私、ルーナは、近々ビスケットをたくさん食べられるようになりそうです
私、ルーナは、近々結婚します。
お相手は領主の家の息子さん。
王国で農業を営む農家の家の長女に生まれた私は、これまで、ろくな人生を送ってきませんでした。お人形も、可愛らしいお洋服も、手には入らなかったし、アクセサリーなんてもっての外。
ですが、そんなぱっとしない人生も、今日でおしまい。
これからは、きっと、華やかな人生を謳歌できるに違いありません。
ただ、実は、彼がどのようなお方なのかということは、知らないのです。というのも、彼の家からの結婚のお願いを、親が勝手に了承してしまっていたからです。
でも……大丈夫。きっとすべてが上手くいく。
これといった理由などなくても、今の私には、その自信があります。
謎の自信、というやつです。
「あーどうも。こんにちは」
「こんにちは……」
結婚式の前、初めて顔を合わせた彼は、意外とぱっとしないお方でした。
名はアスレチックさん。元気に楽しく遊べそうなお名前ながら、外遊びはあまりお好きでなさそうな方です。
ちゃんと手入れすればかっこよくなりそうな金髪なのに、伸びっぱなしでぼさぼさ。幸い異臭は漂っていませんが、手入れはほとんどしていないと思われる状態です。
これでは、女性からの人気はあまり出ないでしょうね。
とにかく清潔感が欠けています。
「これからよろしくお願いします」
「あ、どーも。こちらこそよろしくー」
アスレチックさんは、発する言葉からも、そのぱっとしない雰囲気が滲み出ています。
ただ、顔立ち自体はわりと整っているほうだと思いました。
彼はこんなでも、これから私の夫になるお方。少しでも良いところを見つけていかねばならないと思い、比較的整っている顔を見つめていました。
すると彼は声をかけてきます。
「ルーナちゃん、何見てるの?」
いきなりちゃん付けはやや厳しいですが、私は気にしないように心がけることにしました。小さいことは言ってられませんから。
「あ、いえ……」
「もしかして、このブラウスが気に入った?」
それまではずっとお顔を見ていたのですが、彼の言葉を聞き、初めて上半身へと視線を移します。
すると、彼が着ている薄い桃色のブラウスに、「白熱試合」と文字が書いてあることに気がつきました。しかも、私の腕の横幅くらいはあると思われる太い文字。その迫力といったら、なぜ今まで気づかなかったのだろう、と疑問に思うほどでした。
「これ、俺が三歳の頃に、遠い親戚のおっさんが東の国へ旅行に行って買ってきてくれたんだよねー。でもその時はさー、俺まだ小さかったから、着れなかったんだ」
正直、どうでもいい話です。
そもそも、私は何も聞いてなどいません。にもかかわらず自ら話し出すということは、よほど聞いてほしかったのでしょう。
聞くのはただなので、特に何も言うことはしませんでしたが、興味はちっともありません。
「そうそう、その時の面白かった話。親戚のおっさん、嫁さんと二人で行ってたらしいんだけど、たまたま寄った団子屋の娘と仲良くなってさー」
ますます関係のない話へ流れていっているのが不思議で仕方ないですが、一応黙って聞いておくことにしましょう。
「旅館行ってから、嫁さんに怒られたらしいんだよね」
……その話を私にする必要があったのか、甚だ疑問です。
「あ。ルーナちゃん、もしかして退屈してる?」
「い、いえ。そんなことはありません。お話、楽しいですよ」
「ほんとに?」
「もちろんです」
本当はかなり退屈しているが、はっきり言うのも申し訳ない気がするので、そう答えておきました。もうすぐ夫となる方に対し嘘をつくというのは、少し心苦しいものがありますが。
「そうだ、これ食べる?」
退屈している私に気を遣ってか、アスレチックさんはビスケットがびっしり入った箱を渡してくれました。
小さなビスケットは色々な動物の形をしていて、とても可愛いです。
ただ、すべてのビスケットの中央に「栗おこわ」と文字が入っているのが、少々気になります。
私は一枚つまんでから、彼に尋ねてみました。
「これ、どうして『栗おこわ』と書いてあるのですか?」
すると彼は、少し驚いたような顔で返してきました。
「え?ビスケットには『栗おこわ』って書いてあるものじゃないの」
おかしなことを言いだすなぁ、と、私は戸惑うことしかできませんでした。
今まで食べたビスケットの中で『栗おこわ』なんて書かれたものは、一つもなかったと思うのですが……私の記憶違いなのでしょうか。
「このビスケット、どこでお買いになったのですか?」
「これはさっき言ったおっさんの手作りビスケット」
「おじさん、ビスケットをお作りになるのですね」
驚いた。まさか、おじさんの手作りだったなんて。
旅行はするし、ビスケット作りもする。そのおじさんは、なかなか幅広い趣味をお持ちのようです。
「そうそう。おっさんの家、ビスケット工房なんだよね」
「まぁ! 凄いですね!」
まさか、という感じではあるが、こればかりは素直に感心しました。
「……ルーナちゃん、ビスケットには興味あるんだね」
「はい。美味しいものは好きです」
「じゃ、こんどどれか注文しよっか?」
「良いのですか?」
「もちろん。えーと、確かここらに……」
アスレチックさんは立ち上がり、近くの本棚の一番上の段へと手を伸ばします。そして、何やら分厚い本を取り出してきました。小指の長さほどの厚みがある本です。
「はい、これ」
その本を彼は、私へ差し出してきました。
表紙には、「ドラマチックビスケット工房・注文販売用ブック」と、極めてポップな自体で書いてあります。
「そこから好きなの注文できるから」
厚みのある表紙を開くと、一枚目の紙には、彫りが深く丸い玉のような眉毛をした男性の絵。この男性も綺麗な金髪なのですが、前髪だけが残っていて、後ろはスキンヘッドという、非常に珍しい髪型をしていました。
「この方がおじさんですか?」
「いや、それはおっさんの兄」
「あ、そうでしたか……」
何とも言えない気分です。
これ以上言葉が見つからないので、この絵に触れるのは止めました。
さらにページをめくっていくと、様々な種類のビスケットが載っています。
イチゴ、オレンジ、グレープフルーツ、スダチ、ゴボウ、ピンクグレープフルーツ、キンカン、レモン。シナモン、クロマメ、エダマメ、アズキ、エンドウマメ、ニシン、ソラマメ、トマト、アーモンド。ローズ、バジル、ラベンダー、ポテト、ピーナッツ。
とにかく種類が豊富です。これなら、毎日食べても飽きないことでしょう。
「ルーナちゃん、それ、どれでも好きなの注文していいから」
あれ?
よく分からないけれど、何だか優しい……?
「本当ですか」
「いいよ。そんなに高いもんじゃないし」
「ありがとうございます!」
どうやら、アスレチックさんは寛容な心をお持ちのようです。
最初はだらしなくて残念な人だと思っていましたが、段々善良なお方に思えてきました。
これからの新たな暮らし、不安もありますが、彼となら何とかやっていけそうです。
これといった理由などなくても、今の私には、その自信があります。
謎の自信、というやつです。