12 風調べの祭り
最初に懇親会で奇妙な三つの話を聞いた時は、レミィの正体が気になった。何かあるのではないかとほんの少しそう思って、けれど疑いたくなかったのでその疑惑に蓋をした。
キタリカに行った時は、驚いた。幸福そうにしていた兎の様な少女が、想像以上の過去を持っていると思わなかったからだ。今まで見せていた呑気そうな態度の、その裏に隠されたものに気づいた。
町の中で出会ったクルオにレミィが言い返した時は、不覚にも嬉しいと感じてしまった。
否定ばかりされてきた自分の人生を肯定してくれた奴は、あの少女だけだったからだ。
ピアノの演奏を聞いたときは、思わぬ助力に胸が痛み、そしてその後に夢を語った少女の未来を想像した。そうなればいいとは少しは思ったからだ。
誕生日の夜にはこっそり部屋に人形を贈った。使用人達に自慢してまわっていたのを知った時は、いい加減にしろと思いながら、その喜び様を見るのも悪くはないと思った。後に彼女は本当は人形は好きではないという話を使用人から聞いた時は少し後悔したが。それでも、アスウェルの贈り物を大事にしてるようだったのが、助かったと思った。
一喜一憂とまではいかないが、アスウェルの感情はかなりあの少女に振り回されている。
ウンディの町での日々での思い出は、きっとレミィ抜きでは語れないだろう。
だが、それももう半月が過ぎてしまっている。
長くとも、一か月以内には片を付けたい所だった。
1月16日。
そして、レミィの誕生日会の翌日(拾われたというのなら誕生日など分からないはずだが、レミィの誕生日はこの屋敷で使用人として働く事が決まった日……1月15日になっているようだった)。
目標滞在期間の折り返しにやってきた16日は、町の名物である風調べの祭りの日だった。
当然そんな日にあの兎の様な少女が黙っていられるわけがない。
一日の終わり、仕事を早めに終わらせたレミィは、当然のようにアスウェルを連れて(というより他の人間からはアスウェルがレミィを連れているように見えるだろうが)祭りの行われている場所……高台へと引っ張って行った(さすがにレミィもこの時ばかりは使用人服などではなく、他の人間から借りた私服……白いワンピースを身に着けていた)。
薄暗くなりつつある時間の中、近道だと自称する道なき道を突っ走って行った時はレミィを引き戻そうと思ったが、出さなくてもいい行動力を発揮した暴走兎はそんなときに限って、とても嬉しそうで生き生きとしていて、結果余計な事を言えなくなった
そして現在、森の中を歩いて数分。
アスウェルは、この町が風調べの町と呼ばれる所以を知る事になった。
風に乗って旅をして来た綿毛のような花々が、目の前でゆっくりと舞い降りる。
淡く銀色に発光する花は、ゆらゆらと気持ち良さげに空から降ってくる。
風が不意に吹けば、それはまるで音楽を奏でているかの様にふわふわと舞い踊る。
まさしく祭りの名前にふさわしい、風の調べと呼べる光景。
幻想的な花と光の景色だった。
「ここ、レン姉さんたちから教えてもらった穴場なんです、えへへ」
そんな中で表情を取りつくろいもせずレミィが満面の笑みを浮かべてみせる。もはやこの世界であった時とは別人といって良い様な変わり身。喜怒哀楽を隠しもしない、だだ漏れ状態だった。
これがレミィ本来の素なのだ。
今までの無表情然とした様子より、よほど似合っていた。こちらの方が断然良い。
「綺麗ですよね。わあー、綺麗だなあ」
人気のない森の中、余計な騒音や背景のない中で見るその景色は、まるで絵物語の中に出てくる幻想的なシーンの一つが、現実世界に現れたかのようだ。
目的地に着くまでの短い間、速度を緩めて並んできたレミィとそんな光景を眺め続けた。
今度は三人で。いつか妹にも見せてやりたいと、そう思いながら。
祭りの会場である高台に着けば、集まった人の多さにうんざりした。
目の前の景色の人口密集度が半端が無い。
帝国よりもはるかに小さく人も少ない町だと言うのに、催し物となれば嘘みたいな集合を見せるのはどこも同じなのか。
レミィは横で、馬鹿みたいにはしゃぎながら店を見て周っている。
「あ、アスウェルさん。林檎飴が売ってますよ! あんなに大きくて食べきれるんでしょうか。あっちには射的屋さんがあります! いいなあ」
屋台を制覇するような勢いでひたすら周る。
こういう時は普段使わない財布の紐が、嘘のように緩むようだ。
「夜なのに、お店がいっぱいです。コンビ二みたいです! 笑顔が無料で私が大変です!」
「……落ち着け」
なんだ、それは。意味が分からん。
夜なのに店が出ている事が、そんなに面白いのだろのか。アスウェルには分からない。
興奮した様子のレミィは、目についた所から出店に突進して無計画に金銭を使いそうになるので、アスウェルが止めてやらねばならなかった。
そんなアスウェルの姿はお転婆な妹をもった苦労性の兄にでも見えるのか、屋台の近くにいくと何故か食べ物だの品物だのをおまけされた。
「ほら、これやるよ。元気だしなよ兄ちゃん。なに、妹の笑顔は金には代えられないよ」
俺の金じゃない、とか妹じゃない、とかそんな事を言い返す気力も気分もなかった。
「あむぅ……、おいひぃれす、あむ」
「食べるか喋るかどっちかにしろ」
「じゃあ、お喋りします!」
喋るのか。
その後でレミィが射的屋に参加した時は、思わぬ成績を叩き出した。
請われて参加したアスウェルの記録に迫りそうな勢いだ。銃器類でも触った事があるのだろうか。
レミィ自信は、射的をしている最中にゲーセンがどうのこうのと口走っていたが、無意識だったようで後で聞いても首を傾げるだけだった。
調子に乗ったレミィはどう考えても物理的に取れないだろう……自分の見た丈とほぼ同じくらいの、大きなクマのヌイグルミを取ってしまい、扱いに困る事になった。計画性の甘さにため息が出る。返せと言ったのに、レミィは今日の記念にとまったく譲らない。
今は守る様に、大きなヌイグルミを抱えて歩いている。
傍から見れば少女がヌイグルミを抱えているのではなく、ヌイグルミが少女を抱えている様に見える絵だ。
そうして高台にある店を順に周って行ったアスウェル達は、もうすぐ打ち上がるという花火を見るために高台の見晴らしのいい場所へと移動していく。
時間がせまっているようで、周囲は見物客でごった返していた。
数メートル先には手すりがあるらしいが、見えるのはほぼ人の背中だけ。
その先では、レミィの解説した通り、町の上空をたゆたう光の花が、風の調べを見せるような光景が見れるらしいが、とてもそこまでは辿り着けないだろう。
「なら、こうすればいい」
「え、ひゃあぁぁっ。持ち上げないでーっ、女の人を持ちあげるのはなしです、駄目です、ノーなんですっ!」
子供が何を言っている。
残念そうにするレミィを抱えて持ち上げてからかったら、嫌がって怒られてしまった。
「アスウェルさんは意地悪で、デリカシーがないと思いますっ」
今は地面に立ってそれで満足している。
半分はからかいだったが、半分は親切のつもりだったのだが、レミィの中には持ち上げ行為に何か譲れないものでもあるのかもしれない。
「楽しいです。お祭り、すごく楽しいです。アスウェルさんは楽しいですか?」
「人混みが邪魔臭くてかなわん」
「お祭りなんですから。そこがいいんじゃないですか」
人ごみの中を移動してきた苦労が思い起こされる。アスウェルはそう進んで行きたくはない場所だが、レミィは予想通りこういう賑やかな場所が好きらしい。
「一年前も来たと思いますけど、よく覚えていないんですよね。あの時は拾われたばかりで記憶もなくて混乱してましたから。でも今年はとっても楽しいです。アスウェルさん、一緒に来てくれてありがとうございます!」
「楽しかったか……」
「はい、とっても。アスウェルさんにはお世話になりっぱなしです。お誕生日の時とかも、人形をくださって本当に本当に嬉しかったです。私、こんな風に毎日を過ごせるのがまだ信じられないくらいで……。ちょっと怖いくらいです」
「……」
話しながら、すでに集まっている人の向こう。
暗闇が満ちる空へとレミィは視線を向ける。
その感情は、記憶がないながらも一度日常を奪われている事に起因する事なのだろうか。
「前の私はどうして記憶を失くしてしまったんでしょうね。何が原因でそうなってしまったのでしょう。研究者だったらしいお父さんとお母さんが殺されてしまって、それが原因なんじゃないかって思うんですけど、どうなんでしょう。組織の実験のせいかもしれませんし、よく分からなくて……」
それは奴隷契約のせいなのだが、口にはしない。
ライズも聖域の主もレミィは不安定だと言っている。
正しい事を言って、それが悪い結果に繋がらないという保証はないのだから、その選択は当然の事だろう。
レミィが真相を知らないというのなら、クレファンは何と言ってレミィを聖域で寝かせているのだろう。
禁忌の果実の後遺症のせい、と詳細をぼかして言っているのだろうか。たぶんそのあたりが妥当だろう。
「思い出したいですけど、知るのはちょっと怖いです……。私がもし、表を歩けないような人間だったら……。本当はひどい人間だったら……。前の事ならまだしも、捕まっていた時の事は、特に怖いんです。だって、私、戦う事もできますし、武器だって使えちゃいますし……」
アスウェルさんに怪しまれるくらい、変ですし普通と違います、と小さく続ける。
禁忌の果実で何をしていたのか、それを思い出すのがレミィにとって一番怖いことらしかった。
「レミィ・ラビラトリ」
段々と早口になっていく少女に向けて、アスウェルは名前を呼んだ。
今の少女にとって、それはとても大切な言葉だと思えた。
「お前はお前だ。ここにいる俺は知っている。お前が、やかましくて、そそっかしくて、世話をしてやらないと余計な手間がかかる、それでいて他の人間を見捨てられないような、甘い人間だと言う事を」
「アスウェルさん……。ありがとうございます。でも私、ちゃんとしてますよ」
泣きそうな、それでいて、嬉しそうな顔を見せるレミィ。
その少女を、打ちあがった花火の光が照らした。
「わぁ、凄いです。綺麗です!」
視線を夜空に向ければ、光の花が無数に咲き誇る所だった。
これが花火というものらしい。祭りの見どころだとレン達が言っていただけはある。
こういう物は、地元にはなかったし、各地を旅するようになっても祭り事などに興味がなかった為、見る事がなかったのだ。
アスウェルが初めて見る花火は夜空を彩るにふさわしい、煌びやかな装飾だった。
「……アスウェルさん、ありがとう。ずっと……、だいすき……」
近くからそんな内容を紡ぐ小さな声が聞こえて来た。