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彷徨える命脈  作者: 小倉紀能
8/14

第八章 魔剣きらめく燎原に

    1


 サトルと安西を事務所から送り出した市恵は、応接のソファで仮眠を取った。トントンというまな板の音と味噌汁の鰹ダシの匂いで目覚めると、島田のオバサンが朝食をつくっているところだった。時計を見ると七時だ。

「市ちゃん、起きたかい」

 島田のオバサンが声をかけてきた。眠い目を擦りながら台所に行くと、ニカッという満面の笑みが待ち受けていた。

「いい匂い」深呼吸するように味噌汁の匂いを嗅ぐ。

「やっぱり自然のダシが一番よね」

「そりゃあそうに決まってるさ」得意顔でいう。

「でもあんたも大変だねえ。家にはめったに帰らないんじゃないかい?」心配そうにいう。

「いいんです。家にいてもどうせ一人だし、ここにいた方がみんなと話せて楽しいし」

 市恵は健気な笑みを浮かべた。

「胸にしまっとかないでなんでもおいいよ。ここはみんなそういう仲じゃないか」

「はい」素直にいう。

「市ちゃんの家がどうなってるのか、それをムリに聞き出そうっていうんじゃないんだよ。なんだか、切羽つまってるみたいで、ときどき心配になるんだよ」

「大丈夫です」気丈にいう。

「こんなあたしだって、うちの宿六が事故に合っちまったときは、それこそウロたえたもんさ。仕事ができなくなりゃあおまんまの食い上げだ。どうすりゃいいんだってね」

 腰に手を当てたまま遠くを見ている。

「補償金も失業保険も食いつぶして、一家四人さあどうしようってときにも、死んじまおうかってね、本気で考えたもんさ。でも、もっと惨めな人だってこの世には一杯いるんだってね、この会が教えてくれたんだよ」

 力強い笑みが顔中に溢れかえった。

「うーん、なかなかいいダシが出てるよ」

「いただこうかな」

「ご飯もできてるよ」

「ご飯はいいです」

 断りの返事に、島田のオバサンはどこか悪いんじゃないか、というように心配顔になる。

「これからすぐ出かけなきゃならないから」

「あれかい、また、孤児院で別れたっきりの兄さんの手がかりを探しにいくんだろ」

「・・・」無言のままだ。

「それにしたってあんた、朝ご飯ぐらいちゃんと食べなくちゃあ・・・」

 子供を叱る母親になっている。

「急いでるから。夕飯はちゃんといただきます」

「そうかい」ちょっと不満そうに味噌汁を椀に注いだ。

「心配しなくて大丈夫。用事が済んだらちゃんと帰ってくるって。安西さんやサトル君たちのことも気になってるしね」

 アツアツの味噌汁を啜りながら真剣な表情で島田のオバサンを見やった。

「あの二人うまくいってるのかしら」

「ごちそうさま」

 市恵はそういうと、急ぎ足で玄関に向かった。

「じゃあ、行ってきます」

 そういうと髪を肩で払いのけるようにして身を翻した。

「あの子も心配だね」

 島田のオバサンは一人つぶやいた。会の活動にはよく顔を出すし活発だしいい娘だ。フツーの同じ年頃の女の子と違って考え方もしっかりしている。けれど、フツーの女の子らしくないところが心配だった。

 美味しいものを食べ、友だちと遊び回って、彼氏の一人ぐらい連れて来て親を心配させるのが年頃の娘の仕事だろうに。家族のことといえば昔別れたっていう兄のことを少し話すだけだ。それ以外のことは一切口をつぐんだまま。苦労を全部自分で背負い込んで、自分で解決しようとしている。その気の強さが、島田のオバサンは心配のタネだった。


    2


 どのくらい時間が経ったのだろうか?

 途絶えた時間が次第に現実を取り戻していた。静けさの中に、狂気の残滓だけが澱となって横たわっていた。竜馬やデビルは決してイリュージョンではなかった。死闘も悪夢などではない。なぜならその痕跡が周囲に散乱しているのだから。

 緑の匂いの中に、血の生臭さが混じっていた。いつのまにか蹄の音も喚声も絶叫も消えている。静寂の中に小鳥のさえずりが、まるで特種効果音を効かせたように聞こえてきた。空気が生暖かい。と、虫の声が聞こえた。いや、虫ではない。あの機械的な音はヘリコプターのローターだ。次第に近づいて来る。戦国時代から現代へと急に連れ戻された気がして、サトルは茂みら顔を覗かせ、周囲の気配をうかがった。横手で安西も双眼鏡を当てて様子を見ている。お互いまだ声を交わしていない。

「自衛隊?」サトルが怪訝そうにポツリと洩らした。

「いや・・・違うな。他にも色々とやってきゃあがる」双眼鏡を覗いたまま安西が応えた。「後片づけがおっぱじまるようだ」

 何台もの幌をつけたトラックが地響きとともに土煙を上げ、近づいてくる。戦場の後始末がはじまるのか? 武者も騎士も騎馬も竜馬もデビルも、すっかりつかれ果てた様子で、重い足を引きずっていた。さっきまで殺し合っていた敵も味方もない。入り混じったまま騎馬は一列になって去っていく。竜馬も同じだ。中には傷ついて血を流している竜馬もいる。紐につながれたデビルが何頭も檻の中に追い込まれていった。

 歩ける武者や騎士、雑兵も、肩を落としがちに群れとなって迎えのトラックの方へ向かっていく。傷を負ったものたちは、ヘリに収容される。大型トラックが辺りをゆっくりと巡回し、死骸を荷台に積み込んでいく。まるで、ゴミの収集車のように・・・。

 収集作業は念が入っていた。死骸はおろか肉片も残すまいとするかのように数一〇頭のシェパードを連れた一群がやってきて、痕跡を残らず回収していこうとしている。

「まずいな、兄ちゃん。このままじゃ見つかっちまう。ここに倒れとる死骸も、わしらも・・・」

 声が困惑の色を帯びていた。

《入れ代わるっきゃないか》

(なに?)

《この鎧の中身とね》

 血に塗れたふたつの死骸を見て、サトルはごくりと唾を飲んだ。連中の仲間になりすませば発見されずに済む、というわけか。サトルは意を決していった。

「安西さん。どっちがいいですか?」

「何がだ?」

「日本の鎧と、このヨーロッパのみたいな鎧と?」

「え、ま、まさか・・・」

 本気か? というようにサトルの目をまじまじと覗き込んだ。

「うーん。その手しかねえか」覚悟を決めたようにいう。「わしは・・・殺しちまった手前もあるし・・・こっちにするか」

 そういって首に剣の突き刺さったままの雑兵を指差した。

 気味が悪いのなんのといってる場合ではない。生き延びるためにしなければならないのだ。追剥ぎのように慌てながら、死体から着衣を脱がせた。

《アフリカでたくさんの死体を見た。初めは目を背けてたけど、そのうち風景の一部になって、いつのまにか、生きてる方が怖いって思うようになってた。いつ死ぬかも知れないっていう恐怖より、死体を見ている方が安心できた・・・》

(生きてる方が、怖いか・・・)

 金属の鎧は想像以上に重かった。まるで鉄アレイを両腕に下げ、鉄の靴を履き、潜水用のウェイトを目一杯カラダにくくりつけ、全身の関節にエキスパンダを取りつけられたようだ。

「こっちの鎧もかなり重いけど、手足が自由なのが助かる。大丈夫か、あんちゃん?」

安西が心配そうに見た。サトルはうなづくのが精一杯だった。


    3


 無言の隊列の中に、騎士姿のサトルと雑兵姿の安西がいた。

 ゆく手には延々と列がつづいている。ときどきトラックがきて、荷台に兵士たちを乗せられるだけ乗せていく。運よくサトルの横にトラックが止まった。サトルは無意識に重い腕を精一杯に伸ばした。

「変わってくれ、ジョー。重いやつはおまえに任せる」

 聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。ユニバーサル商事で出会ったサングラスの黒田だ。あわてて差し延べた手を引っ込め、うつむき加減に別の方向へと向かおうとした、そのサトルの手首ががっしりとした巨大な手で掴まれ、引き上げられた。その手の持ち主と目が合った。突き出た額の奥に貼りいたビー玉のような目玉。サトルがかぶっていた騎士の兜は顔面が晒されている。思わず驚愕が背筋を走り抜け、全身が総毛だった。手を払い除け走り去ろうか、とまで思った。しかし、すべては杞憂だった。

「ヘヘヘヘ・・・ゴクロー。ユックリヤスミナ」

 ジョーはサトルに笑顔をふりまくと、荷台の奥へ追いやった。

《気がついてないみたいよ》

 トラックの荷台にしゃがみ込んだサトルの正面に、安西がやって来て、目でジョーを示す。地獄で悪魔みたいな顔つきだ。「気がついてない」と唇だけを動かす。ホットした安西に、アゴで黒田の存在を知らせる。安西に緊張が戻った。

「そろそろ行くか、ジョー」

 そういって荷台から飛び降り、運転席に向かう黒田のサングラスの銀縁が光った。アーミージャケットを着込んでいるが間違いない。

 ジョーは疲れ果てて倒れ込んでいる武者をつかまえて、「信長サマノトコヘイクンダヨ・・・ヘヘヘヘ」と嬉しそうに話しかけている。しかし、すべての武者は無関心で、ただ虚ろな眼差しを宙に舞わせている。

(信長・・・?)

《信長役で映画に出るっていう、ユニバーサル商事の社長かもね》

(そうか・・・でも、なぜ?)

《それがわかれば苦労はないわよ》

(守護霊ならもう少し修行してから来いよな)

《そんなこといったって、私だって突然霊界から呼ばれたんだもの・・・そんな余裕はなかったわよ。えーと、待って。思い出さなきゃならないコトのイメージが湧いてきたわ》

(この間いってたやつかい?)

《黙って! 思い出せないじゃないの! 必要なものよ。霊界から呼ばれたときに教えられたもの・・・それがサトル、あんたを必ず救ってくれる》

(じゃあ早く思い出して!)

《がんばってるわよ!》

(やれやれ)

 トラックに揺られながら昼下がりの雲を見ていたら、睡魔が襲って来た。柔らかな陽射しが、ひととき緊張を解きほぐす。疲労が一気に押し寄せて来た。瞼を開けているのがやっとだ。

 夢の中でサトルは弓をつがえていた。矢尻が黄金に輝いている。弦を胸元一杯まで引き絞った。輝く矢尻が弓を握っている左手の人差し指に触れた。矢尻が曙光を浴びたように一段と光輝いた。

 その途端、背中ににぶい痛みを覚えた。

「オキロ!」という声がしてジョーの顔が目に入った。鎧を蹴り飛ばされたようだ。


    4


 陣幕が張り巡らされていた。

 紅蓮の幕が炎のように風に旗めいている。萌黄色、緋色、紫や桜色などきらびやかな大鎧に身を包んだ武将たちが連座し、中央に鎮座する武者を凝視している。その武者はひと際華麗な甲冑を身にまとい、床几に腰を下ろしていた。

《あれが、信長ね》

(わかってるって)

 陣幕の周囲には見上げるほど高い足場が組まれ、設置された巨大なライトから眩いばかりの光が陣の中央を照らしていた。

 目を凝らすと、足場の上から何台ものカメラが下を狙って構えられているのが見えた。地上にも、小型のカメラを手にした甲冑姿の男が何人もいる。誤って写されても問題がないようカメラマンも武者姿なのだ。

 集められた騎士や武者たちの間をアーミージャケット姿の黒田がかいくぐりながら、選別していく。選ばれているのは騎士姿の者たちばかりだ。黒田はサトルの姿を一瞥すると「おまえ!」と呼び、手にした剣で陣幕の中にいくよう促した。泥と血で顔が汚れているので、サトルだと気がつかなかったようだ。

(何をされるんだ?)

 横の安西を見た。心配そうにサトルを見て、安西は両手を拝むようにして合わせた。

「早くしろ!」

 黒田の罵声に促されて、サトルは陣の前に歩みを進めた。すでに数一〇人の騎士が集合している。ここは信長の陣。サトルは西洋の甲冑姿。撮影現場では、先ほどまでその二つの大軍が戦っていた。

《捕虜っていう筋立てかしらね》

(どうなっちゃうんだ!)

《ここはなんとか・・・》

(・・・いい考えあるの? 姉さん)

《運を天に任せる》

(なんだ、情けねえな)

 そうしているうちに、信長がすっくと立ち上がった。

《ねえ、ちょっと変よ、この男・・・邪悪を撒き散らしている!?》

(えっ?)

《感じるのよ・・・地獄の底から這い出して来たみたいな臭いがするわ》

(どういうこと?)

《霊界の果てにあるっていう魔の巣窟の臭い・・・》

 尚子のいう嫌悪感がサトルにも感じられた。全身が粟立ち、吐き気が襲ってきた。屍を食らう餓鬼の腐臭だ。戦慄が悪寒となって全身を走った。

「わし自ら処刑する」

 そういうと信長は傍らの小姓が差し出す大刀の柄を握り、抜刀した。声も出ない。脇の下から冷たいものが幾筋もツツツーと肌の上をつたって落ちるのが分かった。

「リハーサルは、なしだ」

 胃が蠕動して胃液が逆流し、口中が酸っぱくなるのをサトルは感じていた。

《目の色を見て!》

 目つきが違うとか、そんなことではない。まるで深夜の非常ランプのように瞳だけがポツリと妖しい緋色に輝いていた。元結いが切れたのか、髪が舞い、逆立って生き物のように蠢く。戦慄が辺りに立ち込めた。空は黒雲で覆われ、嵐の前のように重苦しくなった。(これって・・・)

《大道具が空に墨を流したんじゃなさそうよ》

(こいつの力!?)

 その力が近づいてくる。憑かれたように、双眸は虚空に向けられていた。旗差ものを背にした甲冑姿の武者が、集められた西洋騎士姿の面々を引きずり倒すようにして座らせていく。そして、面をはぎ取る。それは、いとも簡単に機械的に行なわれていく。

 信長が迫ってくる、が、足が動いていない。台車にでも乗っているのか? いや、足下にはなにも見えない。

《浮いている!!》

(まさか!)

《しっかり見る!!》

 絶句した。地上すれすれに信長の足が浮き、滑るように近づいてくる。誰もそのことに驚いている様子がない。

 信長は跪いているひとりの男に近寄り、手にした刀の切っ先を男の顎に当てて顔を上げさせた。金色の髪の下に端正な面立ちの白い肌があった。北欧系特有の透き通ったブルーの瞳。高い鼻梁が、薄い唇の近くまで長く伸びている。その視線は薬物中毒患者のように虚ろに彷徨い、恐れや動揺はまるで見えない。甘んじて殺されようというのか? 横目で見ているのが辛い。震えで鎧がカチャカチャと音を立てた。

 信長が、手にした太刀の切っ先を天空に向ける。すると、太刀は蒼く輝くオーラに包まれ、漆黒の空の下で鮮明に浮かび上がった。呼応するかのように雷鳴が轟き、同時に閃光が走り、龍のような稲光が太刀に絡みついた。

《魔剣!?》

 尚子の霊感は、ただちにそう悟った。

 満悦至極の笑みを浮かべた信長が、その視線を跪いた男に向けた。双眸が邪悪な紅蓮に燃え、男の首筋にまとわりつく。

《空気が尖っている!》

 サトルの肌も感じていた。身体を動かすだけで切れるように痛い。空気の刃が立っていた。研磨され、並の鋼さえ断ち切ってしまいそうなほど鋭敏だった。視線だけで、周囲までが悪霊の気配で満たされるのか?

 信長の形相が一段と険しくなる。見えない何かを獲物に浴びせかけているようだ。信長は、魔剣の切っ先を金髪の青年に向ける。妖気が高まり、大気の密度が増した。気がつくと、獲物の首に赤い糸が巻かれていた。その糸から、紅い液体が滴り落ちる。と思う間もなく生首が、前に押し出されるように滑り落ちた。赤黒い断面が半分ほど見えたとき、丸い物体がバランスを失って転がり落ちた。いつ断ち切られたのか気がつかないかのように、生きていたときのままの表情のままだった。

 頭部を失った断面から堰を切ったように鮮血が吹き上げる。赤い噴水のように周囲に降りかかった。生温かく、生臭さいシャワーだ。

 金髪の青年に向けた切っ先は、まったく動いていないのに、だ。

 儀式はつづいた。ひとり、またひとり・・・。その様子をカメラが追っていく。コンピュータを使った特種効果によるスプラッターなどではない。魔力による狂気の儀式だ。その儀式が、刻々とサトルに迫ってくる。

 尚子は焦っていた。守らなくては。でも、どうやって? 自分はサトルを護るために憑いたのだ! それなのに、使命を全うしなくていいのか? 忸怩たる思いが広がっていた。

 その憤怒が信長に向けられた。

 信長がサトルの前に横滑りしてきた。魔剣はまだ蒼白く輝いている。ほんのりと赤味を帯びているのは、魔剣が妖気で血を吸い込んでいるからに違いない。辺りは血飛沫で土の色が見えないくらいなのに、信長は一滴の血を浴びていない。

 サトルの首筋に向けて魔剣が降ろされようとした。が、信長の手が動かない。金縛りにでもあったかのように、ピクリともしない。

 信長の顔色が変わった。狼狽・・・。魔力が霍乱されているのを悟って、うろたえているのが分かった。眉根が寄せられ、秀麗な容貌が歪んだ。

「うむむむ・・・」

 歯噛みし、鬼面のように紅潮した。周囲は信長の演技と思っているのだろうか、誰も不思議には思っていないようだ。信長は瞳を動かし、手にした魔剣を見る。蒼光が徐々に薄れていくのを知ると顔色を失った。

 困惑を感じとっているのは、いま首を断ち切られようとしていたサトルと尚子の霊だけで、他の誰も気づいてはいない。

(・・・? 姉さん!)

 応えがない。その代わり、尚子の怒りが《気》となって放たれ、信長を呪縛でがんじがらめにしているのを感じた。

 信長のスキをついて渾身の力で妖術に立ち向かい、魔剣の色を失わせているのだ。

「欲界の魔王に御霊を売り払った鬼、鎮まれ、そして去れ!」

 サトルの口から思いもかけぬ声が迸り出た。

 信長が蒼白になる。

「・・・お、おぬし、生霊か!? この世に怨みをもった怨霊! 成仏すること叶わず霊界を彷徨い、迷って現れたのであろう?」

「黙れ! 神に近づきながらあえて煩悩を選び、邪悪な野望を抱いたのは貴様だ!」

 サトルの口が勝手に動いている。尚子が、サトルの声帯をつかって声を放っていた。

(姉さんが生霊? 怨霊?)

 サトルの視界に次第に霧が立ち込め、鮮やかな映像が浮かんだ。尚子の心眼がサトルに見せている幻影だ。

 悪魔が行者たちを欲界で振り落としていく。その悪魔に取り引きを申し出る総髪の青年がいた。青年は野望の実現と、欲望の提供の取り引きをした。

 悪魔がいった。

「お前に魔力と不死を授ける。邪悪の限りをつくせ。ひとつの例外を除けば、永遠の命が与えられるであろう」

 青年信長が、魔王の守護を得た瞬間だった。サトルの眼前で硬直している信長の心を、尚子があらん限りの力を尽くして読んでいた。

 魔王の守護を得たその青年が、いま眼前で魔剣を振りかざして仁王立ちしている。神に近づきながらあえて煩悩を選び、邪悪な野望を抱いた男、信長。尚子の読みの力が男の正体を暴いていった。

「信長・・・なぜ甦った」

 サトルの口を借りて尚子がそう質す。

「貴様、信長ではないな。私は知っている。政争に敗れ、いまだ怨霊として浮遊している信長の霊を・・・。お前だけではない。ここにいるものからは霊魂が感じられない。貴様らは、霊のない肉体ばかりではないか! 抜け殻のような肉体をどうして得た?」

 サトルの声を借りた尚子の絶叫が墨を流したような空に轟いた。

「誰なんだ? 貴様らは!」

(霊のない肉体? どういうことだ?)

 サトルの頭はポリバケツを引っくり返したみたいにグチャグチャだった。

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