11 裏返しの心
逃避の行く先。
たどりついた帝国は最悪の状況だった。
奴隷契約の件からも分かるとおり、帝国に住む人間は魔人を下に見ている。
そんな今の帝国では、魔人狩りが起きていた。
ある有力な貴族が魔人に殺された事がきっかけで起きたそれは、長く尾を引いて続いているらしい。
当然オリジナルの歴史にはなかったことだ。
魔人であるレミィはそんな状況の帝国に来てしまったのだ、行動する際には細心の注意を払わなければならないだろう。
魔人狩りは、もはやターゲットは完全な魔人だけではなくなっている。
疑わしきは罰せよと考える者や、この際に都合の悪い人間を消そうとする人間達の思惑が絡み合っていて、ただ通りを歩いているだけでも危険に曝されてしまうようで、それなりに人口の多いはずの帝国の通りからは多くの人影が消えていた。
7月5日
だが、そんなただでさえ最悪な状況にさらに不幸が舞い込んでくるとは誰が思うだろうか。
最悪だと思っていたが、もっと状況が悪くなるなどとは誰もこの時は思っていなかったし、思えなかっただろう。
「アスウェルさん、おかえりなさい。どうでしたか」
宿の中、返って来るとレミィが出迎えて、アスウェルの元へとやってくる。
コートにしがみついて……ではなく脱がして、埃を扉の所で払う。
歩き周ったので、汚れがついていたらしい。
細かい事が苦手なくせに、こちらの世話を焼きたがるのはこんな状況でも変わらない。
アスウェル達は移動したくとも、帝国の外に出られないでいた。
軌道列車で帝国に着たその日、帝国は封鎖されたからだ。
魔人を外に逃がさないために、出入国が制限されて数日経つ。
今この国から出ようとするものは否応なく検問にかけられる事になる。
通りを歩いて見て来たが、頻発する騒動に過敏になっているらしい帝国軍は話の通じる状況ではない。
魔人の存在がばれようものなら問答無用で始末されてしまうに違いなかった。
レミィを外に出す事すらできない状況の中で
アスウェルにできる事と言えば、一人で外出して、情報を得て、必要な品を買い込んだのち、隠れ家に帰って来る事だけだ。
コンナナカデレミィがアスウェルの事を忘れないでいてくれるのは助かるが、大人しく待っているような聞き分けの良さを発揮しているのはひっかかった。
後は、態度が妙だった。こちらと接する時に戸惑うような、様子を伺うような気配がするのも。
「あの、アスウェルさん、……これを外してくれませんか」
レミィは首元に手を当ててこちらへ訴えかけるが、アスウェルには意味が分からない。
「何をだ」
「……やっぱり、見えていないんですね。……何でも、ないです」
そう言ったきりレミィはこちらへ向かって何も喋らなくなる。
部屋には無言の沈黙だけが満ちた。
ずっと部屋にいてストレスがたまっているのかもしれないが、魔人であるレミィを外に出す事は出来ない。
しばらく我慢を強いる事になるのは申し訳なかった。
「私の心と繋いでいるせいで、アスウェルさんが……」
こんな危険場場所には長々といられない。帝国を何とかして出なければ、その次はどこに向かうべきかと考える。
いつレミィの事がばれて、部屋に踏みこまれるか、危害を加えられるか、心配でしょうがなかった。宿の人間にも、極力姿を見せないようにしているが。どこから情報が洩れるか分からない。
「私のせいで……」
「お前は何も心配しなくていい。俺が何とかしてやる。だからここで大人しくしてろ」
「……」
早くどこか、危険のない場所へ。
安全な所へ向かわなければならない。
7月7日
次の日もレミィを置いて外に出ていた。
けれど、やる事は今までとは少し違う。
とうとうクレファンの情報を手に入れたのだ。
禁忌の果実の拠点の情報。
帝国にまだ調べていないそんな場所があったらしい。
記憶の中のどこかの巻き戻りで、レミィを見つけた場所とは違う場所。
おそらく新しく作られた場所だろう。
調査した情報によると、過去の活動の痕跡が見当たらないらしい。
ようやくだ。
奪われた家族と再会できる。
この手で触れて、抱きしめることができるのだ。
自由にしてやれる。
会ったらまずはなにを言おうか。
何をしてやれば喜ぶだろう。
そして、叶う事なら、クレファンと……。
……だが。
そんな幸せな幻想はすぐに打ち砕かれる。
この世界はそんなに甘い結末を、アスウェルに許してはくれなかった。
「っ……」
禁忌の果実の拠点の一つ。そこで妹の、クレファンと再会した。
いや、それは再会などと呼べるものではなかった。
人形だ。
夢にまでみた生きた妹はもはやどこにも存在しない。
よくできた装飾品のごとく飾られたクレファンは、冷たく、息をしていなかった。
周囲には、容器に入った保存液。そしてその中に浮かぶ、とりだされた体の中身。
「く……は……」
分かっていた。
もう、どれだけ足掻いたところで、妹は助ける事が出来ないのだと。
一度記憶の中で思い出していたではないか、もう無理だった。遅かったのだ、決定的に。
一体どれだけの時間があれから過ぎたと思っているのだろう。
どれだけ頑張ったところで間に合いはしなかった。結末はあらかじめきまっていたのだ。
だが、それでも。
希望があるなら探さずにはいられないではないか。
生きているかもしれなのなら、助けたいと思うのが普通ではないのか。
だから、その果てにたとえ、絶望が待っていようとも、恐れずに突き進むしかなかった。
結果、これだ。
突きつけられた、逃れようのない真実がこれ……。
こんなものだ。
「く、くく…………」
「アスウェル」
絶望に沈んで行きそうになるアスウェルに声が聞こえた。友人の声だ。
なぜここにいる?
死んだはずではなかったのか。
アスウェルの脳が見せた幻だろうか。
それとも馬鹿な人間が忘れられず、化けて出て来てでもしたのか。
様々な疑問が頭をよぎった。
けれど、一瞬でどうでもよくなる。本当に、今そんな事はどうでも良かった。
「……クルオ。俺は、どうすれば良かったんだ。お前の言う通り復讐をやめて、平穏な日常とやらを送っていれば良かったのか」
無理だ。
そんな事は無理に決まっている。
送れるはずがない。
俺がクレファンを忘れるなんてありえない。
妹だったんだぞ。俺の。大事な。
忘れて、普通の日々を送るなど、できるわけないだろう。
軌道列車の事故に巻き込まれて、アスウェルはクルオに助けられて命を取り留めた。
生きているのなら俺はまだ復讐しなければならない。
だからこうして俺はこの場所に足を運んだのだ。
……?
復讐を?
ああ、そうだったのか。
俺は最初からクレファンが生きているだなんて信じていなかったのかもしれない。
信じていれば、復讐に生きるなどという言葉を使うわけがない。
復讐を優先事項として行動するわけがない。
アスウェルは、ただ自分が楽になりたい為に、無力でいたくない為に、復讐の道に邁進していたのだ。
アスウェルのそれは、レミィの復讐よりも、質の低い。
もっと利己的な、醜い何かだ。
クルオはこんなどうしようもない人間を助けなければ良かったのだ。
馬鹿な友人など放っておけばよかった。
……アスウェルにはもう、ここから進む理由がない。
家族は皆、死んでいた。
取り戻しようがなかった。
そして、己の心の内に気づいてしまった今、再び復讐の道を歩く事などできるはずがない。
銃を抜く。弾は装填されているようだ。右手を上げて、こめかみに銃口を当てた。
「アスウェル! 駄目だ!!」
だが、引き金を引くより前にクルオに奪い取られた。
「君はっ、何を考えている!」
「……何を、だと。何もだ。もう何も考える必要はなくなった!」
どうやって情報を得るだとか、次はどこを調べるだとか、そんな事をもう考える必要などなくなった。
明日の事を考える希望など、アスウェルからは失われてしまったのだから。
「だから、もう俺を死なせろ! 言っただろ、お前の友人はもう死んだ! お前の目に映るのは生ける屍に過ぎない! だから、大人しく死んでやるんだよ! そうすればお前も馬鹿な人間を止めるために捜して歩かずに済むだろうが!!」
銃を奪おうとする、クルオは抱え込んで奪われまいと抵抗する。
取っ組み合いになる。何度も殴った。殴られた。
華奢な体格をしているわりに殴り合いのケンカになると、妙にいい所に拳を入れてくる。
こいつには昔から手こずらされた。
「甘えるのもいい加減にしろよ。どうせ止められるのが分かってやっているくせに。叱られたいなら他を当たれ!」
何だと。
この絶望が、この気持ちが本物でないと言うのか。
「ああ、そうだ。冷静になれ、君は自暴自棄になってるだけだ。君がそんな風になったって、クレファンだって喜ばない!」
「そんな事俺が一番よく分かっている。だが、アイツはもう生きてはいないんだ! 生きていなければ全部意味なんてないだろうが!! あいつを思ったって無駄な事だろう」
「無駄なんかじゃない!」
銃は奪えない。クルオが離さないからだ。
いくら邪魔者を排除したからと言っても、いつまでもこんな場所にいていいはずがない。
だが、アスウェルはすっかりその事を忘れていた。
ここはまた禁忌の組織の建物の中。
危険だったのに。
そんな事を忘れて言い争いに夢中になる。
「無駄ないわけないだろう! 意味がないなら、君はクレファンが生きてきた時間さえも無意味にするつもりなのか!!」
「…………っ」
「おじさんだって、おばさんだって、お前に毎日健やかに成長してほしいと願っていたはずだ。そんな日々ですらお前は意味がないと言ってしまうのか……」
「……」
アスウェル。
明日を得る。
生まれた日に名づけられた俺の名前だ。
そしてアスウェルの真名ミライ・エターナリア。
明日が続く限り幸せに生きてほしい。
そんな両親の願いが込められてできた、真なる名前。
「死んだ人間を思う事は、いない人間を思う事は無駄なんかじゃない。だって、そうだったら悲しすぎるだろう」
いつしか、銃を取り返そうとする手は止まっていた。
「俺……は」
「どんなに辛くても、絶望しても。君は生きて幸せにならなきゃいけないんだよ。おばさんや、おじさん、クレファンの為に……」
立ち上がったクルオに手を差し伸べられる。
「そして、レミィちゃんの為にもな。だから、アスウェル……これから、は…………」
アスウェルがその手を取ろうとしたとき……。
どこかで警戒を促すような甲高い鳥の鳴き声が聞こえた気がした。
その直後、乾いた銃声が室内に響く。
クルオの体に風穴があいて。目の鮮やかな真っ赤な血が、飛び散ってアスウェルの体を汚した。
生き残りがいたのだ。
油断した。
クルオの抱えていた手から銃をもぎとって、背後からの強襲者を振り向きざまに打ち抜く。
「おい、しっかりしろ」
生きろと言った傍から、死にそうになるんじゃない。
だから、こいつとは友人でいたくなかったのに。
「やっぱりそう思っていてくれたんだね。僕がそうするのは君と友人でいたかったからだよ。それより……僕の事はいい、よっぽどの事が無い限り死んだりしないはずだ。君は……帝国に戻れ。もうじき、グラン・ロードが起動すると、聞いた。帝国は、魔人達を滅ぼそう、と……」
「放っておけるか」
クルオを抱えて、拠点から移動する。
何度も言うが、見捨てるくらい思い切りが良かったら、こうやって何度も過去をやり直したりはしない。
「本当に、君は……しょうもないな。けんかっ早くて、賭け事に夢中になりやすくて、気に入った人間の贔屓が過ぎて、そしてお人よし……。人間らしい、血も涙もある復讐者。そんなだから放っておけないだ」
目的だけに生きようと、必要なことだけ見つめていようと冷酷な復讐者を演じていたアスウェルが馬鹿みたいではないか。
言い返したい。
断固として、こちらは反論の意思だ
好き勝手な事を言うな。俺はそんなどうしようもない駄目人間なんかじゃないぞ、と。