10 演奏会
その日は、「フェニックス」で演奏会が開かれる日だった。
話を聞きつけた客が大勢詰めかけ、小さな喫茶店店内はそれなりの人口密度になっていた。
人ごみが嫌いなアスウェルは、この時ばかりはフィーアに頼んでカウンター奥に陣取らせてもらったぐらいだ。
普通の客の中にはクルオや屋敷の面々の顔もある。
店内の中央には、客席を二、三席を取り払って作ったスペースに、どこかの家から運び込んんだらしいピアノが代わりに置いてあった。
その周りに客たちが集まって曲を聞く、といった様だ。
時間になる数分前に、店の奥に引っ込んだレミィはメイド服を着替えて、再び店内へと姿を現した。入れ替わりにピアノの傍で踊りを披露する予定のフィーアがカウンターから奥へ。
「アスウェルさん、見ててくださいっ、頑張りますっ」
それを言うなら聞いててください、だ。
演奏担当だろう。
間違えた要求通り、着替えたレミィを観察する。
艶めかしい黒色のドレスだ。光沢があり、薄い緑のベールで二重になっており、全体的に大人っぽく儚げな雰囲気を出していた。
いつもそのままにしている髪の毛は上へまとめられ、ヘアバンドはこの時ばかりは外されて、代わりに星の髪飾りがつけられている。
あどけなさの残る顔には、うっすらと化粧が施されている。
「どうしました? アスウェルさん」
衣装を気遣ってか、せわしなさの半減とした、ゆったりとした動きのレミィは普通に見ればいい所の家の娘に見えなくもない。
その時ばかりは、アスウェルの口から珍しく何か誉め言葉が口から出ようとしたのだが、
「……」
「駄目だ、アスウェル。そんな顔して年端もいかない少女を口説こうとするなんて、ぼ、僕が許さないからなっ」
いつの間にか近くにきていたクルオに邪魔された。
こいつはいつまで勘違いしているつもりだ。
「あ、クルオさんも来てらしたんですね」
「あ、うん。まあ……ええと、その服可愛いね」
クルオは邪魔するだけでなく台詞までも横取りしていった。
「ありがとうございますっ、アスウェルさんはどうですか……」
「……服を破かないようにしろ」
「私が聞きたいのはそういう事じゃないですよっ」
頬を膨らませたレミィは、分かりやすくお怒りの感情を表に出しながら、屋敷の人間達の方へと向かっていく。
タイミングは消えてなくなってしまったようだ。
なんの、などと聞くまでもない。
「アスウェル、ああいう時までひねくれた応答しなくてもいいじゃないか。……って、いたっ、なんで叩くんだよ」
人の邪魔をしておいて、自分だけ喋るなと言いたい。
それから数分。
着替えを終わったフィーアも出て来て、演奏会は始まった。
演奏する曲は、弾けるような指運びで紡ぐ、軽快な音楽だ。
衣服に騙されて、別のおしとやかな曲を想像していた人間も多いだろうが、レミィの腕が上手いのかフィーアの踊りの見せ方がうまいのか、すぐに店内は盛り上がった。
フィーアは、せわしなくステップを踏み、舞い踊る。
レミィは、ウサギが休みなく跳ねているようなせわしない指使いで曲を奏でていく。(その近くで、アスウェルだけにだが猫も飛んでいるのが見えたりもする)
あの二人が披露するにはこれ以上ない似合いの曲だろう。
アンコールも含めて十数分ほど演奏と踊りを披露したあとは、拍手と歓声と共に演奏会を終わらせた。
客に交じって拍手を送る人間のその中に、演奏開始前にはみなかった人間を二人を発見する。
帝国貴族の少年ラッシュと、その使用人のリズリィだ。
アスウェルは、未だ熱狂冷めやらぬといった様子の店内から出て、二人を待った。
今まで顔を見なかった事から、とっくにこの件からは手を引いたものだと思っていたのが……。
「来るとは思わなかったって顔ね」
店内から出て来た途端に、主人を差し置いてメイドが喋った時は少し驚いた。
次いでラッシュが、申し訳なさそうにいいわけを口にした。
「すまない。違う行動をとった影響で少しばかり前に見なかった事に巻き込まれていて……」
それで手間取っていたというわけか。
元々ない戦力だったので、こちらから時に言う事はない。
むしろそれでもこちらに来てもらった事に礼を言わなければならないくらいだろう。
「前の世界の時にも話した事だが、俺達が協力するのは巻き戻りの知識をいかしての魔人と人との融和だ。その過程で負担にならない程度に協力させてもらう、もちろん君達の事情にも手は抜かないと、約束しよう」
ラッシュは、帝国の人間でありながら魔人には差別感情を抱いていないようで、フィーアと同じような事を目指しているようだった。
それは何となく、リズリィを使用人として置いておきながらも自由な発言を許していた事から窺えた。
たまに自由過ぎると思う時はあるが。
「こちらの目的は、奴隷契約の要となるナトラ・フェノクラムの解放、保護だ。だから、その障害となりそうな帝国のスペア製造計画……失礼、非道な計画は阻止しなければならない」
奴隷契約について思う所があるらしいラッシュ達はそう言ってアスウェル達に協力している。
しかし、気を使わなくても、こいつらがレミィの事を道具の様に見ていない事は記憶の中でも前の世界でも、十分に知っているというのに。そう言えばこいつは軍人だからなのか少し律儀すぎる所があるのだったか。
「でも、もちろん、でも、私達個人の感情としても例の彼女が置かれている状況は許せないわ。帝国兵と協力して境人の対処に当たっている貴方からすれば信じられないのも当然でしょうけど、信頼しなさい」
メイドの方が偉そうだ。
以前のアスウェルなら十中八九、純粋な善意からくる協力など信じられなかったかっただろう。
だが、今は違う。
今の地分は様々な人間に助けられてこの場に立っているのだ。
アレイスターやフィーアやレミィ、クルオ……それにここではないどこかにいる様々な誰かに。
つかの間の間であれど、協力してもらった事は忘れないし、他の巻き戻りで助けてもらった恩も忘れていない。
「お前達は帝国兵なのか」
話の筋や最初に列車で見た時の戦いぶりから推測して、そう尋ねると肯定が返って来た。
「ああ、特務所属だ」
「そういう事よ」
魔人を擁護して魔人の為に働く帝国兵など変わっている。
「昔、知り合った人間が魔人だった。それだけだ。相手はもう覚えてはいないだろうが」
そういえばフィーアの口から何度か名前を聞いた。
どういう関係か詳しくは知らないが、昔面倒を見てやった人間だとか。
ならばこの後は積もる話も色々とあるだろう。
レミィを引っ張ってさっさと退散させるべきか。