第3部 亜依音は小学一年生
1959年4月8日(昭和34年)北海道・苫小牧
*)入学式
今日は亜依音の入学式で麻美は綺麗な洋服を着て父の穣と共に小学校の入学式に参加した。亜衣音にはその当時、制服なんてものは無いから少しばかりの他所行きの服を着て式に臨む。
亜依音は色白で学校では目立つだろうか? と心配になる。この頃はいじめとかはまだ無い時代だった。可愛いようないたずらは多々存在したが……陰湿と呼ばれるものではなかった。
変かもしれないが麻美は亜依音の事よりも、逆に同級生を心配するのだが?
「穣さん、亜依音にはお友達が出来るでしょうか。」
「亜依音ですよ? 心配はいりません。」
「ならばいいのですが、私はとても心配しております。」
「どのようなご心配を?」
「はい親が親でしたので子供も同じではないかと、その、学友の心配をしています。」
「ははは……我が子よりも他人の子供の心配を? そうですね、沙霧の話しでは周りを締めてしまったとか言っていましたね。そう言われてみれば少しは心配になりますね。」
穣も麻美同様心配しだす。
「お母さん、お父さん。亜依音は可愛い?」
「うん、可愛いよ。」
という会話は無い、むしろ無口だった。小学校に来るのは初めてではないが、明来の運動会で亜依音は数回学校へは来ていたが、校舎には初めて入るのだった。講堂で校長先生やPTAの役員やらの挨拶があって退屈の二文字、そのうちに鯛が靴を履いて行進しだした。
一年生は教室に入り適当に席に着き、時期に担任の女の先生が入って来た。
「はい、起立!」
集中力を欠くような悪ガキたちだ、クラスの二十名の中の半分が起立をしたが亜依音は最後まで座っていたのだ……。
「う~ん起立は教えなかったか、この先はだ大丈夫かな~。」
担任の先生からは型通りの説明があって綺麗な教科書が配られるが直ぐに奪い合いになる。教科書の冊数が不足していた。
「ごめんなさい、今年も教科書が不足しています。」
先生は今年もか! と思った。亜依音は争わずに国語の教科書を譲り一人一冊の不足に割り当てて五人が不足した。今年は多いか……物資もまだまだ不足している時代で別段珍しくもなんともない。
これで入学式と教室への登竜門? 最初の儀式は終わり明日からは一人で通学する事になるが、でもそれは姉の明来と一緒にだ……。
先生はこの五人を居残りにしていて、教壇の引き出しから昨年の生徒から譲り受けた教科書を五人に配る。ボロボロでもないがそれなりに傷みは激しいから、亜依音もだがそれを受け取った生徒たちは悲しくなった。教科書は忘れた頃に届き、亜衣音は新しい教科書を貰って疑問に思った。
この事実を知らない者が多いのも事実で、これは明らかに先生の失態であり、全員の前で配るべきだった。古い教科書を見た同級生がお前の本はボロだ! と燥ぐので、いわゆるいじめに繋がる口実を与えたというのかもしれない。これは厳然たる過去の実話である。
「亜依音は泣かないもん。」
これからが霧お婆ちゃんと同じく人間ウオッチが始まる。二学期まで亜依音は猫になった。
白鳥 明来十歳と共に通学する。
*)初登校日
お父さんから買ってもらった赤いランドセルがとても大きくて、亜依音は喜んで何度も何度もオブっては下したりしている。ランドセルの中身は教科書とノートと筆箱であるが、亜依音は何度も開けては中を覗きこんだ。家族から見たら何とも微笑ましい光景だろうか。
「いってきま~す。」
亜衣音の元気な声が玄関で木霊する。と同時に、
「ほら亜依音~転ぶよ、……いってきま~す。」
明来の声だ。亜衣音は厩舎まで走って行ってはクロに挨拶するのが日課でもあり、実にクロの面倒見がいいらしい。
「おう、いってらっしゃ~い。」
牧場のあちらこちらで聞こえてくる挨拶は、騎士さんたちが朝早くから競走馬の面倒をみているからだが、そんな若い騎士さんたちの見送りも楽しいものだった。
「クロ、帰るまで待っててね。急いで帰るから。」
「ブヒヒ~ン。」
「亜依音~待って~走っても帰る時間は同じだからね~。」
明来の声であるが亜衣音の名前を叫んでいて、亜依音は走るのがとても速いからね。
教室に入れば入学式の日と同じ席に着きたかったのだが、すでに男の子が座っていた。
「ここは亜依音の席よ、どいて!」
「お前がよそに行けよ!」
「イヤよあんたが行きなさい。」
亜依音は男の子の腕を掴んで引っ張った。
「なんだよ邪魔するな!」
「ふんだ!」
亜依音は無事に席に着く事が出来て安心するも、男の子は持っていた教科書で亜依音を叩こうとして何故か転んでしまった。
「ふんだ!」
男の子は泣き出してしまうし以後この二人はとても仲が悪い。
*)遠足とキタキツネと
学校恒例の新入生歓迎遠足が今年も行われた。苫小牧の中心部にある桜の綺麗な公園である白鳥公園。ここが遠足の目的地だった。小さな子らの足でわりかし楽に行ける場所として毎年ここが一年生と二年生が行く公園にされている。上級生はまだ遠くへ行くので交わる事はない。
直ぐに事件が起きた。亜依音とキタキツネが喧嘩を始めるとは普通ではないが、子共たちの御弁当をキタキツネが狙うのは道理だろう。今ではカラスも仲間に入るご時世なのだから。
「ウ~~~~。」
「お前……可愛くない。」
「ウ~~~~。」
「来るな!」
「ワン!」
「お前、犬か?」
亜依音は今まで遠出した時に、クロが先に避けてしまうからヒグマと遭遇することないまでも、キタキツネには多く遭遇してきた。クロからすれば小物だから無視するも、キツネは無視されていない、逆に近寄ってくる。
でも、何時もクロと一緒だったから多くのキタキツネが逃げていた。今日はクロはいない、一対三の対決になりキタキツネが亜依音を威嚇して付いて回り、先生らがキタキツネを追い出しても直ぐに近くまで来て唸るのだ。
「このキツネはなんですかね。愛子先生、このような事は初めてでしょうか。」
担任の名前は岡田愛子と言うのだが他の教師から愛子先生呼ばれていて、同時に生徒も真似て同じように愛子先生と呼ぶようになった。普通は名字に先生を付けて呼ぶのだが名前を呼ぶようにそれだけ愛くるしい感じがする先生なのだろう。
「困りましたわ棒で叩きましょうか。」
「先生! 亜依音が叩いていいの?」
「白鳥さんそれはダメです。ここは先生のお仕事ですから大人しくしていて下さいね。」
「はい先生。」
どうしてもキツネは去らなかった。それどころか一時間ほどしたら八匹まで増えてしまって常に亜依音に向かって唸り声を出している。先生が可愛い声で追い払えるような性格ならば最初から街中の公園に居着いたりはしないし、もう人慣れした個体が多くなり街の人もエキノコックスが知られてきたから極力触らない。問題は観光客だそうで何某かのエサとなる物を与えるから困るのだとか。
「なによ……あっちへ行け!」
「亜衣音ちゃんは先生の近くに居て下さいね。」
「うん、居る。」
亜衣音は遊びにも行けないからと先生の言葉に短く返事をするだけだ。牧場の近くには民家も少なくて遊び相手としたら家族の姉や兄だけだったし、住宅地に住む者には友達もいるから、校庭で、遠足で連れだって走り回る者がいるから羨ましくも感じた。
亜依音はキタキツネが付きまとう意味が判らずにいて、とうとう先生に囲まれてお弁当を食べている。自由に遊ぶことが出来なくなったし他の生徒も煽りを受けてキタキツネに後を付けられて同じなのだが、そのうちに誰かが叫んだ。
「なんでキツネに邪魔されるん? あっち行け!」
この言葉で亜依音は怒ってしまいキツネを睨み付けて、
「この~……お前らはどこかに飛んで行け!」
そう、この時に一陣の風が巻き上がりキツネは本当に飛んで行った。キツネばかりではなく公園の落ち葉もすべてが散ってしまった。北海道の公園は緑も極端に少ないし、公園で遊ぶ児童らは直ぐに見つける事も出来る。暖かい地方で暮らす者からすれば北国の公園は何もない公園であり、普通に見られる緑の木々は枯れ葉を落として殺伐とした風景にしか見えない。
中学生になって父の穣から東京の風景を写真で見せられるまでは、亜衣音にとってはこの世界が全てであり、東京への強い憧れはまだ芽吹いていなかった。
麻美からは絶対に怒らないように言われてきたのだが、この時は自分の為でなく友達の為に怒ったのだった。亜衣音には少し意味が通じてはいなかったという事か。
皆には被害は無く数人に目に埃が入った位で事は収まったものの、もちろん誰もが亜依音を疑う事は無い。この日から一段と自己防衛にはいるようになる。
キタキツネは亜依音の異様な気を感じて唸っていただけであって決して弁当を寄越せ! と唸っていない。今では普通に見られるので珍しいものではないらしく観察に来るような人は逆に珍しいとか。ではどうして亜衣音を威嚇しに来たのか、恐らくは近くに穴を掘り営巣していたのではないかと考えられるも、八匹が集まる事自体が異常性を含んでいようか。
こちらでは二十年前とつい最近になって見かける位のレアな生き物なのにね。えぇ、そうですよここは山深い街なのですよ~だ! 雉子も居着いていなはるしね。
*)家庭訪問
「亜依音ちゃん~お母さんは居ますか~。」
「うん居るよ。呼んでくる。」
今日は亜依音の家庭訪問の日だ。
「まぁまぁご苦労さまです。」
「お忙しい時にお邪魔します、」
「お茶を……、」
「いえ、伺う度にお茶なんて飲めませんので結構でございます。」
一日に五軒は訪問となる家庭訪問、確かに先生としたら最初の家で飲めばもう十分なのだと説明をされてあって、子共ながらに親の言う意味が理解出来ないのだった。
家庭訪問の時に先生と雑談をしていて、麻美は先生に尋ねたのだ。それで先の事実を麻美は遅れて知った事になる。
「愛子先生、亜依音の周りで何か事件とかは起きていませんでしょうか。」
「ええ学校ではないですね、この前の遠足の時に数匹のキタキツネが亜依音ちゃんに吠えていましたが、不思議な事にですね風で飛んで行きましたわ、オホホホ!!!」
「それなら良いのですが………。」
麻美は言いようもない不安に駆られた。この遠足の事は後で亜依音に訊くとしてこれから先はどうしようかと考え込んでしまい、先々の心配をし出した麻美に先生は気づいたようで、
「お忙しいようですので、これで帰りますわ、オホホホー。」
麻美はしばらく考え込んでしまった。
その後の亜依音は学校で男の子と偶に言い合いをするくらいで終わっているから僥倖か! それ位ならば親として口だしする必要はないと麻美は考えている。
*)夏休みの宿題は全部放棄!
以下省略。ご自由にご想像願います。
亜衣音の性格からしたら当然そうなった訳であるが麻美はひと言も怒ろうとはしなかった。
「まだ先は長いのよ、ここで怒っても意味なんてありはしないのだから。」
言い得て妙である。
*)二学期
成績表は甲乙丙丁だっただろうか、それとも数字の1から5の間の時代だろうか。亜依音は全部が普通で良くも悪くもない、オール3という評価だった。
「は~いみんな~明日は夏休みの宿題を持ってきて下さいね~。」
亜依音のみが先生から叱られて他は男の子が一人か、半分以上残して提出していた。その男の子とは亜衣音が最初に泣かせた男の子だった。
「あんたたち仲がいいのね。」
先生の感想だ。
「違うよ、いつも口喧嘩してるよ!」
「はは~んそうなんだ。もう止めれるかな。」
「多分、無理かな。あいつは直ぐに絡んでくるよ!」
「お前だろ? お前が悪いんだ。」
亜依音はこれ位でいいかな? と内心考えている。
「あ~ぁ二学期の成績も3だな。」
恐らくは2に近い3という評価だろうか、亜依音は授業時間以外は教科書も開かない勉強が嫌いな子が決定した。大の大人が六歳の児童に規定の評価を付けるのがそもそもの間違いであって、1と5はクラスにそれぞれが三人までとかに付けるのだとか。なら2と4も同じ人数だとすれば残りは楽な評価が出来る3となるが、いやいや評価はしないで済むのだと言えるか。
「ママは怒るかな~怒るだろうな~きっと怒るな!」
亜衣音が上のような思考は持たないとするとだ、考えたのは明来という事になる。帰りが一緒だと亜衣音の悪い事は直ぐに明来へと聞こえてしまう。
「お姉ちゃんは優しいからママには何も言わないよ。」
もう亜衣音は動じたりしないのだから立派な強者なのかもしれない。晩器大成という熟語が良く似合う女の子。(大器晩成です、)別名が……妙ちくりんと言うのだろうか、人格が備わるのはまだまだ先の話である。
姉の明来は良く出来た娘らしくて亜衣音をとても可愛がっていて、明来の上には兄姉が居るのだが何故か目に入れば亜衣音に構ってしまうらしい、これも人狼の巫女の血がそうさせるものだろうか。
亜衣音は何時もクロと一緒になって自然に触れている時間が好き……なんだな。
1959年は
1月 1日 キューバ革命。
3月17日 「週刊少年マガジン・週刊少年サンデー」の同時創刊。
4月10日 皇太子明仁親王と正田美智子さまご結婚
4月20日 東海道新幹線の起工式
7月22日 水俣病の原因物質が有機水銀
9月26日 伊勢湾台風
12月15日 第1回日本レコード大賞に「黒い花びら」




