13 イクストラ
聖域経由 心域
……。
…………。
許さない。
許さない。許さない。許さない。
許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。
「……っ」
心がそれを拒絶する。
理解してはならない。受け入れてはならないと、そう訴えかけてくる。
だが、アスウェルは見なければならない。
その為に、ここに……レミィの心の中にやって来たのだから。
緑生い茂る大地に膝をついた姿勢で、呼吸が整うのを、動機が収まるのを待った。
「大丈夫ですかね? まあ、あんなものを見せられて普通にしてろと言うのも無理でしょうけど」
声をかけるのはレミィモドキだ。
今しがたアスウェルは、レミィの前世を見てきた。
そして、それに関連する己の過去も。
とある場所での出会いの一幕を。それからの事を。
ラキリアの言っていた事は本当だったのだ。
レミィは毒姫の娘のクロアディールだった。
そして、アスウェルはエマー・シュトレヒムという研究者で、禁忌の果実の一員。
身の安全を取る為に、自分勝手な望みの為に、前世のレミィを連れて禁忌の果実から離れて、そして最後まで道具扱いしたまま死んでいった。
それをしたのは自分だった。
過去の記憶の中には、自分と同じ顔をした人間がクロアディールと話していたのが見えた。
似ている誰かなどではない。
あれは自分だった。
それを証明する様に、消えたはずのその記憶が脳裏に浮かび上がる様な感覚があるのだ。
レミィモドキはこちらの様子を見ながら、言葉をかけてくる。
「必要だから存在している記憶ですけど、あんまり思いつめない方が良いと思いますよ。前世なんて、どうやったって、手の届かない場所にある出来事なんですから」
だからと言って、そう簡単にあんな過去を割り切る事ができるのだろうか。無理だ。
つい先ほど見た景色を思い出す。
どこか高い所から転落して死んだ彼女の姿を。
レミィは、クロアディールはエマ……アスウェルを恨んで最後に死んでいった。
アスウェルが、毒姫を殺した人間の仲間だと思い出して恨みながら。
そうして彼女は一つの人格を作り上げてしまったのだ。
イクストラ。
転生した際、巡り合ったエマー・シュトレヒムを……アスウェルを確実に殺す為の非道な人格を。
――――許せない。
地の底から這い出る様な重く暗い心の声を思い出す。
その感情が、アスウェルに向けられたものだなどと思いたくなかった。
「おや、珍しい来客ですね」
「……ウェル……」
暗く思考の海に沈むが、ここで聞こえるはずのない声を聴いて我に返る。
ナトラの声だ。
白い髪の少女が目の前にいた。
「アスウェル、気を落とさないで」
「……捕まっているんじゃなかったのか」
「契約システムとは切り離されたけど、私にはまだレミィとのパスが残ってるから」
言動を見るに、前に見た偽レンの様な存在でもないみたいだった。
「アスカって言う名前に聞き覚えはない?」
「……? クロアディールにくっついていた鳥か」
聞き覚えはある。アスカは白い鳥の名前だ。
エマー・シュトレヒムが捕まえたクロアディールの友人だったと記憶で見た。
「それが私なの。アスカは私が生まれ変わった後でも、友達が困った時に何かできる様にって魂を繋げておいたのよ」
レミィの事を気にしている姿で思っていたが、やはりこいつも前世に関係していたか。
「だから、こうして来れた。時間はかかってしまったけれど。……気を落とさないでアスウェル。昔がどうだったかなんて、関係ない。貴方は今レミィを助けてくれて、傍で支えてくれてるんだもの。レミィだって、分かってるはずよ」
ああ、レミィだったら例えこの過去を知ったとしてもこちらを責めないだろうな。
けれど……。
「やっぱり、納得できないわよね。でも、忘れないで。貴方の魂は、前に進み続ける事で、決して諦めない事で輝き続けるものだから」
そう言って、ナトラはアスウェルの背後を指し示す。
「私がいるのは帝国の……多分軍の中……。待ってるわ」
揺らぎ、消えていくナトラの姿を見届けた後、人の気配に気づいて振り返れば。そこにはイクストラの姿があった。
レミィでも、レミィモドキでもない。第三者。
死神の名にふさわしい、怪しい光を宿した瞳をこちらに向け、楽し気に口元に弧を描くその少女は、紛れもなく廃墟の水晶屋敷で、軌道列車で出会った者だ。
「お前は、ずっとレミィの中にいたのか」
「ずっとじゃないわ。たまに良さそうな人間の中に入り込んでるもの」
作り出した主がレミィならそうなのだろうと問いかければ、そんな浮浪者のような答えが返って来る。
気まぐれな猫のようだ。
「お前は俺のせいで生まれたんだな」
「ええ、でも詳しくは前世の貴方のせいでね」
「お前は、俺を恨んで殺したいと、そう思っているのか」
まどろっこしい会話は苦手だ。
多少の勇気は必要だったが、単刀直入にそう尋ねるとイクストラは顔に笑みをたたえた。
「いいえ、別にどうしても殺したいほど執着してるわけじゃないわ。殺せるのなら、殺してみたいけど、それくらいだもの」
「そう……なのか……?」
愉快げに笑う少女は、戸惑うこちらの様子を面白そうに眺めながら予想にない言葉を重ねていく。
「私が貴方を恨んでいるとでも思ったの。残念ね、そこまで熱く思うほどの魅力は感じられないわ」
それは思いもよらない言葉だ。
なぜ。
「人間が生きてる間に色々起こるのよ。出会ったり、学習したりね。そういった経験によって、人は形作られていく。ましてやレミィは、何度も苦難に遭って、心をすりつぶしながら生きて来たの。そして、巻き戻りよ。重要な事の一つや二つ抜けたっておかしくないわ」
あっけらかんとした様子で喋るイクストラ。その口調からは嘘か本当かどうかは判別できない。
そんな説明で納得できるか。
「もっと早くに貴方に出会えていたら。それこそ、幼い子供の頃に再会できていたら、今もそんな熱い思いを忘れずにいられたでしょうけど、無理だったものは無理だったのよ
憎んでないのか。
残念そうに聞こえる口調からは一見して、嘘の気配はしないのだが……。
しかし、イクストラがそう言ったからと言って、手放しで信用できるほど、アスウェルと彼女との関係は友好ではなかった。
軌道列車で一度殺そうとして、そしてにおそらく時計という鍵に気づくまで、巻き戻りの度に何度も殺されているだろうし。
「巻き戻り、巻き戻りねぇ。私にはその記憶は引き継がれなかったみたいね。まあ、引き継がれてたらもっとうまくやってたから、貴方はここに辿り着けたなかったでしょう。それで……」
言葉を切ったイクストラは無造作にこちらに歩み寄てきて、こちらを見上げて来た。
レミィと同じ翡翠の瞳で、こちらの瞳を覗き込み、心の奥底まで眺めつくそうと。
「何もなければ、私はこんな所に呼ばれたりしないわ。何かあるはずだから、心域は私を呼んだ。貴方は私に何を言ってくれるの? 何をしてくれるの? 今って、つまり、そういう時間でしょう?」
「……」
治療を進めて行けばいずれイクストラに会えたのか、今回限りなのか今の所では分からない。
だが、禁忌の果実と事を交える前に接触できたことに意味があると言うのなら、その機会を生かすべきだろう。
「納得できたときで構わない、俺達に力を貸してくれ」
そう言って、頭を下げる。
人にそんな風にするなんて、一体何年ぶりだろうか。
最後にしたのはいつだったか、思い出せない。
「あら、あら、男の人にそんな事されるなんて久しぶり。いつも会う人は、悲鳴を上げるか、逃げるか、戦って殺そうとするかだけだったもの」
当たり前だ、自分を殺しに来た死神に協力を求める人間なんているはずないだろう。
「ふぅん、でも良いわ。面白そう。ここから見ててあげるから、お眼鏡に叶ったら力を貸してあげる事にするわね。そうね、禁忌の果実に対して勝ち筋を見せて頂戴。難攻不落の強敵を、どう料理してくれるのか興味があるもの」
少なくとも、無下にされるような様子はないようだ。ほっとする。
「私もあの子だったかもしれない人格……。貴方は私だったら愛してくれたかしら」
イクス虎は悪戯っぽく笑みながら、こちらの頬に両手をそえて頭を上げさせた。
別に男女のそれではないと、言っているのにどうしてどいつもこいつも話をそちらに持っていきたがる。
「せいぜいみっともない所で倒れたりしないでちょうだいね」
負けるつもりなど最初からない。
すぐに戦場に引っ張り出してやるさ。
ほどなくして、ナトラの居場所は突き止められた。
帝国軍施設内部、シンク・カットから通じる帝国地下通路アンダー・ホール。
そこに、禁忌の果実は潜んでいるのだと。