07 悲劇の誕生日
レミィと、レミィの両親達はケンカをしていた。
両者の間には深い溝があり、長年互いは歩み寄る事が出来ないでいた。
そのせいでレミィは苦しんでいたはず。
だが、それも今日で終わりだ。
周囲の助けもあって努力は祈り、今日レミィの誕生日に両者は和解を果たす。
……そのはずだった。
翌日、レミィは学校に来なかった。
アスウェルはその知らせを知ってすぐ、決断した。学校を出て町を回る事にする。
学校を休んでまで、探し回るなど心配のしすぎだと言われるかもしれないが、じっとしていられなかったのだ。
町の中の心当たりのある場所を探し回って、公園にたどり着くとレミィが俯いてベンチに座っていた。
当たりだ。
「こんな所で何をしている」
「あ、アスウェル……」
元気が無いのは見てすぐに分かった。
「何があった」
「……お母さんと、お父さんがいなくなっちゃった」
話によると昨日の夜、家で誕生パーテイーをした後、忽然と姿を消してしまったというのだ。
「帰ったら、クラッカー鳴らして出迎えてくれたんだ。食卓には料理がたくさんあって。それで、近所の公園に住んでた猫飼ってもいいよって、箱につめてプレゼントしてくれて。「窒息したらどうすんの」ってちょっとだけ怒ったりして。でも、三人でマチネコって名前つけたりして……。アスウェル達がくれた奴と同じような頭にするやつ、兎の耳みたいなヘアバンドくれたりもしたんだよ。それなのに……」
レミィは涙をこらえる様に、袖で目をこすった。
「どこに行っちゃったんだろう。探しても全然見つからない」
「何で俺達に連絡しなかった」
「ごめん」
そうしてくれれば、何も知らずに心配する事はなかったというのに。
知り合いに連絡を入れて、レミィはとりあえず家に帰す事にした。
どうせ、夜は碌に寝ていないのだろう。
少し休息を取らせなければならない。
服を見ると一体どこを探し回ったのか、端々が黒ずんで汚れている。
レミィが捜しただろう場所を想像してみるが、まともな大人はそんな所にはいかないはずだ。
こいつは野良ネコみたいに、道なき道を平然と歩いて行くからたまに困るのだ。
公園を出てレミィの家へ向かう。
連絡を入れるのを忘れたのに、家の鍵を閉める冷静さはあったようだ。
妙な所で頓珍漢な行動をする所はやはりこんな時でも変わらない。
鍵を開けて中に入る。
外見を見ていつも思うが、それなりに大きい建物だ。
親がそれなりに名のある会社に勤めているのだから当然と言えば当然だろうが。
金に余裕があるせいでしなくてもいい習い事をさせられていると、レミィ自身がぼやいていた。
前に訪ねた時は確か、ピアノだのなんだのの演奏楽器類がどこかの部屋に置かれていたはずだ。
演奏技術が上達していることから、今でもお金のかけた防音性の高い部屋を使っているのだろう。
そういう所を昔は嫌がっていたが、最近はそれにも飽きたのか開き直る様になっていた。
「電話、見てるから先に上がってて良いよ」
廊下に置いてある電話の前で立ち止まる。
お前が先に休めと言いたいが、知人とは言え個人情報の塊を迂闊に人に触らせるわけにもいかないだろう。
アスウェルは先へ向かう。
しかし……。
おかしな臭いが鼻についた。
鉄錆びのような臭い。
これは、間違っても家の中で嗅いでいいものじゃない。
嫌な予感がした。
まさか……。
入った部屋の中では、二人の男女が血だまりの中に倒れていた。
動かない。
知らない人間ではない、その人達は死んでいた。
分かりにくしソファーの影。
離れた所には、猫の死体もあった。
もう何時間も経っている。
いまさら慌てふためいたところで、何かが変わる様な状況ではない。
そんな事が一目で分かる様な有り様だった。
足音がして、そこにレミィがやって来る。
アスウェルははっとして、言葉を発した。
「……っ、来るな!」
「な、何……? どうしたの?」
レミィはアスウェルの怒鳴り声に肩をすくませたが、それだけだ。
不思議そうな様子で部屋の中に入って来てしまう。
「そんなに怖い顔して、何かあったの?」
そして、部屋の中の様子を気にも留めず、アスウェルに話しかける。
凄惨な現場の中で、ただただ不思議そうに。
見えているはずなのに、その様子はまるでいつもと変わらない。
その平静な様子が、おかしくてたまらなかった。
部屋の中を見る。
誕生日パーティーをした時の飾りが飛び散った血で汚れていた。
テーブルがひっくり返って、中身が少し残っていたらしい食器が床にばらまかれて砕けている。
近くの台所では、シンクに食器がつけられることなく水だけが溜まっている。
殺されたのは昨日の夜。
パーティーの後だろう。
いなくなったとレミィから聞いたのは昨日の夜。
これもパーティーの後のはずだ。
「……」
「ねぇ、どうしたの?」
黙り込んだアスウェルに心配そうに問いかけてくるレミィ。
周囲の様子をまったく気にせずに。
両親は死んだからいなくなった。
いなくなったから、どこかへ行った。
レミィはそう思い込んでいるのだ。
長い時間をかけてやっとの事で得られた和解の結末がこんな事になるなど、きっと誰も思わなかった。
「お前は……っ、どうして……そんな」
「アスウェル?」
レミィには昔、一人の姉がいた。
けれどその姉は病気で幼い頃に死亡してしまっていた。
その時に、可愛がっていた大事な娘を失くしてしまった両親達は、推測でしかないがおそらくこう思ったのだろう。
レミィを見て、無事に生きているもう一人の娘を見て「自分達の娘は死んでいない。死んだとは思いたくない。だから生きている」……と。
そう、思ってはいけない事を思ってしまった。
だから、その時に彼らの娘は二人ではなく一人となってしまったのだ。
レミィを姉の代わりとして、存在をすげがえた。
だから長い間、レミィは死んだ姉と重ねられて、生きて来た。
姉の生き方を模倣する人形のようになっていた事もあった。
そんな出来事があって、両者の間には今まで深い溝が作られてしまっていたのだ。
やっと昨日のレミィの誕生日に、あの祭りの時間に、和解できたはずなのに。
これから待っていたはずの時間はたくさんあったはずなのに、こんな形で唐突に無残にも引き裂かれてしまったなんて……。
昔その時両親に起きた事と同じ事が、今レミィの身に起きている。
「……っ」
心配げにこちらに歩み寄って来たレミィの体を抱きしめる。
「なっ、あの、え……、アスウェル?」
「お前の両親は……」
狼狽の感情に身を固くし、身じろぎするレミィには決して見えていないのだろう。
この部屋にある凄惨な現場が。
変わってしまった現実が。
彼女の両親はもうこの世にはいない。
アスウェルは、そんな残酷な現実を突きつけられるのだろうか。
突き付けても良いのだろうか、目の前の少女に。
「どう、したの……大丈夫?」
そう思っていたら相手に背中を優しくさすられた。
なだめるように、労わる様に。
これでは立場が逆だろう。
何もできない自分が情けなくなる。
アスウェルは何もしてやれなかった。
全ては自分の知らない所で終わってしまったのだから。
これからどうすればいいのだろうか。
途方に暮れそうになる。
けれど運命はそんな事を考える時間すら、与えてくれなかった。
「転移装置の準備は……」
「整っている、今すぐに……、対象を連れて……」
話し声が聞こえて来た。
そして、二つ分の足音が近づいてくる。
そういえば玄関が開いた音が少し前に聞こえたような気がした。
「あっ」
レミィがアスウェルから離れて、やってきた人物に駆け寄っていく。
「お父さん、お母さん。まったく、今までどこに行ってたの。心配させて……」
そして、心の底から安心したような声で、そんな言葉をかけたのだ。
だが。
その。
足音を立てて我が物顔で、それも土足でこの家に入って来た二人の男女は、冷酷な人物は……レミィの親などではなく、アスウェルの知らない人間だった。
「誰だ……」
喉の奥から声を絞り出す。
お前たちは誰だ?
見覚えがあるどころの話ではない。
まったく知らない人間だった。
アスウェルの目の前にいるのは、接した事も言葉を交わした事もない人間。
それが、なぜ駆け寄っていったレミィの態度を当然みたいな態度で見つめているのか。
レミィはこちらの問いに不思議そうに首をかしげて言葉を発した。
「何言ってるの? アスウェルも何度も会った事あるでしょ。あたしのお父さんとお母さんだよ」
違う。
お前の本当の両親は今もそこで血だまりの中に倒れているじゃないか……。
彼らはレミィを見下ろして言う。
「貴方はここで待機してなさいと言ったのに、どこをほっつき歩いていたのかしら。今すぐ私達と来なさい。付いてくるのよ」
「面倒だな。邪魔な人間を排除したというのに、また連れて来て」
それは間違っても血の繋がった娘にかけるような言葉ではない。
家族に対する態度などではなかった。
「何言ってるの?」
こいつらだ。
こいつらがレミィの両親を殺した犯人だ。
レミィはいなくなった両親の代わりに、そこにいたこいつらの事を代わりにして、本当の両親だと思い込んでいるのだ……。
レミィの服の隅が黒ずんでいるのが目につく。あれは血痕なのではないか。
こいつは誕生日のその日、パーティーが終わった直後、目の前で両親を殺されたんじゃないのか。
だから、こんな事になって……。
「お前らが……!」
こいつらがレミィの心を壊したのだ!!
飛びかかろうとした。
だがそれよりも早く、何かが体を貫く。
「っ、ぐ……」
血が、零れ落ちていく。
アスウェルはその場から動けなかった。
振り返る。そこに人がいた。
おそらくそうだ。
背後から何者かによってアスウェルは刺されてしまったのだ。
「あ、アスウェル!」
仲間がまだいたという事だ。
鋭利な何かが背中から体を貫通し、中身を傷つけている。
腹からは、鈍色の刃物が突き出ていた。
「っ……!」
うまく力が入らない。
軽い衝撃の後に、痛みが襲ってきて立っていられなくなる。
膝をついて、手をついて、再び立ち上がろうとするができなかった。
「だめ、死なないでよ。アスウェ……、っっ!」
視線を上げるとレミィが運ばれていくのが見えた。
父親のフリをする見知らぬ男性に、
「離して、降ろして! お願い、お父さん!」
このままでは連れていかれてしまう。
レミィはアスウェルの姿を見て、目を見開いた。
ここではない、どこかを見つめるように。
大切なはずだった何かを思い出す様に。
「あ……あ……そんな、嘘。やだ、違う。そんなはずない。殺さないでって言ったのに。何でもするから。何でもするって言ったのに! ついてくからってお願いしたのに、嘘つきぃ!! あたしのお母さんとお父さんを殺さないで、その子を殺さないでって。お願い、やめてよ。そんなの選べない! あたしは、あたしだったらどれだけ辛い目にあってもいいのに、いやっ」
混乱して叫び声を上げるレミィが見つめるそれは、両親達への愛情ゆえか、ショックを受けたゆえからだったのか、ここではないどこかの時の出来事を思い出しながら泣き喚くそれは、今すぐにでも壊れてしまいそうに見えた。
「……ま、て……」
そんな悲痛なレミィにアスウェルは、何もしてやる事が出来ない。
視界が暗くなっていく。
体が動かない。
血が溢れて流れ出ていく。
そいつを連れていくな。
俺の大切な、人を……。
俺から奪うな。
また俺は守れないのか。
大切だった妹と同じように。
あいつを……。
「……レミィ………、必ず……助けに」
待っていろ。
どこにいても、何があっても、必ず俺はお前を助けに行くから。