受け継がれる遺伝子
個体番号AZPM零壱タイプK。
「カミィちゃん、できたよ」
「ほわぁ」
マッドサイエンティストな夫ジュンイチは、愛しのロリ妻カミィの(実験の)ためならば、何でもする。むしろ、何でもできてしまう。これまで彼がこの世に生み出してきた発明品は、星の数程あると思われた。
その中には、最近たまたま研究サンプルの取引で吾妻亭を訪れていたディエゴから見初められた品も含まれる。その品が何だったのか、どういった価値があるのかは凡人にはどうせ分からないことなので割愛するが、何が問題になったかというと型式型番が無かったのだ。
やはり商売には書面という事務的なものが付き物で、そこには長ったらしい「これこれこういうことができるこれこれこういう感じのこれこれとこれこれ」とラノベタイトル顔負けの長い商品名を書くのは些か面倒だ。そこで、通常は売り手が商品にネーミングを施すところ。だが、ディエゴは取引相手の特質を熟知しているため、自らてきとーな名前をつけてその場を凌ぎ、契約は相成った。
賢明な判断である。自分の手から離れていく「証明済みの何か」になんて興味を抱くことができないジュンイチには、名前なんてどーでもいいのはごく当然のことなのだから。
その後だ。なんと愛妻カミィがこんなことを言い始めたのだ。
「ジュンイチくん、この子のお名前はなあに?」
すると、ジュンイチが何か反応しようとする前に彼女は次の行動をとる。周囲にあった、過去のジュンイチの発明品を指差し始めたのだ。
「んー、この子は『もわちゃん』ね。なんか、もわっとした顔してるもん」
ジュンイチの中では、「後々自分で名付けするにも関わらず、なぜ先に僕に名前を尋ねたのだ?!」という疑問が渦巻いていた。元より、非合理的かつ非論理的なFEELINGで生きているカミィは平常運転なのだが、未だにその行動から何らかの規則性や理由付を見出すことを諦めていない夫は、目を爛々と輝かせている。
「ねぇ、カミィちゃん。これは、どこがどうもわっとしているんだい? もわっとの定義は何なのだろう?」
「えっとね、もわっとはもわっとなんだよ。あ、これはね『ふわちゃん』だよ」
ジュンイチの中では、次から次へと謎が降りかかっている状態。頭の中では何らかの仮定をして検証してはそれを否定し、を繰り返す。
いつしかさすがのジュンイチも、これがあまりに非生産的であることに気づいてしまい、一度自分でネーミングというものをすることにしたのだ。元軍人であり、医療などにも造詣が深いジュンイチは博識。記憶の彼方から、よくある製造番号的な名付けを採用する。それが冒頭の、個体番号AZPM零壱タイプKであった。製造元とそのマシンの主たる機能、そして誰に宛てたものなのか、で構成されている。
このネーミングに、カミィがどんな反応を見せるのか。ジュンイチは、今日のレポートが充実したものになることを確信しながら、カミィの様子をじっと見守っていた。しかし。
「ほわぁ」
ただ、それだけだったのである。
敗因は、明らかだった。何より、プリン製造機というチョイスが間違っていた。もっと言えば、その機械が稼働していなければ、カミィもそれ程気を取られなかっただろう。だが事もあろうに個体番号AZPM零壱タイプKは、ひたすらプリンを製造し続け、瞬く間にカミィの前のテーブルを新鮮なプリンで埋め尽くしたのである。
カミィは無言でスプーンを手に取る。一皿を自分の前に引き寄せる。食べる。引き寄せる。食べる。それに構わず、ジュンイチは説明を始めた。
「カミィちゃん。これはね、カミィちゃんの好みのプリンを再現できる特別のプリン製造機なんだ。必要な材料を予めケースにセットして……あ、心配しなくてもこのケースは特別製だから、中身が温くなったり腐ったりすることはないんだ。通常の十倍以上の期間その品質が維持されて、むしろ旨味成分を増した状態で製造過程に乗せることができるんだね。そしてこの製造機で一番画期的なのは、カミィちゃんと同じ舌を持っていることだよ。人間の味覚器官と同じ仕組みを組み込んでいるから、多少材料の成分にムラがあっても人工知能で調整して配合し、必ずカミィちゃん好みのプリンを即座に作り上げることができるんだ。それからね……」
話の間、プリンはどんどんカミィの口の中に消えていく。カミィの腹は、ますます幼児体系の特徴であるポッコリ型へとして成長していった。しかし、プリンは前代未聞のボリューム。物理的にカミィの腹の中に入り切るとは思い難いのに、誰一人としてそれを指摘する者はいない。カミィの胃がプリン専用の異次元ポケットであることは、周知の事実なのだろうか。それともオフィーリアの常識か。
ついに、最後のプリンが無くなった。カミィはプリンの細かな残骸を口元にくっつけながら、ジュンイチの方を仰ぎ見る。
「ジュンイチくん、ありがとう」
カミィの背後に花が咲いた。薔薇の花。ジュンイチも、期待した実験ができなかったものの、なぜかいつもよりもにっこりしている妻を見て、満足げに口角を上げていた。
その裏で、やつれきった男が一人。マリクである。この屋敷の執事である彼は、主ジュンイチの命を受けて、先程たったの十分で卵百個を割り、トロトロになるまで掻き混ぜるという荒業をやってのけたのだった。糸を引く卵の白身でベチャベチャになった手はすでに清められているが、気持ちまではそう簡単にすっきりない。
「おい、ジュンイチ。ここまでトチ狂ったようなもの作れる癖に、なんで製造機にセットするのは溶き卵なんだよ? お前なら、卵さえセットすれば自動で卵を割ってかき混ぜるぐらいの仕組み、作れるだろ?」
「でも、そんなことをしたら、マリクくんの仕事が無くなっちゃうだろ?」
「そうだよ。マリクくんがまた無職になったら、可哀想だよう」
「俺は無職じゃない! ちゃんと金貸しやってたんだからな!」
時代は流れる。オフィーリアにあるどこかのお屋敷、どこかのお部屋。当主である青年と、スラム出身の女執事の会話。
「っていうお話を作ったの。先々代ご当主夫婦の愛ある物語。なかなか良くできてるでしょ?」
「へぇ」
「あなた、さっきから何を話しかけても『へぇ』しか言わないんだから! ちゃんと聞いてよ」
「聞いてるけどさ。僕、ちょっと忙しいんだよね」
「どうせろくでもない研究ばっかりしてるんでしょ」
「そんなことはないよ。僕はお祖父様と違って、周囲との協調性があるから、皮膚サンプルを貰う時だって、予め同意書を用意してだね。あくまで紳士的に……」
「その同意書、相手の弱みを書き連ねていて、これをバラしてほしくなければ、とか書いてあるんでしょ?」
「それは、ほんの一部だよ。皮膚なんて、少しだったらすぐに再生させられる時代になったんだし。もちろん、僕の研究の成果だけど。でも、その再生時間を極限にまで短くすることができれば、もっとたくさんの面白いことに応用できると思わないかい?」
「どうしてかしら。私の頭の中でサイレンが鳴るの。罪人が全身の皮膚を剝がれている醜悪な映像が視えているのよ。すぐに再生できるから、人を痛ぶりやすくなるのね。でも、あなたがすることだもの。なぜか応援してしまいたくなる……もしかしてこれは」
「恋?」
「あなたの口からそんなキーワードが出る日が来るなんて!」
「そこまで驚くことかい? お祖父様の名著の中に『恋とは』というものがある。あれは僕の愛読書なのさ。読めば分かると思うけれど、お祖父様はお祖母様と……以下略」
一時間後。
「というわけであって、つまるところ恋とは……」
「あれ、まだ喋ってたの? そろそろ禁断症状出る頃だと思って、さくっとプリン作ってきたんだけど。食べる?」
「食べる!」
プリンを頬張る当主。三皿一気食い。
このプリンは長年かけて改良を重ねられた製造機によるもの。その名も個体番号AZPM零参タイプF。細胞学にも詳しかった先々代当主の手によって産み落とされた、究極のマシンだ。なんと、鶏の遺伝子や牛の遺伝子レベルの設計、サトウキビの品種改良段階から手を加えられ、究極の材料の製造を経て、最後は絶妙な配合で仕上がる造りになっている。ちなみ、搭載された人工知能は先々代の奥方の味覚をベースとしてチューニングされているため、必ずしも現当主の好みと完璧に合致しているわけではない。
「それにしても」
「何?」
「つまるところ恋の明確な結末は、お祖父様にすら解き明かすことができなかったんだよ。やはり僕はこの研究を引き継ぐべきだと思う」
当主は、女執事の足元に跪いてその手をとった。
「急に思い立ったことだから花束は用意できなかったんだ」
「うん。私、一部始終を見てたから知ってる」
「なら、いい。そんなわけでね、僕の研究に付き合ってくれないかな?」
そして、女執事が出した答えとは――。
その夜、ふたりはワルツを踊った。
燦然と輝く星空の光は、悠久の時を経て届く愛の暗号。ふたりを照らすためだけのライティングとして、役目を果たす。そのほんの一部は女執事の瞳の中に煌めきとして留められる。見つめ合い、音楽も無いのに優雅にステップを踏む。くるくると華麗に回るその姿は、この世に誕生したばかりの花のように美しい。
たぶんふたりは、ふたり以外に何も要らない。
お読みくださいまして、どうもありがとうございました。
純粋な二次創作って書くのは実は初めてでして、かなりドキドキしながらアップしました。
生温かい目で見ていただければ幸いです。
元のお話、『そしてふたりでワルツを』は下記からお読みいただけます。ぜひチェックしてみてくださいね♪
https://ncode.syosetu.com/n9614dm/
作中の漫画は、原作者のあっきコタロウ様が特別に描いてくださいました。どうもありがとうございました!