10 復讐者
上の部屋に戻ると想像通り音が響いていた。
来た時にはいなかった人間がいて、講堂の奥にあるピアノの前に座っている。
メロディにあわせて小刻みに動く檸檬色の頭と、そこで揺れ動く兎耳……ではなくヘアバンドを見れば、顔を見ずとも誰だか分かる。奏でられる音色の演奏者はあのレミィだ。
「ふんふんふーん……」
ハミングと共に奏でられる音色は、テンポが速く、音の起伏が激しいものばかりだった。
兎がせわしなく跳ねている様な、そんな勢いのある曲。
ピアノで弾く音楽と言えば、眠たくなるようなものばかりしか知らなかったのだが、こういう曲もあるのか。
腕はプロというほどではないがそれなりにあるようで、トチることなくなめらかに指が鍵盤の上を踊っている。
「ふぅ……、弾いてみた、です!」
ああ、弾いてた。
なぜ主張する。
「あ、アスウェルさん」
演奏を終えて一息つくレミィがこちらの存在に気づいた。
「聞いてたんですか?」
「弾けたのか」
「はいっ。手が空いたときにお屋敷にあるピアノを弾かせてもらっているんです」
使用人をしているレミィを見ると気付くことがあるのだが、この小さな少女には一般人が身に着けているようなものではないスキルが多々ある。
華道に通じていたり、学問の知識もそれなりにあったり、今のように楽器の演奏ができたりと。
そうして考えてみると、どこかの金持ち貴族の娘としか思えないのだが、それにしては謎の戦闘技術が意味不明過ぎる。研究者を親に持っているのも、ちゃらんぽらんだ。
記憶はないようだが、禁忌の果実にいた時に仕込まれでもしたのだろうか。何の為に、とは思うが。
レミィはピアノの上に置いてある砂時計を手にする。
屋敷の主人の私物なのか、やたら煌びやかな飾りのついている無駄の多そうな時計。
その装飾にある鉱石がほのかに輝きを放った。
前にも見た事がある。確かキタリカの浜でだ。
今のは?
「これは魔法です。クレファンさんやお屋敷の人達は、私にそういう不穏な言葉を聞かせないように内緒にしてるみたいですけど、私って魔人ですから」
出会った時……魔人排斥派との戦闘の時に見たが、魔人ができるのは魔法を使う事のみだ。鉱石を光らせるなどと言う妙な特技は持っていないはずなのだが。これはどういう事なのか。
他にも、レミィはキタリカの海辺で鉱石を作り出していたのを思い出す。
レミィが指で鉱石の表面をそっと撫でると、わずかに周囲で風が吹いた。
今のは風の魔法か?
「そうです。ちょうどいいのでとっておきの私情報をアスウェルさんには教えようと思います。私には普通の魔人さんにはできない事ができます。願い石を作る事、願い石を光らせる事、風の魔法が使える事。そして、魔法が使える石……願い石を見分ける目を持っている事です」
願い石が、魔法が使える石だと?
だがこちらの動揺に気づかない様子のレミィは一泊置いて、話を続けていく。
「知っていますか。見ていらしたんですよね。キタリカで私が空から掴んだ星……ではなく願い石は、たまに道に落ちてるんですよ。分かりにくいですけど、願い石はあちこちにあるんです。そして、私は普通の石とその願い石……星の鉱石を見分ける事ができるんです。私には願い石の中にある特別な力を感じ取る事ができるから」
言われて、キタリカでレミィがボードウィンに付き合って石探しをしていた事を思い出す。
石を識別する能力を持っている事は知っている、それが願い石を見分ける物であることも。
だが、願い石が「人間にも魔法が使える石」だとは、まだ信じられない。
先程風が発生したのはレミィが魔人で魔法を使ったから、ではないのか。
いや、そもそも……。
レミィは願い石が「魔法を使う事が出来る石」と言っただけで、「魔人以外がその石で魔法を使う事が出来る」等とは言っていなかった。
「人間が使える」なんて一体どこで聞いた知識なのだ?
「お前はそこらの石を危険物にするつもりか」
「そんなにごろごろ落ちてはないですよ。キタリカみたいにたくさんあるのは稀ですし」
考えを整理する様に、瞳を閉じて思案気な表情をしながらレミィは解説していく。
「願い石の……面倒ですから魔法を使える石、魔石と呼びますね」
ただの人間が、魔人の様に魔法が使える石を魔石か、妥当なネーミングだな。
「魔石の中には元々魔力という物が詰まっています。色……属性ごとに違いますが、魔人の皆さんが行使する魔法の純粋なエネルギーの事です。私が魔法を使う時は実は、そのエネルギーを引き出して、力を行使しているんですよ。アスウェルさんは驚かれるでしょうけど、これは人間にもできる事です」
やはりそうか。
突拍子もない説明だ。聞いたのは紛れもなくこれが最初のはずなのに、何故か納得してしまっている自分がいる。
まるで同じ事をいつかどこかで聞いた事があるかのように。
説明して、レミィは砂時計の装飾の中の一つの石、赤い鉱石に触れる。
「風よ」
小さい勢いのある風が一瞬だけ、吹き荒れ。
レミィの周囲で渦を巻き、長い檸檬色の髪を揺らした。
「長くなりましたが、私情報終了です。ちょっと言っておきたかったことがあるので本題に入りますね」
雑談程度に常識を覆される様な話をされたと思ったら、まだその先があるのか。
「私は他の魔人の方とは違います。鉱石鑑定の技術もありますし、詳しい原理は分かりませんが魔石そのものも星から作り出す事が出来ます、その魔石から魔法を使ったり光らせる事も……」
一瞬間を開けてレミィは続ける。
砂時計を元の位置に戻し、膝の上に手を置いてこちらをまっすぐに見つめてきた。
「それらの事ができるようになったのはおそらく、よくは覚えていませんが……禁忌の果実の実験体になって、貴重な実験体として生き残って来た影響なのでしょう。そして彼らはこの屋敷にやってきて、逃げ出した私を補足して今も見張りつづけている」
「……っ」
知っていたのか、お前は。
ボードウィンの正体を。禁忌の果実についても。そして、いまもまだやつらの手中にいる事も。
「気づかない方がおかしいです。今まで色々ありましたから。ボードウィン様がストレス貯められると口が荒くなる所もありますし……」
視線を落とすレミィの様子を見て、色々の部分が気になったが今は聞かないでおく。
オリジナルの世界でもこの世界でも、屋敷に来たばかりの時はそれほど悪い仲には見えなかったが、あれはやはり取り繕った仮面だったのか。
だが、知っているならなぜ逃げないでこの屋敷に留まっているのか。
ここで逃げていれば、お前はあんな風にオリジナルの世界で、奴らに良い様にされる事などなかったのに。
「逃げるなんてできません。家族を殺しておいて、今もまた私にお姉さんとお兄さんの様に接してくれているレン姉さんたちを、組織の人がいるこんな危ない所に置いているんですから、逃げるなんてそんなの無理です。私、そんなの耐えられません」
「なぜ、その話を俺にした」
結論も行動も変わらないというのならば、どうして今まで黙っていたのにその事を打ち明ける気になったのだ。
オリジナルの世界では、この世界でも関係が良かったはずなのに、アスウェルは打ち明けられる事が無かった。
なのに、この世界でそれを話す意味は何なのか。
「深い意味はありません。ただキタリカでの出来事を見て、私も同じ復讐者なのだと告げておいた方がいいだろうと思って、それだけです」
助けてほしい、なんて事ではないのか……。
ここから連れ出して欲しい、なんて事でも。
レミィがそれを望むなら、アスウェルは力を惜しまないというのに。
深い意味はないなどとレミィは言うが、それが言葉通りではない事ないくらいアスウェルにも分かっていた。
視線の先にいる少女の翡翠の瞳は、様々な感情の光に揺れている。
「無用の諍いを招いても互いに困りますでしょうし、アスウェルさんは調査が行き詰っていて情報が欲しいんですよね?」
そうして頼んでもいないのに、レミィは今まで得た情報を喋っていく。
何かをごまかす様に。痛みをこらえる様に。
それはアスェルに対してなのか、それとも己に対してなのか。
「知っているでしょうがボードウィン様は、あまり組織で地位のある人ではありません、捨て石です。いざとなったら、あの人ごと上の者達は私達に害を成してくるでしょう。屋敷の人たちなんて、もっと何とも思っていない。簡単に切り捨てられてしまう。私以外の使用人があまり町に外出しないのは、その影響みたいですね。逆になんでか私だけなら監視は用意みたいで。……それと、禁忌の果実の目的は第三計画の応用らしいです。今の所、目の付けられ具合からして私は良い線いっているようですが、他に計画の適任に誰がいるかは分かっていません。いないかもしれませんが、それは分かりません。あ、ボードウィン様自体にはそんなに能力はありませんよ、戦闘能力もほとんどない様なので。嫌がらせとか小細工以外は警戒なさらなくても良いかと。基本上から言われた事をやっているだけのようですし。アスウェルさんの事はちょっと怪しんでるみたいですけど、気を付けてくださいね。」
あまり聞いていたくはなかった。
すらすら口から出てくる分析の言葉に頭が痛くなってきそうだ。
その力をどうしてもっと他の仕事に割けないのかと思う。
おかしな境遇にいたせいで、この少女は変な成長をしてしまったらしい。
気づけばアスウェルは、話の区切れに至極どうでもいい事を口に出していた。
「レンが言っていた、たまには給料を使えと」
ホントにどうでもいい。
脈絡を無視するにも程があるだろう。
レミィは目を丸くして、一瞬「何を聞かれたのか分かりません」みたいな典型の様な顔になった。
使用人連中が誕生日プレゼントは何が良いかとか喧しく聞いてくるものだから、そろそろ大人しくほしかったのだ。……なんて言うのはきっと言い訳だろう。
正直を言えば、らしくない顔をいつまでもしていて欲しくなかったのだ。
ふさわしい顔なら他にあるだろうに。
「お給料、ですか? 使い道はないんです。そんなに欲しい物はなくて、あ、でも……貯めてるのはあるんですよ。前の屋敷のご主人様……アレイス君はくれるって言ってたんです、このピアノを。でも今はボードウィン様の物ですし、いつかこういうのを自分のお金で買えたらなと思ってて」
と、レミィは購入予定リストにあるらしい目の前の楽器を視線で示した。
それは、奴らには用意できないものだ。
「どこに置くつもりだ」
「さすがにあの部屋には入れませんし、考え中です」
でも、とレミィは羨む。
「私いつか、ピアノを演奏しながら世界中を旅するのが夢ですから」
そんな未来が訪れたらいい、とそう願っている表情で。
「持ち歩くつもりか、これを」
「考え中ですっ!」
そうだったらいい、と同意するのは心の中だけにした。