第16部 開かずの間……その2
父はちゃんちゃんと自分用のビールを一本持ってきていて、そして言うには、
「これ食べてでも亜衣音の事を教えてくれないかな。」
「お父さん、もうやめて~~~!!(それでも父親かい!)」
「いいじゃん亜衣音。全部ばらして帰るね。(ビールのお摘まみね)」
「そうそう、この際大人しく言われていなさい。(漫才始めるわ)」
「イ、ヤ~~!!」
「あ~いいね!」
「お父様、娘さんを使っただじゃれは寒くなりますからおやめ下さい。」
「藍ちゃん……。」
「えぇ?・・・、あ~なるほど俺気づかなかったよ亜衣音ごめん。」
藍が言い放った一言で場が寒くなる三人だったが父は必死で巻き返した。気づかなかったという演技でだな。でもそれはどうだろうか、本当も判らずにだじゃれを言った可能性も否定出来ないという恐ろしい父親だ。
「まぁ亜衣音さんのお父様ったら……可笑しい。」(未来)
父の弁解に続けて未来の一言は、ある事を判ったうえでの一言だったようだ。
机に出しっぱなしになっていた写真、少し場所がずれていた。私がお寿司を食べにベッドを離れて立った時に気がついた。(あ、私、大事な古い写真を出したままだった。場所もずれているし皆は見てしまったんだな。藍以外は知らない……私には母が居ないことを。)
そう思った瞬間に未来が言った一言が理解できた。
「未来、私は気にしていないからね。ありがとう。」
「え?……私はなにも言っていません。」
「うん、」
それは、「未来、私にはお母さんは居ないの、でも気にしていないからね。」前半を省略して言ったのに未来は知らない振りを通してくれたのだった。ありがとうという聞こえない念は込めて私は「うん、」と言ったのだ。
父は必死になってクラスメイトに質問を送る。対する女ども四人は笑顔を振りまいてある事、無い事をべらべらと楽しく語るのだった。誰に笑顔を? 勿論、男の父にだよ。
ある事無いこと……父がそれらを信じてしまえば、全部が本当になってしまうという恐ろしさを秘めている。お願いだからこんなアホの言う事を鵜呑みにしないで……心に念じては父に私のオーラを強く送っている。
「う~可笑しい涙が出ちゃうじゃないの。みんな、もう勘弁してよ~。お願いだから私と父の話の楽しみを奪わないで。」
「亜衣音!」
父が大きい声を出した。えっ? と思った瞬間私は顔が赤くなった。少し考えたら「私と父の楽しみを」これには母という言葉が無いから父は声を荒げたのだ。
「亜衣音ちゃん、私たちが(貴女に)代ってお父さまへお話しちゃうぞ!」
「しょうが無いな~、私の役をお願いね!」
「うん、尾ひれも付けちゃう。」
「え~、やだ~も~勘弁よ、」
藍は直ぐに理解してくれて父の後に会話を続けたので御の字だ。私のあの一言は、それこそ『私には母は居ません。』という意味にとれたのだから。声を荒げた父に対して藍は「そんな事は関係ありませんよ」という思いを込めて普通に話していたから嬉しかった。私は父を見る、そこにはもう優しい笑顔があった。
少し心配させちゃったね、ごめんなさいお父さん。
すっかり元気になった私を感じた四人は安心したかのように帰路につく。
「今日はありがとう。」
玄関先で見送る友達だなんて生まれて初めての事だ。『ん~、友達……最高!』何だか私……涙が出そうで怖かった。だって初の体験だものね。
「亜衣音さん、明日は学校来るでしょう?」
「勿論、未来のノート見せて貰うわ。」
「やっぱり私のノートでは不満らしいわね。」
「藍ちゃんはライバルだもの、とても見れないよ。」
「そう、それは楽しみです。追い抜いて差し上げます。」
「ん~、手強いかも!」
「へ~さて、どちらがどちらに対して手強いと言うのかしら?」
「私によ、」x2
「同じ?」
「え?……アハハ……。」x2
私は明子さんからしっかり勉強を教えてもらったが、藍は未来から送られた難しい参考書での独学だった。これなら私に軍配が上がるはず。高校の合格も裏口では決してあり得ないが、上位の成績であと少しを伸ばすには膨大なエネルギーを使う。
俺みたいに四十位くらいだったら少し頑張れば三十位にも手が届きは……しないし、学年50位以内は同じように勉強に励むからだ。本ばかりを読んで過ごしたから成績は伸びはしないのだ。学校で一番……それは読んだ本の数だけ。買った本が三十冊ほど、図書館は百冊はあったかも知れない。部活して勉強は適当でいて月平均が二冊の読書だったのかな。
「まぁ、ハハハ……。」x5
お父さんの心は満足したみたいで、それに全員で笑えばお別れの時間だ。
「今日はありがとう。」
「したっけ、」
「また明日、」
「お寿司、ありがとうございました。」
「今度はコーラご馳走する。」
前日の喫茶店での事を言っているのか最後は出番が少なかった立花の姉妹だ。四人の帰路での会話の予想はつくよ、一人とひと組はきっと藍に尋ねるだろう。
「ねぇ藍ちゃん、亜衣音さんにはお母さんは居ないのですか?」
「うん、私は転入したから気づかなかったのよ。農場には両親が居て祖父母と曾祖母もいらしたし、兄弟の末っ子かと思ってましたわ。でも、あの最後日、亜衣音さんとお別れを言った時に教えて貰ったわ。」
「そうなんだ……古い写真を見たときはすぐに気づけなかった、私悪い子だわ。」
「未来はどうする?」
「私、亜衣音が言うまで黙っている。」
「そうね、貴女たちはそれがよろしいですね。」
「ねね、今度苫小牧の事を教えてよ。藍ちゃんにも秘密がありそうだし。」x2
「ご冗談を、」(藍)
「イヤですわ、冗談は福岡に置いて来たのでしょう?」(未来)
「置いて来たのは両親だけだよ。」x2
「ではどうして東京に来たの?」
「うん秘密。お姉~がいるから転がり込んだの。」
「今度、四人で家庭訪問しなくちゃね。」
「ヤダ!」x2
「ねぇ、」
怪訝そうな未来が尋ねるのだった。三人はキョトンとするもすぐに未来に同意した。
「なに!」x2
「どうして先生は亜衣音の家を知っていたのかしら。」
「ホンとよね、どうしてだろう。」x2
「そしてこの地図よ、迷い無く描かれています。」
と言う藍だった。藍には心当たりがあるのだろうか。
しかし立花の姉妹にお姉さんが居た事には最後まで気がつかない私たち家族だった。双子が内緒にしたお姉さんに秘密があったりしてね。
早い夕食となった親子。父はワインを飲んでテレビを見ているしビールを一本しか飲まなかった理由がこれだろうか。亜衣音が奥の部屋で沙霧の遺品を見ていると考えたら、そりゃ~酒を飲んで気を紛らわせるしか、この場をやり過ごせないものだ。特に男としては。
「お父さん、お風呂入るね。」
「おう、汗掻いただろう。風呂上がりに一杯付き合え。」
「何に付き合うのよ、」
「もういいだろう、奥の部屋だよ。」
「うん、」
お父さんの心がチグハグなのかな、会話が少しかみ合っていない気がする。
それから暫くして明かりが灯されて入った部屋は、私には少しカビっぽい匂いがした。これはお父さんの怠慢だよ、部屋に風を通していないだなんて余りにも酷いとは言えないかもしれない、父も望んで入る気は起きないと思えた。
「窓開けたら虫が入るかな。」
「そうだな少しだけでいいだろう、涼しい風も吹いていたし。」
「そうね、」
視線をわざと反らして入った部屋、驚かないようにと心の準備の為に父に声を掛けて窓まで進んだ。見るとは無しに部屋の光景は見えるものだ。
鏡台、タンス、和服ダンス、ハンガーに掛けられた洋服、古めかしい箱類。どれもこれも見覚えは無かった。
「沢山は無いのですね、それに……、」
「そう…だね。二人とも転勤ばかりしていたし、お互いが一緒だったのは少なかったよ、とても少なかった。」
「うん、そうなんだ……。」
「この服なんか、沙霧は好んで着ていたし、」
「それ、お父さんが買ってあげたのでしょう?」
「あ、そうか……それでか、男は気がつかないよな~、」
「バカ!」
「一人で大丈夫か?」
「うん、私泣くからお父さんには居て欲しくない。」
「じゃぁ、俺は居間でワインを飲んでいるよ。」
「う……」
んとまで言えなかった私。私は父が部屋から出て行き足音が聞こえなくなってからもの凄い勢いで、タンスから木箱まで全部を開けたのだった。
「躊躇ってはだめだ、一気に開けないと私が押しつぶされる。私は母の愛を探したい、ううん、探すんだ。」
「無い、無い、ない。……何処にもない……のね。お母さんは寂しくなかったというの。どうして、どうして私と共通の物がないのよ。」
「私への天罰なのかしら、私はそんなに母を苦しめたの?……?」
「違う、違うわ、きっと何処かに大事に仕舞われた私への愛。きっとあるはず……。」
私は産着すら見つけられずに泣き崩れてしまう。本当に母は私の産着も処分したのだろうか……寂しい。
随分と泣いただろうと思わず手に取り涙を拭いた布。きっと最初に買った母のネグリジェだろか、ピンクで可愛らしい飾りが後ろの肩に付いていた。
「なによこれ、ワンポイントは胸に付けるものよね。背中だなんてお母さんはずれていたのかしら、これが母の匂いかしら。これが母の乳の匂い……、」
在った、半分が写真で埋め尽くされたアルバム、みんな私の赤ちゃんの時の写真だった。もう半分は白い紙だけだったけれど。
「そっか、また麻美お母さんを訪ねて行かなくてはならないのね。それが私への麻美お母さんの課した試練なのよ。夏休み、早く来ないかな、クロ、会いたいな、元気かな……。」
私は泣いた、泣いた。私は母の夢を見たくなった。
「このネグリジェを着たら母と会えるのかな、もう一度お風呂に入って着替えてみよう。」
翌朝、奇跡が起きた。私は父よりも早く起きて台所に立っていた。そして父にひとこと言った、それも唐突に……、
「穣、おはよう。」
「え”……沙霧!」
私はネギを刻みながら振り向きもせずに言ったのだ。
可愛いピンクのネグリジェには飾りがあった。父には、それは愛した人への目印として脳裏に焼き付けられた妻への愛、そのものだった。
暫く間が空いた。後で訊けば、そこには紛れもない妻の……沙霧の後ろ姿そのものだったという。
「どぉ、驚いたでしょう。」
「亜衣音か、俺は心臓が飛び出してしまったよ。勘弁してくれ、思い出させないでくれないか。」
「だめだよ、お母さんのこと、私と一緒だよ。」
「なんだ、どうした。」
「うん、私……嬉しい。」
「沙霧に良く似ているさ、」
「うん、うん、うん……。」
私は見境なく父に抱きついて、昨晩の続きの涙を流した。父は抱きしめてくれたが後は無口になってしまった。それが休みの前日の土曜まで続いた。
鏡台のカバーを捲ってみたら其処に写る私の顔。四苦八苦した……。
「私、泣くのをやめよう。そして母のように笑ってみたい。う~、出来ない、まだ笑えない。どうしよう、もっとアルバムを見てみようか。」
分厚いページをゆっくりと捲る。
「アハハハ……これが私だというの。とてもエッチな写真だこと。」
「倒れないで上手に座れているのね。しかも、全裸だし、これはお父さんにも見せられないわ、これからは父と生きて行くんだ、戦争よ! アハハハ……。」
私は笑っていた。ふと見上げた鏡台の鏡に映る私の笑顔が、古い写真の母の顔によく似ていた。
「あ、お母さんが居た、見つけたわ……やっと見つけた、」
「私、見つけたの母の愛。私そのものだったのよね。母にそっくりだもの私。」
その日の朝、予てからの約束通りに二人で家を出て駅まで歩いた。電車は別々になるのだけれども、たまには遅れて入る電車の中でバイバイが出来た。向かい合ったドア越しに手を振れる日もそこにはあった。
『これが私の日常になるのね。』
土曜日の夜になり私から口火を切らせてもらった。これでようやく無口な二人が終わった瞬間だ。
「お父さん、」
「ん? なんだ。」
「夏休みになったら郷に帰りたい。一週間でいいのよ帰らせて。」
「お盆だったら一緒に行けるがどうする。」
「それでいい。札幌のお爺ちゃんにも私の姿を見せてあげたいの。」
「だったらあの綺麗な服を着て帰るといい、爺さんもきっと驚くぞ。」
「死なないかな、」
「なに大丈夫だよ、泣くだけさ。」
「困るかな。」
「いいさ家族だもの、涙は涸れているかもしれないけど。」
「私、お爺ちゃんに涙を流させる、」
「おいおい、……それで亜衣音に頼みがあるのだが、聞いてくれないか。」
「なぁに改まってさ。」
「明日はお寺に行って沙霧の戒名を受け取りに行く。仏壇も置いてやりたい。」
「お母さんの写真も作って、」
「あぁそうする。それと新婚の時の寄宿舎を見せてやるよ。」
「え~、ホンと、ホンとよね、わ~楽しみだな~。」
「とても小さい家だったから驚くなよ。」
「うん、驚いてみせる。」
「おいおい、俺は泣かないぞ……。」
「私だって……。」
明日の行動の予定が立つ。帰りは商店街へ繰り出して買い物にも行く。
「お父さん。」
「そっか見つけられたのか、良かったな。」




