09 思い通わせ
聖域から戻ると、アレイスターは無事だった。
あの偽物達に戦闘の能力はなかったらしく、あっさりと引いて行ったらしい。
あの男女は当然禁忌の果実の人間だろう。アレイスターは、いずれライトが来るのと同時に奴らもまたやって来るだろうとそう推測しているらしい。アスウェルもほぼ同じ考えだ。そしておそらくその時は帝国兵達もついてくるかもしれない。
やらなければならない事は一個人の手でどうにかできる範囲を超えすぎているだろう。
だが今回のアスウェルは、色々と前の巻き戻しより人の力を頼る事ができる状況にいる。
フィーア達やネクトのことについても出来る事が増えたので、状況自体は良い方なのだ。やるべき事はやっていると思って、その時まで準備を重ねるしかないだろう。
そして、その日から変化が一つ。
時折り、聖域以外でもレミィの近くに例の猫が見えるようになった。
だからどうという事はないが、自分の見ている世界を人と共有できるという事実はレミィにとっては嬉しい事らしく、一日中煩くされたのが記憶に新しい。
後はレミィと話すだけだ。
やる事やって状況が落ち着いた頃。
レミィの部屋で、アスウェルは自分が見た過去の事を話して聞かせる事になった。
ベッドの上に隣り合って座りながら、これまでの巻き戻りの事や心域のなかで見た過去について話していく。
レミィは時折り例の猫の額を突いたり、耳を触ったり、話しかけたりしながらも真剣にこちらの話を聞いていた。
話し終わって様子を窺う。レミィは悲しそうにしていたが、思ったよりもショックを受けた風ではなかった。
「ちょっと実感があまりなくて、お母さんとお父さんと過ごした記憶、あまり思い出せてないからかもしれませんね」
「お前は、復讐をしたいんじゃなかったのか」
確かそんな様な事を前に聞いた覚えがあったのだが。
「それはあります。大事ですけど……。でも最優先でしようとは思えません。ええとたぶん……推測ですけど、昔の私だって、きっとそうだったんじゃないかなって思うんです。私はアスウェルさんや皆さんがいてくれて、幸せですから。今あるものを犠牲にしてまで復讐したいとは思えません」
復讐の天敵は幸福か。
現状に満足してしまえば、今ある物を捨てようとするようなリスクは侵せなくなるだろう。
そういう余計な物を背負いたくないがためにも、アスウェルは今まで一人で行動してきたんだったのだが。
「幸せでいられるのに、それを捨てるなんて、贅沢ですよ」
……今は、そうは思わない。
幸福な時間は儚い。
時にあっけなく失くしてしまう。
そうでない人間もいるだろうが、アスウェル達はそうだった。
だから、幸福でいられる機会をフイにする様な事はしてはならないのだ。
だから、レミィは戦おうとしているのか。
「お前は戦いたいのか」
「はい、アスウェルさんの力になる為に、幸せな時間を捨てないように、そしてその時間を守る為に」
レミィの瞳を覗く。
少女は静かな覚悟を宿して、真っすぐにこちらを見つめていた。
アスウェルにその思いを止める事ができるだろうか。
同じ思いを持って復讐に生きて、同じ思いで幸せを守ろうとする少女の思いを。
「……味方の背中を狙うなよ」
「アスウェルさんっ。……どうして最後にイジワルな一言付けるんですか。私、そんな事しませんよ」
どうだかな。
話が一段落したのを見計らうように、部屋の外からアレイスターの声が聞こえて来た。
屋敷の主人だというのに、使用人は何をしているんだか。
「お前達に無害な方の客が来たぞ」
客というのはクルオだった。
レミィが茶を用意している間に応接室に入ると、クルオは勢いよくソファから立ち上がり向かってくる。
なにやら奴は「今猛烈に怒っています」と、感情が全部顔に出ているような様子だった。
「アスウェル、今日こそ聞かせてもらうぞ。僕に何を隠してるんだ? いきなり復讐を止めたかと思えば、喫茶店にいる女性と仲良くなったり、いたいけな少女を誑かしたりして……いたたたたっ! いたいっ、何するんだっ!」
復讐はやめてない。控えめにしているだけだ。
耳を引っ張ったのは、人聞きの悪い事を言うからだろう。
クルオはまだ記憶がないようだ。
レミィが思い出せたのなら、こいつも理屈ではとっくの昔に記憶を思い出せているはずなのだが一体どうなっているのか。
どこかで頭を強く打ちでもしたのかもしれない。
「お前は面倒くさい。早く思い出せ」
「なっ、何を言ってるんだ。訳の分からない事を言ったりして煙に撒こうとしてるんじゃないだろうな」
さらに詰めよって来るクルオがうっとおしい。
レミィが二人になったようだ。
アスウェルは事実と要望しか口にしていないというのに。
「君が何かをしようとしてるのは分かっているんだからな! 話してもらうぞ! 絶対に!」
クルオはさらにこちらの襟首をつかんで引っ張る。
この幼なじみお節介はアスウェルが話すまで梃子でも動かないという姿勢でいる。
昔から分かっていたが、頑固な友人がこういう状態になるとレミィ並みにうっとおしくなるのだ。
謎を解き明かす為や、レミィの保護者役として必要だった前とは色々と状況が違う。
争い事に縁のない友人は、正直言って出番などないに等しいが、それでは満足しないだろう。
無理やり首を突っ込まれて巻き添えになられても面倒だ。
レミィといいこいつといい、戦わせたくない奴に限って、何故自分から危ない橋を渡りたがる。
「……。フェニックスに行って、フィーアに聞いて手伝いでもしてろ。そこで聞けば大体分かる」
「アスウェル! ……君は意地が悪いな、何で自分で説明してくれないんだよ」
だから、お前はレミィか。
ぱっと表情を変える所やその後の反応は、檸檬色の髪の少女の反応と全く同じだった。
フィーアには最近組織したネクトのまとめ役を押し付けてある。
設立者としてアレイスターがいるが、奴だけではまとめきれないだろうからだ。
アスウェルは言わずもがな、人を動かすなどできるわけがない。
そんな風にしている二人を少し前から見ていたらしいレミィは、部屋の扉の隙間から、そっと声をかけた。
「あの、さっき扉の前にいたレン姉さんにお客様にお茶をそっと静かに出してらっしゃいって言われたんですけど、何かしてましたか?」
屋敷に入った後、怒涛の勢いで女性使用人たちのまとめ役の座を突き進んでいる様子のレンは、部屋の中の何を見て、一体何に気を使っているのか。
何となくだが、ケンカした状態友人二人のやりとりに配慮してではないような気がした。
アスウェルは至近距離に顔を近づけて喚いたり、怒ったり、感極まったりとせわしなくしていた友人を引きはがして、客用に運ばれて来た茶と茶菓子を横取りした。