02 リスタート
ウンディにたどり着き、レミィは屋敷で世話になる事が決まった。
屋敷内では一年巻き戻った時には見た使用人の顔……レンやコニーの姿が、いくつかなかった。おそらくまだ勤めていないのだろう。
慣れた様子で働いていたまとめ役のレンがいないのは少し違和感がある。
今まで静かな印象しかなかった庭園には訪れた野鳥のさえずりが満ちていた。毒の影響がないからだろう。
屋敷の内装の方も、鉱石の飾り物がない。
「――?」
屋敷に入り歩きながらレミィが周囲を見回す。
一年分働いていた屋敷も、このレミィにとっては初めての場所となる。
「ん、何だ帰って来てたのか。そいつらは?」
帰還した主人とアスウェル達を、そう言って出迎えるのはアレスだった。
馴れ馴れしいのはずっと変わらない。
「保護して連れて来た。今日からこいつの世話をここでする事になる。適当に食事でも作って、食わせてやれ」
「そっちの旦那は?」
「知人だ。何かあったら書斎に来い」
「了解」
アレスがレミィを連れていく。
アレイスターは使用人の態度に寛容なのか、関心が無いのかどっちなのか。
こいつがそんな甘い態度でいるばかりに、今までアスウェルは随分とうっとおしい思いをした。
「親の顔が見たいと思っていたが、あいつらが礼儀知らずになったのは教育者の間違いだったようだな」
「死にそびれた人間にかしこまっても、仕方ないだろう?」
嫌みを込めて言葉を投げかければ、そんな返答だ。
見た目がこれで一人称もあれのくせに、都合の良い時だけ老人になる。
益体のない事を話しながら、ボードウィンの物ではない屋敷奥の私室を訪れ、これからの事を話し合う事になった。
「腰が重いのは老人だからか」
……のだが、口を滑らせて文句を言おうものなら、嫌みと共に十倍の自慢話が返って来た。
「もう少し早く助けろだって? 自由な旅人と同じように考えてくれるな。最古の魔人と呼ばれるだけあって、これでも忙しいんだ。力が無いからと嫉妬するな。僕には助けてやらねばならない知人も多いからな」
アスウェルは、そういう類いの話は興味ないなのでサラッと聞き流したが、長年手紙も寄越さず、顔も見せずだったのだ。再会したよしみで多少はつきあってやった。本当に多少は、だが。
「あの少女の家名は、本来は僕がつけるはずだったのだが。まあいいだろう。ラビラトリか。兎と鳥なんて贅沢な名前だな」
アスウェルが伝えた名前も、元はと言えばアレイスターがつけただろうものだろう。
ラビラトリをただの言葉ではなく、ウサギと鳥だと思うのなら目の前の若作りが名付け親で間違いない。
あいつは成長したらウサギみたいに騒がしくなって、心の中では鳥になっている時もあったから。
「しかしレミィも大人しくなったもんだな。以前のあいつに見せてやりたいくらいだ」
「どういう事だ」
何気なくもたらされた言葉に、耳を疑う。
感慨深げにもたらされた言葉は、かなり予想外のものだった。
レミィの過去を知っているのだろうか。
「お前が巻き戻りという超常現象の経験者だというのなら、今から言う僕の話も聞く耳ぐらいは持つだろう」
俄かに信じがたい話だが、イントディールとニエ以外の別の世界があるらしい。 アレイスターが説明するには世界は一つではないと言う話だ。
世界は無数に存在しており、そのそれぞれに多くの生き物が済んでいる。
アレイスターは、前世ここではない別の世界の人間であり、それを覚えていた為、別世界の存在を知っているのだ、と。
そこに、ずっと鳥だったナトラが人間になって、補足する様に呟いた。
「彼の言う通りよ、レミィはこの世界の人間じゃないの、異世界から来た人間なのよ」
白髪の少女は至って普通の調子だ。アレイスターの述べた話に驚いた様子がない。
それは前世にクロアディールだったから、ニエにいたとかそういう話なのだろうか?
そう問いかければ、何か思い出せないものがあるような……過去の記憶が引っ掛かったような感じがしたが、ナトラの説明にすぐに意識が引き戻される。
「いいえ。こことも、そことも違う、科学技術の発展した世界。百階以上の高層建築物が並んでいたり、人が空飛ぶ乗り物に乗って移動する……そんな、世界よ」
高層建築物? 空を飛ぶ?
そんな事を言われても、すぐに信じられるわけないだろう。
「そうね、なら少し話がずれるけど軌道列車の件はどう? 禁忌の果実に捕らわれていたはずのレミィが大して驚きもせず大人しく乗っていたのは? 何も知らない人間が、子供が列車に乗ればもう少し反応があってもいいはずでしょう? おかしいと思わない?」
「……」
「レミィはこの世界の歴史も、奴隷契約の存在を知らなかった。それはそれは記憶を壊されたから、と見る事もできるけど、どこか別の……奴隷契約が存在しない世界にいた、という事にも見れないかしら?」
確かにそう取れなくはないが、証拠としては弱いだろう。
そうともとれるという事はそうではないともとれるという事だ。
今度はアレイスターが口にする。
「ふん相変わらず固い頭だ。なら、召喚術……そいつはどうだ。道具を宙から取り出す奴だ。この世界であんな事できる人間はいないぞ。願い石……魔石から魔法を扱う事だって」
「……」
仮に、百歩譲ってレミィがここではない別の世界の人間だとしよう。
ならば、それはどういう事になる?
「この世界にレミィの本当の両親はいないわ。過去の人間だったからじゃない。レミィは別の世界にいたけど、禁忌の果実に一人だけ攫われてきたの。だからもし、レミィに言われても探さないで、そして彼らが現れても惑わされないで。私も手紙でそれとなく何度か言ったんだけけど、レミィに伝わらなくて。ずっと前にレミィが会ったって言っていたのは、偽物だから……」
「偽物……」
そうだ、どこかの世界であいつは両親と暮らしていた。あれが偽物だと言うのなら、おそらく似たような手を使ってくるはずだ。警戒しておかなければならない。奴らはそういう事を平気でする連中だ。
レミィの両親。
過去の人間で、禁忌の果実で、時を超えて娘をおってこの時代まで来たのだと、そう思っていたのだが、今度は別世界の人だと言うのか。あいつの身辺事情は何でこんなに、巻き戻るたびに変わって来るんだ。複雑すぎるだろう。
「いきなりこんな話をされても戸惑うだろうけど、でもたぶん、すぐに私達の話を真実だと思う時が来るわ、レミィの心の中に証拠はあるもの」
確かに今の時点では真偽不明に過ぎない事柄だが、レミィの記憶を覗いて行けば、自然にそれらの事実は判明していくなのだろう。
その事を観測者である彼女が切り出したなら、今の話はもう限りなく真実に近い話なのだ。正直胸の中は、信じられない思いで溢れかえっているが。
「ふん、ここで考えてたって時間の無駄だ。進展するなり仲良くなるなりさっさとすればいい。どうせそこを何とかしないと、あいつはいつまでも不安定なままで、戦力にはできないんだからな」
「あいつはもう戦わせない」
発言を聞いてすぐ、アスウェルは言葉を発していた。
アレイスターはレミィを戦わせるつもりでいるらしい。
ライトや、禁忌の果実や、帝国と。
だがアスウェルとしては、そんな事はもうたった一度もさせたくなかった。
レミィが傷つかずに済むなら、そうすべきなのだ。
「……まあ、いい。お前がそう思うのも仕方はないか」
アレイスターのそれはアスウェルの意見に賛成したというよりは、今はそれについては議論を置いておくというような口調だ。
それで話が今後の対策へと移っていくかと思いきや
思い出したかのように、その話題を付け足した。
「ああ、そうだレミィの年齢だがな、あいつはもうじき15歳になる。成長が止まってるんだ」
驚愕の事実を何でもない事の様に疲労されて、思考が一瞬どころか何秒も止まった。
脳裏にレミィの顔を……子供っぽくて、あどけなさの残る幼そうな顔を思い浮かべる。
アスウェルが一年巻き戻って会った時は、1月15日に14歳だった。
だから、二年巻き戻た今はもうじき13歳になるものだと思っていたのだが……。
「見た目はそうだな。だが連中の資料を調べて分かった。連れ去られてこの世界に来てからざっと一年経っているな……。捕まえた時点が、誕生日がだったから14歳だそうだ。それで1年経って今、もうじき15歳になって、お前が、1年巻き戻った時には、1月に16歳になる」
あの時アスウェルは18だったので、二つしか違わなかった事になるではないか。
「この時間からは二年後になる帝国歴1500年の、廃墟の屋敷で17歳程度になったレミィと会った時、見た目はそう変わっていなかったらしいな。やはり禁忌の果実の実験の影響で成長が止まったんだな」
また、あいつ等のせい。どれだけこちらを振り回せば気が済むのだ。
疲れた様にそう考えていると、アレイスターは人の悪そうな笑みを浮かべていた。
「アスウェル、この世界なら手を出しても見た目以外は犯罪にはならん、安心しろ」
煩い。眉間に風穴あけるぞ。
それからも話は続いて、今までの周回では1月の半ばとしていたレミィの誕生日が本当は1月の11日だと知った後、アレイスターに客として部屋を用意してもらい、解放された。
子供の様な見た目と声で難しい事を言う人間と話しをするのは、正直疲れる。
使用人となるかまだ分からないレミィの様子を見に行けば、客室の一室で女使用人達に遊ばれていた。
「女の子のお客さんが来るなんて久しぶりね」
「いっその事うちの屋敷で働いてくれないかしら」
「早めに予約しておかないと他の所にとられちゃうかもしれないわね」
小さな頭は集まった使用人共の人垣で全く見えない。
そいつは商品でもなんでもないだろう。
近づけば、困った様子のまま構い倒されているレミィと視線が合った。
「あ……」
ほっとしたような表情をされる。
風呂に入れられ現れた後、レミィは使用人の誰かが提供したらしい服を着ていた。
そう言えばこのレミィの頭にはトレードマークとなるヘアバンドが存在しないが、あれはいつどこで手に入れたものなのだろう。
「あら? 貴方は?」
部屋に踏み入って来たアスウェルの存在に首をかしげる使用人達。
訪問客の名前と容姿の情報ぐらい共有しておくのが普通だろう。
「アスウェルだ。連れていく所がある。しばらくこいつを借りるぞ」
レミィの手をとると、逆らう事無くついてくる。
アスウェルの知っている少女は何もせずともついてくるような人間だった。
まとわりつかれてうんざりする事もあったというのに。
それが少し寂しい。
向かうのは屋敷の離れだ。
目的地は、聖域。
この時期は例の女が後継者になった後だった。
前の書き換えられた世界で知った事だが、聖域の主に会うならこの世界でもできるのだ。それも夜を待たずとも。
何度も会ったあのクレファンの顔をした創造主が、「二年前に巻き戻るなら先代と共にいるからそちらの方に要件を」……と言っていた。
講堂の地下にある水場を使って、聖域へ。
「にゃーっ!」
通路を歩いて庭園へ行くなりアスウェルめがけて飛翔してきた羽の生えた猫の攻撃を避ける。それは何だ。悪い虫を退治しているつもりなのか。
かと思えば、レミィとか仲良く遊び始めた猫。構ってほしかっただけだったのか。放っておいて、アスウェルは創造主の下へ向かう。
いたのは予想通りの人物一人、後継者になりたてのクレファンの顔をした創造主。治療もできないお飾りだ。
そしてもう一人は、琥珀色の瞳をした白髪の女性。聖域の主を時代へ明け渡したばかりの先代だ。
「ようこそ、初めまして。それとも、もしかしたら貴方は以前ここへ来たことがおありですか?」
その女は、現創造主と全く同じような口調でアスウェルと話を始める。
とりあえずは、レミィのこれからの事を頼んで想命石をもらってから、巻き戻りのことを伝える。
「そうですか。そんな事がこれから起きるのですね」
アレイスターとは違ってこの先代はあっさりアスウェルの話を信じたようだった。
浜辺で倒れていたレミィを何とかできなかったのかと文句をつけるが、どの道、永遠に聖域には留めてはおけないのだから仕方なかったという。その代わりにアレイスターに救助を依頼したようだ。
創造主と呼ばれる存在でも万能ではないらしい。
その後で、奴隷契約が結ばれた時のことやライトの事が分かった時の事を依頼する。
「分かりました。レミィに契約の反応があった場合は、該当人物について情報が得られた時に、何らかの方法で伝えるように努力しましょう」
努力するでは困る。
必ず伝えてもらわねば。
「ふふ、レミィは良い人に拾われたようですね」
「こいつの主人はアレイスターだ」
別に物として言うわけではないが、そう付け足しておく。少なくとも書類上ではそうなるからだ。
「ええ、知ってますよ。ああ、そうです。治療は無理ですけれど、顔を出すだけならば……」
クレファンと話をした後は、庭園の一画を提供された。
聖域の主の保護の下なら、万が一何かがあっても助力出来るからだという。
聞いていない。
前に説明された時は、万が一がある事など一言も言っていなかったはずだ。
そんな事を言えば、前の時とはレミィの精神状況が違うからだと返って来た。
先代との話を終えた後、現創造主がこちらを見つめている事に気が付いた。
「何だ」
あまり好かない人間だが、相手は創造主。
アスウェルの知らない事を知っていてもおかしくはなかった。
ここで内容を聞き落としたばかりにどこかで苦労するのは困ったので、水を向ける事にしたのだ。
「ええと、少しばかり迷いはしたのですが」
女は珍しくもためらうような素振りを見せた後に、話を続けていく。
その内容はまた、予想しないもの。
「この世界では貴方の妹のクレファンはまだ生きています」
「何だと……」
ああ、そうだ。レミィが禁忌の果実に捕まった時には確実に顔を合わせていたとそう聞いていたのだから、生きていてもおかしくはないだろう。
だから、レミィを助けた後も組織の建物を捜しまわたのだが、見つけられなかったのだ。
「おかしいですね。クレファンはこの事を貴方に話さないと決めたはずですのに」
「俺に、話さないと……何故だ」
「秘密です。卑怯ですが私からは言えません」
口を閉ざしたクレファンはそれきりだ。黙り込んだままで取り合おうとしない。
「……それはあいつの生死にかかわる秘密じゃないのか」
「はい」
ただ一言その質問以外には。
強引に聞く事も出来たが、それ以上の問答は意味のない事のように感じた。
他でもない妹が、話したくないと思うのならその意思を尊重してやるしかない。
やれる事をしなければ。
「こっちに来い」
「……?」
レミィの手を引いて庭園においてある椅子に腰かける。
小さな手を己の手で包んで、レミィの真名を述べて手続きをこなした。
一瞬後、景色が変化する。
日の光の降り注ぐ庭園から薄暗い景色の中へと。
そこは夜闇が満ちていた。
頭上を見上げれば、星々が今にも消えそうに儚く瞬いている。
ところどころ月と似たような球状の物体が浮かんでいるがそれらはヒビが入っていたり、砕けていたりだ。
アスウェルは自分の立っている大地を見る。
草原だ。
だが、それは無限の暗闇の中に浮かぶ大地だった。
その大地はいくつか浮かんでいる。
下の方を見れば、潰れた家屋のある大地がある。
上空を見れば、ごちゃごちゃと物がつめられた巨大な砂時計の置かれた大地がある。
アスウェルのいる大地は草原だけだ。
いや、遠くに森があった。
アスウェルはとりあえずはそこに向かって歩き出した。
内部を進んで行くと、木々が生えない空間があった。
そこには大量のごみが捨てられている。
レミィの姿は見当たらない。
生身の姿ではなく鳥だった頃もあったが、それらしい生物の姿もない。
「まさかこんな得体のしれない場所を進むとは、驚きました」
声に振り返る。
背後にレミィモドキが立っていた。
レミィそっくりの外見に白髪の髪をした存在。
「しばらくはここに来ても何も起こりませんよ。だってレミィの心は一度壊れて、しまったんですから」
禁忌の果実のせいで、元あった人格が破壊され、その修復で猫が付けられたとそう説明してくる。聞いた事ばかりだ。
しかし、壊れた……か。
アレイスターと話していた内容を思い出す。
最初から組織にいたのなら、厳しい状況にいたという事になるのだから壊れる、などという事になるはずがない。
そうするとやはりレミィは別の世界の人間で、どこかで普通の暮らしをしていたことになるのだろうか?
「治療にはどれくらいかかる」
「そうですね。環境にもよりますけど、ここをまともに歩こうとなると、ざっと半年ぐらいしないといけませんね」
アスウェルが何かをしようにも今出来る事は何もないらしかった。
レミィモドキは頭上でまたたく星々を仰ぐ。
「でも、これでもまだましな方です。前は真っ暗で何も見えませんでしたから。草原ができたのは貴方が心を繋げてくださったおかげですよ」
何の意味もない事にはならなかったらしい。
その事実にわずかばかりの安堵を得る。
アスウェルのしたことがどれくらいレミィの回復に貢献したかは謎だが。無いよりマシな所だろう。
そう思っていると、レミィモドキがこちらの事をじろじろ眺め出した。
前に後ろに。
角度が大事なわけでもあるまいし。
そそっかしく身動きがせわしない所は、レミィによく似ている。
「データーが多すぎて、受け入れに時間がかかりそうですね」
繋がっていると言うのだから、アスウェルの記憶を見れば、巻き戻りの時の事も共有できるだろう。
「貴方はレミィの何なんです? こんな所に来るくらいなんですから、悪い人間ではないことは確かですけど」
「あいつは俺の大切な人間だ」
「本気で言ってます?」
巻き戻りの記憶を反映してないレミィモドキからみれば、アスウェルは出会ったばかりの人間だ。そう思うのも無理な事ではないだろう。だが、嘘をついて誤魔化す事はしなかった。心が繋がっていると言うのなら、そういうこざかしい装飾を付けるのは得策ではないだろう。
「まあ、いいです。これから頑張ってください。見てますから。そして最後までちゃんと見てあげてくださいよ。そうすればきっと分かりますから、全てが」
最後にそう言って目の前の景色が滲んでいく。




