第14部 二人だけの夕食……これからの
1968年4月11日(昭和43年)東京都
*)初めての……お帰りなさい
「お父さん、何だか息あがってない?」
「それは亜衣音の可愛い後ろ姿を見つけたから走ってきたからで、亜衣音は歩くの速いんだな。」
(可愛いだなんて……やだな、ウソに決まってる。)
「だって今日は特別よ、お父さんよりも遅かったらこの願いも叶わないのだから。それでお婆ちゃんの世話焼きがとても遅く感じてさ、気が気ではなかったさ。」
本当は私がもたもたしていたからなんて言えないよね。それにみんなして泣いたことは絶対に言えない。
「そ、そうだったのか。それでその風呂敷包みが晩飯かな。またからすみが入っていたら戻さなくてはな。」
「それがね、本当にお婆ちゃんはからすみを入れかけていたんだよ、おかしいよね。でも私が気がついてね大丈夫だった。今日はちゃんと明太子が入ってる。」
辛子明太子。市民権を得るには紆余曲折がありました。地方では不評を買い『こんな辛いのもは食べれない』と、火鉢で焼かれて食べられていました。いや~いくら魚屋のおっさんがハンサムで口が上手くても、新商品で真っ赤な明太子を買った母も凄かったと思う。(辛子まみれだった。)
あ、田舎ではね、豆腐屋の超お爺ちゃんとこの魚屋のおじさんが村まで来ていたんだよ。
時代は変わり、大学での美術部の同期はあの真っ赤な明太子を買ってきて、喜んで幾つも食べては日本酒を飲んでいました。酒を飲むのが部活だったような……そんな特異な部でありましたが、たばこの煙が濛々でとても辛かった。(詳細は語りません。)
「それでお父さんは?」
「何が、」
「お土産だよ、期待してるんだべさ。」
「帰宅を急いでいたから思いもしなかった。」
「なぁ~んだ、お婆ちゃんが正解かよ少し残念。」
「何を期待してたんだ言ってみろよ。」
「うん、何でもな~い。」
いつしか玄関から台所へと会話は移動している。
「亜衣音……行儀悪いぞ。置いてこい。」
「あ、はい。着替えも済ませてくるね……お父さんもだよ、お互い様!」
私は制服とカバンで、お父さんは背広とこれまた同じカバンよね?
「うっ、そうだな。着替えて風呂の用意をしておくよ。」
「お願い。私は夕食の準備をするね。」
父は着替える前に屋外でガスに点火してお風呂場に行きコックを捻ってお湯を出す。埃被った風呂桶の掃除はどうしたんだろね? お風呂場から出てきた処で呟いた。
「ここ数日はガスの種火も消したままだったと? 居なかったのか。」
新品の風呂桶だから綺麗なんだよね?
「俺は都会暮らしは初めてだからこれでいいよな! 地方では薪でお風呂を沸かすのは大変だったもの。」
「え~お父さん。寄宿舎生活だと言ってましたよね。」
「そうかぁ?……いやいや本当に薪を使っていたぞ。」
「ふ~ん、お父さん先にお風呂を済ませておいて。私はおビールを買ってくる。帰宅の翌日に全部飲んでしまっていたのを忘れていたの。」
そう言えば北海道から戻ってきて男二人が二日酔いで迎えた新居だったか。翌日は両親も自宅へは戻らずに『明日は退官だ~』と言いながらビールをたくさん飲んでいた事を思い出した穣。
亜衣音の為にと穣が用意した新築の家も、真新しい見慣れないものは落ち着かないと言いながら、結局は穣も両親の世話になっていた。そしてまた老夫婦の言いなりになった亜衣音もか。
「はは~ん……俺が戻るその日まで居候をしていたのか。」
せっかく亜衣音が戻って来たというのにのっけからの出張命令を受けていたから、父の退官式には参加も出来なかった。多少ぼやきながらも嬉しそうにして出張に臨んでいた穣。
部屋へ行って着替えを手早く済ませたら……いつの間にか湯船に浸かっていた。気もそぞろなお父さんで、湯船に浸かりながらそんな思いだし笑いをしていたら玄関のチャイムが鳴る。
「あいたたた……そうか、もうそんな時間か。」
お寿司の配達を指定した時間になっている。恥ずかしげもなく風呂場の窓を開けて叫んだ。これが出来るのは田舎人のみだわアハハ……。
「亀万さ~ん玄関前に~置いておいてくださ~い。」
亀万さんからの返事は無いが隣家の窓に明かりが点いて? 暫くして亜衣音の声が聞こえた。穣は安心して風呂場の窓を閉める。
「あ~お待たせしましてすみません……ありがとうございます。(みっともないわよ、お父さん。)」
「いえいえいつも贔屓にして頂いておりますからこれ位は、容器は明日に回収しますのでここに置いていて下さい、これは店から娘さんへの贈り物です。」
「わ~ありがとう……とても嬉しいです。」
見るからに白い色の角張った紙の箱、これはたぬきケーキに違いなかった。たぬきケーキとは井の頭公園近くのケーキやさんの自信作だぞ!
「お婆ちゃんの予想は大きく外れたよ! う~ん甘い匂い……。」
*)二人だけの夕食
「お父さん。明日からは私が夕食を作って待っているからね。」
「次の日曜日からでいいよ。この街も案内しなければならないし、買い物はその時になるから今のまででいい。」
「うん……お婆ちゃんからお父さんの好物を作れるように教わってくる。」
私はつい本音を漏らしていたんだよ、まだまだ教わる途中だからとか……どうして言えなかったんだろかあ~失敗した~。
「麻美お義母さんから料理は習っていたのだろう? だから亜衣音の特異料理でいいんだよ。」
「ふ~んお父さん……もう死んでもいいのかしら。私の特異料理は知らないでしょうに……どれにしようかな~、」
「おいおい誤字を流用した俺が悪かった。それで得意料理はなんだい。」
「ジンギスカンと石狩鍋。それに、ちゃんちゃん焼。あとは簡単なウニ・イクラ丼になるのかな~。」
「イクラ丼はやめてくれ。東京ではとても高価なのだからさ。」
「ウニも?」
「あぁ、これ位でちょうどいいや。」
そう言って穣は最後に食べようとしてとっておいたウニを箸で持ち上げて食べる。
「じゃぁこれ……イクラ丼!」
「小さい、」
「アハハハ……。」x2
寿司のイクラとウニをお箸で抓んで差し出す二人。ただそれだけなのに二人の間は間違いなく近づいていた。何気ない日常と非日常は糾える縄のごとし、亜衣音にとっての非日常もすぐ近くにある。
「おい、ちゃんちゃん焼ってなんだ。」
へ~パパは知ってて私に訊いているのよね、少し具を変えておこうかな。
「そ~ね~石狩鍋をフライパンで炒めたようなものかな。」
「具は変らないのだな、それならちゃんちゃん焼でいいぞ。」
「鮭の頭が入るんだよ、それでもフライパンでいいかな。」
「だったら竹田の頭料理がいいな。」
「え~出来ないよ、そんな料理。」
「青竹と具材があれば簡単にできるよ、茶碗蒸しの方法で作るんだ。」
「折れた箒の竹筒でいいのかな!」
父は目を細めて私の冗談を嬉しそうに聞いている。私が話を盛ったのにお父さんときたら見事に躱してくれちゃってさ、あ~楽しいな~。話の材料が切れたので私は学校の事を話すのよ。
「私、いきなりクラス委員にされちゃった。」
「なんだ適任だと思うぞ。あのクラスは暴くれ者が居ると聞いたよ。」
「なに、それ! きっと私の事だよね。」
「バカ言え、亜衣音の他に居ると言う事だよ。ただ、誰かは判らない。」
「ふ~ん、そうなんだ。誰だろうね、……隣のクラスかな。」
「そうかも知れないな。」
お父さんは私が暴くれ者だと白状したくせに、しれ~っと逃げていたんだよね、これは酷い親だよね。
私はソフィアさんが言った十人の事を思い出していた。暫く考えて父の顔を見たら間違いなく私は見つめられていた。
「わ、ごめんなさい。思いっきり自分の世界で浸っていたわ。」
「亜衣音、あんなボロい校舎だ、この際新築になれば校長も喜ぶよ。」
「え~私はそんな酷い事は致しません。どうして私が学校を潰すのですか、麻美お母さんとの約束もありますからね。」
「反故にされた時の対処方法も存在するらしいよ。」
「やだ~私の立つ瀬が無くなるから穏やかに過ごすよ。」
「猫は被ってもいいが性格まで猫の化身になるなよ。」
「それってどうなのよ、お父様は意地悪です!」
「好奇心の塊の事だな、ネズミを見たら追いかけたくなる性格と言えば分るか。」
「やはりお父様は意地悪です!」
お父さんの心の鏡には私ってどのような姿で映っているのだろか、まさか化け猫ではないよね。
「お父さん。ごめんなさい明太子を出すのを忘れていたわ!」
「いいよ、もう食べた。」
「いつ!」
「亜衣音がビールを買い出しに行っていた時。」
「んま~……」
「 ……かったぞ。」
「……意地悪です!」
う~ん……買出しの時はお父さんはお風呂だったし~私が台所に立って色々と用意していた時にビールも飲んだとか? あ、そうだわ思い出したわ、直ぐに尋ねちゃえ。
お爺ちゃんがこの烏丸に住居を構えた理由が分ったような……烏魚子と書いてからすみと読む。何だかからすまとからすみが同じに思えてきたのはなぜだろうか、今度お父さんに尋ねてみようっと。(烏魚子は台湾の漢字)
これをお父さんに投げてみたらだ、少し時間をおいてからお父さんは怒り出すのだった。
「クソ爺め~なんで烏丸に固執したのが今判ったぞ、亜衣音は偉いな~。」
お父さんがお爺ちゃんを「クソ爺め~」と呼ぶときは怒った時だと決まっている。
「へ~……やっぱり?」
「あぁ間違い無い、今度こそ問い詰めてやる。」
老人のこじつけも板に付けば蒲鉾と同じだわ、絶対に外れないからだな。となるとお爺ちゃんは絶対にしらを切って話さないよ……お父さん。そうなると親子の対話の時に私がお爺ちゃんの様子を窺うしかないかな~お婆ちゃんは知っているかも。
「お父さん……私を肴にしたから飲み過ぎよね。」
「え、んな事は絶対にないぞ!」
慌てるお父さんだから間違いないわ……頭を冷やしてあげないとね。
「亜衣音~霧婆さんに似てきたぞ。」
「ウソ……お父さんは知らないはずよ。」
「……聞いている。」
「麻美お義母さんから?」
麻美お母さんは私の養母だったのだが、今はこうして親権が父に戻ったのだ。これからは麻美お義母様と呼ぶのかなどうなんだろうね。
「亜衣音、俺は明日は休暇だからな。」
「それ、どういう意味よ。」
「今日は転勤からの帰宅で明日は寄宿舎からの荷物が届く。だから休みだ。」
「ふ~ん、だったら明日の約束は反故にされたんだ私は、」
「何か約束していたかな~。」
「朝の通勤電車に一緒に乗ると約束した、したんだからね。」
「あ、あ~……だったかな~?」
「酔っ払い!」
「……すまん、持ち越しを頼む。」
「いいわよ、」
(そろそろいいかな!)
父から見付からないうちにと亀間から頂いて直ぐ戸棚に仕舞っておいたケーキ。貰った時に中を覗いたら二個のイチゴケーキが入っていて私はこのケーキを父には内緒にしていた。(もしかしたらこれって父のサプライズかも!)
『もうお腹がいっぱいだ』という私はテーブルを片付ける時がきた。父はというとあまり食べてはいなかったと感じがするし、父の好きなものにはあのインスタントコーヒーがある。多分、仕事中によく飲んでいるのだと思った。豆から挽いてドリップして飲むコーヒーはまた格別だとも言っていた。
ブラジルのコーヒーが大豊作になり、急遽、保存出来ないかとネスレに依頼があったという。試行錯誤でインスタントコーヒーが開発された。1938年に完成して日本には1950年から輸入されるようになったが、1968年当時はどうだっただろうか。もう大々ブレークしていたんだよ。
「お父さん、テーブルが片付いたからコーヒー淹れるね。」
「お、おう、ありがとう。眠れなくなるから薄くていいぞ。」
「そう言えばさ、職場でも良く飲んでいるの?」
「若い時は残業続きでよく飲んでいたさ~でもな、こうも年老いてくると無理して仕事をこなそうとは思わなくなったよ。ここ数年はあまり飲んでいないな。」
「へ~そうなんだ。でも今日は飲むでしょう?……これ! 亀万さんから私にと頂いたんだ一緒に食べよ?」
「おう、いいぞ。まだ酸っぱいイチゴも食べられるからな。」
「ふ~ん、もしかしたら待っていたのかな、私は何も言わなかったよね。これ、イチゴケーキだよ。」
「う……イチゴの匂いがしたんだ。」
「ウソ! 匂いがする訳無いじゃん。やっぱりお父さんが買って託しておいたのですね。素直におみやげとして私に渡してくれたら嬉しかったのにな~。」
「バカ言え、お寿司を頼みに行った時に言われたんだよ、『可愛い娘さんに』とね。あの親父も高校生の孫が居るのからたまにお店で会計をしていたさ。」
「なにそれ、お父さんには北海道の田舎言葉は似合わないよ。」
「あ、亜衣音の口癖がうつったんだよ気にするな。」
「そうだね、お父さんには何回も遠くの苫小牧まで来て頂いた。その度に顔を見られて嬉しかったよ。」
「バカ言え。俺は麻美さんから呼び出しを受けていたんだ。『穣さん、また亜衣音が喧嘩したんです、来て下さい~』とね。お前、何回喧嘩していたんだ。」
「喧嘩なんかしません。お母さんじゃあるまいし。」
「沙霧と澪霧さんは結構上級生に向かっていたらしいね。」
「うん……そうらしいね双子だったからかな強かっただろさ。」
「あれは正しく親譲りの性格だよね。」
「俺からは言えないぞ、察しろ。」
亜衣音は母の面影すら記憶には残っていない。母と別れる前は自分が自分では無かったらしいのだ。母に面と向かってとても冷たい仕打ちをしていたと、麻美ママから聞いた事があった。しかし二歳の子供はどれ程母の事を覚えていられるのか。
そう言えば沙霧ママ、どうして私だけが独りっ子だったのかしら。パパが再婚したら妹が出来るとか、それだったらいいな~。
「お父さん、ママの事たくさん話して!」
潤んだ瞳が赤く光るのだった。
「え!……。」




