第27部 冬のウトナイ湖
1968年7月22日(昭和43年)苫小牧
*)老人会?
「お母さん、おはよう!」
「すまないね~またまた厩舎でさ。」
「ううん、私の我が儘だからさ。……それでさ、お手伝いは何があるのかな。」
「……な~んも、クロと遊んでおいで。」
「お母さん、最高!」
「行っといで、」
「ありがとう。……クロ、行くよ!」
「ブヒ・・。」
「ブタか!」
「ヒヒ~ン、」
お母さんの愛情だろうか私はお手伝いから解放されたのだ、それで大きく喜んでいたのだが? ただ父は『遅刻だ~』と慌ただしく出て行った。遠い北海道の田舎に来ておいて『遅刻だ~』はないだろう。未だに下っ端役人の宮仕えは悲しいものだ。
「お父さんもバカだな~、今から東京へ出勤とかあり得ないよ。」
父に付き合わされる智治お爺ちゃんも大変だろう。でも赤い車だったら千歳空港までは五分と掛らないだろね、生きていればだが。
智治お爺ちゃんは「俺は出張願いを出しているから大丈夫だ!」と言っていたのだが、営業報告にはどのように記入して上司に提出するのかな。な~んも仕事してないよね、それにね赤くてカッコイイ車で出張とかありえね~。
気分が若返る赤い高級車を飛ばすのだという。白川のお爺ちゃんとお婆ちゃんは若い騎手さんの運転で、支笏湖温泉に一泊二日の旅行に出かけた。勿論、白鳥の老夫婦も付いていった。『老人会をするんだ~』ということらしい。牧場で使うワンボックスカーは八人乗りだから、ホロお婆ちゃんは乗れない事はないのだがな?
何たって、あの四人は若作りの衣装が……似合っていないのだから。孫としても恥ずかしい気分になった。私はあとになってホロお婆さまに訊いてみたら、ホロお婆さまはにっこりと笑って答えてくれた。
「ホロお婆さま。ご一緒されなくて良いのですか?」
「わたしゃ~流れもんだべさ。一緒には行けないさ。」
「ううん、そんな事はないよ。お婆ちゃんは家族だもの。」
「そう…かえ……それならば嬉しいよ。」
ホロお婆さまが行かなかった理由が昼に理解できた。
*)初めての並行世界
今日は千歳市の北にある牧場からお馬さんの引っ越しを行うという。三カ所の牧場に馬の飼育を委託していると聞いたが、他の牧場も大同小異で地震の被害もあっただろうにね。
それにしても、ぺちゃんこに潰れた厩舎を見た時の驚きは大変なものだったろう。声も出なくて唖然とするしかなくて、そんな事を考えていたら涙が出て来そうになった。
それにも増して私の大好きなクロだけが下敷きで死んでいたとは、口からは言葉すら出てはこなかっただろうかと私は思った。
朝から気合いを入れる私の新しい両親。言葉の内容で性格が分かりそうだ。
「今日中に馬を収容するよ!」
「終われば焼き肉だぞ~。」
と、激を飛ばす麻美さんと明さんだ。今日中に終わりたい理由があった。それは、
「ジイとバァが居ないからだ。今日中に馬の移動が終われば、夜は羽目が外されるからな~。」
本当は両親思いのとてもいい若夫婦なのだ。一番の気がかりは馬の大移動だから一番気を使うし、預かりの競走馬に傷一つも付けられない。そう言えば調教時の足の怪我とかは損害を弁償するのだろうか、知りたいものだ。地震で競走馬に被害が出なかったのは、それに小さな傷だけで済んだのは御の字だろう。
老人には一番気を使う作業なのだから、それをあえてジジババは外すという選択は若夫婦の思いやりだった。明さん曰く、ジジイは昼抜きで働くだろうし、ババァは気疲れで体重が減って胸板が更に薄くなるだろう、と?
私は明子さんからはお弁当を持たされた。にこやかに笑って私に託してくれたそのお弁当は仄かに温かい作りたてで、私は満面の笑顔でお弁当を受け取った。
「はい、これ。お昼に食べて!」
「わ~ありがとう。お弁当で遠乗りとか久しぶりだな~。」
明子さんとホロお婆さまが私を見送ってくれた。
「亜衣音さん。本当は夜の肉を絞めるためにさ、居残りになっただべさ。」
すき焼きの肉が五キロは返品された事だろうか。いいや、食べられない肉はきっと全量が預けられたに違いない。今日は焼き肉だから羊が犠牲になったとかありそう。
「クロ、今日は何処に行こうか。」
「……。」
「そうだ、まだ海には行った事は無かったね。海の水って塩っぱいんだよ。」
「………。」
「南に行けば海なんだよ、少し遠いけれどもいいかな。」
「…………。」
後々の事なのだが、私はお昼になってさらに驚くのだった。
「これってまさか……ホロお婆さまの二重の飾りがあるお弁当だ! わ~子供の時以来だな~、」
「まさか!……このお弁当を作る為に老人会を辞退したんだ。きっと誘われないはずは無いのだから。」
そう思った私は本当に久しぶりだったから、昔を思い出してお弁当をかみしめても……味はしなかった。思い出だけが脳裏に蘇ったから、当時の味が思い出されたから……。
だったら焼き肉のお肉は買ってくるんだよね、確か羊も居なかったからね。
「う~ん、とても美味しい!」
真実は残酷で知らない方がいいに決まっている、それが幸せなのだから。
それから私は通れそうな畑を通って行く。畑でもなにがしかの道はあるもので、途中ですれ違うのはキタキツネたちだった。あれには学校の遠足で散々な目に遭わされた時のことを思い出した。
「ま~た私にガンつける気、今日はクロが居るから逃げた方がいいわよ。」
そうは言っても理解出来ないキツネたちを無視させてクロを進めた。私に迸る人狼のオーラを感じているのだろう。だが、私はまだ自分が人狼の末裔だとは知らされてはいなかった。自分でも違和感はあった麻美お母さんの注意事項は、子供では理解できなかった。出来ない程のお話だったから。
「やっと着いた。わ~い、海だ~い!」
私はクロを放ってお弁当を開く。そうなのだ、ホロお婆さまの懐かしいお弁当なのだ。半分食べたところでクロが私を呼んだので一旦浜辺に置いたら、次食べようとするも中身は空だった。キツネかトンビだろう、いやカラスか。
「もう、クロが私を呼ぶのが悪いのよ、どうしてくれるの。」
「…………。」
「クロ、今日は無口だけど、どうしたのかな。」
「ブヒヒ~ン、ブルルル・・・。」
「どうしたのよ、ねぇクロ。」
「ブルルル・・・。」
「えぇ乗ればいいのね。それでどこに連れてってくれるのかな。」
「ブルルル・・・。」
「待って! 今荷物を纏めるかね。」
それからクロは真っ直ぐに北に向かい、勇払川に沿って歩き出した。この先には確か沼だったか湖だったかな、ウトナイ湖があるはず。数度は訪れていたとは思うのだが、南から北に川沿いで歩くのは初めてだ。
「クロ、熊さんに出会ったらどうするのよ。」
「ブヒ!」
「やっぱ、ブタか!」
「ヘヘン!」
それは抗議の言葉か! それとも認めたのかな?
私は新鮮な気持ちで風景を見やる。
「うん、綺麗な処だね。ここがどうしたのかな。」
公園としての整備は今少しかな、小径と鳥の観察用の四阿があった。クロは大声で嘶くのだ。
「ブヒヒ~ン、ブヒヒ~ン、ブルルル・・・。」
「どうしたクロ、落ち着いてクロ……、……。」
「ブヒヒ~ン、ブヒヒ~ン、ブヒヒ~ン、ブヒヒ~ン、ブヒヒ~ン、」
「なに、どうしたの……。イヤ~風がとても冷たいわ。」
「ブルルル・・・。ブイ!」 「……ブタ!」
一瞬だが雪交じりの突風が吹いたのだった。
「えぇ? 此処は……冬のウトナイ湖だわ。いつの時か分らないけど、この風景はさっき見た処と同じようだわね、……でも湖面が凍っているからどうだろか、うううう寒い~……。」
どんよりとした曇天に遠くの山は見えない。私は全体を見渡したら湖面で小さな女の子が、スケートをしているのを右手の方で見つけた。このウトナイ湖は白鳥で有名なのに一羽もいない。
「何だか私がスケートの練習をしているみたい。うふっ、可愛い。」
私は寒さを忘れて……いや震えながらクスリと笑った。私は若いのだ、寒くはないのだ~、でもやはり寒いのは寒い。
私はクロから降りて女の子に近づいた。可笑しいと思いながら近づくと、それは異常な光景へと変った。私が視線を送る度に女の子が段々と大きく成長しているのだ。そんな事はあり得ない、はず。
私は意を決して尋ねた。此処からだとなんとか呼びかけは聞こえるはずだ。
「ねぇ、一人なの?」
「え!……はい……そうよ……。」
東の冷たい逆風で女の子の声はあまり聞き取れない。私は進んで湖面のギリギリ手前で立ち止まった。女の子も私の方に来ていてその子は湖面の氷のある岸近くで立ち止まる。
「なにしてるの、スケートの練習かな。」
「そうだよ、お姉ちゃんはどうしたの、その格好では寒いよ。」
「うんそうね、とても寒いわ。でもね私はここに来たくて来たのではないのよ。どこかに貴女の家が在るかな。」
「えぇと……西に行けば在るよ多分だけれども、行く?」
「うん、行きたい、だって寒いもの。」
「付いて来て!」
「クロ?」
「ブルルル・・・。」
「いいんだねクロ。」
「……。」
「お姉ちゃんは馬とお話が出来るんだ。何だか凄いね。」
「そうでもないよ。分らないけれども、お馬さんたちは表情が豊かだからね判るんだ。」
「ウソ!」
「ウソじゃないわよ、それで貴女はお幾つかしら?」
「そのう……お姉ちゃんよりも幾つか多いかも知れない。でも、お姉ちゃんはお姉ちゃんだよ。」
「変な子ね、また一段と背が伸びたんじゃないのかしら。」
「そうか、私はここまで来るのに十二年はかかったかな。最初は四歳、次は六歳でお姉ちゃんに声を掛けられたわ。今は……十七歳かな。」
「えぇ?? だったら私は幾つなのよ。分らないわね。」
「だったらこの氷に自分の顔を写してみるといいわ、だから私は妹だもの。」
私は言われるままに分厚い氷に身を写してみたが、透き通って見える私の指。それは氷の板でしか無かった。……この不思議な氷の世界は異世界なのだろう。
異世界に麻美お母さんは行ったと、小さい時に……六歳くらいだったかな、お母さんからお話を聞いた覚えがある。なんとなく判ったような判らないようなあやふやな思い出が甦る。
クロから意識が外れた時、その時にはクロはまた別の異次元へ旅立っていたのだった。それは後々に思わぬ人を連れて来たからだ。
「あ、クロ!……。居ないの?……」
私はクロの手綱を握りしめていたはずだ。それがいつの間にかススキに変っていて、四方に視線を送るが何処にも見えない、居ないのだ。
「クロ~~!!」
「お姉ちゃん。お馬さんはクロと言うんだ。大声を出しても聞こえないかもね。」
「そうね、クロは何処に行ったか教えてくれないかな。」
「何処かで会えるよ、きっとだよ。だから心配は要らない。それからそのコートはどうかな、温かいよね。」
「え?……私はいつコートを着込んだかな。分らないな。でも何処かで見たような服だよね。」
「そうかもしれないね。もう着くからね。」
「あれが、家なの?」
女の子が先に歩いて、私は奇異な感じを覚えながら付いて歩いていた。
先に見える小さな家が数軒見えている。それは「チセ」というアイヌの伝統の民家の形だった。私は再現されたチセしか見てはいない。それも暖かい季節で見ただけで少し雪に埋もれるチセの姿は初めてだ。
笹葺きチセの防寒対策は見事だと言える。かまくらの原理を応用しているからとても暖かいのだ。私が四歳だった頃に大雪が積もった時、私の兄が鎌倉を作ってくれたので下の姉と遊んでいた。この当時は実に痛い風習が遊びがあったのだ。
それは、「東京が見えたか~!」という問いに「うん、見えた。」と返事しなけらばならなかった。私は両耳を抓われて、高い高いをされるのだ。痛いというしかないその仕打ちでは全力で泣くしかない。悲鳴を伴いながら「見えた」と言うまで降ろしてもらえないからだ。
当然、今は耳も遠くなったが東京ほどでもない。ちゃんと耳は二つも着いて居ますよ、念の為に書き記します。
私を見つけて一人の女性が歩いてくる。先ほどまで小さな女の子だった子は今では大きな娘になっていて、母と思われる女性に駆け寄って私の方に腕を伸ばした。
「お母ちゃん、お姉ちゃんを連れて来たよ。」
「ありがとうね、夕霧。」
「貴女、夕霧と言うんだ。」
「そうだね、私、この名前は気に入っているんだ。」
「良かったね。」
不思議だ、小さな子供の話し言葉は今では大人びている。顔つきも私と変らないように思えた。それは一瞬にして消え去る。数瞬間だったのかもしれない。
数瞬間という意味は何だろうか。一瞬が数回集まれば数瞬間なのか。一瞬が瞬きの間ならば眼をパチクリとする間……なのか。めまいがする。
私は夕霧の母に尋ねた。
「ねぇ、ここは何処でしょうか。それに今は冬なのでしょうが、何年でしょうか。それに私がどうして異世界に迷い込んだのか分りません。」
「質問の多い子だね、序でに私の事も訊きたいよね。」
「それはそうですが、夕霧ちゃんは最初は四歳くらいでしたよ。」
「そうでしたか、……あの子には過酷な命令を出しておりました。理由はいつか来てくれる貴女を待つようにですね。」
「でも、どうして?」
「時を止める魔法を使いました。ですので貴女を見つけて、会えてお話ができたから魔法が解けたのです。ですから元の歳に戻りました。貴女は、」
「私は亜衣音、十六歳です。そう言えば誕生日を忘れていました。」
私は少し笑ってみせるも相手は妖怪か、私の渾身の冗句に冗句で返してきた。
「私は澪と言います。随分と落ち着いていますね。この世界が死後の世界なのかもしれませんよ?」
私は少し身を引いた。もうこうなったらやぶれかぶれだわ。
「付いて来て下さい。」
と、澪さんが案内してくれる。
「そうですね、愛馬のクロと一緒に三途の川を歩いて来たかもしれません。」
「冗談がお好きなのですね、……怖くはないのかしら。」
「それは……怖いですよ。こんな訳の分らない世界で。それで私は元の世界には帰れますか?」
「いいではありませんか、ここで永遠に生きて行く選択肢もありましてよ?」
「いいえ帰ります。永遠の命は存在いたしませんよ。」
「さぁそれはどうでしょうか。事実貴女のクロはもう何年も此処にいましたわ。」
「えぇ、ウソ……もしそうでしたら、今は何処で休んでいますか?」
「少し待って…………。今は貴女の世界に戻っているようです。ここではやはりクロの気を感じませんから。」
「ふ~ん、そう…なんだ。(……うそつき!)」
「直ぐ家に着きます。もう少し辛抱して下さい。」
「この冬は終わるのでしょうか。私は夏の七月二十二日から来ています。」
「それはとても堪えますね。ごめんなさい。そこまで気が回りませんでした。」
「いいえ、このコートは意味が分りませんが、いつの間にか着込んでおりました。これも魔法とか……言いますか?」
「それは私の魔法ではありません、貴女自身の魔法ですわ。亜衣音…さんはなにか魔法が遣えますでしょう?」
「はい、まだ遣いこなせませんが、風を吹かせることができます。」
「そうですか、でもまだまだ沢山の魔法が遣えますよ。今は魔力が眠っているのでしょう。さ、着きました。」
「これって……、」
「えぇ、寒く思えますがとても暖かいですわよ、さ、どうぞ。」
「え~と、ご家族は……。」
私は少し雪に埋もれたチセにさらに寒気を覚えた。
「はい、私と夫と夕霧の三人です。あ、姉が一人居ます。ただ今は出かけたままでいつ帰るのかは分りません。ですがもう間もなくだと思います。」
「ではお父様は狩りにお出かけとか?」
「まぁ、原始時代ではありませんわ、今頃は飛行機に乗っていますかしら。」
「そうですか。」
私が案内された家は、この世の物とは到底思われない壊れかけのような木造のそう、あばら小屋と表現したらいいような屋根が見えた。チセの隣の家だった。(ここは倉庫か!)
「ビックリなさいましたか? アイヌの時代から受け継がれています。これも冬を生き抜く知恵で御座いましょうか。」
「はぁ……。」
「手入れとか出来ないのでしょうか。」
「国の重要文化財ですので、手も足もお金すらも出せません。」
「まぁ、澪さんもご冗談を!」
「なかなかでしょう? さ、どうぞ。」
「え”……。」
住宅の中は異世界だった。真新しい家具も据えてあるのも驚いたんだが、穴だらけと思っていた壁の内側はとても綺麗だった。
もしかして、異世界の異世界なの~??
(バカ言ってんじゃないわよ!)とは、澪さんの心の声だ。
「本当ですね、私の家の方が残念でしょうか。それにとても暖かいです。」
「そのような事をいいましたらお父様には失礼ではありませんか?」
「そう……ですね。父は私の為に新築の家を用意してくれました。」
「まぁ、羨ましいですわね。」
「お昼はまだでしょう? 今スープとがめ煮を温めて参りますから、お好きな処でおくつろぎ下さい。」
とても丁寧な言葉遣いだが妙に引っかかる。私は返事を忘れて室内に目を遣るのだった。書棚の上には家族写真だろうか、飾ってあり覗き込むと、
「この女性は澪さんなのでしょうか、古すぎて判別が出来ません。」
澪さんは後ろ向きで話してくれるので、やや大きい声で回答があった。
「それが私の姉です。ご主人さまと可愛い一人娘の、そう貴女ですわ。」
「ご冗談を! 私は裸でよく写真に写っていましたよ。このような綺麗な服は持ち合わせておりません。顔は……、もう不細工なんだから。」
「たまたまお昼寝をされてあったのでしょうね。うふふふ、」
そう言われれば眼が開いていないのか、たまたま目を瞑って写真に収まったのだろうか。暫くして台所から焦げた筑前煮の匂いが漂ってきた。
私は写真を食い入るように見つめた。母という女性を見つめる。判らない。次は父を見つめてみた。やはり判らない。この赤ん坊……やはり判らない。全体がボンヤリとしているのだから。
「きっと今は夢を見ているのだわ!」
私は頭がクラクラしてきて床に座り、そしてそのまま意識を無くした。
1968年8月20日(昭和43年)東京都
*)立川陸軍飛行場
「白川さん~……あ~やっと追いついた。申し訳ありませんが急ぎ北海道へお戻り下さい。貴殿には長期休暇の命令が下りました。」
「何だって、どうしてだか説明をしてくれないか。遅れる連絡は入れたが仕事は休めないよ。」
「辞令ならばここに預かって参りました。お子さんが行方不明になられたようですのでお急ぎ下さい。」
「まだ向こうを発って三時間も過ぎてはいないぞ。どうして亜衣音が行方不明なのだ。」
「それがですね、私にも知らされてはおりません。シークレットでしょう。」
「バカ言え、俺は極普通のサラリーマンだぜ。」
「はぁ、ですがとにかくお急ぎ下さい。」
「電話を掛けたい。時間をくれないか。」
「申し訳ありませんがそれは出来ません。とにかく飛行機に案内致しますのでお急ぎを!」
「そうだな、電話したところで亜衣音が出てくるとは思えない。」
「ありがとうございます。」
穣は辞令を見た。確かに長期休暇だがこの無期休暇とはどう言う意味だろうか。直ぐに驚きの声を上げる。自問するがなにも分らない。
「何だ、この辞令の日付は……あり得ない。今日は年七月二十二日だが、この日付は1968年8月19日ではないか。俺はこの四週間もどうしていたのだ。」
「おいおい君、今日は何日だ。」
「はい、八月二十日でございます。」
「七月二十二日ではないのか。それに俺はどうして此処に居るんだ。」
「はい、お盆のお休みで北海道に行かれてありましたが、それが何か、」
「俺はそんな記憶はない。」
「ですが、そう言われましても私にも分りません。」
意味不明な事を言われて憮然とするこの男は誰だろうか。分らないが俺は飛行機に搭乗して座ると同時に離陸の準備に入った。エンジンから轟音が響いてきた。
穣は飛行の間に自問していた。
「この飛行機は遅いな。」
「……。」
若い男は飛行機が遅いと言われて憮然としていた。イライラしていると本当に時間が経つのは遅く感じるものだ。序でに煩いプロペラ機だからなおさらか。
「それで君は誰だい。」
「はい、私は***夕也と言います。」
「え”?…なんだって!」
「これを飲まれて下さい、落ち着きますよ。」
「なんだ!」
「ただの冷たいお水ですよ、そう異世界の水です。」
「え?……。」
父は気を失ってしまい、目覚めた時は智治お爺ちゃんの車の中だった。
「穣くん……着いたよ、起きてくれないか。」
「え?……あ、すみません、直ぐに引き返して下さい。」
「何かお忘れ物でしょうか。」
「亜衣音が、亜衣音が行方不明なのかもしれません。」
「ですが別れてまだ十分ほどですよね、……。」
「頼む! いいから戻ってはくれないか、早く!」
「そこまで言われるのならば……。」
夢とは思われない夢、恐らく現実の世界だったと強く感じたという。それは辞令の紙を握りしめていたからだった。日付はどうにでもなるとは気がつかなかったのか。
理由は無断欠席だった、これはどう釈明する……。お父さんも異世界へ飛ばされていたのだろうか。




