第164部 私が攫われた……どうしてなのよ~
1972年5月21日 東京
*)藍が……女社長に?
それから私と母が臨月を迎えた。それにもう一人も臨月だという澪お姉さまだ。三人とも五月の下旬が出産日だと言う事で、これはこれでおめでたいと言うべきか悲惨な家庭と言うべきか。
藍ちゃんの作戦が成功したのか、酔い潰れた妖怪の三人だった。これで少しは平和が訪れるものかな。
……その翌日である、私の平穏が乱された。うだつの上がらない、そう冴えない風貌の男が私たちの病室に訪れたのである。
「亜衣音ちゃん……久しぶりだね。」
「あら?……阿部元教授!!」
「なんだい、俺を忘れたという表情だよな、それともなにか?」
「お酒……臭いですよ。少しは自重してください。」
お、私の亜衣音役もまんざらではなさそう。この男も順調に騙せるといいのだけれども。いいえ騙すのよ、この私が! だから先制攻撃で私が優位に立てなければならないのよ。
「いや~すまん。」
「そうですよ教授、」
「元教授だよ、久しぶりだね。沙霧くん。」
「あら、私もいるのですよ、元教授。」
「おうすまん澪霧さん。二人とも随分な腹の大きさだ、これならば双子と言われても違和感がないな。」
「この度は娘の為にお呼び立ていたしまして申し訳ありません。それでご家庭の方はよろしいのですよね?」
「あぁ塩鯖が居なくなるので家族みんなが諸手を挙げて賛成しやがって、今度こそ帰ってやるもんかと心に念じて出て来た。どうせ四年と短い期間だし俺も羽が伸ばせて楽ちんですよ。」
「阿部元教授!! 私の為にありがとうございます。今後とも勉強に励みますのでよろしくお願いします。」
「もちろんさ、喜んで引き受けるよ。なんなら三浦くんも呼ぼうか?」
「いえ、そこまで大大的に調べるつもりはありません。少しだけ人狼について分ればそれだけで充分です。」
「いやいや、知れば知るほど謎は深まるからね、俺の知り得た事だけで足りれば御の字だろうか。」
「阿部元教授、娘をたぶらかしてまたロシアに行こうなんて、考えないで下さいな。もう家は貧乏一直線へまっしぐらなのですから。」
「なに大丈夫、三浦くんが印税で稼いでくれたから心配は要らないよ。」
「ほ~ら少しも懲りてはいらっしゃらない、これだから心配なのです。もう娘に娘が産まれるのですから、母親を引っ張り回さないで欲しいです。」
「沙霧くん。希望的観測の意見ありがとう。機会があれば行きます。」
「いやですよ、あんな冒険譚を読んで信じた訳ではありませんが、わざわざ死に行くような事をしなくともですね、それ……、」
「いいのだよ沙霧くん。寝言は聞きたくはないからね。胎教によろしくない。」
お母さんがややヒステリックに語りだそうとしたから、阿部元教授はそれを遮り遮二無二に黙らせる。この阿部元教授はさすがは教授だけあって、子供らの事はよく理解できるらしい。
こうなると私の性格分析は既に始まっているのだと認識させられた。
「阿部教……阿部先生。お母さんを苛めないで下さい。可愛そうですよ。」
「あ~はいはい、それは申し訳無い事をした。つい懐かしくてな、ちょっかいを出したまでだ。」
「からかわないで下さい。もう昔の小娘ではありませんから。」
「いや、姿が前のままだし幾つになったのか、理解が出来ない。」
「それはお互い様ですよ、何時まででも若いままでしたら、その内に居場所が無くなってしまいましてよ。」
「はは……そうなんだよね。北海道大学ででも怪訝な者が増えてね~とうとう退職してしまったよ。」
「人魚のお肉を食べるからですよ。倉敷のお寺を荒らして食べたんでしょうが。もうすぐミイラの正体が分るでしょうから、そこで阿部元教授のDNAが検出されないように祈りますわね。」
「あれはシシャモのようで美味かった……んな訳はない。あれは俺も興味津々で結果を待っている。人狼の長生きにも通じる案件だろう?」
「あ、先生。私も人魚についても調べたいです!」
「猿と雷魚のハイブリッド……偽物ですよ。」
「இஇஇ……。」
「澪、水を差す事はないでしょうが! ……禁句です!」
「?……あ、澪ちゃんは一度騙された事があったんだよな?」
「あれはガセネタで踊らされたから……もう言わないで下さい。沙霧も騙された口でしょうが。」
「はいしっかりと口にチャックをしていたはずですが、その情報は何処から漏れたのでしょうか。」
「まぁ面白い、お母さんたちが騙されたって……笑える~。キャッキャ!」
「笑うな……バカ!」x2
「亜衣音ちゃんさ、人狼とはこういう類いと同じレベルなんだよ。どうだい笑えるだろうが。」
「いいえ自分のことですから笑えません。その、どうして皆さんが若いままでいられたのかトコトン調べたいですよ。」
「お~れの事は抜きにしてくれよ、妖怪だと言われるだけでも傷ついているからね。俺は人狼ではないはずだよな、沙霧くん。」
「はい……そうだとは思いますが隔世遺伝とかありますし、なによりも霧お婆さまがとても懐いていたというのが気になります。」
「そこいらへんはさくらちゃんに訊いてくれ。育ての親みたいな関係だからね。俺は男であるからして娘のような異星人の子の事は分らん。」
「あの子は、霧お婆さまはお兄さまの娘さんでしたわよね。」
「結果的にはそうだったが、あれだって俺は子供の時だったから謎のままで終わらせている。」
「モンゴルでお兄さまが行方不明になられた……あの事件ですよね。三浦先生から少し聞いた覚えがあります。」
目を輝かせているだけでは面白くはないのよね、ここは参戦するに限るわ。
「先生、私も聞きたいです。入院中は暇ですので講義にいらして下さい。」
「亜衣音ちゃんの退屈しのぎにか、俺は三人も子守をせなきゃならんのかいな。」
「はいな……。」
「いいでしょう、プリント作って来ますか。」
「わ~嬉しい!」
「亜衣音、騙されたわね。阿部元教授は更々の微塵も講義をする気はないのですよ。その気があるのならばとっくに始まっています。何てったって人類学はご飯よりも好きだという性格ですからね。」
「へ~そうなんだ、これは期待が持てそうだわ、……先生、期待しております。」
「沙霧くんには敵わないな、俺の性格なんてとっくにお見通しな訳か。こりゃ~心してかからんとならないかの~。」
「はい、相手は娘ですから色目も抜きでお願いします。」
「え~先生の色目ってなんですか?」
「亜衣音ちゃんさ、ロシアやモンゴルに行きたいという、そのダシに使うのでしょうよ。もう殆ど病気だと言っても過言ではないわね。そう澪お姉さまが宣言いたしますです。」
「私、洗脳されても構いません。なんなら先生の二号さんでもいいです!」
「バカか、」「ゴチン!」「イテ!」
「これから大学へ行くから続きは今度な。」
「はい、とても楽しみです。」
そう言いながら阿部先生は帰っていく。あんなにお酒の臭いをさせて大学へ行かれるはずはないよね。ましてや厳格な理事長と会うとは考えられない。
「先生……逃げたのかしら。」
「亜衣音ちゃん、そうだと思うわ。でも、何処に行かれるのかしらね、興味が出て来ましたわ。」
「きっと近所の探索です。あれでも色んな状況分析には優秀なのですからね。」
「澪、持ち上げすぎよ。きっと忘れられない女性がいるのよ。」
「へ~そうなんだ……。」
「ほら亜衣音ちゃんが信じたじゃない。滅多な事を言いましたら噂にまでなりますからね、気をつけなさい。」
「は~い、亜衣音のお母様。」
「んまぁ……。」
「もう既に二号さんが居るなんて……ステキ!」
「バカか!」「イテ」「ゴチン」「ゴチンしてからイテと言いなさい」「イヤン!」
夕方は夕方で銘々が勝手に見舞いに来てくれている。ま、自分勝手だとも言うが、嬉しい限りだよ。
「今日、大地は?」
「来ないって。何でもお買い物が忙しいみたいだよ残念ね。」
「いいわよ明日にでも、とっちめてやるのだからね。」
「亜衣音ちゃんがそうやって厳しくするから来たくないのよ、分る?」
「夕霧さん、嫌い。もう帰っていいわよ。海斗くんが寂しがっていますわ。」
「うん、言われなくてもそうするよ、気にしないでね。」
「あ、お母さんたちは何かご要望はありませんか?」
「そうね~背中が痒いことくらいしかありませんから、帰っていいですよ。娘たちをお願いします。」
「はい。やんちゃちゃんも可愛いですよ明日は連れて来ましょうか?」
「穣さんも来られたらいいのですが、何処に行ったのでしょうね。」
「はいそれが、お爺ちゃんと一緒に何処かのお役所らしい事までは判っていますが、正確にはどちらへ行かれたのかは不明です。ここ数日は帰宅も無い状態です。」
「あら変ですね~、何かあるのでしたら相談くらいはあってもいいはずなのに。男でも出来たのかしら!」
「女と言われないあたり信用されてあるのですね、羨ましい……。きっとお爺ちゃんですね。」
「あのお爺ちゃんも何を考えているのかが判りませんものね、困ったものです。」
私としたら大きな情報だろうか。死んだ亜衣音のオリジナルが外交に張り巡らせた網に掛かっていたとしたら、そうして生存が確認されたのならば、これは相当なヤバイ案件だわよ……どうしよう。
「亜衣音、亜衣音ちゃん、どうしたのよ。顔が暗いわよ。」
「はい、いいえ、その、お腹の子が動かないのが気になっていて別に何でもありませんから。」
「そうですね、そろそろでしょうから体力を温存しているとか!」
「沙霧それはあり得ないわよ。夢見て寝ているのよ、ね~亜衣音ちゃん?」
「はい、澪お姉さま。」
「ユウ……あんたはもう帰っていいわよ。」
「藍、随分な口調だわよね、へ~偉くなったんだ。」
「まぁね、ウフフフ……。」
「藍ちゃん。なにかありましたか?」
「いえお母さん。私の仕事がやっとこさ順調になっただけですよ。喜んで下さい。」
「え”?……あの藍ちゃんの夢が叶うのだと言うのでしょうか? 良かったわね~何時からになるのよ。」
「この秋から本格的に入りまして、これで私も秋葉原の一員になれます。」
「藍、あんた、私に黙ってもう社長になったのかしら?」
「もちよ、夏休みは全開で子分を見つけて働くわよ。ユウもお手伝いしてくれてもいいのよ? 杓子定規の性格だから無理かもね。」
「うっせ~バ~カ、帰る!」
「バァ~イ~……。」
藍ちゃんはフィギュアの人形生産に道筋が出来たのだろうか、この口調ならば秋から生産して冬には店頭に並べられるという事かしらね。子分とは秘書兼駒使いの助手という事だよね。これはこれで羨ましいかも……。媚びを売る必要があるわね。
「おめでとう藍ちゃん。それで何時から活動していたのよ。」
「秋葉原でオタクと偶然に会ってね、それからだよ。この人が私の持っていた人形を痛く気に入ってくれてさ、それでイラストを描いてもらったりしたわ。それが色んな形の人形に分身してね、それを見ていたらとても楽しいわね。」
「ふ~ん、そうなんだ。」
「うん資金は足りないからビルド&販売で資金を稼ぐのよ。人形本体は型を作るから手間暇は掛からないのよ。逆に衣装がね一針一針と人の手で作るからとても大変なんだ。」
私はこんな楽しそうな藍なんて初めて見るようだわ。それにお母さんたちはニコニコしながら楽しそうに藍の話を聞いている。私よりも良い笑顔を作って笑っている、悔しい。
病室への呼び出しマイクの音声が聞こえた。どうしてか私たちの部屋にだけに通信回線が引かれているのよ。普通の病室はナースステーションへの呼び出しブザーだけなのにね。
「亜衣音さん、お電話が入っていますよ。」
「え~大地とか?」
「いいえ、教授と言えば判るのだとか。」
「はい直ぐに行きます、……どっこらしょと。」
「あ、私はもう帰ります。亜衣音ちゃんナースステーションまで行くよ。」
「うん、後ろから支えてくれるのね。」
私はナースステーションの前で藍と別れた。藍が私の背中を押して歩く。これはとても楽ちんなのよ。それから部屋に入って電話に出る。
「もしもし……、」
「お~亜衣音、実は生きておるようだよ、あの亜衣音が……、」
「え”ウソ! 殺したと言いましたよね。」
私はうっかりミスで言葉使いを誤る。殺すなんて言葉は聞かれたらどうするのよ。顔面がか~っと熱くなった。
「そうじゃが遺体は取り替えて、その後が全く思い出せないので何とも言えん。じゃが息の根が止まったのだけは確認しておる。」
「じゃがな~って、言うとる場合じゃないでしょう。早急に調査なさい!」
「ギャチャン!」
「あ、しまった。電話を切ってしまったわ。」
ナースたちは聞こえない振りがとてもお上手だこと。きっと藍たちの情報源も居るに違いないのよね。警察病院のナースが派遣されていてもおかしくは無いのだから、本当に言葉使いには気をつけないいけないわ。
「う~面倒くせ~!」
そう言えば三~四月はアテネのマフィアたちが壊滅させられえた時期だったから、私の「ありす」の名前が売れた時期でもあるのよ。これが大きなニュースになっていたから不思議な事件だという事で、日本大使館にも「どうも日本人」が絡んだ事件だという事で調査対象に上がっていたのよね。お爺ちゃんはギリシアに飛んで、お父さんはその情報における整理に日本のギリシア大使館へ赴いていただなんて、知る由も無かったんだから。
こんな大変な情報をお父さんが、この偽亜衣音の私に教えるはずがないのよ。それに、もしもお母さんに教えていたとして、もしもよ、口が滑って私に気づかれでもしたら大変だものね。だからお母さんはお父さんが何をしているのかが判らないでいるのね。というのを教授である私の父からの情報で得たのよ。
「う~やってくれるわね、亜衣音オリジナル!」
α世界線とβ世界線が交わる事は決してない。β世界線で私の仕業をα世界線の誰かが担っただけだから調査しても判らないのよ、でも誰だろうね日本人って。
「教授からは何を言われたのですか?」
「はい、呉々も巫女の力は使うなと念を押されました。どうも力み過ぎると何でも巫女の魔法が発動するとかなんとか。でも心配ありませんわ。」
「そうよね亜衣音には魔法はもう使えませんよ。み~んなお腹の子に遺伝してしまうのですから。」
「え”・・・そうなんですか、知りませんです。いや、どうしてでしょう。」
「え?」
不意に漏らした私のひと言に首を傾げるお母さん。久しぶりにやっても~たよ~大地、どうしよう……。でも何とか言いつくろう事が出来た。
「いえ、だったらどうして教授がそんな事を言ってきたのでしょうね。」
「さぁ判らないわね。あの教授は……。」
お母さんの掛詞にどう反応したら良いのか、更に墓穴を掘らないようにもう口ごもる以外はないのだった。
「さ~皆さん、お風呂に入りますわよ。今日はそのお手伝いに派遣されました新米の看護婦です!」
見るからに怪しい女だ、これが看護婦だとは思えない。自分を看護婦だと言うのからして怪しいのよ。
「いよいよですよ、とても楽しみです。」
「貴女が楽しみなのは別にあるからでしょうが。自分で身体は洗えます。」
「亜衣音、私らはお世話になりたいわね。いいかしら?」
「どうぞご勝手に。私は独りで集合のお風呂へ行きます。」
「あら~残念。とても良い香りのするシャンプーを持って来ましたの。コケないよう……お気を付けて!」
「は~い、そういたします。」
そう言えば隔日のお風呂の日だった。奇数の部屋番のみが入るという取り決めであるから、いくら五月の爽やかな季節とはいえ難儀する身体に汗も噴き出す。汗を流すのも乙女の義務だよね。
「亜衣音が帰って来ません。」
そうして私の行方が……? となった。病院中が夜半に掛けて騒がしくなり直ぐに警察も動き出した。警察の見張りというか警護は掻い潜られてしまっていたらしい。




