15 悪意の景色
レミィを休ませるために布団に潜ったはずだが、眠気にまけてしまったらしい。
「ここは、どこだ」
気が付いたら違う場所に立っていた。
聖域に行ってからたまに来るあの平原と似ているが、少し違う。
見渡す限り続く草原は枯れ果てて、遠くに見える森も葉が全て落ち木は立ち枯れているようだった。
近くには、巨大な鳥かごが置かれており、中身は緑の羽が数枚散らばっていた。
背後を振り返ると、そこには水晶屋敷があった。確か以前はなかったものだ。
レミィモドキの姿はないが、ここがレミィの心の中だというのならこの景色の変化には不穏な物を感じる。
いつも木の実をくわえて舞い降りてくる緑の鳥の姿はどこにも見ない。
一度も遭遇しないままに、アスウェルは水晶屋敷へと向かっていく
建物の内部はおかしな内装になっていた。
床や天井が毒々しい色使いになっていて、鉱物などの代わりに、よく分からない人体の一部を模した装飾が趣味悪く飾られている。感性を疑った。何だこれは。
屋敷の中を歩くが鳥の姿も、レミィモドキも、レミィの姿もない。
だが、使用人達の姿はあった。
「あの子って本当、要領悪いわよね」
「何で、あんな奴がこの屋敷にいるんだろうな」
代わりに耳に聞こえてくるのはレミィの悪口だった。
口を開けば皆、使用人達は皆レミィの事を悪く言って言う。
レンが、アレスが、使用人達が、普段レミィを構い倒している連中が、悪意を述べる光景がそこにはあったのだ。
「レミィは、あいつはどこだ」
連中の前に出て言って、行方を尋ねる。
今までレミィ自身の姿をこの世界で見た事は一度もないのだが、こいつらなら何か知っていてもおかしくないと思ったのだ。
「あら、アスウェル様。いらしてたのですか、レミィはどこに行ったんでしょうね。まあ、いない方がいいとは思いますが」
だが当てははずれ、聞きたくなかった言葉を再度聞かされる羽目になっただけだ。
「さっきの言葉は何のつもりだ」
「あら、つまらない事を聞かせてしまって申し訳ありません。お客様の前で私語にかまけるなんて使用人失格ですわね。深くお詫び申し上げます」
そう言う事を言っているのではない。
謝罪の言葉を口にして、深々とお辞儀をするレンとどこか他人行儀な連中を見て、アスウェルは思った。
これは違うのだ、と。
夢の中なのだから本物ではないだろうが、改めて今この時にそう思った。姿かたちが似ていても、全くの別物。こいつらは中身の無いまがい物だ。
こいつらがレミィを邪見にするはずがない。悪口を言うはずがないのだ。
オリジナルの世界を含めても一か月ほどしか接していないが、アスウェルにはそれが分かっている。
そうでなければ、誰が全てが終わってしまった後でも、気にしてやるか。
レミィだって、ここにいる人間が本物のレン達だったら屋敷に残ろうなどとは考えなかっただろう。
なら、質問を変える。
「ここは、何だ。どういう場所だ」
「どうと申されましても、ボードウィン様の屋敷ですとしか……」
「夢の中の、か?」
「ああ、そういう意味でしたのね。ここはレミィの心の中……心域。その中ですわ」
通じるだろうかと思ったが、正確な意味が伝わって助かった。
答えは想像した通り。
「貴方の言うレミィモドキさんやクレファンさんが以前おっしゃったように、今アスウェル様はあの子の心と繋がって、心の中を歩いている状態なのです」
心の中だと言うのなら、どうしてこの場所はこんなにも前と変わってしまっているのか。
「それはもう分かった。なら、変わった原因はなんだ、ここはどうしてこうなっている」
間違ってもレミィの趣味が反映された世界ではないだろう。
あの少女が模様替えをするのだったら、もっと賑やかしくて騒がしい場所にするに決まっている。
「さあ、どうしてでしょう。それを解明するのがアスウェル様のここでの大事なお仕事ですわよ」
とぼけたように受け答えするレンは、答えを教える気が無いようだった。
そんな手がかりのない会話をしていると、身の回りの景色が僅かに歪んでいく。
「けれど、貴方が前に来られた時とはずいぶん景色が変わられたようですわね。これは何らかの影響によって内部で心域の変遷が起きた為ですわ」
「変遷……?」
「ええ、大きな出来事が起きたり、刺激を受けたりすると起きるものです。詳しく言えば他にもありますけれど、大体はそんなところですわね。ちなみにレミィが最近起こした変遷は二回です。ついこの間まではここはお祭り会場でしたわ」
祭り、というと……この間見に行った風調べの祭りか。
あのはしゃぎっぷりを見れば影響を受けた事に納得できないこともないが、あの後レミィは……。
何があったのかも分からずに唐突に倒れたのだ。
起きた時は少しだけ様子がおかしかったが、何をどうすればこうなるのか全く分からない。
あいつは一体どうなってしまっている。
「レミィに何があったらこうなるんだ」
「ですから、それは私の口からは言えません」
使えない奴め。
レンは、現実と寸分たがわぬ容姿でおっとりと頬に手を当てて笑うのみだ。
他の所から尋ねるしかない。
「なら、その変遷とやらの間隔はどのくらいあった」
「……そうですね、これくらいなら話してもいいでしょう。前との間隔は1時間ほどです」
「……」
祭りの最中にレミィは心境を変化させて心の中で変遷を起こし、おそらくだだっ広いだけの平原をお祭り会場にした。
そして一時間経った、祭りの最後、花火を見物しに待っている時、二度目の変遷が起きて、お祭り会場がこんな悪趣味な屋敷のある世界へと変わってしまった、と言う事か。
「あのお祭り会場のままでしたら、レミィの回復力も高まっていたはずなんでしょうけれどね……」
やはりレミィが倒れたあの瞬間に、やはり何かが起こったのだ。
表で見ただけでは分からない何かが。
禁忌の果実が行った実験の後遺症……か?
だが、それなら医者であるライズが気づかないわけがない。
分からない。もう一度、聖域に言ってみるべきだろうか。
「重ねて申し上げますけれど、何が起こったかは私達からは言えませんわ。私達はしょせんレミィが作り出した幻ですもの」
所詮幻でいるだけの存在。役割に忠実な人形みたいなものか。
どうにもできない歯がゆさに焦れていると、周囲の景色が薄らいでいく。
「あら、お目覚めの時間ですわ。正式なやり方で入って来てませんから、短いのですわね。向こうのレミィによろしくとお伝えくださいな」
悪口を言っておいてよろしくはないだろう。
勝手に呼んでおいて終わらせるなと言いたかったが、生憎文句を言うだけの時間すらないようだった。
意識が夢から現実へと移動していく。
目を覚ましたら、自分の部屋ではなかった。そうだ、レミィの部屋だ。
腕の中で眠っていたはずの少女の姿はない。時間はどれくらい経ったかわからないが、感覚ではそんなに経っていないようにも思える。
外したヘアバンドがなくなっている、また仕事でもしに行ったのか。
今見たものについて深く考えようとすると、ため息が出てきそうになる。
アスウェルが知る限りは、屋敷の本物の使用人達はレミィに良くしているようだった。だから奴らが何かしたわけではないはずだ。
ベッドから身を起こして、部屋の棚に並べられている人形の方へ向かう。
金の髪の人形の隣に、焦げ茶の髪の人形がある。たぶんアスウェルを模したもの。
給料の使い道がないとか言っていたくせに、何を買ってるんだか。
見まわせば、それ以外の私物はほとんど部屋にない。
ふと視線を向けた先、物書き様に置いてある机には、小さな時計があった。
「これは……」
アスウェルが誕生日の時、妹にもらった時計と似たもの。
そういえば、聞くのを忘れていたままだった。
あいつ自身がびっくり箱をそのまま人間にしたような存在だったから、つい後回しにしてしまっていたのだ。
妹の物は偶然拾ったものを修理したものだが、レミィはこれをどこで手に入れたのだろう。
それとも、最初から持っていたのだろうか。
部屋を出る際に、レミィと同じ髪色をした人形の頭を撫でてみる。
手触りは本物の方が良かった。
見つかるとは思えないが、今度本物とお揃いのヘアバンドでも人形用に買ってきてやればレミィは喜ぶだろうか。
それがささやかでも気休めになるのだとしたら、探す手間は惜しまないのだが。