08 失われた人格
夢から覚めたような心地で立つのは、レミィの心域の内部。
浮遊大地の草原の上だ。
レミィの本当の両親は別の人間だった。
そしてすでにもう死んでいる。
最悪だ。
やはりナトラの言った通りだった。
救いがない。
良い状況に持って行くどころか、悪くなる未来しか見えなかった。
なぜ、こんなものを今見せたのか。
こちらの心を打ち砕きこうとしているとしか思えない。
「そうでしょうか。貴方は幻想とはいえ、過去を一部だけ書き換えました。それは事実でしょう? あの時、レミィの知人はあの場に駆けつける事ができなかったのですから。何もできなかったわけではないと私は思いますけど?」
レミィモドキの声。
一部だけ、か。何がどう変わったと言うのか。
そんな些細な事気休めにもならない。
何から何まで最悪な結末でしかなかっただろうに。
「やれやれ、鈍い人ですね。死んだ本人がそう言ってるんですから、素直に変わったんだと思っておけばいいんですよ」
……死んだ本人?
視線を上げる。
近くに立っていたレミィモドキの顔を見つめるが、その表情はいつも接する時とまるで変わらない。呆れたような色を含んでいるだけだ。
「あれ、言ってませんでした? 私はレミィという人格ができる前の、元の人格の一部分が集まってできた存在なんです。まあ、簡単に言えば死霊みたいなもの、と言えばいいんでしょうかね」
「お前がか?」
「過去を見て気づいたと思いますが、レミィの性格ちょっと違っていたでしょう?」
それは確かにそうだった。
今のレミィから形だけの丁寧な喋り方とか、世間知らずなところとかを抜いたような人格だった。
「一度壊れてしまいましたからね、回収した欠片にも不備があります。元にあった私という人格が表に出る事は、もう二度とありません。裏方として、主人格になりつつある新しいレミィの人格をサポートしているのが現状なんですよ」
つまりあいつは二重人格みたいなものなのか。
「正確には違うんですが、そのような物でしょうね。交代不能となった人格です。まあ、そんな風になって不安定ですから、誰かの器としては最適で、体を乗っ取られたりする危険性もあるんですがね」
それで、アスウェルがオリジナルの歴史で会ったレミィは、死神に……イクストラになっていたわけか。
「あ、今まで見て来た過去は再編集した物なので、実際に起こった事とは多少異なりますよ。貴方の年齢とかも、少々変えさせてもらいました。過去に起きた全部を説明しようとすると時間がかかりますし、この世界はあくまでも補助的な物ですから、本当の事実はレミィが思い出した時に聞いてあげてください」
言われなくてもそうする予定だ。
そもそも思い出したらあいつが黙っていないだろうし。
しかし、過去の事は分かったが、これでレミィに何かしてやれるのか?
「それは何とも微妙ですね。何となく前向きになったかなとは思うんですけど、正確な事は何とも」
曖昧な物言いだ。案内人だろう。ちゃんと仕事しろと言いたい。
「ですが、これで貴方は目覚めたレミィと何を話せばいいか分かるでしょう? 良かったですね、というのはおかしいかも知れませんが、レミィはちゃんと家族に愛されて友達に恵まれてきた子ですよ」
平穏な日常をおくっていた、普通の子供……というには少しばかり苦労の背景が見えたが、それでも禁忌の果実に関係のある人間でなかった事は、確かに救いかもしれない。
「お前は……」
だが、と思う。
それはお前もだろう。
そもそもそれはこいつの過去なのではないのか。
目の前のレミィモドキが壊れて、そしてレミィが生まれたというのなら。
今見た過去の映像は、レミィモドキの方の物になる。
そんな事をアスウェルが言って指摘すれば、目の前のそいつは少しだけ目を丸くした。
そして、薄っすらと儚げに笑う。
「そう言ってくれるとは思いませんでしたよ。ありがとう。でも、レミィの物でもありますよ、ちゃんと。私という人格の欠片をベースとして生まれたんですから、まったくの別人ではないですし」
レミィモドキはアスウェルに近づいてこちらの胸を叩く。
「ほら、さっさと行って話をしてきてください。待ちわびてますよきっと。……あ、ちゃんとケンカした事も話し合ってくださいね。今までに何も言わずに行動してた事も、心配になるのは当然です」
視界が白く染まっていく。
目覚めの時が迫ってきたようだ。
「アタシはあの時死んじゃってるんだ、もうどんなに手を伸ばしても幸せには手が届かない。だからアンタが、レミィを幸せにしてやってよ。さもないとぶっ飛ばしてしばき倒してやるから」
聖域に戻ってくると、レミィが先に起きていて、ナトラと話をしていたようだ。
人間の姿だ。聖域に来れるのか。
「ナトラさんは大変な目に遭っているんですね」
「そうなの、言う通りの事だけしていれば良いって言われてるわ。私は奴隷契約の大切な要だから。でも本を読むって言う趣味があるから平気。だってそのおかげで、別の世界にいるキリヤとマドカから観測者の力を受け取る事が出来て、レミィと出会えたんだもの」
「私もナトラさんと出会えて嬉しいです!」
人形のように過ごしてきた、と白髪の少女は言うがその表情は明るい。
思いがけず二人が似たような境遇にいた事が聞こえて来たが、とりあえず気にするのは後にした。
「起きたのか」
「あ、おはようございます、アスウェルさん」
寝ぼけるな。朝じゃない、昼だ。
アレイスターの方はどうなっているだろうか。
そう簡単にやられるとは思えないが……。
かといってこちらを放っておいて、出て行ったところでレミィがまた危険に晒される可能性が高い。
しばらくはここにいるべきだろう。聖域にいる間は、おそらく安全なのだから。
「あの、謝らなければいけない事があるんですけど……お庭での事はきつく言っちゃってごめんなさい。アスウェルさんは私の事を心配してくれたのに」
「気にするな。お前を大事にしたいと俺が勝手に思ってやった事だ」
レミィからすればあれは当然の反応だっただろう。
アスウェルがそれについてとやかく言う資格はない。
そう考えてるとナトラが口元に手を当ててこちらを凝視しているのに気が付いた。
「アスウェル、それは告白?」
なぜそう聞こえる。
「それでですね。あと一つ。妹さんの事ですけど……。私、アスウェルさんのこと、夢の中で」
申し訳なさそうな顔をするレミィ。
夢を見ていて、アスウェルが復讐を決意した時の事を、過去の記憶を見てしまったらしい。
今更、と思う。
格好悪い所を見せる事に思う事がないわけではないが、それ以上の感情はこちらにはなかった。
アスウェルがその可能性について失念していただけだ。
アスウェルがレミィの心の中に行けるという事はレミィも同じという事だ。
真名はまだ教えていないので、正式な手続きとやらは踏んでいないのだろうが。
「クレファンさんと似てますね。ちょっと美人さんでした」
似ているというか、見た目は同一人物だ。
俺やお前の記憶を覗いて成長した姿を再現したらしいからな。
「えっ、私アスウェルの妹さんにどこかで会った事あるんですか」
俺に聞くな。
「どこだろう……。って、組織に決まってますよね。でもその時の私って……」
悩みだしたレミィの頬をナトラがつつく。
「夢の中で、見たんじゃなかったかしら」
「ああっ、そうでした、そうです。その捕まってた時にクレファンさんが夢に出てきて励ましてくれたんです」
夢か、契約を交わしているわけでもないのにそんな事があるのだろうか。
レミィはこちらの方を気遣うように視線を向けきた。
「アスウェルさんは、妹さんがどうなったのかは……」
もう知っている。正確には別の世界の記憶だが、一つはつい最近の記憶で自殺しようとした時のもの、もう一つは失っていた巻き戻りの記憶で、二年前の時点で死んでいた記憶だ。
レミィを保護してあちこち連れまわした時。
あの時クレファンの亡骸も同じ建物にあったのだった。
この巻き戻りでは、何かが変わったのか、レミィだけを発見したのだが……。
……?
何か違和感を感じたような気がしたが、その感覚はすぐに消え去ってしまった。
「あの、私、巻き戻りの記憶……みたいなのを思い出してきて。これって事実なんですよね。アスウェルさんと一緒に戦ったりした事、確かにあった事なんですよね」
「ああ、そうだ」
今回の治療の成果なのか知らないが、レミィは巻き戻りしていた事を徐々に思い出してきているようだ。
不安そうにしているレミィに頷いて肯定してやる。治療は順調のようだ、良い兆候だろう。
これで、負担をかける心配をせずに今までの過去の話がレミィともできそうだ。
「ごめんなさい、レミィ。もっとお話ししていた買ったけど、時間だわ、そろそろこの姿ではいられなくなるみたい。アスウェル、屋敷の方は大丈夫よ。彼らは揺さぶりに来ただけみたいだったから」
申し訳なさそうにそう言って、ナトラの体が光に包まれていく。
「レミィ、アスウェル、頑張って。私もできる事をするから。……ここには存在しない、私達に力を託してくれた、道を作ってくれた人達の分まで」
鳥の姿に戻ってどこかへ飛び去って行くナトラを見送った後、アスウェル達もそれにならって屋敷へと戻った。