヒー派なの?」
「そうね、大人の薫りかしら!」
「もうお上品ぶって……私もコーヒーが欲しいです!」
「じゃぁ、一緒に、アフリカン。」
「なにそれ、知らない。」
「やっぱり牛乳になさい。」
「は~い、お姉ちゃん。」
私と明子さんは暫しの会話を楽しんでいたら中断させられてしまう。台所にやって来たのは麻美お母さんで、またこの人も、ムスッとしていきなりに現れた。
「お母さん、疲れは取れましたか?」
「明子、コーヒー、濃いやつ。」
「はいはい、ミルクは入れますよね。」
「要らない、二日酔いで頭が痛い、」
「お味噌汁が良いのですが、飲みますか?」
「具は、」
「有りません。お湯で溶くだけですので簡単調理と言います。」
「お願~い……、」
「は~い直ぐに、具はパンを入れようかな!」
小悪魔か! でも? 子は親の後ろ姿を見て育つものだとしたら……これも親譲りだったりするのかしら。明子さんはご自分のトーストに載せていたタマネギだけを、溶いたお味噌汁に入れていたのだった。すると桜子お婆ちゃんにも同じ事をしたのだと気がついた。明子さんも私と同じ運命、二度焼きで小さく硬くなったトーストを囓る。私も歯が立たないトーストに齧り付いたら上顎がザラザラする程に口の中を痛めてしまったな。あ~私にもお味噌汁が欲しいよお姉ちゃん。
「ば~ろう~それは明子の亭主の好みだわさ。」だって! 本当かな~ね~明子さん。
私は楽しく働く明子さんを眺めていた。それは新しい家に馴染もうとする努力する、明子さんの後ろ姿でもあると気が付いた私だった。こんな後ろ姿を見ながら子は育つのだろうね、ガンバ……明子さん。
「私も頑張らないといけないな。」
「えぇ~なんか言った~?」
次に私は麻美お母さんを見た。これまたどうだろか乱れた髪を放置してぐったりとしていて、私が初めて見る麻美お母さんの一面の顔。でもしかめっ面でもない優しい顔つきだよ、きっと目先の問題が解決したんだね、良かった良かった。と私がニコニコとして眺めていたら明子さんが私に、
「亜衣音ちゃん反面教師にしなさいよ。ここまでだらけたお母さんを見るの久しぶりかな。」
「え~だって麻美さんは牧場で大変なのでしょう? たまにはいいんじゃなくて?」
「そう……私の事で頭を痛めたのよね。……ありがとう。」
「わ~凄いな~」
と、私はとても幸せそうで優しい明子さんを見つけた、ふとそう思えたんだよ。私も見習わなくては!
そんな母娘を見ていても動かない私が居る、やはりだらしないかな。
「どう、身体の調子は、」
「うん、まだとても怠いの。桜子お婆さまが現れたからもう元気になると考えたのにまだのようね。どうしたのかしら、私はこんなにひ弱じゃないのにな。まだ栄養が足りないのかしら。」
「貧血かしらね、今晩から鳥レバーを買ってくるね。」
「はい、お願いします。」
同じレバーでも冷凍されない鳥レバーの方が栄養があるような気がする。売れ残りの肉コーナーの鳥レバーがだよ、一パックが二百円ととても高くなるんだよね、甘辛煮の美味しい料理、うんうんこれを食べ出したら身体の疲れが出ないみたいで良かった。牛や豚レバーよりも効果がより早く出るみたい。
私の怠い気持ちはこの後七ヶ月も続いていくのだが、明子さんの出産が終わるその日まで続いたのだ。明子さんの出産時にはどうしてか私も苦しくなり仕舞いには卒倒していた。私の巫女の力が産まれてくる双子にも注がれていたらしい。お母さんの妹たちが産まれるのだからお母さんたちと同じ様に私の巫女の魔力が消費されたのだろう。
私はとてもでは無いが歩きと電車通学は出来ないので、父さんの車で一緒に通学? する事に決まった。九月十六日から父と娘の新しい出会いが始まる。禁断の……?
*)父さんの仕事とは
父さんはお爺ちゃんと一緒に帰宅して着替えてそそくさと出て行く。せわしなく、慌ただしくということだが。
私と母が入れ替わりの事件を起こした日に、担任の杉田先生が車で駅まで送って貰った時の話しで「お父さんはこの学校に転勤する。」と言っていたのが、それが本当に現実になってしまった。お爺ちゃんは余り口にしたがらないのだが、ニュアンスとしてはやはり国の意向らしいのだ。桜子お婆さまが言っていた「教頭の閑職」に決まっていたという。
「お母さん、これって、」
「そうだね亜衣音。何か運命でも新たに紡がれているように思えるね。」
「嫌よ、私が嵐の当事者だなんてあり得ない。」
だが、父さんも仕事を受けざるを得なかったらしく、口では家族の食い扶持が~と言ってはいるのだが、お父さん本人も納得し難い所が有るみたいだった。
「沙霧、この仕事は受けようと思う。給料がとても良いんだ。」
と、家族には明るく言ってはいるのだが、眼が曇っているよ父さん。でもでも「明るい家族計画」はお父さんの頭の中で着々と進んでいたのだった。うちの沙霧に肉をタンマリと喰わせて俺は青森のニンニクをひと玉を喰って亜衣音の私は実家に送り届けるという作戦らしいのよね。私も大賛成して自らお爺ちゃんの家へと向かうのよ。娘も大変だよね~。
今では巫女の魔力も消えた沙霧ママ、お父さんとやり合っても勝てた昔とは勝手が違ったらしい。直ぐに組み伏せられて……あれ~!
「お父さん、ガンバ!」
「馬鹿の亜衣音、ダマらっしゃい フン!(それは桜お母さんですよ、)」
「それで、どうなのよ穣さんは。」
「あぁ、九月十六日から出勤だな、亜衣音は通学が出来ないから一緒に行く事に決まったよ。」
「あら~良かったじゃないの、亜衣音ちゃん。」
とは何も担任先生の状況が判らない明子さんの言葉だが、母は、
「亜衣音が少しでも楽になるのなら、それに穣さんが決めた事でしたら私は何も言いません。ですが私も全力で娘を守りますから。」
「うん、ありがとう沙霧。」
「お母さん、私もありがとうだよ。」
「バーカ、なに言ってんのよ。当たり前でしょうが。」
事件は既に始まっていた……。
杉田先生が……死亡したらしいのだ。




