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彷徨える命脈  作者: 小倉紀能
1/14

第一章 陰陽師賀茂友久の野望

    1


 大気の密度が濃い。結界・・・。賀茂友久は敏感に感じとっていた。

 めざす寺が近づくにつれ、一足ごとに額から玉の汗が吹き出す。汗は一直線に伸びた鼻梁や頬をつたって顎から滴り落ちた。

「ムダなことを。和尚め・・・」

 吐き棄てるようにいうと額の汗を無造作に二の腕で拭い、大股で歩みを進めた。行く先は戦国期からつづく由緒ある寺で、これまでも何度か足を運んだが、これが最後の訪問になるはずだった。

 一九九〇年、秋。

 野分の爪痕が周囲の薙ぎ倒された古木に痛々しく残されている。鬱蒼と茂る杜に山門が微かに見え出すと、友久は生唾を飲み込んだ。

 紙四手を上端に挟み込んだ一尺ほどの竹串の御幣が行く手の参道の両側に立ち並び、生温い風になびいている。友久は印を結び、呪文を唱えなつつ歩みを進める。大粒の汗が顎から滴り落ち、作務衣を濡らした。

(来る!)

 昼過ぎにもかかわらず、突如、天が墨を流したように暗くなる。巻き起こった風が古刹を舐め、疾風となって友久に打ちかかった。山並みが共振し、雷鳴とともに拳ほどもある巨大な雹が降ってきた。機敏にそれを避けながら歩みを進める。雹はぬかるんだ畦道にめり込み、汚泥をまといながら砕け散る。

 畳みかけるように火焔の尾を引く雹が迫ってきた。思わずのけ反り、もんどりうって仰向けに倒れ込む。周囲に火の玉が激突し、地響が友久の胃の腑を揺るがせた。火の粉が目の前に炸裂する。左から右から正面から、地獄絵図さながらだ。

 巧みに体をかわしながら、友久は雹の背後の異物に気づいた。

 黒褐色の顔に血走った黄色い目。その下に腐臭した肉をも食い千切る嘴が光沢を帯びて突き出ている。和尚が放った護法童子・・・。

 長い錫杖を上段に構え、友久に討ちかろうと雹にしがみついている。

(火界術!)

 怜悧な理性は、一瞬の判断も誤ることはなかった。

(これは幻覚だ!)

 力強く頭を振る。絡みついていた邪悪な気配が吹き飛び、炎が視界から消えた。

「なめたことを!」

 護法童士が降り下ろした長手棒をひょいと避けると、相手は勢いあまってどう、と地面に鼻先から突っ込み、ギャッという呻き声を響かせた。嘴が折れたのか、ひしゃげた鼻を押さえるよう護法童士が蹲っている。

「たわいのない子供だましの術」

 そう言い放つと、友久は冷淡な表情を崩さず護法童士の背を力一杯踏みつけた。護法童士は瞬く間にその正体を枯れ木に変えていった。


    2


 友久は結界の継ぎ目を探った。

 目を閉じ心眼を開く。するとにわかに結界が青白いカーテンのように淡く浮かび上がり、その縫い目が弱々しく暴き出される。そこに向け、念を投射した。鋭利な小刀で切り分けるように結界の幕がすだれのように裂かれる。

 結界を張り巡らした和尚の、身を切るような悲鳴が杜に轟いた。友久は懐紙を取り出すと、ふっと息を吹き込む。瞬く間に碧白い光に包まれ、宙に浮かんだ楕円の光が次第に人型をとっていく。碧く透き通った体躯。静電気を帯びたようになびく銀色の髪。その髪を押し分けて、灰白色の角が二本、威嚇するように生えそろう。

 式神。

「行け!」

 命ぜられるがまま式神は結界の裂け目を両刃の銅剣で切り裂き、その後を友久が追う。山門をくぐると、本堂が目に入った。昼日中にもかかわらず篝火が焚かれている。火がはぜた。呪文が堂内から洩れてくる。友久は階段を駆け上がった。

「来たか・・・邪念にとらわれた愚かものが」

 袈裟姿で護摩を焚いていた和尚が立ち上がり、振り向きざま罵るように友久に言い放った。足下には亀甲が砕けたまま転がっている。

「なぜにそれほどこの矢に執着する?」

 矢尻をもつ手を震わせて、和尚が友久に訊く。「これは信長に一矢を報いた名残・・・。なぜ、これほどまでに追い求める?」

 本堂に足を踏み入れた友久が、和尚に向けて印を結び、念の波を送る。それを読み取るやいなや和尚は顔色を失った。

「おぬし・・・信長の・・・」

「さよう。信長殿の陰陽師にして土御門有脩の末裔、賀茂友久と申す。殿の復興に一念を費やす覚悟。その矢尻、お渡し願おう」

 友久は唇の端に笑みを浮かべ、手のひらを上に向け、和尚の胸元に突き出した。

「わしとて浅井家の陰陽師の裔。浅井家の滅亡を恥じと堪え忍んできた。陰陽師として力足りなかった。呪術師としても、また力及ばなかったこと、残念至極・・・」

 和尚はしぼりだすようにそういうと、無念の思いで全身を震わせた。

「・・・しかし、賀茂殿。おぬし、邪念に操られておるぞ、存じておるか? この世の秩序を乱す試み、許されると思うか?」

 人差し指を友久の眉間に向けて和尚がいう。だがしかし友久は、眉ひとつ動かさない。

「詮索無用!」

 鼻先でせせら笑うときっぱりと言い放つ。友久は和尚ににじり寄る。先ほど放った式神が和尚の背後から近づく。もはや和尚を護る護法童士はいない。無力な和尚の背後から式神の剣が振り下ろされると一刀両断に断ち割られた和尚の脳漿が天井に飛び散り、血染めの脳味噌が辺りに撒き散らされた。和尚の手から矢尻がふわりと離れ、宙に舞った。友久はすくい上げるようにそれを掌中に収めた。

 めらめらと燃える亀甲の炎を前に、友久は安堵の呼吸を大きくする。

 近江の里に生暖かい風が吹き抜けた。


    3


 ひと月前。

 賀茂友久は信長の足跡を追って琵琶湖東岸の小谷城跡にいた。信長が宿敵浅井長政を追いつめ、討ち取った城である。

 信長は浅井長政との戦いで肩に矢傷を負わされた・・・。そんな言い伝えが残されていることを耳にしたのはいつのことだったろうか。信長は近くの寺に運び込まれ手当てを受けた。手回り衆が引き抜き、投げ捨てた矢はしばらくそのまま壁に刺さったままになっていたという。寺は浅井家ゆかりの古刹で、住職は悪魔に一矢を報いた矢尻として丁重に秘匿したといわれていた。信長に手傷を負わせた矢・・・。真偽を確かめるべく友久は寺を訪れた。着古した袈裟姿の年老いた当代の住職は、矢の話を聞くと一瞬訝しげな色を浮かべたが、それを打ち消すように声を上げて笑った。

「まさか」こともなげにいう。「そんなものが残っているなら嘘でも宣伝に使うとる。見ろ!」

 そういって顎で周囲を指し示す。

「このボロ寺を。廃れるばかりで誰も寄りつかん。わしに商才があれば古道具屋あたりで二束三文の矢尻でも買うて来て、あなたが言われたような伝承をまことしやかに広言し、いまごろは観光名所にしているわ」

「しかし、火のないところに煙は立たないといいますが」

「火も煙もありはせぬ」

「しかし」

 なおも食い下がる友久に「しつこいな、おぬし」と突き放す。その目の奥に猜疑の炎がぽっ、と灯った。それを友久は見逃さなかった。


 疑念を抱えたまま街に出ると、友久は道行く人、商店街の店先、交番、駅員などを呼び止め、手当たり次第に噂話の真偽を確かめようとした。しかし返ってくるのは敵意ばかり。それもただの敵意ではなく呪調伏の類いだ。乾いた街路に描き出された自分の影を踏みしめながら、友久は膝が震え出すのを抑えることができなかった。敵意の素性に恐れを抱いたのは、自分の生い立ちから来る鋭敏な感性によるものだった。

「あの和尚、ただものではないと思っていたが、やはり陰陽道か・・・」

 険しい表情で盛夏の近江路を踏みしめる友久。その額から流れ出る冷や汗が、大粒の滴となって砂埃の舞う路面に吸い込まれていった。身の毛がよだつ濃密な空気があたりを満たしていた。


 ひと月の準備を経て、万全の態勢を整えて再び賀茂友久は寺を訪れた。

 そしてついに、信長の血痕のついた矢尻を手に入れたのだ。


    4


 賀茂友久は、織田信長が腹心とした陰陽師の裔である。

 陰陽師とは、中国伝来の陰陽五行による占星術で、国家の治乱や人事の吉凶占いを司ったり悪霊や妖怪の呪調伏を行う、いわゆる呪術師だ。人や動物の形代に生気を吹き込んで操る“式神”は、それ自身が妖術も使え、陰陽師の家来としてさまざまな仕事をこなしたという。

 しかし、友久は陰陽師の血を引く自分を恥に思っていた。なぜなら、真に吉凶を占うことができるのなら信長は本能寺で光秀に討たれることなく天下を取っていなくてはならないからだ。


 出自を隠して生きながら、友久は大学で基礎生物学を専攻した。呪術などとは正反対の科学の世界である。もちろんコンピュータも自由に操り、大学在学中にアルバイトでプログラムしたゲームソフト『戦国の野望』は大ヒットした。その威勢をかって、卒業と同時にゲームソフト会社を設立。その傍ら、遺伝子の研究にも没頭した。卒論は、バイオテクノロジーによる植物の早期育成と増殖がテーマだった。

 当時、一九九〇年前後に、世の中はヒトゲノム計画という遺伝子研究が盛んに行われつつあった。

 人間の遺伝子の配列を読み取り、疾病や先天的異常を修復するために、遺伝子を解読しようというものだ。しかし、研究者が数一〇人がかりで取り組んでも、その解読には数十年から百年以上もかかるといわれていた。

 そこで友久は、得意のコンピュータを使ってヒトゲノム計画の大幅に時間短縮を目論んだ。

 まず、世界中の遺伝子研究機関にハッカーとして侵入。そして、解読が済んだデータをいただいた。これで遺伝子情報のアウトラインが入手できた。もちろん未解読の膨大な生のデータもメモリに記憶させた。問題なのは、この生データの解読だった。なぜなら、その解読には気が遠くなるほどの時間がかかるはずだったからだ。

 それを一気に短縮したのはゲームプログラマーならではのアイディアだった。『戦国の野望II』を、インターネットを通じてリリースすると、オンラインでゲームが楽しめるようにした。いまではオンラインゲームは当たり前だが、当時としては驚きを持って迎えられたものだ。

 世界中に1億ものユーザがいるインターネット。それが付け目だった。友久は、ゲームと無関係の数百行のプログラムを密かに書き加えた。ゲームに登場するキャラクターに生の遺伝子データを解読させようという魂胆だった。インターネット接続されたパソコン上で、プログラムは遺伝子解読のための端末として黙々と、そして着実に仕事をしはじめた。その数は、数一〇万台。驚くほどの早さで解読が進められた。

 その結果、世界のどの研究所よりも早くヒトのゲノムの全塩基配列の解析に成功した。人間のクローニング。そのための完全なマニュアルを手に入れたのだ。これさえあればどんな微調整も可能となる。年齢も、健康状態も、思考回路も、行動も・・・。

 友久は数度の実験を経て信長の血痕のついた矢尻から遺伝子を一組取り出した。そのデータは、伝えられる信長の容姿、行動、負傷時の年齢などとことごとく一致した。

 人の手で人を甦らせるクローニングが行なわれようとしていた。

 一九九一年の春のことだった。

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