09 この世界の姿
1月12日
屋敷に滞在する様になって、12日目。
アスウェルは本日、町に出て活動していた。
恒例の情報収集をして、フィーアにしつこく絡まれた後、屋敷へと帰る。
収穫はいつも通りあまりなかった。
町での行動はもう手詰まりだ。そろそろ方針を変えた方が良いかもしれない。
そう考え事をしながら歩いていたら、見知った人間と遭遇してしまった。
「君はっ!」
聞きなれた声。
懐かしい声だ。
子供の頃は当たり前のようによく聞いていたのに、今では時々しか聞かなくなった。
声をかけたのは優男だ。今まであれこれと手を尽くしてアスウェルを復讐の道から戻そうとしてくる人間、クルオ。
男のくせに髪を長くして、体格も華奢。顔は性別を間違えられてもおかしくないほどの女顔であるその人物は、一応アスウェルの友人……だった知り合いだ。
「アスウェル! やっと見つけた。復讐なんて馬鹿な真似は止めるんだ」
人目のある所で物騒な事を言うな。
屋敷の前で言われるよりはましだが、どこから話が漏れるか分からないというのに。警戒するに越した事はない。
「いい加減俺をつけまわすのは止めろ。迷惑だ」
本気でそう思って伝わるように言うのだが、伝わっても気持ちを汲んだ上であえて無視してくるので大して意味はない。言うのはただの習慣だ。
こいつは出会ったら最期、撒いて逃げるしかない類いの人間だった。
「あれ、アスウェルさん……?」
そんな場面に、厄介事を重ねる様に第三者が登場する。
お使いを頼まれていたらしいレミィが通りがかったのだ。……前にも、どこかでこんな事があったような気がするのだが、さすがに気のせいだろう。
「……綺麗な人ですね。お友達さんですか?」
最近は少し剥がれかけて来た無表情を装備しなおしたレミィが、クルオを見つめなおす。言葉とは裏腹に声音が冷たかった。
言っておくがそいつはそんな見た目でもれっきとした男だ。
一度子供の頃にふざけて本当に男なのかどうか確かめようとしてひどい目に遭った事もあるが……、男だ。忘れよう。
「……クレファンも、君の妹もきっとそんな事は望んじゃいないはずだ。復讐なんて止めて普通に生きるべきだ!」
「黙れ、いい加減にしろと言っただろう」
頼んでもいないのに、人の後をつけまわしてうっとおしい。
だいだいこんな俺などをいつまでも友人だと呼ぶクルオの気が知れない。
クルオにだってやる事はあるだろう。
組織に付け狙われたらどうするつもりなのか。
「退け、ここにいるのは俺だけじゃない」
案に他の人間のいる所で物騒な話をするなと、そう言ってクルオの良識を刺激し追い払おうとしたのだが……、
「……君は?」
クルオはレミィの存在に気づいて視線をやり首をひねった。
「どこかであったような……」
「レミィ・ラビラトリです。奇遇ですね。私もそんな気がします」
クルオは立ち去るどころか妙な親近感を得ているようだ。だが、レミィの方の態度は冷ややかだ。
面倒な者同士、波長が合うのかどうか知らないが、いつまでも互いを見つあわせておくわけにはいかない。
「買い物は済んだだろう。遅くなったら保護者共に叱られるぞ」
「あ、そうですね。……その前に」
レミィを帰る様に促すのだが、クルオへ何か言いたい事があるようだった。
それは今のではなく少し前の会話についてだ。
「先程の……ですけど、復讐をしないのは正しい事ですけど、私だったらそんなの嬉しくありません。復讐なんて駄目に決まっていますし、悲しくなっちゃいますけど。勝手な事を言いますが、私がアスウェルさんの妹だったら、それだけ思っていてくれるのが嬉しいです」
てっきりレミィも似たような考えをしているかと思ったのだが、少女は最後にそんな事を言った。
間抜けな顔をしているクルオを放っておいて、こちらの横に並び立つ。
「行きましょう、皆さんに叱られたくはありませんので」
そう言って歩を進めるレミィは、
「私にも復讐したい相手がいますしね」
一言だけそう付け加えた。
そんな事があった後、屋敷に戻って来たアスウェルは、使用人達に近々迫っているというレミィの誕生日会の準備係とやらに勝手に任命されていた。人の意見を聞かずに決めるなと言いたい。かなりうんざりした
屋敷の連中は、相変わらずうっとおしくて騒がしい連中だった。
レミィの欲しいものが分からない、という使用人の愚痴を短期間で何度も何度も聞かされる身にもなってほしい。
そういうわけなので、かえって早々使用人連中から逃げるはめになったアスウェルは、普段はあまり立ち寄らない場所に避難した。
屋敷の離れにある講堂だ。
勉強会以外で使われているのを見た事が無い。
室内に入って、どこで聞いたのかは知らないが地下にある水場とやらを探索してみる。
地面の下に作られた空間。そこは薄暗かった。
元は遺跡があったという名残が残っているのか、地下室というよりは年代の経った古代地下遺跡といたような景色だ。
中央には禊ぎに使われる水場があるのだが、長い間使用していないらしく張られた水は濁り切っていた。
レミィは時折り聖域へ言っている、らしいのだがどこから向かっているのだろうか。屋敷の外の周辺にそれらしい代わりの水場があるのかもしれない。
『怪我をして……、貴方……大丈夫?」
ふいに誰かの声が聞こえて来た。
見回すが誰もいない。
耳に届いたのは女の声だったが、かすれて中身はよく聞き取れなかった。幻聴だったのだろうか。
『白衣が汚れ……、ど……かの研究者さん?』
だが気のせいで済ませようとした瞬間、またも声がする。
今度は、水場の奥に人影の様なものまで見え始めた。
白い鳥を連れた、灰色の髪の女の姿がそこにある。
『アスカ? ……この子は私のともだ……』
だが、すぐに消えてしまう。
ここにないもの、ここで見えるはずのないもの、ここで聞こえるはずのない幻影に意識を割こうとすれば、それはふっと嘘のように掻き消えてしまった。
「何だったんだ」
治療が必要なのは自分もなのかもしれない。
最近、こう言う事が良く起きる。
得体の知れない現象に、これ以上悩みの種を増やすなと言いたいが、言ったところで大人しくなるようなものでもないだろう。
アスウェルが聖域に行く事が出来る事にも何か関係しているのかもしれない。
こういうような事がなければ、自分が交じりだと言う事が原因なのかと思っていたが。
時間があれば、原因を探ってみた方がよさそうだ。
幻を追うように知らず踏み出していたのだろう。
水場から何かの拍子で漏れ出した水が、靴で踏んでズボンの裾にはねた。
毒々しい紫色で、それはまさしく昔語りで良く語られる、ニエの毒姫の毒の様に見える。
「……毒姫の毒か」
遥か古代。毒姫の毒が満ちていた時代に、その毒に平気な人間が新しい種族として現れた。魔人族だ。
彼らは、歴史で味気なく語られるように唐突に表れたわけではあるまい。元は人間だったものが、毒を克服した姿が魔人、なのではないか。この世界に生きている者は、おそらく誰でも薄々そう考えているはずだ。
レミィが人間から魔人になったような事が、昔はよく起きていたかもしれない。
それが本当ならば、魔人を迫害して物の様に扱う人間は、結局は人間同士で傷つけあっているだけと言う事になる。
種族で差別し、人を蔑み、貶め、傷つけ、壊していく。
世界はなぜこんな姿になってしまったのか。
どっちにしろ、原因が分かったところでアスウェル個人にはどうしようもできない事だが、この世界がこのまま続けば、レミィの生きにくい世界になるのだろう、とそう思った。
「……」
慣れない事は考えるべきではない。今は自分と、その身の周りだけで精いっぱいだと言うのに。
とにかく今の優先事項は、禁忌の果実とレミィの事だと、気持ちを落ち着けていると、何やら上の方から流暢なメロディが流れて来た。
誰かが、講堂にあった楽器で演奏しているらしい。