14 予兆
希望に満ち溢れているとはさすがに言い表せなかったが、それでも期待はあったのだ。
前に進めるだろう。次の場所へ行けるだろう。
そんな期待が。
けれど、つかの間見た夢は裏切られる。
抗ってきていた現実は、変わることなく非情だった。
絶望が音を立てることなく、背後の……すぐそこまで迫って来ていた。
1月20日
不穏の気配を感じていた。
何か良くないものが足音を消して近づいてきているような、気配。
気のせいかと思いはしたが、気配は無くならない。
それらはすぐに、現実となった。
数日後の20日、異変は目に見える形で現れた。
「レミィ、大丈夫? 顔色が悪いわ、少し休んだらどう?」
「……平気です、私は大丈夫ですから」
「けれど……」
鉱石保管庫を掃除する二人の使用人、レンとレミィ。
レンは心配そうに、レミィの方を見ている。
檸檬色の髪の少女は最近ずっと顔色が悪く、業務をこなす動作がぎこちなくて精彩を欠いていた。
それは、この世界で半月と少しばかりしか接していないアスウェルにも分かるほどだ。
部屋の外からその様子をしばらく窺っていたのだが、見ていられなくなってレミィの首根っこを掴んで部屋から引っ張り出す。
「レン、こいつは借りてくぞ」
「はいアスウェル様。レミィの事お願いしますね」
「……アスウェルさん?」
反応が鈍い。
いつもなら兎が跳ねる様に驚くか、駆け寄って来るところだというのに。
小柄な体を捕まえたままアスウェルは、弱った兎を少女の私室へと運んでいった。
目的の場所にたどり着きドアを開けると、当たり前だが部屋には少女の私物がある。
射的屋で当てた大きな動物のヌイグルミに、誕生日にアスウェルの買ってやった人形。何故かその隣にはアスウェルによく似た人形が置いてある。自分で買ったのか。……嬉しい。が、喜んでいる場合でもない。
こうしてみると、人形類ばかりが置かれているように見える。
レミィにとっては嫌いな物ばかりが増えていく形となっているが、部屋の主がそれらを嫌ってないのが救いだろう。
「寝ろ」
「あ、でも……お仕事が、頑張らないと」
そんな具合で部屋の入口でレミィが我が儘を言い続けるので、部屋の中へと入れるべく背中を押した。
「そんな状態でうろちょろされる方が迷惑だ」
「でも……でも……。そんなの駄目です」
「……」
レミィは俯いて顔を合わせようとしない。声は泣きそうで、震えている。
何かに怯えるような、不安を抱えているような様子でずっと心細そうにしているままだ。
「頑張らないと……皆さんの役に立たないと、私もう帰る場所がないのに」
「お前の帰る場所はここだ」
「そうです、でも……私は皆さんと違います。ここを追い出されてしまったら行く当てがなくなっちゃいます」
「俺がいるだろ」
「アスウェルさんが……?」
約束の事忘れたのか、そう言おうとするがレミィがふらついたのでそれを支えなければならなかった。
立っているのもきついのか。
強制的にベッドに座らせる。眠らせた方がいいかもしれない。
「何があった」
身を屈めて少女の表情を窺う。視線が合わない。そんな事、無表情だった時ですらなかったのに。
レミィの表情を観察してみる。
あどけない、だが白い顔だ。強張っていて不安そうな顔。ここ数日になって増えた少女の表情。
役に立たないと追い出されるかもしれない、など……レミィがそんな風に思うのには何か原因があるはずだ。
そう、思うのだが。
「原因なんてそんなのないです。何も、ないんです。皆さん、最初からすごく良くしてくれますし、優しくしてくれます。でも……」
だから不安なんです。とレミィは続ける。
「不安でたまらないんです。怖いんです。心の底では邪魔に思ってるんじゃないかってそう思っちゃうんです、私、色んな事上手くできませんし。能天気にしていることぐらいしか取り柄ありませんから」
涙を浮かべて悲痛な色を覗かせながら言葉を綴るレミィ
お前はずっと不安に思いながら笑っていたのか。
アスウェルが来る前から、記憶を失くして気が付いてからずっと。
アスウェルは、そんな少女の頭に手をやり、なでる。できるだけ優しく。安心させるように。
レミィは少しだけ、視線を上げた。
「昔、泣き虫でお転婆な……お前の様な妹が俺にもいた。俺はちゃんとした兄ではなかったから、慰め方なんて知らなかったが、こうしてやるといつもあいつは泣き止んだ」
「アスウェルさんの妹さん……?」
アスウェルはレミィの頭から緑のヘアバンドを取った。
クレファンが怖い夢を見た時なんかは、よく一緒に眠ってやっていた。
「寝ろ」
「あ、アスウェルさん……?」
そして少女の体を抱えて、ベッドの上へ降ろす。
大人の使用人ように用意されたそれは、小さなレミィには少し大きすぎるサイズだった。
頼りなさそうな少女が、より一層頼りなく見えてしまう。
「あの……」
「一人で眠れないなら、添い寝してやろうか」
「!」
見て分かるくらい、顔を赤くしてレミィは布団で顔を隠した。
思い出して、なつかしむ。
妹が寂しがる時にはよく同じ布団に入って話し相手になっていた。
「いじわるです。そういうのは、アスウェルさんとは恥ずかしい……かもです」
子供が何を気にしている。
いつもは人目もはばからずにベタベタしてくるし、迂闊な事ばかり口走っているくせに。
しばらくすればレミィは、諦めたようにベッドの上で横になるが。
「こんなお昼から眠れません」
中々そうはいかない様だった。
レミィが布団から手を伸ばして、服のアスウェルの服の裾を掴んでくる。
力はそう強くない。
おそらくアスウェルが、服を引っ張たらぬけてしまうくらいだろう。
だが……。
「やっぱり……一緒に、眠ってくれませんか」
「……」
告げられたその一言。
アスウェルはその娘の将来が非常に心配になった。
そんな風に、心細そうにすがるような目を向けるな。
「男に向かってむやみに好きだの眠ってくれだの言うな」
「……! あの時の、聞いてたんですか!?」
聞かれてないとでも思ったのか、あれだけの近い距離で。
保護者共がこいつを放っておかない理由が分かってしまった。
「うぅ――……」
恥ずかしさに悶え、レミィが布団の中に潜り込むのをひっぺがえす。
それを見ていると意地の悪い気持ちになって来る。
こういう所は妹に接する時とは違う所だ。
アスウェルは隣に邪魔してやった。
「ひゃ……っ」
小柄な少女を腕の中に抱え込むようにして、布団の中におさまった。
薄暗いなか、己の胸の位置にレミィの頭部が収まっていた。
「あ…あの、ぅぅ……、アスウェル……さん」
「妹にもよくこうして眠っていた」
「妹さんに、ですか。羨ましいです」
だから、そういう事は男に向かって言うな。
「アスウェルさん、温かいです」
向かい合うように腕に収まっているレミィはこちらの胸にすり寄って来る。
お子様で体温が高いからか、思ったよりすぐに温もりがこちらに伝わってくる。
当然だかこうして誰かと寄り添って温もりを分け合う事など、長い間してこなかった。
「眠れないって思ってたのに。何だか、眠たく……なってきちゃました」
騒がしい時はウサギのような少女だと思っていたが、こうして丸くなって暖を取っている姿をみるとネコのように思える。
それで、リラックスしたのか、数秒後には寝息が聞こえてきた。
安心しきったの典型のような表情が腕の中にはある。きわめて無防備、そして危険だ。居眠りしているところなぞ見かけようものなら、悪戯心をくすぐられてたまらないだろう。迷惑的な意味で。
そんな風にレミィのあどけない寝顔を眺めていると、いつしかつられるようにアスウェルも夢の世界へと誘われていった。




