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彷徨える命脈  作者: 小倉紀能
4/14

第四章 渡る世間は鬼ばかり?

    1


 エレベーターを降りてロビーに出ると、現場検証の警官が何人もうろついていた。

 サトルは胸のポケットからフィルムケースを取り出した。暴行シーンのフィルムは奪われたけれど、幸いにしてデモの様子を写したフィルムは助かった。そのフィルムの入ったケースを弄びながらロビーを抜け、玄関の階段を降りようとしたとき声をかけられた。「あんた・・・」ぼさぼさ頭にネクタイをだらしなく弛めた男が値踏みするように見た。「さっき、写真撮ってたね」

 吸口まで短くなった煙草を投げ捨てると、くたびれた革靴で揉み消しながらフィルムケースを見た。誰? という問いの前に男が警察手帳を一瞬ちらつかせた。

「悪いようにしない。話だけ聞かせてもらいたい」そういって近づいてくる。

《用心しなさいよ・・・警察が一番うさん臭いんだから》

 寝癖のついた頭髪と、あぐらをかいたような鼻、まくれ上がった唇が、有無をいわせぬ強引さを表していた。

「それ、さっきの暴行のときのフィルムかい?」

 サトルは警戒しながら首を横に振った。そして、まだ赤い跡の生々しい右手首を無言で刑事の目の前に差し出した。

「いくら貰った?」こともなげにいう。

「そんな風に見えますか」

 ムッとして言い返すと、刑事が「ほぉ」呆れたようにまじまじと見た。「痛い思いをしただけ損だったんじゃないか?」

「良心までは渡してない」

「若いっていいね。良心なんていうセリフが恥ずかし気もなくいえるんだから」

 そういって後頭部を掻き、「で、どんな連中だった?」とつづける。

 ズケズケと質問する横柄さにに気が進まなかったが、素直に応えた。

「小太りで会長って呼ばれてた男と・・・」

「井原組の井原会長だ」先刻承知という口振りだ。

「知ってるんですか?」

「総会屋あがりで、賀茂が社長に就任する前からユニバーサル商事に寄生していた。いまじゃ口封じや脅しで食っている。あの会社の裏の顔っていうところかな。ほかに黒田ってやつもいたろう」

「ええ」

 この刑事、図々しい割には鋭いところがありそうだ。

「やつらには何度も煮え湯を飲まされていてね。汚い手を平気で使う連中だよ」しかめっ面をして、寝ぐせ頭を掻く。「別の事件を追ってここに来て見ればいきなりドカン。君が連れていかれるのも見えたけど、あの時点じゃ僕もどうすることもできなかったんだよ。悪かったと思ってる。でね、なにかヒントになるものがあったらってね、戻ってくるのを待ってたんだ」

 目はサトルの手にしているフィルムケースに向けられている。

「別の事件?」

 刑事は新聞の切抜きのコピーをサトルに見せた。



 「指紋が同じ、二つの死体の謎!?」

 一週間前、新宿署管内で発見された身元不明の男性の死体が、先月起きた殺人事件の被害者と指紋が同じという前代未聞の出来事に、警察は困惑している。

 先月の被害者も身元不明で司法解剖された。偶然にも執刀医が同じでこのことがわかった。執刀した日下教授は「顔かたちが似ていたので印象に残っていた。調べると指紋も血液型も外見的な特徴も極めて酷似していた。信じ難いケースだ」と話している。二つと同じ形状はないといわれ、犯罪捜査につきものの指紋。偶然の一致によるいたずらは捜査の行方を思わぬ方向へと導いている。被害者はいったいだれなのか? 犯人捜しよりもさらに興味深い事件へと発展しそうな雲行きだ。



「事件の背後に井原組の影がチラついてね。聞き出そうとしたんだが、広報室のニューハーフみたいなお嬢さんに取材拒否されて、出てきたところにこの騒ぎだ」まいった、という具合に頭をかく。「記事には載ってないんだが・・・」と、話していいものか戸惑ったように口をすぼめた。「執刀医がいうには、二人の肩にバーコード型の刺青があるっていうんだな。そのバーコードのパターンは二人とも違うらしい。それに、不思議なことに執刀医は先日急死しちゃってね」

 本当に弱った、という顔をした。意外と純情なようだ。

「・・・どうも僕は妙な事件ばかりに関わっていてね。知らないかな? 五年くらい前に戦国の武将の子孫が誘拐された事件があったんだが・・・」

 それなら覚えていた。歴史の教科書にも載っている歴史上の人物の子孫が、次々に消えた事件だ。いまだに解決していない。週刊誌は神隠しだと騒ぎ、テレビレポーターは本能寺へ霊能者を引っ張っていったりの騒ぎがあった。

「身代金目当ての脅迫状も何通かきたけれど、結局犯人は現れずで、あれはカモフラージュだったんじゃないかと思ってるんだ。本当の目的は別にあったんじゃないか、と。明智小五郎の子孫でもいりゃあ探してもらうんだが・・・あ、また余計なことまで喋っちまった。口が軽い刑事は出世できん。ははは」

 そういって舌を出して、また頭を掻いた。

《悪いヤツじゃなさそうね、このデカさん》

「で、そのフィルムだけど・・・」

「これですか?」

「事件の様子は写ってるのかい」

「こっちはデモの様子だけなんです。爆発の決定的瞬間も撮れてなくて・・・。黒服の男たちのが暴力を振るうところを写したフィルムは、結局、奪われてしまいました」

「そうか・・・」残念そうに表情を曇らせると、「なにかあったら連絡くれないかな」といって名刺を渡してくれた。

「警部 巌岳剛」

 とある。見かけや口振りから、偉そうには見えなかったが、それほどでもないようだ。他の警官たちと連携しているような感じではなかったのは、別件でユニバーサル商事にやってきたからなのだろう。

 巌岳警部は「じゃあ」と軽く手を振ると、ひょうひょうとした感じに去って行った。


    2


 サトルは、ユニバーサル商事のビルを見上げて考えていた。

 爆発、被害者、井原会長、黒田、ジョー、巌岳警部・・・。いっときに処理不可能なくらいたくさんのことが起こった。その上、幻聴に悩まされる分裂症気味の自分に憂欝な気分になっている。

《元気出して! フォトジャーナリストになるんだろ!》

(うわ。まただ!)

 うんざりした。掌でぴしゃぴしゃと頬を叩きながら、落としたカメラを探しにいった。でも現場にはなく、誰かが拾っていってしまったのだろうか? まいったな、と後頭部を爪の先で掻いていると、背後から呼ばれた」

「・・・ねえ、あのぉ・・・これぇ・・・カメラ」

(カメラ!?)

 振り向くと、白いトレーナーに洗いざらしのジーンズの天使がいた。

 気絶したとき看病してくれて、そのあとも老人が黒服に殴られるのを止めにいった、威勢のいい彼女。サトルのキヤノンを胸もとに突き出している。

(ラッキー!)

 サトルは歩を早めた。

 少し下がり気味の大きな目に、わずかにふくらみ気味の頬。首筋あたりで緩やかにカーブしている長い髪がかすかに風に揺れている。

(やっぱ、好み・・・)

《こら! 男ってやつは! そういうところでしか女性を見ないのか》

(姉さんそっくりのこと、いうな)

《私は尚子なの!》

(いつのまにオレの脳に姉さんの口振りや考え方が入り込んでいたんだろう? もう死んで五年もたつのに・・・)

《私がお前の中に入ったのは、さっきだっていっているじゃないの! わかんないヤツだなあ》

 サトルは天使のもとへ駆け寄った。

「ありがとう」

 感謝の微笑みを投げかけたが、少女は疑り深い視線をサトルに返す。

《あんた、彼女の胸にそのきたない顔を押しつけて泣いたんだよ》

(そういえば・・・)

 思い出して顔を赤らめた。

《それに、おじいさんを助けないで写真を撮ったんだよ》

(でもそれは、そうしろって・・・)

《あれはアドバイス。行動したのはあんただよ》

 鳩尾のあたりに鉛が詰まっているような気分になった。タメ息ともつかない嘆息が洩れ、張りつめていた風船が一気に萎むように気力が失せてしまったようだ。

「頭、大丈夫ですか」

 とりあえず、儀礼的にサトルのことを心配してくれてるみたいだ。

「あ、うん。まあまあだね」照れていった。しかし、こういう場合に返すような言葉じゃない。「なんていうかその・・・」話題を探そうと、思いをめぐらす。「そうだ。連れていた人、どうなりました?」

 いささかなりとも罪悪感はある。

「安西さんね」

「仲間?」

「そう」コクリとうなずく。「軽い擦過傷と鼻血だけで、応急措置をしてもらって事務所にもどったわ」

「じゃあ、あの黒服から・・・」サトルの顔がほっとしたように輝く。

「連れ戻してもらったわ。さっきあなたが話してたあの警部さんが話をつけてくれて」

《巌岳警部、なかなか目配りが効くみたいだな》

「それでフィルムはどうなったの?」

 サトルは頭を垂れた。

「そう・・・」残念そうにいう。「安西さんの怪我もムダになったっていうわけか」

《ねえ、取材させてもらったら? 彼女たちの行動。ねえ、そうしな》

(えー? いきなりぃ?)

《ずけずけと足を踏みいれる。それが取材の第一歩。芸能レポーターを見習いなさい》

(うーん・・・)

《あんた、この子のこと気にいってるんでしょ?》

(・・・な、なんてこと!!)

《私はね、心が読めるの》

 ぶつぶつ独り言をつぶやくサトルに、天使はいささか不審顔。誤魔化すように、あわてて切り出した。

「あの、詳しく話を聞かせてもらってもいいかな?」

「なにを?」

「デモのこととか・・・」ちょっと照れて言う。

「うーん。少しならいいけど」

 といって、微笑む。サトルが自分たちの運動に興味を示してくれたことが嬉しかったようだ。「これから事務所へもどるけど、来ます?」

「いいんですか?」

「新宿なの」

 少女は踵を返すとさっさと歩きはじめた。サトルはあわててついていった。


    3


 浅井市恵。それが彼女の名前だった。

 偶然にもサトルと名字が同じだ。年は十八歳。高校生ぐらいに見えたけれど、それは外見からくる幼さのせいのようだ。プライベートなことは話してくれなかった。とくに聞き出さねばならないことでもないと思ったので、深くは追究しなかった。とはいいながらも取材という名目があると、色々なことがズケズケと聞けたりする。初めて出会った若い女性には到底聞けないようなことまでも。たとえば、「首にさげてるロケットには彼の写真でも入ってるの?」なんていうこともだ。ちょっと気になっていたので思い切って口にしたんだけど、当然ながら市恵の目に困惑の色が浮かんだ。まずいことを聞いたかなとサトルは少したじろぎ、慌てた。市恵は翠色のペンダントを右手にとって、その緻密な装飾と真ん中に嵌められている翠色の石を見つめた。

「兄の、形見なの」

「・・・・・・」

「幼いときに別れたきりで、ずっと会ってないの」

「悪いこと聞いちゃったかな」

 市恵は首を横に振った。

「大丈夫。私はそれほどヤワな女の子じゃないからね」

 それは今日の活躍で分かっていた。しかし、幼くして別離した兄を思いやるなんて、昔気質な性格だなと思う。地下鉄の中ではそんな話で警戒心をほぐし、お互いの間隔を狭めていった。

 新宿南口から歩いて一〇分。小田急線の南新宿駅に近いビルの二階に「日本の自然を守る会」の事務所があった。ドアをあけるなり、

「お帰り!」

 という威勢のいい声とともに、ドッチボールのような丸い頭が現れた。その頭は、雪だるまのような丸いカラダにのっていた。ただし、色は白ではない。コロッケだ。笑顔で固まってしまったような目鼻立ちで、目は完全にへの字型に細まったまま。ニッ! と笑った口の端から銀色の歯が何本も見える。きっと甘い物の食べすぎでこのカラダとこの歯になったに違いない。

「お腹空いたでしょ。お寿司、たくさん食べなさい。まだ成長期なんだから!」

 豪快にいって市恵を中へと促す。

「お客さん連れてきたわ。浅井さんっていうの。私と同じ名字。こっちは島田のオバサン」

「あーら、いらっしゃい」

 そういうと島田のオバサンは顔を爆発した見たいに歪め、サトルをギュッと抱きしめた。一瞬殺されるんじゃないかと全身に粟つぶが浮いた。

「若い男の子は大歓迎よ。一緒に戦いましょうね、傍若無人に自然を破壊する大企業と!」

 島田のオバサンは酢の臭いがした。ずっとお寿司を巻いていたに違いない。その酢の臭いで、自分がひどく空腹なのに気がついた。

 事務所は普通のマンションの一室で、短い廊下を抜けると低いテーブルと不揃いの椅子やソファがならんでいる。適当に持ち寄ったのだろう。テーブルの中央にドーンとお寿司が山のように積まれていたらしいことが、もう大部底が見えるお皿から想像できた。左の奥はデスクがならんでいて、執務や電話応対のためらしい。右奥のドアは、閉まっていてよくわからない。

「さあ、座って座って!」

 がっしりした大きな手が肩にかかり、サトルをソファにねじり倒しかねない勢いで押さえつけた。本人は好意でやっているつもりなのかも知れないが、やられるほうはちょっと覚悟がいる。

「イテテテ・・・」サトルがしかめっ面をする。「あら、痛かった?」

「島田のオバサンったら、若い男の子にはいつもこれなんだから」

 困り果てたように市恵がいう。

「力が入り過ぎかねえ・・・?」

 両手を広げて困惑の表情。まるでマンガのひとコマのようだ。

「入り過ぎもなにも・・・痛いですよ」

「ごめんごめん。悪気じゃないんだ。若い子見ると張り切っちゃうもんだからね」

 市恵が思い出したように「安西さんは?」と聞いた。

「あっちで寝てるわ」右手奥のドアの閉まっているほうをアゴでしゃくった。

「それにしても酷いことするじゃないの。安西さんの顔ったらなかったよ。あっちこっち擦り傷だらけでさあ。おまけに鼻血じゃない。青アザもあっちこっちでさ。ただでさえ弱ってるのに、あんなにされて安西さん可哀相だよ。だってさあ・・・」

 話し出したら止まらないタイプらしい。

「今日はハプニング」と、市恵がスキをぬって話題を変える。

「爆弾だってね」目を丸くする。「そんなことあたしたちがするはずないじゃないの。ねえ市っちゃん!」

「でもタイミングが悪すぎたわ。私たちがマイク片手に訴えてるときなんだもん」

「どっかの過激派だよ、きっと。ああいうのがいるから、あたしたちまで誤解されちまうんだ。とっつかまえて押し置きでもしてやりたいよ、まったく!」

 島田のオバサンが太い腕を胸の前で組んでいるけれど、太い胸回りのせいか、かろうじて二本の腕がからんでいるだけだ。

 サトルは空腹感を押さえ切れず、もう五個目の太巻きにを伸ばしていた。紫蘇の香りと梅干しの酸っぱさがちょうどよくキュウリと玉子焼に混じって、疲労を回復させてくれる。

「あ、そうだ、お茶お茶・・・」

 ハタと気がついたように島田のオバサンが炊事場の方にドタドタと走っていった。

「いい人でしょ」市恵がサトルを見ていった。

「ん、うん・・・喧嘩したら負けそうだけど・・・」

「昔ね、女子プロやってたの」

「・・・げ!」米つぶが喉につかえた。「道理で」

「ねえ? 私たちの会のことは、どのぐらい知ってるの?」

 市恵が探りを入れるように聞いてきた。

「うーん・・・新聞に出ている程度っていうか・・・」

「・・・そう」

 ほとんど知らないということを理解したらしく、期待を裏切られたように肩を落とす。サトルは頭をかいた。取材を名目にしていながら、予備知識なしで向かうのが失礼なことはよく知っていた。でも突然の来訪になってしまったのだ。致し方ないところもある。

「いいわ」市恵は意に介せず説明しはじめた。

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