04 新しい世界
この巻き戻りでレミィを見つけてからもうすぐ半年が経とうとしている
もうじき星祭りの時期だ。
屋敷の手伝いを相変わらずこなしながら日々を送っているレミィ。
風呂場であった事を忘れたかのように相変わらずで、アスウェルが姿を現せば飛びついてまとわりついてくる。
アスウェルの方はこれまでと同じく、アレイスターの助力やネクトの組織力を受けて禁忌の果実を潰しにかかる毎日だ。
子供の様な見た目をしているが、奴の実力は本物だったようで、今まで苦労していた組織の拠点潰しが難なく進んでいった。
アレイスターの力ははっきり言って馬鹿にできない。
奴が生きているだけでこんなにも違うとは思わなかった。
二年の時の巻き戻りは想像以上に重いようだ。
アレイスターが主人のままであるならば屋敷が実験場になる事もない。
思えば、使用人達の異形化は防ぐことが出来たとしても、一年の巻き戻りだけでは毒の問題はどうにもできなかったはずだ。
新しく屋敷に訪れたレンやコニーなど、その内入って来るらしい新人の事を考えれば、これ以上ないくらい彼女らの未来は開けているだろう。
そしてレミィは、聖域での治療が順調に進んでいるようで、過去の記憶を思い出し始めていた。
「それで、誕生日にお祭りに行ったんですけど、花火がおっきくて、出店もいっぱいで、すっごく楽しかったんです。家に帰ったら、誕生日のケーキがあって、ハッピーバースデーってお母さんとお父さんにお祝いしてもらったんですよ」
思い出した記憶を語るレミィは終始笑顔だった。
父と母は何者かに殺されている。
その事実はやはり最初からこのレミィの記憶にもあった。
けれど、そんな暗い過去をものともしない様子でレミィは思い出せた事を素直に喜んでいるようだった。
アスウェルの知っているレミィの両親とは、まるでかけ離れている話だ。
禁忌の果実の構成員がそんな日常を送るはずがない。
やはり、アレイスターやナトラから聞かされていた通り、あの連中がレミィの両親ではない可能性がある。
とりあえずはアスウェルは、余計な事は言うまいと決め、聞き役に徹する事にした。
「でも、たまに過去の記憶とはちょっと違う感じの記憶もあるんです。公園のベンチでアスウェルさんと本を取り合ったり、海で溺れそうになってるのをアスウェルさんに助けてもらったり、ピアノを弾いてるのを聞いてもらったり、そんな事した覚えはないんですけど……」
レミィは少しづつだが、徐々に巻き戻りの記憶も取り戻しているみたいだった。
前にレミィモドキが言っていた事を思い出す。
半年は心の中ではアスウェルは何もできないと。
それは禁忌の果実から受けたダメージを癒す為に必要な期間で、その間は刺激となるようなものは思い出させないようにしていたのかもしれない。
ならば、レミィは二年前に巻き戻れても、記憶を持って活動できるのはもっと後の事になるのだろう。
そして数日後の時が流れ、半年が経った。
元の廃墟の屋敷にいた時間から考えるとその時間からは、一年と半年前になった頃だ。
ウンディの町中を歩き、アスウェルは一軒の店の前に立ち止まる。
旅の踊り子として風の町にやってきたフィーアが開いた喫茶店「フェニックス」だ。
女性受けしそうな外装をしているにも関わらず似合わない店名はフィーアがつけたもの。
ネタは巻き戻りを繰り返したアスウェルだそうだ。
フィーアと、そしてあの場にいた他の者、クルオ、ラッシュ、リズリィは記憶を持ちこしているはずだ。
観測者であるナトラがそう言ったのだから。
だが、過去に巻き戻っても、その時にいた場所に巻き戻ってしまうので、連絡を取るまではどうしても時間がかかってしまうのだ。
そんな中で、フィーアと早めに再会できたのは、運が良かった方なのだろう。
だからこちらの何がどうなるといわけないではないが。
アスウェルはその「フェニックス」の扉を開ける。
「わわ、大忙しですー!」
多くの客で賑わいをみせる喫茶店の中、この店のメイド服を着たレミィはトレードマークの緑のヘアバンドを頭の上で揺らしながら、忙しく走り回っていた。
レミィは屋敷で単なる手伝い以上に働く事がなくなった代わりに、店のメイドとして働く事になったのだ。
住み家は相変わらず屋敷の中にあり、書類上ではアレイスターが保護者となっているが、悪い試みではなかったらしく、本人も楽しそうな様子でウサギの様に跳ね回る毎日を送っている。
「はい、注文です。追加です。フィーアさん、追加一つですー」
銀のトレイを持って店内を行ったり来たりする檸檬色の髪の少女は、新たに入店した人物……つまりこちらにぶつかりかける。
アスウェルはそれを受け止めた。
「ひゃあ、すっ、すいません」
「前見て歩け」
「あっ、アスウェルさん! 来てくださったんですか?」
「来ていないように見えるか」
少女はぱっと表情を変える。
半年前の事を考えれば劇的な変化だろう。
アスウェルが知る少女の姿となんら変わりのない様子のレミィは、頬を膨らませて先程の返答へ抗議してきた。
「うぅ、……イジワルです。そういう時は素直に、来たって言ってほしいです!」
「来た」
「そうです。一名様ご案内です」
「他の客の迷惑だ、奥に行く」
「えぇっ、来てないんですか!?」
構ってやりたい気持ちはあるが、それは後。
一人混乱しているレミィを残して、アスウェルはカウンターへ向かう。
店で出す料理を準備している女性へと声を掛けた。
緑の髪を片側で結った、十代後半ぐらいの年の女性……フィーアだ。
他の客と楽しげに談笑していたフィ―アは、すぐにこちらに気づいて手を上げた。
「ああ、アスウェルいらっしゃい。何か食べてく?」
「構うな。見に来ただけだ」
「アンタって相変わらず分かりにくい性格してるわよねー。普通に忙しいから相手しなくて良いって言えないの?」
「言ってほしいのか」
「うーん、ないなぁ」
なら言うな。
ウンディの一画にある、この喫茶店の店主であるフィーアは、最初は旅の踊り子だった。
それがなぜ店で働くようになったかは、旧知であるアレイスターの頼みが断れなかったらしい。
何でも子供の頃に助けてもらった恩があるとかいう話だが、アスウェルにとっては細かい事情はどうでも良かった。
どう見ても子供にしか見えないアレイスターの実年齢がまったく気にならないと言えば嘘になるが、わざわざこちらから労力を使って尋ねる事でもない。
そんな事を考えていたら、フィーアがこちらに話しかけて来た。
「ねぇ、アスウェル。ちょっといいかしら」
あまり見た事が無い類いの、神妙な顔をして。
「何だ」
「アンタ、色んな世界の事知ってるんでしょ? だったら何かあたしに聞きたい事とかないの?」
聞きたい事?
心当たりなどなかった。
身の上話についてなら、詮索しない方向で落ち着いたはずだったが。
「例えばどうして魔人に協力してるのかとか」
ああ、つまり自分の過去を別の世界で知ったのかと聞いているらしい。なので言ってやった。
「スラムに土産を配りまわるのに付き合わされた」
「やっぱりねぇ」
彼女はそれについて聞いたものの、薄々は察していた様だ。
「大体その通りよ、でもきっとその時あたしは、それ以外の事は言わなかったみたいね。顔ぐらいは誉めたのかしら」
確かに顔は誉められたに。が、何を言いたいか分からない。
「全く、女が秘密を打ち明けるんなら、そういうのしかないでしょーに。鈍いんだから、ほんとアンタってしょーもない男ね」
同じ事を、前にも言われた。
「まったく。仕方ないから、大盤振る舞いしちゃうわよ。せいぜい、忘れないで記憶に刻みつけておきなさい」
フィーアは唐突にその場で手を叩いてステップを踏んで両手を広げる。
それは何度か見た事がある、踊り子としての彼女の仕草だ。
「実はね、一流の踊り子になって、魔人と人間の架け橋になるのが私の夢なの」
その一言をきっかけに、これまで語ってこなかった彼女の深い内心にある想いを聞く事になった。
「だから、踊り子として資金を稼ぎながら、色んな場所を旅して情報屋をやってる。これまでたくさんの場所を見てきたけど、今ならはっきり言えるわ。やっぱり私は間違ってないんだって。魔人と人間は一緒に生きられるのよ。ねぇ、アンタは応援してくれる? それとも笑うかしら」
真面目な話なら、真面目に答えてやるしかないだろう。
自由気ままなように見えても、案外考えている。
それくらいの事は今までの付き合いで分かる事だから。
「笑われて止める様な人間なら応援などしない」
「分かりにくい奴ー。頑張るなら協力してやるって言えないのー?」
けらけらと笑うフィーアの反応、どうやら及第点の答えではあったらしく、文句を言われるような事はなかった。
「普通だったら、優しい言葉の一つや二つかけとくもんでしょーに。今ならちょっとぐらいは揺らいじゃうかもしれないのに残念だわ」
「かけてほしいのか」
「まさか」
話がひと段落すれば、直前の内容など忘れたようにフィーアは、レミィが聞いてきた客の注文をメモし始める。
代わりにカウンターに置いた料理を、客のいるテーブルへと運んでいくレミィ。
「ひゃん、あ……危なかったです。お客様の料理落としちゃうところでした。ふぅ」
「レミィちゃん、気をつけなよ」
「はいです、すみません。お待たせしましたですっ」
「いつも元気で良いね、レミィちゃんは」
「えへへ、そうですかー」
喫茶店業務の結果は良いように働いているようだ。
「それで、どうだ」
状況が良いのは分かったので店で変わった事が起きていないか尋ねる。
「うーん。まあボチボチってとこね。今のところは何にもないわ。変な客がたまにあの子を見てる事もあるけど、あくまで普通の変な人だったし。奴らが取り戻しに来るなんて事はないわよ」
「そうか」
禁忌の果実の件は心配しなくてもいいらしい、ネクトを組織したりして組織を潰して回っているアレイスターがうまくやっているようだ。
並行してそろそろボードウィン達が何か事を起こす時期だが、そちらもおそらく状況を見るに大した問題はないだろう。
不穏な材料がないようで大いに結構だ。アスウェルは一つ息を吐いた。
「それ、良くても悪くてもする癖よね。治した方がいいわよ。幸せが減ってく減ってく」
癖だ。放っておけ。
「変な客の方は何だ」
「あ、そっちも気になる?」
フィーアはレミィの運んできた食器を水の張ったシンクに沈め、洗いものをしながら視線を向ける。
「あれ」
店の窓。そこには整った女顔がいた。
激しく見覚えのある薬学士だ。
「あれは放っておいて良い」
「そ、知り合いか何か?」
友人だ。一応は。
その友人は、いつの間にか外に出ていたらしいレミィと顔を並べて店の中を覗き込んでいた。
何をやっている……。
復讐に憑りつかれたように生きる友人……アスウェルを探し回って、ウンディの町を訪れたクルオは喫茶店の内部の様子に首をひねっていた。
どうにも納得がいかないというか、おかしな光景を目の当たりにしているような。
アスウェルが町にいる事を突き止めて、通いの店ができたらしいという事を知ったまではいいが、声を掛けるタイミングが掴めないでいるのだ。
店の中のアスウェルは、相変わらず不機嫌そうで怖そうで仏頂面をしているが、まるで悲劇など起きなかったみたいな様子なのだ。
「アスウェルの奴、こんな所に足を運んで何をやってるんだ?」
普通に復讐を諦めたならばいいが、何か致命的なショックを受けておかしくなったのではないかと逆に心配になってしまう。
情報屋や帝国の兵士ではなく、喫茶店の女性や少女と普通に話をするアスウェルなど、大丈夫なのだろうか。
「お客様、どうしたんですか?」
クルオが店の窓から覗き込んでいると、いつの間にか外に出てきていたメイドの少女に声をかけられた。
アスウェルが親しく話をしている人間の一人だ。
まるで妹に接するかのように頭を撫でたり、世話を焼いたりする子。
まさか、アスウェルは何か大変な目に遭って記憶が飛んでしまいでもしたのではないだろうか。
心配だ。
「……あ、いやその。知り合いが気になって」
絵に描いたように不審者然とした態度をとっていた事に気が付いて慌てるクルオ。
だが、そこで何でもないと言って立ち去らない辺りが、人の良い性格を如実に表していた。
「? 良かったら呼んできますよ」
「い、いや。良いんだ。それよりも、その……中にいる人について聞かせてくれないかな。僕はその人とは、ケンカしてるんだ。だから直接は話しにくくて」
「そうだったんですか。知ってる方なら、話せる事だけ話しますよ」
「あの、目つきの悪そうな奥にいる男の事だけど」
「アスウェルさんですか! 友達いたんですね、アスウェルさんにも」
「ああ、あいつやっぱり性格変わってないんだな」
そこは変わってなさそうで安心した。
アスウェルが聞いたら怒りそうな事を、二人して引き続き会話していく。
「あいつは何でこの店に何回も通ってるんだい。見た所食事する目的があるわけじゃないようだけど」
たまに店主に食べ物を出されて食べている事もあるが、それはついでという感じで目的はいつも他にある様だった。クルオの見ている限りでは。
「アスウェルさんは、私の様子を見に来てくれてるんです」
「君の? どうして?」
「分かりません。でも私がすごく困っていた時に助けてくれた事があって、それからこうして何度も気にかけてくれるんです」
「そ、そうなんだ」
「アスウェルさん、見た目は怖いですけど、優しい人ですよね。この間だって私にそっくりな人形を買ってきてくれて、私のこれもアスウェルさんが星祭りの屋台でくれたものなんです」
頭の上に手を置いて示すのは、ウサギの耳の様なリボンのついた緑色のヘアバンドだ。
アスウェルが女の子に贈り物。
やっぱり心配になった。
「き、君とアスウェルの関係って……。聞いてもいいかな」
「? 構いませんよ。アスウェルさんは……、アスウェルさんはですねー、私の大切な人ですっ」
「たっ、大切な人っ!?」
「はいっ、特別な人なんです」
「とっ、特別なっ……」
何故だろう、ただこの少女とアスウェルの関係を聞いただけなのに、話の雲行きがおかしくなってきた。
それはどういうアレなのだ?
まさかアスウェルに限って、いやそんな。でも……。
「将来の事も(一緒に旅をしようって)約束(できたら予定)してるんですよ」
将来!?
「初めての事も(常識とか)たくさん教えてもらいました」
はっ、初めて!?
「眠れない夜なんかは、一緒のお布団で眠ってくれるんです。私は子供だから(体温が高くて)ちょうど良いって言ってました」
一緒のベッド!! 子供だからちょうど良いって、何がなんだアスウェル!!?
まさか……あいつにそんな趣味があったとは。
まさかとありえない、失礼なことを口走ったクルオの後頭部は、窓を開けたアスウェルにトレイで殴りつけられた。
「レミィ仕事だ、戻れ」
「はっ、ごめんなさいですっ!」
トレイを受け取ったレミィが駆けだしていくのを見送って、クルオは痛みをこらえながらかける。久しぶりに再会した友人へ。
「いたた、あ、アスウェル……君、あんないたいけな少女に手を出すなんて、ふふっ、不潔だぞっ!」
「お前はやっと来たかと思えば、何を言っている」
何やらこちらを待っていたような台詞が聞こえて来たような気がするが、気のせいだろう。今はそれどころではない。
「ふ、復讐はどうしたんだ。妹は、クレファンは……君がそんな人間とは思わなかったぞ。いいか、僕が必ず君の目を覚まさせてやるからな、逃げるんじゃないぞ」
いつも言ってる事とは正反対の事を口走っているような気もしなくもないが、とにかく言い切ったクルオは店の前から全力で走り去った。
「あいつ、忘れてるのか」
何やら背後で呆れたような声が聞こえなくもなかったが、それは聞こえなかった。