第17部 位牌と……父の思い出と……共に帰宅する
1968年4月13日(昭和43年)東京都
*)明日は日曜日
日曜日、それは高校に入っての初めての休日だ。私は朝早くから制服着用で身支度を調えて朝食を用意していた。もう母のネグリジェは着ていない、大事に仕舞っておくのだからね。
私は心の中でアピールしておくのだが、朴念仁のパパに制服を着た意味が分るかな~?
「お父さん。(私ね、制服以外の新しい服は持っていないんだよ?)」
「まだ早い。住職さんだって朝の勤行で忙しいんだ。」
「お坊さんの朝は四時だよ、もういいよ、行こうよ。(早くない、服買って?)」
私にしてみたら初めてのデートだ、う~楽しみ。でも祖母はとある事で気を回していたのだが、2000年代の秋葉原ではないのだから杞憂に終わる。私の制服姿が超~可愛い。
(穣、誤認逮捕されるんじゃないよ。)祖母の聞こえない心の叫びだな。
道々で色んなことを話した。お寺が近くなってから父に尋ねる。
「お父さん幾ら包んだの?」
「なに五万ほどだ。」
「多いよ、今の二十万だから少し減らさない? 四万円にするとかさ。」
「減らしてどうする。亜衣音には渡せない、断じて渡せない。」
父はそうは言うが私の財布には九千円は入っているのだから。少し多すぎないかって? そんなのないない。だって生活費ですのも、これで食事のやりくりをさせられる私はもう奥様の域に達しているの?
「お肉食べたいな。」
「今度な。」
「ケチ、」
「お葬式も上げていないお寺で、よくお願いを聞いてもらえたね。」
「天国も金次第なのだろう、署長さんが頼みこんでくれたのよ。」
「ふ~ん、警察署かな。」
「ま、そうだな……。」
まさか……無縁仏を葬るお寺ではないよね、ね~お父さん。
この署長は木之本というが亜衣音は知らなかった。さりげなく躱していく穣は東大出であってそんじょそこらの頭脳とは違うのだ。
「さ~どうだったかな~。」
「なにさ……フン!」
何処まででも私の不安を掻き立てて喜んでいるみたいだわ。
お寺に着くとニコニコの住職さん、包みを受け取ると本殿に案内してくれた。大きなお寺はうっすらと暗くとても涼しかった、それは暖かい日中を私たちが歩いて来たからだろう。大きな壇上にはこれまた立派な果物がお供え物としてあった。(大きな鯛も! 今日のおかず……貰って帰れないよね、)
私は苦も無く勤行に耳を傾けはしなかったそれは、苦はもっと別な処で屯しているのだな。
「これが三途の川を流れる音なのか!」
「亜衣音、いいぞ済んだぞ。」
「うん、判ってる、でもね、」
「制服だから足も伸ばせないか。どれ、起こして叩いてやろうか。」
「冗談はやめてよ意地悪なのだから、五分で立つから待っていて五分よ。」
「だったら五分前から準備をしておけって……無理か。」
「バ~カ!」
どうしてか父は平気のへの字で歩いている。『どうして~?』そして父はお茶をご馳走して貰いながら、母の戒名の意味を聞いていたという。
「娘さんはいいのですか。」
「娘は死んだ母の記憶は無いようなのです。きっと何処かで生きていると考えていますよ、だから戒名には触らせたくはありません。」
父は自分では気がついていないのか、亜衣音と同じように沙霧も何処かで生きていて欲しいという願望に! だからか、位牌にすがろうとしたという事にしたのか。
「白川さんご存知でしょうか、あの木之本さんは横浜へ異動されたそうです。」
「知りませんでした、なんらかの木之本さんにしか出来ない案件が発生したからでしょう。」
「もうすぐ定年でしょうに、」
「可哀想に、」x2
「昔の事件の事は?」
「はい、木之本さんから聞き及んではおりますが、そのう~、」
「もう昔の事です。あのような凄惨な事は思い出したくありませんよね。」
「すみません、口が横滑りしました。」
「どの口が言うのでしょうかね。」
最後は笑い話になったが亜衣音は来なかった。何処に居るのかと思いきや……本殿の大きな柱に背を持たせて外を眺めていた。
「仏壇を見に行こうか、近くだからさ。」
「もしかしてここの住職さんの奥様だったりは? しないのかな。」
「いいや、奥さんの実家だそうだよ。」
「ふ~ん、丸儲けなのかな。」
「失礼な事を言うんじゃないよ、もっと別な言い方を考えなさい。」
「じゃぁ、分業!」
「そうだね……。」
お坊さんはまたしてもニコニコとして私たちを見送っていた。
「やっぱり多すぎたのか!」
「ほらね?」
大方五百円も出して嫁さんの実家から買ったであろう位牌。それに達筆の書の文字を書いてはい五万円とは儲かり過ぎなのか。あ、読経はあるけれども序でだったりして。
「ばかやろう、梵鐘の購入に寺の維持費は高いんだぞ!」とはご住職。
ヨーロッパでは民衆の統治にキリスト教が利用された。では日本はどうだろうか、その役割はお寺が担っていて、今では檀家の数も少なくなり存亡の危機のお寺は多い。だから図太く稼ぐ必要があるのだな。幕府は民衆にお寺を押し付けたから仏教を押し付けたとも言える。ふと思い出しただけだ。
近くの仏壇店へ着いた。ニコニコ顔の女性が出迎えてくれた。
「白川です、」
「ま~これはこれは暑い中、ご苦労さまです。」
この女将さん、一瞬だが私たちを見て「熱い仲」と書きやがったわよ。父は付帯する装備類の説明を聞きながらも小さい仏壇を注文していて、後日納品でお願いして帰る。私はおリンを何度も叩いて怒られた。いいじゃんか減るものでもないし。
「こら!……亜衣音。」
「これですね……ありがとうございます。」
「支払いが増えるんだ、逆だぞ!
私は金メッキではなくて十八金のおリンを叩いていたのだった。
「ホェ~……しらんがな~。」
私はシュンとなって黙り込むのだった。帰り道で尋ねるも、
「お父さん。幾らだったの?」
「あ~あれな……なんまんだ~。」
「浄土真宗なの?」
「しんらんがな~、」
「なんて?」
「疑いなく我をたのみ……精進しろと言うのだろ。亜衣音の場合はヘタに首を突っ込むなという教えだ。」
「わかんな~い。」
「それでいい。」
「お父さんって、東大の神学部卒なの?」
「キリスト教はすかん。だから違う法学部だ。」
「ほ~凄いのね。」
私たちはタクシーに乗って移動する位に、新婚の両親が住んだ寄宿舎は少し離れていた。
「お父さんここは駅だよね、電車の駅が近いのよね。どうして高級なタクシーなのかな。」
「いや、俺がタクシーに乗りたかっただけさ。」
「うそ!」
新婚当時、父が毎日通った駅舎では、きっと母もたまには出迎えに来ていたのだろと私は考えた。タクシーは目的地に着き料金を払う。
「領収書、」
私は現実に引き戻された気分に陥る。も~お爺ちゃんと同じよさいて~。
道すがらの民家の庭に赤紫と真っ白な蘭の花が咲いていた。私はお父さんが植物を好きなことを知っているから訊いたんだよ、そうしたらね、酷い事を言うのよね。
「これか、シラン。」
「知らないの?」
「だからシランと言うんだ。」
「へ~お父さんも知らないんだね。」
「紫蘭、白いのが白花紫蘭というんだ、どうだ判ったか。」
「ヒェ~!」
パパの趣味は万年青を二年育てただけの……万年青二才だよね~。
紫蘭も希にピンクが存在していて四月の庭には良く似合う春の花だ。ピンクは劣等遺伝で受け継ぎ株の先端だけがピンクに咲いて、古株になる翌年からは紫の花になる大変に珍しいものだ。白X紫で実生で生まれる。
「お母さんが偶には駅まで迎えにきたとか?」
「買い物の序でとか言うんだが、手には買い物籠なんて提げてはいなかったな。」
「ふ~ん、きっとパパと手を繋ぎたかったんだね。」
「親をからかうな。」
「ふふ~ん……私がお母さんのネグリジェを着て、お父さんにお母さんを思い出させたからかな。」
「そうだ、駅の階段を下りた処でよく待ち合わせをしたものだ。あの時の事を思い出すのが怖かっただけだ。」
「うん、ごめんなさい。でも寄宿舎に寄ればもっと思い出すのよね。」
「そう……寄宿舎に亜衣音を立たせて沙霧を思いっきり思い出したい、それだけだ。」
「着替えなくてよかったかな。」
「それはいいんだ、あの板塀の後ろにはベンチが在って沙霧はそこで俺の帰りを待つのが日課だった。亜衣音にはそのベンチに座ってこの通りを眺めて貰いたい、ただそれだけでいい。」
「うん判った、お父さんは此処で待っていて。」
「今は空き家だから気にしなくていい。」
「うん、」
私は可愛かった母の写真の顔を思い出しながら歩いていく。門扉に鍵はなくて手で押せば簡単に開いた。少し雑草が多いが北海道の田舎ではこれ位は普通で、ここにも紫蘭の花が咲き乱れていると言う事はだ、きっとママもパパに花の名前を尋ねて……だよね、ムフフ……。
「あそこにベンチが在るね、すると、この位置で良いのかな?」
私は立ち位置を確認したら後ろを振り向いた。
「やはりこのベンチは動いている、以前は何処に在ったのだろか。」
私は通りが見える場所を探した。すぐに見つかるのだが其処には大きな石が置いてあって、高さは五十cm位で上は幾分か平たくなっている。
「なんだろう……この石は、」
私はベンチを引きずりながらこの位置に置いて、壊れそうなベンチに……そして石の上に立ってみた。
「な~んだ、ここはお母さんが心待ちにしていた場所なんだ。お父さんの姿が良く見えるよね……お母さん。」
座れば通りは見えない、だからいつも新鮮な気持ちで待ち続ける事が出来たのだと理解した。座っていたら塀の上からひょっこりと父の顔が見えたので驚いたんだ。父はそうやって母を驚かせていたものと思う。そして、
あれどうして言葉が浮かぶの?
「お帰り、穣さん。」
「あ……どうしてそれを知っている。」
「今瞬時に言葉が浮かんだのよ、それは本当なの?」
「あぁ、とてもソックリだ。この前のパジャマ姿の時もそうだったさ。」
「そうなんだ、当ってたんだね。」
「そ、そうだよな。沙霧は其処が好きだったんだ。」
どうしてその言葉が浮かんできたのかは、もちろん私は分らないよ。
「だったらお父さん、もう一度!」
「バカ!」
「泣いてもいいよ、」
「親を泣かすな、俺は高校の上級生ではないぞ。」
「お帰り、穣さん。」
「う、……ただいま沙霧、今帰ったよ。」
「……うん、」
涙目の父が立っていた。私は笑顔百二十%で父を見つめるのだった。
「似ている、そっくりだよ……。」
とんだ傷心散歩になってしまった。帰り……ここから歩く駅までの距離は二人の思い出の距離だ、毎日此処を通って買い物や散歩に出ていたのだろう。
父は無言で歩き私は横で同じく無言で歩いた。すると、
「あれ~白川さんじゃありませんか?」
「……あぁ~お隣の青葉さん……でしたか、いや~お懐かしい。」
「あれ? あの娘さんだね、沙霧さんにとても良く似ていなさる。」
「はい両親がお世話になりました、亜衣音と申します。」
「まぁまぁまぁ、こげな大きくなってさ、真新しい制服だから高校一年だよね、道子と同じ制服。もしかして……亜衣音ちゃん?」
「だから亜衣音だと言いましたが、青葉道子さんのお母さまですか?」
「そうだよ、寄って行きなさいよ。」
「いいえ、私たちはこれから買い物に行くのです。また機会がありましたら寄らせて頂きます。」
「そんりゃ~、残念だべさ。」
「え?(だべさ、北海道の田舎弁!)」
「あ、亜衣音。この人も北海道は襟裳岬の出身だよ、今思い出した。」
(わ~適当……、)
「そうだべさ、道子と二人で東京さ出てきたさ。」
(道子? 道子……?)
「あんた、苫小牧市だろう? 近くだべさ。」
「知っていますの?」
「道子から聞いたよ。これは偶然かね~、」
「お父さん、行こう。」
「あ、すみません。まだまだ沢山の買い物が控えておりますので、」
「そうだべか。」
そう言えばまだ青葉通子とは話した事はない、ただの連絡事項で会話しただけだ。どうして私の事を道子は知って、それも母にまで話しているのだろうか。それにしても『これは偶然かね~』とは、とても意味深で理解出来ないし、襟裳岬の何処が近いのか判らん。私は気持ち悪くなってしまって顔に出していた。それに父は気づいてくれたようで嬉しい。
「亜衣音、ここでの買い物はよそうか?」
「うん、家の近くを案内して、」
「では帰りは電車だ、歩くぞ。」
「はい、」
いよいよ両親が手を繋いで歩いた道を今度は私が歩く時がきたのだよ、お母さん。
その日は足が棒になるくらいに歩いた。私の後方で父は『待ってくれ~』と言うばかりで新鮮な感情で通りを歩けた。……聞こえな~い。
「私の方が荷物は多いのよ、まだ荷物を増やしてもいいの?」
「え~まだ、この上何を買うつもりだい。」
「そんなのはいいから先に行くよ!」
(次はビールだよ、お父さん。)
(お母さん、きっと何処かで生きているお母さん。私は、亜衣音はこんなにお母さんそっくりなまでに大きくなりました。お母さんには謝りたいの、早く帰ってきて、お母さん。)
「お父さん、日が沈んじゃうよ。」
夕闇はセンチメンタルになるから嫌い。でも夕陽はお母さんの笑顔!
とても大きな丸い笑顔に思えた。
要らぬ噂が立ちそうで道子の事が気になる。




