第1部 巫女の消失
私はクラスの皆には内緒で関東農業大学付属高等学校の、特別受験を札幌市で受験していた。東京での受験が余りにも遠いという理由の特別処置を利用させて頂いて、関東農業大学の札幌キャンパスで受験したのだ。苫小牧からは近いし疲れる事無く着いたから、実力がだせたお陰で高い点数を頂けたはず。せっかちな性格だからと念を入れて答案用紙を見直したら回答欄がずれた処があって、そこに気が付いた時は終了の五分前だった。だからミスしちゃった!
でもでもね、帰りに摩訶不思議な光景を見ることが出来てね超~ラッキーなんだよ?
「俺は~澪霧を愛していたんだ~……トワッ!」
「あ、中央にある時計塔から飛び降り自殺? きっと澪霧という人に振られたんだね、可哀そう~。」
「俺は~……恋人が欲しい~……トワッ!」
「あ、また自殺した。」
どうしてかこの大学では次々と自殺する人が高い時計塔から飛び降りるんだよね、んでね、下には冷たい雪が堆く積まれてはいるのだが、みんなはどうしてこの厳寒の札幌で裸で雪に飛び込めるのかな~。
これからの抱負を大声で恥ずかしくも無く述べてダイブする人、恋人に振られて死んでしまいたい人、それから……あ~いいな~お嫁さんをゲット出来て学生結婚の報告する人、みんな若い大学生さんたち、迸る若い男気にもう私のハートは火が付いたようなのよね。
「この火照った頬と気持ち、どうやって冷やしたらいいのよも~、私にもイイ男をちょうだ~い。」
「俺は……亜衣音さんが好きだ~~~!!」
「え、……ウソ、この人は誰かしら。絶対に見つけて結婚するからね♥」
しかし、トイレットペーパーでふんどしはいかんでしょう。で、あんたは片手で覆えるのは小さすぎよね。あ、今度は月光仮面かな? 火葬パーティー……じゃないよね、仮装パーティーだよね。
「私は人狼の巫女、始祖だから並の男では落とせないないからね。」
とある二月の受験した時の大学の風景……気骨あふれる男はもう居ないのかしらね?
1968年4月7日(昭和43年)東京都 世田谷
*)私……亜依音十五歳です!
「キャッホ~! 憧れの高校だ~! 東京だー~!」
短めの髪型。きりっと引き立った目鼻立ち。色白で聡明な顔立ち。髪の色はどこまででも黒く天使の輪がとてもきれい。短めのスカートで赤のリボンがとても可愛い黒のセーラー服。おまけに赤い瞳なのよね。
私、亜依音の十五歳……高校の入学式で制服がとてもよく似合う女の子になったんだよ。
白川家総出の一大行事になった私の入学式。父の両親は私と北海道で会って随分と日にちが経っているのだから今日のこの日にようやく会えるからと待ち望んでいた。それで急いで外出の準備をしているのだが、あれもこれもと思うばかりの老人は動きが空回りしてしまってか、なかなかに纏まらないのだ。
息子の穣からは『入学式が済んで訪問するのだから自宅に居て下さい』と、強く言われたにも拘わらず、待てないので儂らも入学式に行くのだと言い張ったそうだ。
穣の両親と言うか祖母は、
「いいよいいよ先に逝きなさい、私たちは後でタクシーに乗って行くから!」
「親よりも先に逝けるか!」
「あら嬉しいわ!」
等々と未練たらたらで言う父の両親、主にお爺ちゃんなのだがその両親を置いて父は祖父の自家用車でさっさと家を出てしまっていた。
「おい婆さん、車がないがまた忘れてきたかな、あ~昨日は何処に行ったかな~。」
「お爺さん、穣が待てないからと乗って行きましたよ。もうお忘れですか。」
「せっかちだな、俺をおいて行くなんてけしからん。」
お父さんの車の運転は危なっかしい、横断歩道を渡る人は避けている。きっと白バイとパトカーを気にして運転しているんだ。一途で周りが見えていない性格なんだが、蟻の一穴……脱税は許さん! という税務署員なんだから冷たい性格も併せ持つ。
久しぶりに私はお父さんと高校の校門前で再会が出来た。私の家族は母と同格な麻美小母さまと智治お爺ちゃん、それに老体をものともしないホロお婆さまだ。その三人が揃って上京してきたのだ。
私の家族はある意味、私を東京の実父の穣へと引き継ぎさせる為に出て来たのかしらね、私としてみれば実の父親と再会が出来て、反面北海道の家族と別れてしまう。やや複雑な気持ちなのだな。
私たちが高校の正門で待っていたらはにかんだような顔をした父が遅れてやって来た。近所にある駐車場は満杯だったよね、何処に車を置いて来たのかな?
お父さんもなにか含む処があるのだろうね、何よその不細工な笑顔は。
それとも私と会えるのが恥ずかしいとか、多分恥ずかしいのよね? 私は思いっきり駆け寄るのだった。亜衣音スマイルの百二十%でね、勿論、私だって超~恥ずかしいのよ分る?
「お父さん! どぉ……かしら、可愛いかな!」
「亜衣音……うん可愛いぞ!」
「今日は四人で来たんだよ。」
「そうか、疲れていないかな。」
「うん!」
と、亜衣音スマイルをお父さんに披露した。四人とは言うけれども私は先に東京へ出ていたから北海道の家族をお迎えに行って、一緒にホテルに宿泊していたのよね。一応は接待の名目なのだが会いたくなって出て来て最後は別れる事が出来ずにとうとう宿泊してしまったの。それで東京へ出て来た感想を報告していたんだよ。
それから父は北海道の家族の元へと私と腕を組んで歩いていくの。私は……亜衣音スマイルの二百%。
「すみません……ホテルへお迎えに行かずに失礼いたしました。」
「いえいえお心遣いだけで充分でございます。」
「穣さん、お久しぶりです。」
と、一通りの挨拶の言葉が行きかう。ホロお婆さまは少し離れて家族の挨拶風景を眺めている。これを「久闊を叙する」と言うのだね。試験勉強で覚えたんだよ。だってパパは私が越してきたのによ、入れ違いで直ぐに地方へやられたんだからね、だから今日が初顔合わせなんだ。でも今日と明日は仕事を休んで来たんだな、三日目は有給休暇を電話で願い出るのは確実だ。
私を見た父の第一印象かな、もう私をお話の出汁にしてくれちゃってさ。
「亜依音のスカートはみじか過ぎないか?」
「穣さんったら何処を見ているのかしら、今は短い方が好まれるもですよ。私たちの子供時代のスカートが長すぎたのです。」
そういうものですか? と父は訝しがるが、顔は正直にほころんでいてとても喜んでいるように見える。いやいや間違いなくそう見えるのね。母親代わりだった麻美小母さまも勿論喜んでいるのが丸わかりしていて面白いな。
今は父と麻美小母さまが私をエサにして話し込んでいる。しかも少し長いかな、だから智治お爺ちゃんとホロお婆さまが動けない事になる。
「う~ん……私はどちらに付こうかな。」
私と智治お爺ちゃんは随分と会ってはいなかったかな、もう久しぶりだよね。
「お義母さん、亜依音は可愛くなっていますね。」
「智治、私も長生き出来て本当に良かったと思うよ。」
「実は……まだまだなのでしょう?」
「ひ孫、玄孫も期待しとるでな。」
「俺もですよ、これからも長生きしましょうね。」
日頃から目を細めて見るのが習慣だったホロお婆さまは、いつにも増してより薄目で私をを眺めている。ホロお婆さまは智治お爺ちゃんのお義母様なんだよね。
そんな二人も私を見ているから恥ずかしいかな。
ふふ~ん口には締りがなか~。
全員揃っての記念写真の撮影が始まった。
同じく記念写真の撮影をするもう一つの家族があった。そこには二人の可愛い女の子で名前が碧と翠という双子がいた。明るく振る舞う双子に対してどことなく哀愁を感じさせる佇まいの両親だった。薄らと涙を見せていると言うことは別居になるのかとも思われる。こんな事を考えて四人家族を見つめていたものだから、一人の女の子から茶々を入れられたのだった。
これらの二家族が写真撮影を終えてから、碧が私に声を掛けてきた。
「ねぇ~貴女、どこかで逢ったことあるかな~?」
「いいえ東京は初めてだからないよ。」
「だって私を見つめていたわよね。」
「あら碧ったら! もう女の子をナンパしてるの?」
「翠には関係ないわよ。」
「あらイヤだ! 怒ったかしら。」
「ねぇ貴女、入学式に行くわよ!」
中々に仲のいい二人に私は訳も分からずに目を丸くして、二人から手を引かれるのだった。
「ちょっと貴女は何者? どうして速く走れるのよ。ねぇ? 聞いてる?」
「そんなの気にしな~い、早く行こう~!」
私と碧の後から翠が遅れずに付いて走ってくる。入学式会場の案内が校内に貼ってあるから迷う事はない。
「二人とも~待って~。」
翠が叫んでいるが私は止まらない。
「ねぇ、貴女の名前は~?」
「うん私は亜依音よ、よろしくね!」
「私は碧、あれは翠ね! よろしくね~。」
「あらあら、もうお友達ができたのね楽しみですわ。」
遅れてやって来て事情が判らない祖母が言った。タクシーから降りて様子を見ていたからだ。お爺ちゃんがタクシー代の支払いに手間取っていたから、お婆ちゃんはお爺ちゃんを待つ間に見ていたらしい。お爺ちゃんはきっとみみっちく領収証を貰っていたのね。
麻美さんは私の養母という事になるのかな、その麻美小母さまが父の両親を出迎えていて直ぐに父も合流した。
「はい、穣さんのお母さま。これからは事件の毎日になるはずです。この高校も三年間無事に残っているのならば良いのですが………。」
「それはどういう意味でしょうか。」
「亜依音のお父様! 学校の隣に越されたが良いかと思いますが?」
「えぇ、それなりの覚悟は出来ておりますので心配はありません。」
「穣の家を近くに建てましたので何ら問題はありませんわ。」
家を近くに建てましたって学校の近くではない、実家の近くにという意味だった。
祖父母といい麻美小母さまといい、何だか私に理解が出来ない会話が飛んでいるの。それでもって私が裏口入学したような事を言うのですよね。
全くの他人が聞いたならばそう思うに違いないわ。それは麻美小母さまの言葉がよ~く物語っているのよ参ってしまいますわ。
「まぁまぁ、私共はこの高校に多大な寄付を行いました。今後は無理ですが過去五年間は校長に渡してきましたわ。」
「どうして亜衣音さんが問題を起こす前提なのですか!」
父の母である祖母の疑問としては当然かと思うのはだよ、祖母は一度も苫小牧へ来たことがないからだよね、私のハチャメチャな行動を見た事がないからね。ま、この疑問の答えは直ぐに出た。とても強いつむじ風が吹いたのだった。でも寄付については何も疑問が湧かないのはどうして?
「きゃー!」「イヤー!」「どうして~?」
黄色い女生徒の声が多数響いているから、男子学生と男親は上を見ないで横を見ている。
「わ~、とてもきれい! 凄いな~」
「母さん、とても綺麗だよ。」
「そぉ? この和服は似合っているかな~。」
方々で感嘆の声が上がっていてそれも色々と別な意味が込められてはいるが。三人で桜並木の花を全部散らしてしまった。風魔法だと何も判らないのだからこの三人の内の私が首謀者とは誰からも思われない。私らは面白がって走っていて未だに体育館へは入っていなかったんだから。
「麻美さん、これ位は大目に見るべきでしょうね。」
「そうですよ穣さん!」
「桜吹雪が綺麗ですよね。」
「亜依音がイキイキしていてとても綺麗ですね。」
父は私の燥ぐ姿を見られて感激しているから、ま~私はおふざけが過ぎたかな~?
私は入学式の会場に行く途中で走り疲れた碧と翠を起こしていた。
「私の全力に付いてこられるなんて凄いわよ?」
「たかが……二百メートルを走っただけじゃん、疲れたなんてバッカじゃないの。」
「ふ~ん、また桜の花……散らそうか?」
「……バッカじゃないの。」
「時間よ、行くわよ!」
「うん、」x2
「きゃー!」「イヤー!」x?
入学式が開始され校長や教育委員会の来賓の退屈な挨拶が始まる。
「みなさんご入学おめでとうございます。」
新入生代表の挨拶は立花美保という女子だった。彼女が壇上に登って挨拶をするのだが何処かしら意味が通じない、何故に? それはスピーチの原稿が突風に飛ばされてしまって上手く話せなかったらしいと?
職員室において、この代表者の選出に異議も多かったらしいが、何でも「夏のボーナスに影響が出るよ……いいの?」という鶴の一声で即決まったらしい。
式が終わり各自教室へと向かった。担任の挨拶から始まってその後は自己紹介へと流れるのはお決まりのコースだ。自己紹介? 取り敢えずは名前だけでいいやと考えていたら違ったんだ。教科書の配布等の連絡事項だけで終わってしまう。
教室から引けてきた子供らを迎え入れて再度の家族写真の撮影が行われる家族。その横を素通りしていく彼、彼女らは少し寂しそうと考えるのは浅はかと言うものだろうか。
私が家族を見つけて駆け寄ると?
「婆さんが遅れてくるからだろう?」
「なによ自分が待てずに先に行くからでしょうが、着物姿ではいつものように歩けませんものいいでしょう? また写真撮影は出来ますから。」
聞こえてきたのは父の両親の会話であって、祖父が祖母に文句を言っていた。文句を言う祖父は怖い顔なんかしていなくて、祖母に到っては毎度の事らしく、
「ほら孫が戸惑っていますよ、お爺さん。」
「何を言うか、今日から爺さんとは呼ばせんぞ!」
「はいはい、孫が居てもですか?」
「う~……言うな。」
「お父さんは仲裁しなくて良いのかしら、夕食の勘定書きが暫く往復しそうよね。」
「親を茶化すなよ。なに何時もの亀万だから大人の必要な領収書が切られるから親父が払うさ。」
「ふ~ん何よ、その領収書とは。」
「知らなくていいよ。」
「うん!……お母さんたちが居ないよ?」
「疲れさせるのは申し訳ないからね、先に送り届けておいた。もう酒も入っているだろうね。」
「そうだね、お父さんも気が利くんだ。」
「褒められてはいないようだね、腹減っただろう。」
「褒めてるよ?」
私の再度の記念撮影はどうなったのよねお父さん。校門の先では祖父が祖母の手を引いてタクシーに乗せているところだった。
「へ~……仲はいいんだ!」
父の母は着物を着ているで速く歩けない、歳を聞いたらそれ程とは思えない位に老けて見える。随分と苦労したのだろうか、顔の皺が深いのだった。今は祖父母の事が何も判らないのだから祖母の苦労は祖父の所為だとは……。
私は祖父母を仲直りさせる為に間に割って座るとね、相好を崩す二人に入歯は無かったよ。ジジババの年代だと栄養状態が悪くて歯が抜ける人が多かったんだよね。
この頃は入歯の全盛期……だったらしい。どうも祖母は入歯を外していたらしいから顔の彫りが深く見えたようで、これからは私がうんと笑わせて綺麗なお婆ちゃんへと改造してあげる。
私は御銚子ものだって、少し漢字が違うけどお爺ちゃんはとても喜んでいたよ。お爺ちゃんはとてもお酒飲みなんだ、知らなかったけれども時間が許す限り吞んでいたら、一升瓶を空にしてしまうらしいのよね、それでいて「俺は酔わんぞ!」だって。
パパ曰く「上級公務員は呑んだ酒の量で決まる。」らしい、本当かな~?
あ、あぁ~パパと麻美さんが何だか……妖しい! ここは聴き耳をたてておかないといけないかな。
「ジジババもあんなに口を開けて笑うとは、もう何年も見ていないな。」
「穣さん、」
「麻美さん、今日から頑張ります。」
「お嫁さんじゃありませんから、適当でいいのですよ、なぁにあの子は沙霧みたいに逃げたりはしませんって。」
「沙霧は……逃げていたんですか?」
「あららら……口が滑ってしまいました、少し飲み過ぎでしょうかしら。」
「お父さんってばもう……からかわれているのよ。麻美小母さまは昨晩頭を捻って……ぅぷっ!……アハハ……面白い事聞いていたのよね。」
「こら亜衣音。ダマらっしゃいな。」
「は~いお爺ちゃん、飲んで飲んで!」
「亜衣音や、向こうにも行ってお酌しておいで。」
「そうだねお婆ちゃん。札幌の人は~呑むんだよ?」
「いいさ、お寿司よりも安いだろうて、アハハ……。」
亀万の値札なんて殆どが「時価」の表記、最低のサバが三百円とか私のお小遣いと変わらなかった。東京って……凄い所なんだね。で、お酒は二百円、やっぱ安いかもしれないや。これって小さな徳利の上げ底の銚子だよ。
「智治お爺ちゃん!……飲んでますか?」
「あぁ、お義母さんの相手だと飲み過ぎて敵わないよ。」
「ホロお婆さま?」
「自粛はせんぞ!」
「どうぞ飲んで下さい。」
何時もの細い目が開きかけているのは、これは通常運転が暴走しかける前兆だよ。そんなに気合いを入れなくてもいいのにな。
みんなみんな、とても優しい家族ばかりでとても嬉しい。ママが生きてさえいれば私はもっと幸せなんだろうかな?
「……沙霧、家出した事はなかったよな……?」とはパパの頭の中だよね。
夕方近くになって宴会は終わりを告げる。私は見てはいけない大人の世界を見てしまったような、孫は見た……不正の証拠を!
支払いはお爺ちゃんがしていたんだがね、そこはパパの見立て通りだったよ。でもね亀万の領収書が十枚に分けて切られていたのだな。
「金額はバラバラの……日付無しの十枚で……。」
「はい……毎度。」
「ぅわ~……収入印紙の十枚を舐めて貼り付けるんだ、それって美味しいの?」
これだと今日の会計は最低でも三十五万円はありそうだよね。いや……もっと多いかもしねない。だって同じ金額だと怪しまれるから確かに金額はバラバラのはずで、それにさ? 日付無しってどうよ。
封筒に入れられた一万円札を数えもしないご主人だが、多分何某かの? 多めの金額が入れられているんだ……こすいよ、お役人さま!
「数枚の日付無しの領収書。こんな事はウソよ」と思われないで下さい、現実だったんだからね。
未来の事は全く予想がつかない、これからは私が二歳の時に遡る。
1955年12月19日(昭和30年)北海道・苫小牧
*)白鳥家の家族と白川家と杉田家
白鳥 明 1916年8月4日生 39歳
白鳥 麻美 1919年12月8日生 36歳
白鳥 明子 1945年5月10日生 10歳
白鳥 幸樹 1947年8月24日生 8歳
白鳥 明来 1949年12月24日生 6歳
白鳥 亜依音 1953年6月8日生 2歳
白川 穣 1927年8月4日生 28歳
麻美の母 ホロ 1895年ころ不明 60歳 くらい?
杉田 智治 1916年12月12日生 38歳 ホロの娘の亡き霧の夫
*白鳥 亜依音 東京へ行って白川 亜依音に戻る。
*)亜依音、私の異変
「ギャー! イヤ~! ママ~~。」
白鳥家の子供たちが寝静まった二十二時を過ぎた頃に私の大きな叫び声が響いた。当然の事に家族は私の部屋へ駆けつける。
「亜依音ちゃん、どうしたの?」
「亜依音、大丈夫かい。」
「亜依音ちゃん?」
真っ先に部屋に入って声を掛けたのは麻美小母さまだった。次に明さん、遅れてホロお婆さまが部屋に入った。
「ママが……ママが死んじゃう! 死んじゃうよ~。」
そう言って私は大声で泣き出した。その後も泣きじゃくるばかりだ。
「ママ~ママ~ママ~死なないで~。」
麻美小母さまは私を抱きしめて、
「大丈夫だよ! 大丈夫だよ! 大丈夫だよ………。」
と、繰り返すしかなかったという。私と同時だろうか、いや遅かったかもしれない。麻美小母さまとホロお婆さまにも桜子お婆ちゃんたちが死んだような感じがしたらしい。それは自分で感じたから? それとも私の悲鳴を聞いたからなのかは判らない。
同時に麻美小母さまとホロお婆さまも泣き出した。これはきっとそうなのだろう桜子や私の母の沙霧。二人だけでは無い、澪霧、綾香、彩香も同じだろうと考えられたのだ。
ポル=バジンの儀式に参加した全員が同じだった、全員が儀式により帰らぬ人となっていた。儀式は死を伴うものではなかったはずなのに。
もうこの場の全員は眠るとかは出来ない、桜子の家族の名前を呼んで泣くだけだった。
この時から私の瞳が赤くなったそうだ。やや赤茶けた髪はどこまででも黒くなり肌の色は透き通るような白になった。少しふっくらとしていた身体は引き締まった細身の身体へと変化した。桜子が亜依音に転生したのかも知れないと麻美はそう感じるしかなかった。
私が霧の生れ変わりだと思っていた麻美小母さまだが、頭の二つのこぶも無くなり、この変化を目の当たりにしてはそうとも言い切れない。桜子も同時に転生したのだろうか、だって桜子は髪の色は黒で肌の色はとても白かった。もしそうならばこの子にとっては、この先はとても波乱に満ちた人生になるだろうから。
麻美小母さまは私の母の沙霧が何処に転生しただろうかと考えた。いや、誰が私に転生したのだろうかと思いあぐねる。
麻美小母さまは母のホロお婆さまを見て軽く頷いた。ホロお婆さまも麻美小母さまと同じ事を思ったのだろう、ホロお婆さまはゆっくりと身体を起こして、
「智治に電話をかけようか。」
そう言って電話を掛けに行く。外ではクロが騒いでいるのが分ったそうだ。
「智治かい? ああ、そうだよ。お前には分ったんだね? 亜依音はまだ泣きじゃくっているよ。 うん、そうだね。 わたしゃ、もちろん大丈夫だよ。うん、麻美は悲しいだろうね。 そうかい うん うん 分った。 待っているよ。」
電話を済ませたホロお婆さまはクロに報告しに行く。
「クロ……大丈夫だよ亜依音は強い子だ、だから大丈夫だ。」
ホロお婆さまはそう言ってクロを宥めたらクロは大人しくなった。
「クロ! ちょっと待ってておくれ。」
ホロお婆さまは私の部屋に戻っていく。
私は麻美小母さまの胸に顔をうずめて泣いていた。だが泣き疲れたようで大きい泣き声は小さくなってしゃくり泣きになっている。麻美小母さまは自分も泣きながら私を強く抱いてくれていた。
「麻美、亜依音をクロの所へ連れて行ってはくれないかい。きっと泣き止むからさ、お願いだよ。」
麻美小母さまはくしゃくしゃな顔を上げてホロお婆さまを見た。その顔はきっと、お母さん助けて! という表情だったかもしれない。だがこれはホロお婆さまだけにしか分らない。
娘の顔を見たホロお婆さまは次の一瞬に麻美小母さまを抱きしめていた。気丈な麻美小母さまも母親には甘えたかったのだ。
*)ホロお婆さまの葛藤
麻美はホロの大事な娘なのだ、ホロは昔から麻美には遠慮をしてきた。それは自分で育てられなかったという自責の念からで、麻美はロシア兵から偶然にも逃れたという事だがその後は探せずにいた。
ホロは数年たってようやくロシア兵から解放されて自由になったが、二人の娘の気は何処にも感じられなかった。
いつしか霧の薄い気配が感じられたから日本まで探しに来た。霧は亡くなり双子を残していたが、麻美=ユキの気は感じられなかった。悲しさで二人の娘を霧が残した双子に思いを重ねて生きてきた。その現実から逃げたという自責の念とユキを一時的にでも忘れたという思いが重く圧し掛かって、実の娘である麻美に対して自分を曝け出す事が出来ない、いわゆる他人行儀になってしまう。
ホロと麻美が再会出来た時、麻美は足を前に出したがホロは後ずさりした。ホロは麻美を見た瞬間に顔から火が出そうな程にカッと熱くなって、手で口を押えて後ろに下ったのだ。
「お母様? ホロお母様なのね?」
ホロは麻美のその一言で我に返ったが、その時は三歩ほど下がっていた。直ぐには声も出なかった。生き別れして今まで死んだものと思っていたからなんら不自然でも無い。麻美からは巫女の魔力が全く感じられないからだった。眼からは涙が溢れても口からは言葉が出なかった。
「あ……あ、そうだよ。・・・・ユキなのかい? あっ!」
ホロはこの一言が自分の感情だとすぐさま理解したのだ。あっと言った時はもう遅かった。この言葉が逆だったらきっと自分は救われていただろう。
だが、もう遅かった。
実の娘に「あんたは私の娘かい?」と、そう訊ねたのだ。いくらなんでもそれはあまりにもヒドイ言葉だ。
そして、今日、この時。
ホロは麻美を抱きしめて、麻美の身体の温かさを感じたら一緒に泣いたらホロの心に大きな変化が起きた。ホロの自責の念がこの一瞬で壊れてしまった。そう蟠りが無くなったのだ。
ホロは娘と別れてこれまで娘・ユキ=麻美を抱きしめた事が無かった。それはとても長い時間だった。おおよそ三十二年もの年月が流れていて母娘で抱き合いながら泣き出してしまった。
「ユキ……ごめんよ、本当にすまなかった。」
「ううん……いいのよお母様。」
本当に巫女の運命とは母娘の関係をどこまででも引き裂く。
*)亜衣音とクロ
麻美小母さまはまるで自分に言い聞かせるように、私に声を掛けてくれた。
「亜依音? 外でクロが待っているよ。クロが亜依音に会いたいと啼いているから会いにいこうか。」
「クロが? うん行きたい。」
私と麻美小母さま、それにホロお婆さまが外に出た。クロは玄関先で大人しく待っていたが私の気配がしたら大きく嘶いた。私は居た堪れず靴も履かずにクロに駆け寄る。
「クロ!」
私はとても大きい声で叫ぶ。
「クロ! ママの所へ連れていけ!」
私はクロに飛び乗った。その瞬間麻美小母さまとホロお婆さまは小さく驚きの声をだした。
「あっ!」
そうなのだ、私からは巫女の力が抜けてはいなかった。この時私は自分の身体を浮かしてクロに飛び乗っていた。
「クロ! さ、飛んでいけ~。ママのところへ、ママのところ。早く跳んで、」
「わぁ~、ママー、ママー……、」
クロは大きく嘶いた。
「ヒ、ヒヒ~~~ン、ブルブルル・・・。」
クロの最後の嘶きだった。クロは私とお別れを言いたかったようでクロは私を乗せたまま消えてしまったのだ。
暫くしても私は戻らなかった。その後も麻美小母さまとホロお婆さまはお互いに労わりながら私が消えた庭で待つ事にしたそうだ。
三人の兄姉は眠ったままだったが私の泣き声で目を覚ましたので、母の麻美から心配しないでいいからと言われて眠ってしまう。
*)麻美と母
夜明けになったが私は戻らなかった。麻美小母さまは一睡もしないまま迎えた朝だ。三人の子供を学校へ行かせる為に朝食を用意して送り出し、夫の明さんは仕事を休むと言ったが麻美小母さまは「大丈夫よ」と言って明さんも送り出す。
「お母さん代わりますよ、お母さんはお部屋で休まれて下さい。」
「………。」
「どうかお願いします。亜依音はきっと帰って来ますから、その時のためにも身体を休めて下さい。私の為にもお願いします。」
ホロお婆さまは「そうか、ユキの為にもなるのか」と思ったら、
「うん分かった、交代しようかね。」
「テーブルには朝ご飯がありますから食べて下さいね。」
そう娘に言われて台所へ行ったら食卓にはお皿がいつもの家族の分よりも少なく置いてあった。四人分とホロお婆さまの自分の分はある、麻美小母さまのお皿が無いのだ。
軽く……コップの半分に注ぎ込んで呷る。とてもではないが美味しいとも感じない寝酒になっていた。
「麻美! すまないね。一人で頂くよ。」
ホロお婆さまは朝食を済ませて自室へ戻り横になり、娘の麻美が倒れてもいいように、もしもの時は自分が働くのだと気合をいれる。だから冷たいようだけれども休む事に決めた。
私はどこからともなく現れて帰ってきた。
私は疲れていたからと直ぐに眠る事が出来た。ホロお婆さまは桜子の夢を見ている……、それは突然に桜子が沙霧に変わった。そして沙霧は亜依音を頼みますね! と言ったところで目を覚ましたら、麻美小母さまからとても嬉しいサプライズがあったのだ。
目を覚ました瞬間に目の前に私の寝顔があったのだった。その横には当然麻美小母さまも眠っている。
「まぁこん子ったら……にくい事するださ、ありがとうさ、麻美。」
*)亜依音の目覚め
「ママごめんなさい。私は悪い事したね。」
「ううん違うよ、亜依音は何も悪い事はしていないよ。」
「う~ん、そうなの?」
私は先の天啓というのか、母がこの世から居なくなったと感じた瞬間に身体が変化した。目は赤くなっていて、この先も赤い目でいたら私が苛められるのではないかと麻美小母さまは心配したそうだ。また私は、昨日までの顔の表情が打って変わって優しい顔つきへと変化したそうだ。
「亜依音、可愛くなったよ。」
「うんママ。」
トレードマークの二つのこぶが頭より消えている。
私は麻美小母さまをママに呼び方を変えた。小さい子供の本能がそうさせたのか。
それからだ、クロは本当に消えてしまったし、私からも魔法が消えた。自分を浮かす事は出来なくなった。ただ身体の機能は変わらない、自由闊達に跳ねる事が出来る。
後ほど札幌より智治お爺ちゃんが駆け付ける。流石に明さんも四人のメンバーに入る。
「明日はいいのかしら?」
「あぁ、休暇の申請はしておいた。三日は休める。」
「まぁ嬉しい事を、ありがとうございます。」
「随分としおらしいね。」
「だって……桜子や娘たちが死んだ、あ!」
「ワシに気を使う必要はないだべさ、智治には声をかけてやってくれないか。」
「は、はい、勿論です。」
この時は智治お爺ちゃんは桜子お婆ちゃんの実家を訪問していた。帰って来てから塞ぎ込む両親の姿に暫くは声も掛けられない様子だったとか。それは無理からざる事か、いつかは帰って来ると両親は信じていたのが、一縷の望みが絶えたと考えたら立ち直る事なんかできっこない。
杉田牧場から智治お爺ちゃんが家にきた。悲痛な顔をするお爺ちゃんへ私は実に奇妙な事を言う。お爺ちゃんは笑いながら私を受け入れる。でもママは違った。
「お爺ちゃん! 奇跡は起きたりするからね?」
「亜衣音……そうだね、奇跡か~。」
「こら、亜衣音、何を言うのよ。」
「叱らないでやって下さい、私には亜衣音が残っていますから。」
「ぅう……ごめんなさい。」
「ね~ママは生き返るよ?」
二歳の女の子が言う事だ、大の大人は信じるはずはないのに?
「これでは墓は建てられないな~……。」
「はい、私も認めたくはありませんから桜子はきっと生きています。沙霧も澪霧も綾香と彩香もきっと生きていますから……。」
明子さんたちも学校から帰宅してきたが、家がしんとしていたので三人とも自室に籠もる。
*)エストニア……タリン
タリンでも私と同じ女の子がいる、この子も私に劣らず闊達な娘だ。母はクライと言う。ペイドルはカウンターでお客の清算を行っていて、
「今日はありがとうございました、次回もご利用をおま………、」
「はい?」
「アッ! 失礼いたしました。次回もお待ちいたしております。」
ペイドルは急ぎ控室へと戻ったら、そこには半狂乱した愛娘の姿があり驚く。
「エミリア! どうしたんだいエミリア。」
「ママ~ママが死んだ。ママが死んだ~ママ~、」
エミリアはクライが死んだと言うのだった。ペイドルはまさか? と思ったが直ぐに来客で事実だったと知らされるのだ。
「ねぇ、支配人はどこかしら?」
アンナとキャスがペイドルを訪ねて来たのだ。急ぎカウンターに立った使用人の女性には急用だと告げられたのだ。
「はい控室に行かれましので直ぐ声を掛けてまいります、お待ちください。」
そう言って奥へ下がった。しばらくして奥から出て来ては二人を控室に案内する。
「こちらでございます、どうぞお入り下さい。」
控室のドアは開かれていたので中からはエミリアの激しい泣き声が聞こえている。
「ねぇアンナ、これは間違いないわね。」
「そうねキャス。とても残念だわ、どうしてこうなったのかしら。私は悲しいよりも悔しいわよ、桜子さんに大役を押し付けて揚句に死なせるなんて。」
二人は部屋の入口で立ち話をしている。涙が流れてどうしようもなかったからなのだが、涙は止めようと思っても止まらないものだ。
「さ……お入り下さい、お二人には事がお分かりなのでしょう?」
二人とも涙で前が見えない、ペイドルは努めて冷静になり二人を部屋に押し込んだ。
「えぇーィ、早く入らぬか~!」
「キャイーン!」x2
「あらあらエミリアちゃん。どうしたのかな? お姉ちゃんが来たわよ。」
「ママが~、ママが死んだ~~、」
「この通りですよ、クライが死んだと言って泣き止まないのですから参っています。」
「ええ分かります。私たちも近しい人が死んだような感覚でいっぱいですから。」
アンナとキャスがペイドルに二人が感じた事を話した。
「やはりそうなのでしょうか、でも信じません。」
「もう……ごめんなさい、私たちがポル=バジンの事を教えたばかりに………。」
エミリアにつられてしまったのか、アンナとキャスが声を出して泣き出したのだ。二人は桜子とクライの名前を呼んでは、ごめんなさいと言いながら泣いている。
*)巫女の家族は
同じようにウランバートルでもルカが大声で泣いていた。
「お父さんクライが死んだわ~、お父さん……。」
そう言われても理解が出来ないゴルバチョーフ。
ロシアのモスクワでも、
「ソフィアが死んだ! そんな~……そんな事は無いはずよ。」
母のミーシャが泣き崩れている。
東京ではニキータが理解出来ないと思いながらも、自然と目はにじんで涙がこぼれる。
「シン! デルフィナが死んだようなの。シン! シン!」
ニキータはシンをたたき起こして泣いてすがった。
石巻の老婆も、苫小牧の桜子の母も同じように娘・孫が死んだという感覚が湧いてきて泣き出していた。桜子の祖父は全く分からないが、
「お前が言うのならそうなのだろう……。」
そう言って涙ながらに妻の背中をさすっていた。そこに智治お爺ちゃんが訪問してきたのだからこれはもう事実として受け入れられたそうだ。電話で済ませる事が出来ない優しい智治お爺ちゃん。
十勝岳のあのヒグマが雄叫びを上げている。
シビルには伴侶が居ると思われるが、きっとシビルが帰らないと分かった日には泣いてしまうだろうか。
世界中の巫女の血をひく者たちは声を上げて喜んだというのに。十人の巫女の命と引き換えだった、生け贄だったとはやはり呪いという他には言い表せない。日本にだけ巫女の血が濃く受け継がれたのに、どのような意味があるのか判らない。
大陸では常に戦争が起きて人種そのものが消滅させられる事もあり、受け継がれる巫女の血が絶えたのかもしれない。その点日本は閉鎖的であって山奥とか村とかは細々と生きていけたのだろう。
それでもポル=バジンの儀式で多くの巫女の力が抜けても、日本にだけは残った巫女が多くいる。
札幌の智治お爺ちゃんの家ではホロお婆さまが一か月ほど同居して、家族の想い出に耽って毎夜酒を飲んでいた。一番悲しいのは智治お爺ちゃんなのだが、智治お爺ちゃんが再起するまでにはまだまだ時間が……日数がかかった。可愛い娘らの沙霧や澪霧それに綾香と彩香に続いて最愛の妻の桜子までも亡くしてしまったのだから。
それは立ち直れと言う方がおかしいに決まっている。




