第二章 死んだはずだよお姉さん
1
五月の空は、透き通ったように高く青い。東京、虎の門。
ユニバーサル商事の正面玄関前で、サトルはキヤノンのシャッターを切っていた。ファインダーごしに見えるのは、プラカードをもった主婦やハチマキをした人たち。『日本の自然を守る会』なる環境保護団体のデモの様子だ。
サトルは十八になったばかりで、高校を卒業して写真の専門学校に入ってまもない。自身も興味のある、市民運動に参加する人たちを撮りはじめたばかりだ。
「地球の生態を破壊する熱帯林の伐採は、ヤメロー! 地球の自然を破壊する自動車ラリーは、ヤメロー! 野鳥の故郷を埋め立てる湾岸開発を、ヤメロー!」
熱帯雨林を伐採して輸入されたパルプ材、絶滅危惧が心配されているマグロの不法買付け、砂漠を横断するラリーの企画・・・。近頃では、海を埋め立ててビジネス街にする構想を立てている。そんなユニバーサル商事は、環境保護団体にとって恰好の標的だった。
「ただ闇雲に撮ればいいってもんじゃない。テーマを追うことだ。写真で何を主張したいのか。それをはっきりさせなくちゃイカン!」
担当講師の言葉が脳裏に焼きついている。
怒りを顔に現して叫ぶ人々がファインダーの中に見えた。その真剣な表情をフィルムに定着させようと、サトルは夢中だった。だから、彼方から白煙を吹き出しながら飛んでくる危険物にまったく気がつかなかった。
最初に気がついたのはユニバーサル商事に雇われていた警備員たちだった。ちっぽけな点が近づいてくる。あれは何だ? と、思っている間に点は見る見るピンポン球大になり、アッというまに野球のボールになった。
「わっ!」
警備員たちは肝を冷やし、なんの抵抗もできないまま頭を抱え込むようにしてしゃがみ込んだ。サトルも座り込んでいるデモの参加者も、背後からそんなものがやってきているとは気がついていない。
「きゃっ!」という悲鳴がデモ隊の中から聞こえた。
レンズを向ける。座り込んでいるデモの参加者の中に、独りだけ立ちすくんでいる女性がいた。胸の前で拳を握り合わせ、おぞましいものでも見たように表情が固く、醜く歪んでいる。彼女の視線を追ってカメラを振った。雨水を流し込むための下水口の蓋が一直線につづいている。その上を灰色の子犬ほどの大きさの動物が走り去って行く。
サトルは腰をかがめてシャッターを押した。
その頭上数センチを、ロケット砲がかすめていった。腰を落とさなかったら、頭を吹っ飛ばされていたに違いない。が、滑るように走る奇妙な小動物に気を取られていて、サトルは気がついていない。
ネズミにしてはデカ過ぎる。
尖った鼻先、ピンと立った耳。口からは鋭いキバが生えていた。しかも、背中には羽根のようなものが・・・! そいつは尻尾を蛇のようにくねらせると、下水口の蓋を跳ね上げ、中へと消えていった。呆然とそいつを見送るサトル。その直後、ロケット彈が耳をつんざくような音をたてて爆発した。
強烈な爆風のあおりを食らって、サトルはスタントマンなみのダイブで宙を舞い、玄関前の石畳に叩きつけられた。痛いもなにもなかった。なにが起こったのかさっぱりわからないままに気絶してしまったのだから・・・。
2
闇の中にいた。
頭がガンガン鳴っている。遠くから誰かが呼んでいた。
《サトル! ねえ、サトルってばぁ。起きなさいよ! 事件よ! シャッターチャンスに気を失ってちゃダメじゃないのぉ。しっかりしなさいよ!》
姉の声だ。懐かしい。
気性はちょっと荒いけど、心根はやさしいところがある姉の、叱咤激励するようすが目に浮かぶ・・・。いや、まてよ?
(だって姉さんは・・・!)
夢か!?
頭は痛いし、耳はキーンとして周囲の音は聞こえない。
《あんた、気絶してるのよ》
(気絶?)
《そう。はやく、ほら起きなさい!》
頬に刺戟を感じた。ぴたぴたと軽く叩かれているようだ。
闇に光が差し込んできた。ぼんやりと視界が戻ってくる。でも双眼鏡の焦点が合っていないみたいに、すべての輪郭がにじんで安定しない。空の青さが見えてきて、人影が見えた。顔は逆光でまっ暗。長い髪が邪魔をしているのか、首から下がった翠色の大きなロケットペンダントがサトルの目の前で揺れて、よけいに焦点が合わせにくい。
視線がトレーナーの胸元に目がいった。
(姉さん?)
「大丈夫!? ねえ、しっかりして、お願いだから!」
桜色をした小さな口から白い歯がこぼれている。
瞼が大きく膨らんだ目で、眉間に縦皺を寄せて心配そうに見ている女の子・・・。
(姉、じゃ、ない・・・)
顔が近づいてくる。すると、えり首のなかが覗けそうになった。っていうとき、サトルの瞳の動きに彼女が気づいた。
(もうちょっとで見えたのにな。くっそー)
「意識が戻った!」
彼女は周囲の人に呼びかけ、まるで自分のことのように喜こび、人なつっこい笑顔をふりまいている。
「もう大丈夫よ!」
こういうときによく効く微笑みというクスリを与えてくれた。サトルは半身を起こそうとしたが、肩を押さえられた。
「ああん・・・急に動いちゃゃダメ」まるで看護婦さんみたいにやさしい。右手をサトルの額に当てて熱を計ると、「まだちょっとじっとしていたほうがいいわよ。脳震蕩みたいだから。ねえ、見える? この指、何本?」
サトルの目の前で右手をVの字型にして見せた。
真剣な眼差しでサトルの瞳を覗いている。少し開き気味の唇。幼児のようにふっくらと膨らんでいる頬。上向き加減でちょこんと控え目な鼻の先が、サトルの目と鼻の先にある。
(可愛いじゃん)
この重大異変時に不届きせんばんながら、鼓動が激しくなりそうだ。それにしても、さっきの胸元チラリは惜しいことをしたな、と悔しかった。
《こら! サトル! 女の子に心を奪われているときか! あんたには使命があるはず。そう決めたんじゃなかったの?》
(そうだ。僕はフォトジャーナリストとして市民の立場に立った取材を重ねて、世界の人々にメッセージを送るんだ!)
建て前とはいえ、男がそうと決めたんだ。脳震蕩ぐらいでまいってちゃいられんぞ。根性で立ち上がろうとした。でもまだ脳がもとの位置に戻っていないのか、視野に映る世界が揺れている。急に吐き気が襲ってきた。
(でもさ、おい、いまの声は? 姉さん?)
頭がふらつく上に、姉の声を聞いたおかげでひどく混乱した。記憶が混がして、天使に抱かれるような姿勢で倒れ込んだ。
「だ、大丈夫!?」
天使のドクンドクンという鼓動がサトルのすぐ近くにある。あったかいなあ、などと不埒なことも考えてはいたが、それよりも衝撃の方が大きかった。
(いったい、どうなってるんだ?)
だって姉はもうの世にいないのだから。
3
三年前。サトルが十五才の冬のこと。
深夜、テレビドラマをぼんやりと見ていたら、ピンピンピン! という臨時ニュースのお知らせ音が鳴った。どこかでまた飛行機でも落ちたかな、ぐらいの興味でテロップを見てカラダが凍りついた。
「お、伯父さん! 伯母さん!」
声にならない声というのはそのときの声をいうのではないかといまでも思っているくらい情けない叫び声を上げた。
「テっ、テレビ・・・」
「テレビがどうした?」
「ニュっ、ニュース・・・」
指が震えたままだ。二度目のテロップが画面の下に現れた。
『女性カメラマン浅井尚子さんが、内戦中のコンゴで地雷にふれて亡くなった模様。外務省は大使館を通じて現地との確認の作業に入った』
伯父夫婦の顔が一気に蒼褪めていくのを、なす術もなく見つめた。
叔母はガクリと跪き、声が出ない。伯父は叔母を受け止めるだけで精一杯だった。
悪夢のような晩だった。
一晩中電話は鳴りつづけた。新聞社や週刊誌の記者という連中が二時過ぎから玄関のチャイムを押しはじめ、それは翌日になっても止むことはなかった。ウンザリするぐらいの視線を一週間たっぷり浴びて、人が事件を忘れはじめたころ、涙がやっと止めどなく流れるようになった。
姉の尚子は純粋だったとサトルは思っている。いやいや、純粋可憐な乙女なんかじゃない。まるで正反対の純粋ってやつだ。中学の頃から校則は破る、隠れて煙草は吸う酒は飲む。学校のブラックリストから外されたことがない。
教師は内申書に書く、と諭した。その諭しを「教師という権威を傘に恐喝した」と尚子はまた反発した。まっとうな女らしい女を後天的につくりあげるために内申書を利用することが気に入らなかったのだ。「不良」というレッテルが貼られたが、それでも尚子は態度を変えなかった。世間への疑問と理不尽な社会への抵抗を強めていくばかりだった。
もとを正せば素直な少女だった。利発で好奇心豊かで、向学心にも燃えていた。一夜漬けながらそこそこの成績をとる。だから、内申書のマイナス分を引いてもあり余る点数を稼いで、地元の進学校に進んだ。しかし、納得のいかない言動や行動への追及が止むことはなかった。
担任の教師がこんなことをいった。
「なあ浅井、おまえは頭は悪くないんだからもう少し大人になって将来のことを考えろ。つまらんことに首を突っ込んだり、妙な思想なんかもつな。おまえは女なんだから・・・」
つまらんこと。女なんだから。・・・いつもこれだ。
もちろん激しく憤り、なおさら反抗した。つまらんこと、というのは従軍慰安婦問題や冤罪問題へのちょっとした疑問と好奇心だった。社会科の授業で教師に質問してもまともな答えが返ってこなかったから新聞に投書したまでのことなのに、学校は蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。PTAは「親の顔が見たい」といきり立ち、学校長はひたすら「生徒には厳重に注意します」の一点張りに終始した。
妙な思想というのは、地元の保守派県会議員が企業誘致を企んだついでに土地の買占めをして懐を肥やした、というスキャンダルに教育委員会のお偉方がからんでいた、という事件について興味をもったことだ。よけいなことに首を突っ込むなという脅迫電話や手紙が舞い込むに連れて、保護者の心配はストレスに転換した。
もちろんサトルも故えなきイジメに会ったことは二度や三度ではない。
しかし、世間のいうことよりも姉のいうことのほうが数倍も説得力があった。イジメは嫌だけれども、いつしか姉の肩をもつようになっていったのだ。
ほぼ百パーセントが大学へと進学する高校から、尚子は東京の写真専門学校に進んだ。のらりくらりと学生生活を送るより実践的に技術を習得したかったからだ。自分をそのままに表現するにはなにがいいか? 高校三年の一年間を通して考えつづけた。その過程で出会ったのが一冊の写真集だった。ベトナム戦争に従軍して、自らの危険を顧みず撮りつづけた写真の数々から、凄まじい衝撃を受けた。
そのあとがきを読んで、ショックに打ちのめされる思いだった。
作者はもうこの世の人ではなかったからだ。享年三十四歳。その若さでジャングルの中で行方不明になっている。それも、ベトナム戦争が終結したあとのカンボジアの圧制下の中での取材中にだ。流れ弾に当たったというよりも、政治的な弾圧によるものの可能性のほうが高い。ひょっとしたら、残忍な拷問の末の行方不明かも知れない。身震いとともにふつふつと沸き上がる情念がカラダいっぱいに滾ってくるのを抑えることはできなかった。
写真専門学校では中小企業の労働争議や、日雇い労働者の生活を追った。
「離れたところから盗み撮りするのは傍観者としてしか事実を知ることができない」という講師の教えを信じて、尚子は日雇い労働者の町に住み、ともに寝起きをともにした。次第に緊張が解けてきた。
過去を話してくれる老いた男がいた。
過去を捨てた男がいた。
未来を話す女もいた。
未来を信じない女がいた。
話を聞くことが、ともに焼酎を飲みモツの煮込みを口にすることが、写真を撮る前に必要な過程なのだとカラダに染みていった。
そして、尚子の関心は内戦がつづくアフリカに向いた。武装ゲリラと起居をともにすること足かけ二年。心が打ち解け、日常生活の中で写真を撮りつづけた。その写真が日の目を見る前に、尚子は地雷を踏んで逝ってしまった。二十三年の命だった。五年前のことだ。
4
《おいおい、いつまで可愛い子にしがみついてるんだ、コラ! サトル!》
尚子の戒めるような声が響いた。
「姉さん! 姉さん? おれ、おかしくなっちゃったのか?」
サトルは、自分が相当情けない顔をしていることを知らない。
天使ははっきりいってサトルを持て余していた。ほとほと困り果てていたといってもいい。なにしろ、どこの誰とも知らない男の子が、自分の胸に顔を埋めてムニャムニャブツブツいっているのだ。気持ち悪くないわけがない。
「大丈夫ですか?」
天の恵みか、駆けつけてきた消防署の救急隊が走り寄ってきた。天使が戸惑いながら対応する。
「大丈夫みたいなんですけどぉ・・・」
「そうですか。それじゃあ他の重傷者を探します」
というなり走り去ってしまった。
「あ、あ、あのぉ・・・!」
天使は小さくなっていく救急隊の背中を見送りながら、大きな嘆息をついた。
「ちょっとぉ・・・なんとかしてよ!?」
ほとほと困り果ててサトルの両肩を両手で突き飛ばした。
ゴツ! サトルの後頭部が御影石の床に当たって鈍い音を立てた。
天使は、罪悪感からか「あっ!」という小さな悲鳴をもらした。
《ほうらみろ。嫌われたぁ》
(姉さん・・・)
仰ぎ見る青く塗り込められた天空のキャンバスに、姉の顔が浮かんでいた。
《ほれ、カメラをもって! 取材だぜ!》
「そうだ、取材だ!」
痛みも忘れてサトルは起き上がり、傍らに転がっていた尚子の形見のキヤノンを鷲づかみにすると、まだ人だかりのしている爆発地点に向かった。
5
《まずは現場の全景!》
夢中でシャッターを押すサトルに、的確な指示が閃きのように囁かれる。自分で判断しているのか、死んだはずの姉に誘われているのか、そんなことは意に介しない。
いまはカメラの目をフルに生かすときだったからだ。
意外に思ったのは、爆発からまださほど時間が経っていなかったということだ。救急隊が駆けつけるまでに五分としても、まだ一〇分も過ぎていないろう。意識を失っていたのは、ほんのわずかな時間だった。
《右手に注意して!》
ユニバーサル商事の警備員が手に手に消火器を下げてあとからあとからやってくる。デモ隊を用心して相当な数を待機させていたらしい。一方で、ロビーにいた社員や関連者たちを次の被弾に備えて退避させている。
《玄関の中を!》
警備員に混じって黒いスーツに身をまとった男たちがファインダーに見えてきた。社員ではなさそうだ。動きが機敏だ。あわてふためく警備員たちに指示を出している。
(彼らは・・・?)
《推理は後でいいから》
声が先の行動を冷静に促す。状況を的確に記録しろ、と。さっきまでデモ隊の抗議に頭を抱え、「当社は一切関知しておりません」一点張りの返答を繰り返していたユニバーサル商事の広報課長が、茫然自失のまま黒服に促されて奥へと消えていく。
警備員たちが、黒いスーツの男たちの指示で消火作業に動きまわっている。
警官たちも遅れ馳せながら現場に到着し、野次馬の整理をはじめた。現場に入ろうとする警官と黒いスーツがなにやらもみ合っている。警官は避難を指示しているようだが、黒いスーツの男たちは両掌を胸の前にかざして拒否しているように見えた。
他の警官は野次馬に向かって「避難! 避難! もの陰に隠れて!」と怒鳴っている。
《周囲の人の動きに目を配るのを忘れないこと》
現場の派手な現状から、まわりで右往左往する人々に目を向けた。
わけがわからず走り回っている人々が、つかみ合い、ときに諍いを起こしている。無闇に走ってつまずき、足をくじいたかして横たわっている主婦らしい人がいる。腰を抜かしたまま植え込みにしゃがみ込んでいる中年の男がいた。
《現場のこういう状況が、事件が一人ひとりに与えたショックの大きさをつたえてくれるのよ》
爆弾の効果より、パニックになった烏合の衆のほうがはるかに危険だということが分かった。辺りをうかがうため、ファインダーを横にゆっくりと移動した。秩序のなくなったユニバーサル商事の玄関前は、投げ捨てられたプラカードが散乱し、爆発の名残の硝煙の残滓がうっすらと降り積もっている。
街路からは人の姿が消え、遠目で次の「出来事」を固唾をのんで待ち構えているようだ。
6
だれもいなくなったユニバーサル商事の玄関に向かって、ゆっくりと、しかし、確実に近づいていく人影があった。
初老の男である。
「ははは、やったやったやった。はははは」
虚ろな目で天を仰ぎ、口許を弛めて喜びにあふれたような声を撒き散らしている。両手でガッツポーズをつくり、頭上に掲げたままヨタヨタと前進している。でも、いかにも頼りなげだ。
(なんだ、あのじいさん?)
《考える前にシャッターを切る!》
(はいはい・・・)
腑に落ちないまま、シャッターを押した。
「ざまあみやがれ。思い知ったか・・・」
本人は小躍りしているつもりなのだろうが、傍目には酔って千鳥足のダンスをしているようにしか見えない。そのおぼつかない足取りで、甲高い笑い声を上げながら、正面玄関への階段に足をかけようとしている。着古したよれよれの背広、薄汚れたシャツの襟元から赤茶けた肌が覗いていた。もちろんネクタイなどしていない。半分禿げ上がった髪は手入れされていないらしく、妙な具合に跳ね上がっている。ゆっくり、よたよたと一段一段広い階段を上って行く彼を、警官も警備員もあっけにとられて見送っている。
「天罰だってんだい・・・へっへっへ」
嘲笑うように、しかし、力なく笑っている。トロンとした目で、ユニバーサル商事のビルを見上げる男を、玄関から弾かれたように飛び出して来た数人の黒いスーツの男たちがとり囲んだ。
「待て! この野郎!」
我を取り戻し、いまさらながらに駆けつけた、という体である。黒いスーツの一人が首根っこを押さえつけると、男はいとも簡単に崩れ落ちて突っ伏した。
男の少ない頭髪をわしづかみにし、顔面をコンクリートの床に擦りつける。
「てめえ、仲間か!?」
他の一人が、黒い靴で背中をこずく。
「ぬかしやがれこの野郎!」
到底サラリーマンの言葉遣いではない。ゴミ屑でも踏みしだくように荒々しく蹴りいたぶる姿も、用心棒として雇っているどこかの組織の人間を思わせた。男はされるがままに這いつくばり、額や頬に生々しい擦過傷をつくっている。じわり、と血が滲み出す。
このままではもっとひどい怪我を負い兼ねない。
一瞬、迷った。写真を写しつづけるべきか? 男を助けるべきか?
《なに迷ってるの! 助けるのよ。当たり前じゃない》
決心がついた。ファインダーから目を外すと、サトルは黒服を制止しようと一歩進んだ。それを阻むように、耳に突き刺さる黄色い声が轟いた。
「やめなさいよ!」
(あの娘・・・)
そう。天使が現れた。