06 それはいつかあった日常
講堂の地下禊ぎ場から聖域に行き、レミィの精神の中を訪れると、レミィモドキが早々に顔を出した。
「まずい事になりました」
「見れば分かる」
見回せば、心域の奥底に、いつか屋敷の中で見た異形の手が大量に蠢いていた。
色は黒く、腕とその付け根部分しか見えないが、間違いない。見間違えるはずがない。
「記憶が刺激されて、徐々に思い出してきた影響みたいですね。過去の事も、巻き戻りの事も。ああ、こちらもデーターの同期を済ませました。お手数おかけして申し訳ありません、最初から事情説明しとけとも言いたいですが」
今までも心が繋がっている影響でアスウェルの内心は把握できていたようだが、やはり改めて本人の記憶が蘇ると違うのかレミィモドキは得心が言ったように何度も頷いていた。
「と、考えている場合ではありませんよ。何とかしませんと」
「俺は、……」
「どうすればいいかなんて、自分で考えてください。私はあくまでもナビゲート役なんですから、過ぎた助言は言えませんし」
自分でも馬鹿な事を言おうとしていた事に気が付いた。
冷静でいられていないようだ。
改めて周囲を見回す。
レミィを保護した当初と比べて、景色が変化している。浮遊大地にの上にはいくつかの建物が建っていた。
今住んでいる屋敷や、ウンディの町にある喫茶店や建物などが。
それは良い兆候だろう。
だがしかしそれらも、ここでアスウェルがうかうかしていればどんな風になるか分からない。
最悪、あの時みたいに笑わなくなったり、アスウェルの事が分からなくなってしまうかもしれない。
もうレミィを、そんな風にさせるわけにはいかないのだ。
「でもまあ、突き放すだけというのもナビゲーターの仕事じゃありませんよね。失礼、少し恨みが出てしまいました。って、聞いてます?」
アスウェルは視線を巡らせて探していく。
心の中の景色に変わった事がないか……。
「あれは……」
見つけた。変化したものがあった。
以前見た時は潰れていた建物が復活していたのだ。
一軒家だ。
こちらの視線を追ったレミィモドキが声をかけてくる。
「現状を動かす可能性があるならならあそこしかないでしょうね。レミィの強い思いが、修復を早めたようです。良かったですね。本人は気にしてましたけど、思い出話をしただけはあったようです」
その声に動揺などの悲観的成分は一切含まれない。
雰囲気からして、見た目だけを取り繕っているようでもなさそうだ。
「あの場所に行けば……」
何か状況が変わるかもしれない。
だが、と直前にレミィと言い争った事を思い出す。
アスウェルは両親との再会を阻んだ邪魔物だ。
心の中を除くような行為を、レミィはまだ許してくれるだろうか。
「やってみればいいんじゃないですか? この中にいる時点で分かっているようなこと聞かないでください。少なくとも駄目だったからって諦めるような人間を、レミィはこの世界に留めて置いたりはしないと思いますけど」
刺々しい言い方をしつつも、励ましている様にも聞こえるレミィモドキの言葉。
それでも成功までは保証しないらしい。
らしい言葉だった。
奴にそこまで望むのは贅沢だろう。
贅沢。
今までは縁のない言葉だと思っていた。
それを意識できたのは。
レミィと、レミィと過ごした日々のおかげだろう。
あの少女がいたから、アスウェルは助けられたし、穏やかな時間を手に入れられた。復讐だけに生きる寂しい生き方を手放し、友人と和解する事ができたのだ。
今、ここでこうしてアスウェルがアスウェルとして立っていられるのは、まぎれもなくレミィのおかげだった。
覚悟を決める。
時間がない。
悩んでいる暇はないのだ。
「……」
レミィ。
おどけない顔をした少女の事を思い浮かべながら、アスウェルは意識を集中した。
名ばかりの復讐者が消えたその場所で、レミィモドキと呼ばれているその少女は肩をすくませていた。
「やれやれ世話の焼ける人ですね。貴方は貴方が思っている以上にレミィに受け入れられているというのに。もうちょっと自覚してくれると色々先が早くて助かるんですが」
メタリカ 初染町
車の走行音、人々の声のざわめき、足音。
「ここは……」
どこなのか。
イントディールでも、ニエ=ファンデでもない。鋼鉄の高層建物物が立ち並ぶ場所。
立っているのは見知らぬ場所。
だが知識は頭の中に流れ込んできて分かる。
ここはアスウェルの住んでいた世界とは違う別の世界だ。
魔法の存在しない、魔人もいない世界。技術が進んで、文明の発達した、世界の、その平和な国の中。
ここがレミィの住んでいた、異世界……?
周囲を確かめる。道路の真ん中にアスウェルは立っていた。
黒と白の色が交互に視界に飛び込んでくる横断歩道の上だ。
視線を向ければ信号機が点滅するところだった。
このまま立ち止まっていても車に轢かれるだけだ。
車……、知っている。横断歩道も、信号機も。道の知識が頭の中に入りこんできたからだ。
眩暈がしそうになった。
止まっていた歩みを再開する。
そうしているうちに何かを大事な事を考えていた気がしたが、忘れてしまった。
誰かを救うためにここにいたような、そんな意識の名残を残して、抱いた違和感が消えていった。
ぼうっとしている場合じゃない。
そうだ、今日は特別な日……レミィの誕生日なのだ。
早く待ち合わせ場所に行った方が良いだろう。
家から出て、電車を乗り継ぎ、駅から歩いて数分。
駅の前にある時計の下に、そいつは立っていた。
携帯の画面を見ながら、何やら嬉しそうにしたり、不安そうにしたり、悲しそうにしたりと百面相になっている。
長い栗色の髪をしたその少女は、近づくこちらにも気づかず、携帯を見つめて夢中だ。何を考えているのやら、と思う。
「おい」
「ひゃいっ!」
声を掛ければ、そいつは肩をはねさせて驚き、こちらから三歩分の距離をとった。
猫みたいな丸い目と合う。
「な、あ……驚かさないでよ! 何でここに。まだ待ち合わせの30分以上も前だけど……」
「お前がこういう集まりごとに早く来ることは周知の事実だ。だからあらかじめお前に伝える分の時間だけ予定より遅らせておいた」
「なっ」
驚いて顔を赤くしたそいつは、退いた三歩分の距離を詰めてこちらに近づいてきた。
幼さの残る顔だちをした少女は、こちらの襟首を掴みながら、口を開けたり閉めたりして間抜けな顔をしているが、感情の波が大きすぎて言葉にならなかったようだ。
俺はそこにさらなる爆弾を投下する。
「毎回どれだけ楽しみにしてるんだと、俺たちの間ではもっぱらの噂に……」
「わああっ、言わないで! それ以上言ったらあたしは恥ずかしくて引きこもるから!」
真っ赤になってこちらの口を封じようとするその必死な様子。
面白い。
これだからこいつはいつも、周囲の人間に玩具にされるのだ。
だが、引きこもられては困る。
今日は、この少女とってもアスウェル達にとっても大事な日なのだから。
「あ、やっぱり来てたんだ。アスウェルの言った通りだね。レミィが早く来ても良いように三十分、集合時間を遅く伝えておいて良かったよ」
そこに、最後のメンバーがそろう。
赤毛の髪をショートカットをにした少女が、二人の様子を見て朗らかに笑っていた。
「ねぇ、正確じゃない時間なんて、それ待ち合わせの時間の意味ないんじゃない?」
「うーん、確かにそうだね。今回のでバレちゃったみたいだから、きっと次は待ち合わせの一時間前に来ちゃうかもしれないし。困ったね」
「あっ、あたしは、いくらなんでもそこまでは……しないから」
「そうかなあ?」
疑問風で喋りつつも、にこやかに笑うその少女は、レミィが次にどう行動に出るか分かっている様な口ぶりだった。
赤い髪の少女は悪戯っぽく笑いながら続きを口にする。
「私も待ち合わせの一時間以上に来るのはさすがに辛いかな。だからこれに懲りたら、ちゃんと時間通りに来る事? それで良いかな」
「う、分かったよ……」
「それじゃ、行こっか」
終始笑顔と余裕の態度で、レミィをやりこめた少女……アイラは二人を促す様に歩き出した。
まとめ役になる事が多い彼女のその手練手管は、出会った頃と比べて日に日に磨きがかかってきているようだった。
レミィとアスウェルとアイラ。
いつも行動する時はだいたいこの三人で過ごすのがお決まりだった。
「あたし……、アイラには絶対敵う気がしないよ」
肩を落とした様子でいるレミィの背中を押して促し、町の中を歩いていく。
駅前から移動してやってきたのは、商業の店が多く軒を連ねる、通りだった。
アスウェルの横では女子二人が楽しげに会話に花を咲かせている。
「召喚術の研究とか、あとは魔石の研究とか……」
「レミィはたまに面白い事やってるよね。できたら私にも教えてね」
横で展開される話の内容は二次元なものばかり。
レミィが言って、それをアイラがにこやかに聞いていく形で続けられるが、結構盛り上がっていた。
常識では考えられない発想をする時があるので、意外に明日受けるも聞いていて面白い。
そんな風に会話しながらもアスウェル達は、その通りで、様々な店に入っては適当に店を冷やかしたり、商品を購入したりして周っていた。
そして小一時間後。
辿り着いたのは数件目の服屋だ。
女性向けの商品を置いているその店に突撃していった女子二人は、興味深そうに店内を三週くらい歩き回って、ああだこうだと候補を選びながら、試着室へと入って行った。
特にする事のないアスェルは待ちぼうけ担当だ。
「何でか分からないけど、頭に何か乗ってないと落ち着かないんだ。そういう癖? みたいなものがしみついちゃって」
「そう言えばレミィって、よくフード付きのパーカーとか来てたもんね。後昔はヘアバンドとかもつけてたし」
「だから、新しい帽子とか良いのないかなって捜してるんだけど……」
先程から試着室に詰められる割合はレミィが9でアイラが1。
にこやかな顔と態度をしているくせに意外と押しの強いアイラが、レミィをしょっちゅう店の更衣室に詰めては、動いて喋って楽しい着せ替え人形にしていた。
アイラ自身も自分の試着したい服を試着しているようなのだが、何故か着替えの時間があまりかからないのが不思議だ。
レミィが一着着替えるまでの間に三着試着し終えるアイラは、着替えの達人として服飾関係の仲間には有名になっている。
そんな事を考えている間、にも試着が終わった様だ。
レミィはカーテンの裾に半身を隠しながら、顔を覗かせるが、アイラがニコニコとそれを容赦なくひっぺがS。
「こ、こんな服は似合わないと……思うんだけど。ひゃいっ」
「そんな事ないよ。ほらアスウェルも何か言ってあげて」
「ちょ、ちょっとアイラ……」
装飾の少ないシンプルなワンピースだが、センスは悪くない。
「まあまあだな」
率直な感想を言ってやれば、「ほら!」とレミィはアイラに反論している。
無駄に手を動かして観察者側二人を交互に指さして、「最初から分かってたし」とか「別に似合うとか言われなかったわけでもないけど」とか、言い出している。
アスウェルは、せわしなく動き回る茶色の頭に狙いを定めてそれをかぶせた。
「ひゃぁっ……、な、何?」
「こっちの方がしっくりくるな」
「あ、確かに」
小さな少女の小さな頭には、翡翠色の帽子を乗せてみた。
先程本人が言っていたが、何か乗っていないと落ち着かないというのは、見ている方も同じだったらしい。
レミィにプレゼントという事で帽子を購入した後は、電車を使って地元へ戻り、日が暮れる中を歩いて行く。
目指すのは公園。
これから祭りがあるからだ。
抱えた紙袋に時々視線をやっては嬉しそうにするレミィの様子は、本人は隠しているつもりだろうが、アスウェル達にはバレバレだった。
そういう所があるから弄られるのだと、本人がなぜ気づかないのが不思議になる。
アイラは、これからの事が気になるようでレミィ相手に色々話をしていた。
「レミィはもう将来の事とか決まった?」
「うーん。まあ詳しくは決めてないけど、やりたい事ならあるかな」
「どんな?」
「ピア二ストになって、世界中で演奏しながら周りたいな……って」
「うん、良いと思う。レミィにはぴったりだと思うよ」
「そうかな」
それは学校の音楽室で放課の時にたまにクラスメイトに弾かせて聞いてるのを見て何となく分かっていた。
一時期やめていたピアノの腕が上がっていることに気がつけば、何となくそうではないかと想像するのが普通だろう。
「夢って言うほど大げさなものじゃないけど、それが今あたしのやりたい事。だけど、世の中にはもっと上手な人がいっぱいいるだろうし、できると思う?」
「うーん、私はそういう事詳しくないからよく分からないけど、レミィなら出来るんじゃないかな」
にこやかに背中を押すのがアイラの役目ならアスウェルの役目は逆だろう。
頭を小突く。
「できないと言われて諦められるような奴なら、最初から目指したりはしないだろう」
「う、うう……。確かにそういうのは好きじゃないけど。いじわる。もうちょっと優しく言ってくれても良いじゃん」
「優しく言ってほしいのか」
「そ、それは……ちょっと。そんな事されたら……」
レミィは何故か顔を赤くして背ける。
アイラはその忍び笑いをしているがこちらに理由を教えるつもりはないようだった。
公園について祭り会場に着いた後は、レミィ達が出ている出店を片っ端から攻略し始めた。
「みてみて、アイラ、アスウェルほら。すごいでしょ。あっちの屋台でとったやつだよ。大漁大漁! あたしの手に掛かればこんなの全然大した事ない。出直してきてほしいくらいだよ」
「あはは、すごいねレミィ。でも私だって負けてないよ。こっちは条件達成でしか入手できない隠されてた商品、手に入れちゃった」
「ええっ、何それずるい! どこ情報!?」
レミィはともかく、普段は大人しくしているアイラですら乗り気なのだからこの町の祭りには何か人を引き込む魔の力でもあるのかと思ったほどだ。
そんな風にして戦利品を手にしたレミィはゆうゆうと歩いていくのだが、ふと表情を曇らせた。
向かう先には多くの人間が立っている。
その中にはレミィの両親もいるはずだった。
「そろそろ、時間だね」
レミィはアスウェルたちの下から一歩離れる。
「今日は楽しかった、ありがとう。誕生日プレゼント、大事にするね」
不安そうに笑うレミィについてやりたいのはやまやまだが、こればかりはレミィとその親の……当人達の問題だ。ここでアスウェル達が要らぬお節介を焼けば、それは彼らやレミィの覚悟をないがしろにすることになる。
アイラは、レミィの手をとって自分の手で包みこむ。
「大丈夫、ここまで頑張ってやってきたんだもん。きっとうまくいくよ」
「うん、ありがとう」
離れていくアイラの手の温もりに名残惜しそうにするレミィ。
アスウェルはレミィの頭を撫でた。
「お前が努力した成果を受け取ってこい」
「うん」
頭の上から手を離す。
「二人共、本当にありがとう。今日はずっと傍にいてくれて。すごく嬉しかった。だから……だいすきだよ」
小声で言った最後の言葉はこの人ごみの中でもかろうじて聞き取れた。
レミィは背を向けて走り去り、両親の下へと向かっていく。
「アスウェル?」
知らずに一歩踏み出していた。
何故だかこのまま行かせてはならないと思えたからだ。
何か取り返しのつかない事態が起こるような。
もしくは起こってしまったのを知っているような。
そんな気になって。
だが、それは気のせいだろう。
「何でもない」
アスウェル達はレミィが上手く行くことを祈りながら、それぞれの帰途へとついた。




