第29部 私が退院出来た理由とは……
1968年9月2日 苫小牧市
私は屈辱的な退院を果たした。この話しは病院のレガシー、遺産だ。高校は新学期だというのに早々からの欠席になったからね、私の入院の情報は瞬く間に広がる。
杉田 創先生は聞かれて訊かれてきかれて疲れてとうとう白状したと言う。雨宮 藍だけは薄々判っていたらしい。藍も北海道の田舎に帰ったのだから牧場に遊びに行けば良かったのだろうが、父と大喧嘩してすねてしまったという。
*)退院出来た理由とは
私はお飾りのように座ったままで、快気お祝いが始められてそして終わった。
不可解な事象が起きたのには違いない、と、瀬戸のお爺ちゃんが会議を提唱してくれたという。これは私の快気祝いでお爺ちゃんがお酒を飲み過ぎて口を滑らせたから、さぁ~大変。私は関係者各位様に質問をして回っていた、いや呼びつけた。
「一輪車かえ、ギャ~ハッハッハ~~!!」
と、私の質問には答えずに笑い飛ばしていて、それは主にお爺ちゃんたちだが。少し違和感を覚えたという父と智治お爺ちゃんは笑わないのだが、まだ細い身体を見て……「薄くなったなぁ。」とか「可愛くなったよ。」とか「色白のべっぴんさん。」とか茶化すだけだ。ならば女性陣からは「んなもの知らないさ。」「元気になれただけで十分さ。」
「ホロお婆さまはどうなのですか、何か判りませんか。」
「わたしゃ~耳が遠くてな~。」
と、また惚けたまねをしてはぐらかされる。私はホロお婆さまに後ろから抱きついて驚かした。
「うひゃ!」
「お婆ちゃん、またお弁当を作ってよ。」
「おうおうおう、いいぞいいぞ、明日には散歩に出るのかい。」
「なんだ、聞こえるじゃん。」
「う……ん?? なんだって!」
「バ~の意地悪。」
「うぉ~っほっほっほ~、」
「どれ、仕込みをしようかね。」
お婆ちゃんは海苔とハサミを持ち出して自室へ引き上げた。これだと明日は海苔で書かれた……なにかな凄く楽しみだな。
「明日は楽しみだな。」
結果、自分の見たであろう夢が全てであって、他は何も判明しなかった。父の不可解な事象はどうも誰にも話さずに私だけに話したようだった。父と私は場所は違えど同じ異世界へ飛んでいたのだと思われた。お父さんは麻美お母さんにも話せなかったと思う。
退院前の顛末は可笑しすぎた。
私は父に母の洋服と言わずに小物まで病室へ運んで欲しいと懇願した。直ぐに父は叶えてくれたのだが、母の下着はどことなく洗剤の匂いがした。買い物したての新品だとバレるから洗濯を、それも二度や三度と行ったらしい。明子さんは実家の家事も行うのだから家族の分だけ洗濯をしていた。三種の神器という一つだ。
毎日の馬や牛の世話で衣服は汚れるだけだし、洗濯機が登場してからは明子さんの仕事になっていった。
「子供でも出来るのだ、明子……。」
「早起きして洗濯します……。」
遊びたい年頃女子に家事を押し付ける母であって、そんなこんなで日に何度も洗濯機を動かしていた。
「亜衣音ちゃん。ごめん! これはお爺ちゃんの服と一緒に洗います。」
父の企みの顛末は以上だった。お父さんって可愛いかもね。
それから私は双子の看護婦さんに無理を言った。双子が揃う時はそう多くは無いのだが、共に私の専属とはいえども暇な若先生からはなんや患者と、要件を言いつけられていた。主に沙織さんの方だがどうしてだろうか。なんや患者さんとはどんな人が入院しているのか知りたい。
だが今は私のお世話をして頂いているのだ、今日は嬉しい伸びた髪の手入れの日、シャンプーの水気が乾いたからだ。春は肩までだった髪は今はもう肩甲骨の上まで伸びていた。
「あの~とても言いにくいお願いがあるのですが、……。」
「爪を切るのですね、髪はどうしますか。」
「いいえ……違います。これらを飾り付けしてほし…ぃ…のです。」
「あ~それね! なにやらお父様にお願いされてありましたね。」
双子の息はぴったりで一人が話していると片方はクスクスと笑うのだ。これが交互に続き私も見ていて飽きないのが不思議だ。今も笑い呆けている。
「了承いたします。私たちは亜衣音さま優先にて行動致します。」
「では母のブラを天井近くに、そして***を私の目の前位に、あ、そうそうカーテンのその部分でいいです。」
二人はキャッキャ言いながら楽しく飾り付けをしてくれた。歳を考えたら十九歳というところかしら、箸が転がっても笑える世代だそうで言い得て妙だと思う。その箸とは、どうも私の事らしいのだよね、言い得て納得した。動けない身体で唯一動ける器官は脳だけだから発想が奇抜すぎるのだろうかね、えぇ~お二人さん。
私を差し置いて勝手に夢を膨らませている二人は見ていて楽しい、眠れないのはきっと双子の所為なのだわ。
頭から被せられた三枚のネグリジェ、暑い……これよ!
「ネグリジェは飾らずに重ね着をされますでしょう?」
「はい、これで思いっきり母の夢が、母が夢に出てきてくれるはずです。」
「今日は眠れないのかな~、」x2
「夜勤明けなのにごめんなさい。」
「いいのよ。これは至上命令の残業よ、戦争だわ!」x2
これから眠って母の夢を見ると考えたら、逆に目が冴えたのだから。夜勤前が看護婦さんの交代となっていて一人は帰宅で一人はナースステーションへ。
飾り付けの済んだ朝になる。父がいの一番に見舞いに来てくれたが、私に挨拶する前に驚きの声を上げる。
「わぉ!… … … …。これは……なんだ~ぁ?」
「これで私は母の夢が見れるのよ。」
涼しい北海道の早朝に父は汗を掻くはずはない。だが頻りにハンカチで頬に滲む汗を拭いている。そうして父の口を衝いてきた言葉が、
「なぁ亜衣音、いくら何でも病室に沙霧の下着まで飾ることはないだろう。」
「ううん、私は母の思い出に囲まれていないとね、夢が見られませんのよ。」
父はさらに首の周りにもハンカチを当てている。お父さん、そんなに暑いの? 父の穣が用意したのは苫小牧市で買ってきた、いいや明子さんにお願いして買って貰った婦人用の下着だった。亜衣音の依頼は反故にされていたのだ。
「それで母さんの夢は見れたかな。」
「それがね全然なのよね、パジャマだけでは夢は見ることが出来ないみたい。」
「ドキッ!」
とした父の穣。真新しい下着だったので亜衣音にはウソがバレていた。事実は違い、亜衣音は全く父を疑ってはいないのだ。ただ単に話し言葉がおかしかっただけなのだがそんな事は誰にも判らないだろう。
だが本当の事は私にだって判らないのよ、ただ母の夢が見られたらいいな! 程度の私の希望だったのだもの。
これを面白いと考えてなのか、双子の看護婦さんが異常な程に興奮違うな奮闘してくれた。
「いいのよ、いいのよ。これで男がより付かなくなるわよね。」
「そうだね、だったら私のブラも飾ろうかな!」
「こら、沙織!」
「うん、お願いします。」
本当に飾る沙織さんだった。でも敵が潜んでいてね、主治医の先生は診察毎に、それも的確に沙織さんの物は全部を持ち去ったという事だった。
「おぉ、これは綺麗だ! 貰ってもいいか!」
「いいよ、それは明らかに母の趣味では無い下着だから、私が見ると分るもん!」
「これもいいか!」
「それは……いいよ、母さんのじゃない。」
毎日来るようになった主治医の先生のポッケが膨らみ、同じくして沙織さんも怒って口が膨らむ。母のパジャマを着た翌日から口が開くようになって、母の下着が増えて食欲が少し出てきた。それからは少し物を持てるようになったので、母の日記を読んで涙も出るようになった。それにねとても嬉しい事にね、母の洋服が冷房の風で揺れるようになってからは立てるようになったんだよ。介護は必要だが恥ずかしい思いとはさよならが出来たんだ。
「まるでお母さんが居るみたい。」
明子さんが病室へ入ってきたので、ドアを大きく開けた瞬間に強い風が室内を通った。
「あら、そうなんだ。」
(窓から強めに入る風で大きく揺れているのは可笑しい、窓ガラスがあるというのに不思議だわ。)
「うん、お母さんの服がなんだかダンスしているみたいで可愛い!」
それは開け放たれた窓側では無かったのだ、風が通る処に服は掛けていない。
明子さんはナースステーションへ行って沙織さんを呼んできた。
「わ~今日はお風呂に入れるんだ、最高~。」
私はこの日に初めてお風呂に浸かれた。明子さんと看護婦の沙織さんの二人がかりで身を清めて頂いて超~気持ちが良かったんだ。
「亜衣音ちゃん綺麗になったし、一皮むけたようだわ。」
「その言い方は、やだ!」
「大人になった証だよ。」
「うそ!」
人間、大病して入院したら人生観が変るのだと聞いた。頭にぐりぐりと手回しドリルで穴を空けられた。入院前ではいやだからと一月間は頭痛を押して我慢していたが、とうとう吐き気が襲って来て観念して入院した。丁寧に身体を洗ってシャンプーも丁寧に行って総合病院へとタクシーで向い即手術。24時位からまな板の鯉とかしてゴロゴリという頭に穴を空ける音を聞きながら寝ていた。術後は順調では無かったのだ。12月26日の再診日、
「再手術ですね、病室は空いています。」「お正月明けに来ます。」「ではCT撮りますね。」「はい、」「どうされたのですか、」「自棄になって紅茶をがぶ飲みしただけです。」「手術は必要ありません。」と、まぁ一週間で再手術は回避された私だった。病室に空きが増えたのは家でお正月を迎える人が多くいたのかな。
入院中のリハビリでパソコンのキーボード入力をしてみたら、入院前よりも左手の指は良く動いたのだが、退院した後は前以上に動かない、ぎこちないものなっていった。右側頭部に穴を空けたから左手の指がぎこちない、指を動かす事に脳が集中するので文字が打てない。だから右手のワンフィンガーのままだ。
「くも膜下には紅茶がよい薬になるよと私は言う。」
砂糖かもしれないが真偽は不明。午前中に退院して午後から仕事した。内容は秘密でとても人様には話せない。それでもって我が女房は愚行とも言える私に反対をしなくて、完全回復までは二年が掛った。
今思ったのだが紅茶に砂糖を二杯は入れて飲んだと思う。これだけの砂糖を摂れば血圧も上がってよかったはず、なのに高血圧にはなっていなかった。それが今では砂糖を摂り過ぎると血圧が上がるようだ。もう七年くらい前だったか?
閑話休題。
「ねぇ、明子さんはお乳が大きくなったのかな。」
「うん?……そうね、亜衣音ちゃんのような可愛い赤ちゃんが出来たのよ、きっと女の子だわ。」
「わ~おめでとう~私も嬉しい!」
「私が話すまでは、誰にも言ってはダメだからね。」
「うん、誰にも話しません。」
そう、翌日には……
「亜衣音ちゃん、もうばらしてくれたの?」
「あれはきっと沙織さんだよね。」
「あ、あの時は居たんだよね、しくじったわ!」
「そうだね、残念でした。」
明子さんの妊娠はひと月と少しだというから私が倒れた時期に符号していた。そして九ヶ月後には元気な女の子を出産したんだぞ、それも二つも……。先の事ですよ。
明子さんはとても憎らしい事をしてくれたのだ。それはね、中学の制服を窓際に飾ってくれて私が目覚めて思わず息をのんだよ。
「わ~……これはきっと明子さんだわさ。」
私が寝入った夜にこっそりと持ち込んだのだよね。翌日の昼すぎに見舞いに来てくれたから、大きな声でお礼を言えて自分でもビックリしたほどに。
「お姉ちゃんありがとう。」
「本当はね、亜衣音ちゃんの高校の制服を飾りたかったんよ!」
「うん、とても嬉しい。元気に走り回って居たときが懐かしいな!」
「そう良かった。姉として元気な声が聞けて私もとても嬉しいわ。」
私の中学の制服を見ていたら力が満ちてくるような感覚を覚えた。
それからの私の回復は早かった。
オールキャストで揃った私の家族、どうも若先生が呼んだらしい。退院の見込みと経過報告があったようだ。二日後に退院出来たが恥ずかしい思いをして……。一輪車……。これを考えたのは、そう、あの若先生なのだから笑えない。
「お姫様抱っこが良かったかな!」
「いいえ、あぐら組んで座れる手押し車で十分です……。」
私の退院後の快気お祝いが済んで暫くしてから、
私は歩けるようになったと言って、通学の許可を、東京の家に帰宅をと父に促したのだ。父はあ~だの、う~だの言うだけで先に進まないのでとうとう私は父に怒った。
父は私の細い腕や足を見て反論する、 あ、胸の事は言わないで!
「お父さん。もう私は歩けます、学校へ行きたいのです!」
「それだと亜衣音の細い手足が見られて恥ずかしいだろう。」
「穣さん、もう亜衣音さんを解放しましょうよ。」
「それは介抱の間違いでしょう、四本とも細いしまだ養生が足りん!」
「お父さんの頑固モノ! だったら私は一人で東京へ帰ります。」
「あ、俺が送っていくよ。」
「明さんお願いね。私は穣さんをたたき直してリンゴ箱に入れて送ってあげます。それからどうしようかな~、」
「おいおい、からかわないでくれよ。判ったから明日帰る。」
「寂しいな~、もっと滞在してもいいのよ。」
「麻美さ~ん、どっちだい。」
明子さんは、
「お母さん。私が残るから安心してね。」
「お腹が随分と大きいね~これなら大物が産まれるね。」
「だから、さ!」
「はいはい、これからお世話いたします。」
「お母さん、お願いします、ね?」
世話をねだる娘がどこに居るのだろうか……。
無理をして私たちは九月十日に帰宅する。立川飛行場から高いお金を出してタクシーに乗って、一つの秘密を作っての帰宅だ。ジジババには内緒にしているのだ、様~みろ、これならば帰宅後の親子水入らずを邪魔されないだろう。ま~お爺ちゃんには影ながらも大変お世話になったと思うがここは親子で過ごしたいから、本当に邪魔されたくなかったからだ。主に私だけよ。
父は帰りに亀万に寄ってお寿司を注文してきた。
「少し待っててくれ、亜衣音は入らない方がいいだろうし、」
「うん、そうだね。」
「今晩は~、」
「あらあら白川さん、もう~珍しい!……………………、」
と、奥さんのマシンガンのような声だけが外に聞こえてきた。父は茶を飲まずに注文だけ済ませてお店から出てきたのだ。
今回の帰省もまた軍用機でだった。玄関の鍵は父が開けてくれたが、私のたっての願いを言っていたので玄関ドアは私が開けるのだった。
「ん~久しぶりの我が家は最高~、……ただいま~。」
「お帰りなさ~い、」
「え”……。」x2
家の奥からとても可愛らしい女性の声がして、するとどうだろうか父が涙を流し始めるのだった。
「さ・ぎ・り・なのか!」
「え?……。」
「ヒヒ~ン、ブルブル・・・。」
クロが現れて嘶いた。あ、あり得ない奇跡が起きた。
*)藍ちゃんの秘密
藍は私の失踪を知って直ぐに帰宅した父に話していた。するとどうだろうか父は不可解な事を言い出すのだ。
「とうとうその時期が来たのか、遅かったくらいだ。」
「なによそれ! お父さんは何か知っているのかしら。」
「札幌で倒れてくれたのなら良かったのに残念だぜ。」
「お父さん、それはどういう意味なのよ。」
「俺はあいつを研究しているのだ、だからお前を差し向けた。」
「……お父さんは、何をしていますの…かしら!」
「俺はあいつの素性を知っているからな、大学で研究しているんだ。」
「お父さんは最低だよ。私、東京へ帰ります。智子、明日に帰るわよ。」
「お姉ちゃん……いいわよ。」
その夜、藍は涙を流しながら荷物を纏めていた。妹は冷静沈着、姉の事は気になるにしても亜衣音は所詮は他人だからだろうか、妹とは仲の良い姉妹なのだが実妹ではなかった。藍は知らないだけで、妹は……。
藍の父は軍医だ、なぜ札幌の大学の医学部で何を研究していたのだろうか。なぜ以前の東京ではいけなかったのだろうか。
「窓から強めに入る風で大きく揺れていた。」
これはとある地方で廃業したうどん屋さんの、夜のシルエットで見たから書いたのだが、吊された和服の影が白い障子に揺れていたのだ。ある意味怖い話しだ……。夜中に更新しましたから、眠れなかった方はご連絡下さい。
数日後には電気の照明も消えてしまった。今は取り壊されていて跡地だけです。地元ですよ、夜な夜な車の運転中に見ながらの帰宅でしたな、ウッホッホ……
当初、「それだと亜衣音の細い四肢が見られて恥ずかしいだろう。」と書いていましたが、人に対して四肢と書くのは妥当では無いようです。




