08 絡み合う思惑
宿に戻って来て、クルオに事情を説明する。
レミィは目を離せないので、部屋の隅のベッドの上だ。
疲れたのか今は大人しく眠っている。
宿にかえっても、レミィは相変わらずアスウェルには寄ってこないままだ。
「それにしても過去に戻るとか眉唾ものねー」
初めの内は誤魔化していたが、情報屋をやっているだけあってフィーアの勘はとにかくするどく、事情を偽る事が出来なかった。
ネクトに所属していた事も、ささいな嘘や誤魔化しを見破るのが得意で、よくそれを間近で見せつけられたと思い出す。
そういうわけで、とうてい普通の人間が信じられないような事情を、アスウェルはあらいざらい吐かされる事になってしまった。
「まあ……でも、いいわ。嘘じゃなさそうだから。信じてあげる。だけど、アンタ達これからどうするの?」
疑問を投げかけるフィーアは眉唾ものだと言ったにもかからわず、一応信じるようだった。
「それに関しては僕の説明を聞いてから考えてほしい。例の調べ物、結果が出たんだ、まず本題じゃない方から……」
薬学士の端くれでもあるクルオはできる限りの手を尽くして、レミィと、そしてついででアスウェルの体調について調べ上げた。
その結果が出たのが、つい先程だと言う。
「ありえない。ありえないほどの毒素が君達二人の体から検出された。普通だったら生きているのが不思議なくらいの量が、だ」
クルオは信じられないという様子でアスウェルに説明する。
ベッドの上で眠っているレミィが聞いていないか心配そうだったが、場所を移して目を離すわけにもいかない。
「アスウェル、よく聞いてくれ。検出したのは、今はもうほとんど存在しない毒姫の毒だ。それも、危険濃度で」
冗談を言うなと、そう言いたい。
なら何でアスウェルはこうして無事なのだ。
一度息を吹き返した事のあるアスウェルには多少の耐性があるらしいが、それでもベースは人間の体だ。
医者……ではなく薬学士が顔を青ざめさせるような毒を喰らって生きていられるわけがない。
そもそも毒が存在しないとはどういう事だ。
このイントディールに生きている人間はそれに困らされて、身近な人間を異形の化け物なんかにされてるのではないのか。
「軍内部では、一般常識なんだけどね、実は毒姫の毒はもう蔓延してないのよ。話が長くなるから詳しくは言わないけど、良く町で起きる異形化は別の要因だってことよ」
フィーアが付け足す様に言うのは情報屋の活動で得たものだろう。
油断ならない普段の性格はともかく、正確でない情報を売りつけたためしのない人間が真面目な顔で言っているのだ。信憑性は高いはず。
「ああ、こんなに最悪の結果になるとは思わなかった。オリジナルの歴史の、廃墟の屋敷が君が話したふうになったのは、特別な事があっての事だと思っていたのに、まさかこの時間から日常的にそんな状況になっていたなんて」
そして、クルオも冗談を言うような人間ではない事はよく分かっている。
目の前で顔を蒼白にしているそいつは、アスウェルが宿に来る前に屋敷でくすねてきたクッキーの小包を目の前に置いた。
そして、レミィが屋敷のかかりつけの医者から処方されている薬も。
「これらは毒物だ。たぶん、路傍に放っておいたらアリの死体の山ができあがるだろう。使用人達は毒にならされているぞ。それが食べ物だけでなく、薬からも出るなんて、ライズとか聞いたけど、アスウェル……屋敷にいるその人は医者じゃない」
そう述べるクルオの顔は、復讐の道に突き進んでいたアスウェルの前に立ちはだかる時と似たようなものだった。正義感と、心配と、怒り。いや、その時は悲し気な色も含まれていたが、今のものはそれがない。
ライズ。
平然とした顔で屋敷の医務室に居座り、医療行為をしていたあの人間が医者ではない、と言ったのかクルオは。
ならばあいつはなんなのだ?
眼中になかったがあいつも、ボードウィンの協力者なのか?
もう、誰が味方で誰が敵なのか分からなくなりそうだ。
しかしそんなアスウェルを待ってくれるような時間はなかった。クルオの話はそれだけではない様だ。
「続けさせてもらうよ。屋敷には毒物で溢れていると思う。……そしてこれは推測になるけど、そこでは微弱な電磁波も常から発生している。君の装備品に、電磁波に影響する物質があったから調べておいたんだよ。だからあの屋敷は日常的に有害な物であふれかえっている事になるんだ」
日常から、あんな事が起こってる?
アスウェルの、体の中が激しい痛みに襲われたり、腕が焼けただれたり、溶けたりするような……。
あんな異常な状態に?
装置を探して壊せば何とかなるのではなかったのか。
あいつ等がすでに影響を受けてしまっているとしたら、ここまで巻き戻っても助けられない。
「何それ、何でそんな事になってるの? というかそこにいる人大丈夫なの?」
しばらくは大人しく聞いていたフィーアが、アスウェルも抱いた疑問を口に出して尋ねる。
そうだ、見た所レミィを除いて体調を崩しているものはいなかった。
唯一レミィに今まで起きた変化でさえも、奴隷契約や禁忌の果実の時に捕まっていた後遺症という理由がある。
「それは分からない。だか、仮説は立てられる。毒物と薬は表裏一体だよ。だから、似たような薬の成分で慣れさせたのかもしれないし、微量な影響で、毒も電磁波も耐性を付けさせていたのかもしれない。それなら、変化は緩やかのはずだ」
屋敷から極力出ないようにさせられている使用人達。
それは、その変化に常に置かせておいてならす意味もあったのかもしれない。
クルオはそこでいったん言葉を区切り、一息。
情報屋であるフィーアの確認を取る様に顔色を窺いながら、話の続きを述べて言った。
「君は知らないだろうけど、昔……強力な電磁波と大量の鉱石を使った実験を帝国が行っていた事があって、その時に似たような悲劇が起きたらしい。最初はみんな体の異変に気が付かなかっそうだよ」
「ええ、そして結果は散々だったわ。ラキリアも知ってる。人間とは思えない姿になってしまったって話」
「……」
嘘であったら、どれだけ良いかと。二人の表情はそう述べている。
信じがたい話だ。だが噂の類いではなく、はっきりとした真実らしい。
しかし、これは帝国の技術を、禁忌の果実が応用した事になるのではないか。それは問題だった。
奴らの技術は思った以上に、高いらしい。
いや……。
「帝国と、禁忌の果実は繋がっている……?」
よく思い出せ。
心域で再生されてた過去の回想で見た資料。
レミィの考えた、毒の巨大生物兵器グラン・ロードとやらは、帝国の状況に利する様に魔人達の多い貧民街を攻撃していた。
レミィの心の中で知った事だが、それは禁忌の果実が持っているべき兵器だろうに。帝国が利する様に使用しているのはなぜか?
奴らに利はないはず……。
「アスウェル、歴史の勉強は一般並みにしてるわよね? ……レジスタンスによって、遥か昔に管理社会を築いていた神威帝国は滅んだ。そして、ラキリアの調べによればその時活躍した英雄達は、神威帝国からいくつもの重要な情報を抜き取ったらしいわ。その情報をもとに、聖域が作られたらしいの。裏を返せばそれは……、かつての帝国に聖域やグラン・ロードの情報があったと言う事。この意味分かるわよね」
帝国はグルだったのだ、禁忌の果実……犯罪組織と。
奴らの実態がなぜ容易に掴めなかったのか、なぜ長きにわたって潰されなかったのか、なぜ生き残った者が少ないのか。強力な国が背後についていると言うのならそれも分かる気がした。
歯がみする。
何故どいつもこいつもよってたかって、アスウェル達の邪魔をしたがる。
帝国に、禁忌の果実に、ネクト、そして屋敷。敵と難題が多すぎだろう。
そんな様な事を心の高ぶりのままに口に出して話せば……。
それほどまいった様子を見せないでいるフィーアが、考えながら言葉を口にしていく。
「情報の整理が必要よね」
普段全く見ない理知的な光を瞳に宿したフィーアは、仕事に誠実な情報屋の人間として、上がった項目を丁寧に整理していく。
帝国は雷光の装置を用いて、人体実験をする。そして過去の実験を含めて考え、それらの実験結果を出したらしい物が、毒の兵器。
禁忌の果実は、毒姫の毒を騙り狂想化と言う被害を各地で出しながら、毒の研究を進めて第三計画……おそらく人間の魔人化を進めている。その結果が途中段階で、未来ではレミィを死神にして、イクストラに最終的には憑依させる。
「それらの問題が複合しているのが屋敷の問題ってわけね」
情報を扱うプロだけあって、簡単にまとめてくれる。
言葉にするだけなら、こうも短くなるのだが。
「悲観的になったってしょうがないわよ。適度に軽く考えなきゃ」
事情を話しておいて今更だが、フィーアを巻き込んで良かったのかと思う。
こちらの事情に巻き込む形になってしまったと言うのに。
突拍子もない話を聞かせた自覚があるのだが、やけに協力的であるのはなぜだろう。
「だって、アンタみたいな一匹狼気取ってた奴に掛けられた信頼なら応えてあげたいじゃない。それにほっとけないのよ」
アスウェルの身近な人間は、大概お人よしばかりだ。
しかし、信頼か。
ライトに裏切られて、誰かを信用するような事になるとは思わなかったが、これはそう言う事なのだろうか。成り行きに流されただけに見えるのだが。
「だからいつも言ってるじゃないか。復讐なんて止めるべきだって。無理があるんだよ、君はそう見えてお人よしなんだからな」
屋敷にいる侮れない使用人にも言われたような事だ。
だが偉そうに言ってくるクルオに言ってやりたい。
お前が言うな。
そこまで話したが、まだ本題には入っていない。屋敷についての話や各組織の思惑については一旦おいておき、薬学士としてクルオは続きを話した。
「そして本題に入るけど、レミィちゃんの症状は奴隷契約の物だと思う。そうとしか考えられない。リセットされたけど、たぶんまた契約しなおされたんだ。紋はないんだよね。目に見える所には」
「ああ」
確認して困らない所はすでに確認してある。
それ以外の困る所は……自己申告だが。
紋などなかったはずなのだが。
クルオはフィーアに行ってある場所を確かめさせた。それは表面的には見えない場所。体の中。詳しく言えば口の中だった。
「一応女の子だから、僕が確かめるのも嫌かなって」
お前は何を赤くなっている。たかがそれぐらいで。
しかし、そこは盲点だった。
分かりにくい所に出たら、奴隷の身分証明にならないだろう。
「そんな事アタシに聞かれても、レミィちゃんが特別だからなんじゃない?」
規格外なのは、戦力と性格で十分だ。そんなところまでならなくたっていいだろうに。
気づけていればと思うが今更だ。
しかし、これで確定した。
レミィは何者かに契約されているのだ。
「奴隷契約では、命令の強制と記憶の管理だけ、じゃないのか人の心に干渉する事など可能なのか?」
その筋はあらかじめレミィとした会話で考えてはいたものの、やはり手放しでは信じられない。
アスウェルの発した疑問に答えたのはクルオじゃなく、またもフィーアだった。
「アスウェルは別のアタシから聞いたんでしょ。真名を使った精神の繋げ方。奴隷契約でも治療みたいな事はできるのよ。ちょっとしたコツがいるけどね。二つの物は一見してみると大分違うもののように見えるけど、実は基本はまったく同じものだから」
同じ事ができる?
毒と薬は同じなら、治療も危害を与えることも元は同じと言う事か。
フィーアは表情を曇らせる。
「奴隷契約でもコツを使えば心に干渉できるわ。けれど、アスウェルの方法と違うのは、両者の立場が分かれるという事よ。奴隷契約を交わしてしまうと、契約主……相手の方が立場が上となってしまう。だから、好き放題の行為を許し、結果的に被害を与えてしまうことになるの。それで心の中を荒らされてしまう……。そうなると、その子はね……精神的なダメージを受けてレミィちゃんみたいになってしまうの。私の知り合いの魔人にも、そんな子がいたわ」
アスウェルはいつも能天気にしている所しか見ないフィーアを見つめる。
どうしてこう浮かれている様にしか見えない奴に限って、そういうものをせおったり背負わされた里するのだろうか。アスウェルには人を見る目が無いのかもしれない。
逆に考えれば、そういう境遇を乗り越えてきたからこそ、今があるという風にも思えるか。
だとしたら、レミィが一見して無邪気そうにしてられるのも、歪ながらでも起きた不幸から生き残って来た故なのかもしれない。
「フィーアさんが言う通りだ。奴隷契約でも、人の心に干渉する事ができるはず。ああ……先に言っておくけど、この現象は普通の手段じゃ何とかする事はできない。むしろ下手に介入しようとしたら、繋がった人間も巻き込みかねないんだ」
「……」
アスウェルの不満を読み取って釘を刺す様に言葉を述べるクルオも、何もできないという現状に悔しさを覚えているのは同じだろう。。
自分達に何もできる事がない、という現実はなかなか堪えるものだ。
だが、どうにもならないわけではない。
ややあって、アスウェルは結論を出した。
「殺せばいいのか」
「え?」
「まさか、アスウェルあんた」
こいつらの前でそんな短絡的な言葉が自分の口から出た事に、少し驚いた。
普通の手段では解決できないと言うのなら、直接そいつを排除してしまえばいいと、疑いもなくアスウェルはそう思っていたのだ。
部屋を出て行こうとするこちらをクルオが引き留める。
手段を選んでいる暇などない。怪しい人間を片っ端から殺して行けばレミィが助かる確率はうんと上がるのだ。相手は死んで当然の人間。躊躇う必要などない。
「駄目だ、アスウェル。復讐なんて」
「ならお前はこのままあいつが弱っていくのを黙って見てろというのか」
「それは……」
復讐なら口やかましくなる友人も、人の命がかかっているとなっては、口を重くするしかない。
そんな口論の影響か今まで静かにしていたレミィが、動き出した。アスウェルの服の袖を掴んでくる。まるでこちらの行いを制止するように。
レミィはこちらを見て口を開く。
「駄目です……。行かないで、ください」
そこに最近のような怯えた様子はなかった。
弱々しい光を宿しながらも瞳には確かな意思がある。
「行っちゃ駄目です。一人で行かないでください。私は……」
「……すぐに戻る」
不安げな視線から、逃れる。
けれど譲れない。
アスウェルはそれ以上何も告げずに、宿の部屋を出て行った。